2020-01-01から1年間の記事一覧
つい最近まで「西沢定吉」という政治家を知らなかった。総理大臣などの名は覚えるが、昭和以前の地方政治家などについては、学校では何も教えてくれないので知る機会が無い。自分が選挙権を持って以降の政治家なら知っているが、その3~4代以前となると分…
堀三也に関する資料探しは一段落。公刊のもの、ネットで公開されている資料はこのブログでも紹介してきましたが、これ以後はもっと「生」の情報になるでしょうから、提供者の許可無くブログには公開できません。 したがって、ここでは「軍人のカトリック信仰…
ネットの力か、亡き誰かの導きか、堀三也のお孫さんから連絡をいただいた。奇跡のような邂逅に、しばし心が動揺した。 残念ながら三也の子供は皆さん他界されていて、直接自分の母に会った人はもういないことが分った。しかし、三男の方が生前、「豊島区にい…
母の戦前のことを知るため、基本的なことを整理しようと戸籍を調べた。市役所で謄本を取るのだが、窓口で「家系図作成のため」と言うとその旨のゴム印があり、手際よく申請書を直してくれる。今はそういう用途で申請する人が多いのだろう。 母方の直系をさか…
『大沼保吉翁回顧録』(1963後藤嘉一編著)は、壽虎屋酒造の八代目主人で、戦前四期に渡って山形市長をつとめ、昭和37年(1962)に亡くなった大沼保吉氏の、89年にわたる人生の回顧録である。 この本は、昭和19年から21年という時期に市長となった大内有恒氏…
山形西高等学校に行き、同窓会事務局担当の方の許しを得て、嚶鳴会館およびアカシア会館にある資料を見させていただいた。かつての職場なので、まだ無理をお願いできる部分がある。感謝。 山形女子師範学校・山形(第一)高等女学校・山形西高等学校の卒業生…
新関岳雄氏の『影と声』では、堀三也の妻九重について、初め次郎の婚約者と決められたのが(明治35年、次郎19歳、九重14歳)、三年後に婚約破棄となったことをあげて次郎と三也の間にわだかまりがあっただろうということを書いている。 そもそも九重との婚約…
4日(土)曇天の一日、心配した雨にも遭わず、車で酒田まで往復した。清川から赤い橋を渡って最上川の対岸に行く。北上して、右に登る坂道に入るとやがて松山小学校があり、その隣の古い低い家が「阿部記念館」だった。約束の11時にぎりぎりで到着。電話でお…
梅雨に入って、鶯の声もさすがに絶えがちになった。 更新しようと記事を書くが、途中でなぜか記憶できなくなって終わってしまうことが繰り返され、ちょっと疲れた。あやふやな知識を確認したり調べたりしながら書いているので時間ばかりかかる。 調べること…
今、主に二つのテーマに関して知識を蓄えているのだが、自分の不正確な知識を整理する、あるいは「自分の頭で理解する」ために非常に回り道をしている。そのため頭の中が雑然としていて、ブログにまとめられるような状態ではない。 何にせよ先人の研究があっ…
JIN-NETが倒産、というニュースを見た。JIN-NETは、独自取材で報道番組を支えてきた会社である。懐かしいところでは、偽ドル札スーパーKを追う取材から「よど号」犯人の日本人が関わっていること、つまり北朝鮮の関与を突き止めたことや同じく…
山本信次郎について、『摂政宮殿下の御日常を拝して』(山本信次郎1925)と『軍服の修道士 山本信次郎 天皇と法王の架け橋』(皿木喜久2019)を読んだ。 前者は大正14年(1925)1月に三州倶楽部での講演を筆録したもので、山本は積極的にこのような講演を行…
21日の日曜日、久しぶりに芝居を観た。三年前まで顧問をしていた高校演劇部の定期公演(卒業公演)である。と言っても、ほぼ公開練習上演のようなものだ。例年は4月末という、第三学年の初めに行ってきた(第一回、渡辺えりの年代以来)のだが、今年は新型コ…
黒人奴隷の反乱について思い出そうとして、「ナット・タイラーの乱」という語が頭に浮かんだがどうも変だ。「ワット・タイラー」と「ナット・ターナー」が混じっていた。時代も国も全然違う、いい加減な記憶である(呵々)。 「ナット・ターナーの反乱」は南…
堀三也の昭和時代の住所を「日本紳士録」で見ると、6年(1931)に「陸砲少佐、北豊島、長崎、二九八〇」、8年(1933)には「陸砲中佐、陸軍兵器本廠附、陸軍省動員課勤務、麹町、永田町陸軍省軍務局内」とあり、この年は職務上の理由からか職場の住所になっ…
旧出羽村(現在の山形市、漆山・千手堂・七浦)の近代(特に名主半沢久次郎について)を素人なりに調べていて、昔教科書で習ったことを思い出しながら思ったこと。 明治、大正、昭和前期(終戦まで)のおよそ八十年と戦後の昭和、平成七十数年とを比べて見た…
以下の記事の内容について、さらに資料を探して読み解くと、以前の考察とは少しく違う結果が得られましたので近日中に別途記事にします。以下の記述は考察途中のものとして参考程度にとどめてください。(令和5年12月7日) 新しい知見については右をご覧くだ…
戦時「特設艦船」というものがあって、日露戦争での「特設巡洋艦信濃丸」のバルチック艦隊発見のエピソードはよく知られている。 その分類に「特設監視艇」があって、日本海軍は民間船を徴用していた。宮崎駿の『最貧前線』に出てくる吉祥丸がそれだろう。本…
岩下壮一について、『闇をてらす足おと 岩下壮一と神山復生病院物語』(重兼芳子1986)を読んだ。当代の碩学として将来を嘱望されながら、フランス人神父が建てたハンセン病患者の療養施設を6代目院長として引き継ぎ、その運営に心血を注いで、51歳で病没し…
昨日県立図書館で「山形市史資料第67号」を借りて読んだ。漆山村取締名主半沢久次郎の御用留書、明治2~4年分である。昭和59年(1984)年、伊豆田忠悦先生が翻刻し、解説されたもの。校長御退職後のお仕事だろう。 この解説中にある、昭和5年4月発行、高橋俊…
昨日、市立図書館が一部再開したので借りに行った。外からビニテで立ち位置が区切ってある。入り口でカードをチェック。バーコードの読み取り。やっているのは中央公民館にいたNS君だった。日射しの中歩いたので汗が出る。マスクしているのでなおさら暑い…
暇なので土産物の袋に書いてある字を読んでみた。 (古文書小字典を買ったので使いたくてしょうがないということだ) 変体仮名のくずし字だが、濁点が付いている。半濁点をつけることもあるらしいが、あまり見たことはない。もちろん濁点はガザダバ行、半濁…
暑い。29℃とか。昨日は雷雨だった。一昨日、山寺駅の近くまで行ったが目当ての所は休みだった。駅前にはタクシーもいないし人気が全く無かった。平日だからかも知れないが、やはり疫病の影響が感じられた。山寺ホテルという古い旅館が、今はふるさとなんとか…
雨の中、天童市立図書館に行く。 『阿片と大砲』が、県内ではここにしか所蔵されていないのだ。入る前から「ここでお待ちください」の足跡シールがあって、社会的距離を示されるが、誰も居ないので進む。入り口が左右に分けられ、右側から入り左側から出るよ…
昭和15年12月6日、当時52歳の堀三也は、3日前に51歳で亡くなった神山復生病院院長岩下壮一司祭の葬儀副委員長をつとめた。葬儀委員長は63歳の山本信次郎海軍少将だった。山本信次郎は岩下壮一の義兄にあたる。岩下の妹雅子が山本の弟三郎に嫁いでいるからだ…
県立図書館が一部再開したので行ってみた。入り口からスタッフが大勢居て、検温、手指消毒、入館者記録を書き、番号札をもらって書棚に行こうとすると女性スタッフが何用かと聞く。リストアップしていた書籍名を示すと検索機で貸し出し請求書を打ち出しなさ…
親戚の家にある額で、「福甚」の二文字が書いてある。 日付は読めるのだが、名の方は癖が強くて読むのに苦労した。 大正十四年乙丑 仲春 従三位子爵直記 「直記」は人名で、山岡直記(なおき)。 元治(げんじ)二年(1865)二月二日生、昭和二年(1927)三月四…
山形市の冠婚葬祭式場「パレスグランデール」の別館に掲げられている書。 北村西望の書ですね。 「洗心長壽」 卒五壽 西望 「松濤園」 百壱歳 西望 北村西望は満102歳で亡くなっていますので最晩年の書になりますか。 上の方は「卒五寿」すなわち95歳の時の…
山形市の料亭、郷土料理店「あげつま(揚妻)」の二階大広間に掲げてある書。 雲動乾坤三祝壽 春生雨露九霞杯 「雲は乾坤を動かす三祝の壽 春は雨露を生ず九霞の杯」と読めます。 漢詩の二句と思われますが、本の詩は今、分かりません。 よく書かれる句のよ…
にわかに9月から新学期にするような話が出てきている。登校できず、授業の出来ない現況があと2ヶ月続いたら、夏休みを無くしても授業時数を確保できるかどうか分からないから、いっそのこと懸案の一気解決に持って行こうというわけだ。各県知事から言い出…