『ナツヤスミ語辞典』 まぼろしの定期公演 

 21日の日曜日、久しぶりに芝居を観た。三年前まで顧問をしていた高校演劇部の定期公演(卒業公演)である。と言っても、ほぼ公開練習上演のようなものだ。例年は4月末という、第三学年の初めに行ってきた(第一回、渡辺えりの年代以来)のだが、今年は新型コロナウイルスSARS2-COVID19)パンデミックのため延期、そして中止にせざるを得なくなった。

 今の三年生は、来年9月を年度替わりにする案も消えてしまったので、あと8ヶ月で卒業となってしまう。高校野球、インターハイなどなど高校生の部活動はほとんどすべてが取り止めとなり、校内合唱コンクール、クラスマッチ、学校祭(文化祭)など校内行事もほぼ無くなってしまうのでは、今年の三年生は泣くに泣けまい。

 文化部でも、文芸部や放送部なら印刷物や録音媒体を残せるが、演劇となると難しい。ビデオで残せるだろうとも言えるが、朗読やラジオドラマならまだしも、そもそも舞台演劇はライヴなので、無観客上演を記録しても(意味が無いとは言わないが)あまり面白くない。

 今回は第五〇回という区切りの良い、記念すべき公演だった(…渡辺えりの年齢が分かる)のでなおさら残念だろう。市のキャパ600のホールを借りていたのが使えなくなって、それでも一回通して演じたいという部員の願望を、皆してかなえたのだ。保護者や生徒、教員が80席?をほぼ満席にしたようだ。この形でも上演できたことは、本当に良かったと思う。お疲れ様でした。

 

 

 以下少し感想

 会場は学校の体育館ステージに変わってしまったので暗転できず、照明も前明かり無しなのでまったく不十分だし、転換が丸見え(舞台裏を通れないので上下の出入りが不都合)。暑い体育館の折畳みパイプ椅子に2時間半、マスクをして座っているのはなかなか忍耐を要し、筋書きを知らない観客は理解が追いつかない部分もあっただろう。とりわけ多人数の登場人物の、主要人物を一人二役、三役で上演したので、コスチュームを換えただけでは、観客は違いを把握できずに混乱したかもしれない。(「人物関係図」のようなものを配布したら理解の一助になったかも知れない。)演目は成井豊の『ナツヤスミ語辞典』。30年?くらい前の作品になる。

 最前列で観たので、台詞は良く聞こえた。発声は伝統的にきれいなのだが、感情表現の幅が少し狭くなったような気がするのと、成井豊の作品にしてはテンポが緩かったと感じた。台詞のやり取りがもっと緻密に出来たら良かったと思うが、部員達が、ずっと練習できない中「自己満足と言われてもやりたい」と言ったように、作品作りと引退時期のせめぎ合いの中、ぎりぎりのタイミングでの上演だったのだろう。

 

 照明は少しでも前明かり(顔当て)が欲しかった。移動可能なスタンドスポットがあるのだが、操作要員が確保できなかったのか。

 音響はスピーカーをフロアに置いていたが、スタンドがあるはずだから使えばもっと自然に聞こえて良かったのにと思った。

 装置は中央奥に大きな丸ものの樹が1本立ち、緑の葉の部分は紙のドロップが下げてある。(台本に特に樹の指定はなかったのでは? 夏の気分か。)