図書館再開す そして堀三也と母のこと

 県立図書館が一部再開したので行ってみた。入り口からスタッフが大勢居て、検温、手指消毒、入館者記録を書き、番号札をもらって書棚に行こうとすると女性スタッフが何用かと聞く。リストアップしていた書籍名を示すと検索機で貸し出し請求書を打ち出しなさいと言う。開架でなくて書庫にある本なのだが、帯出可なので持ってきてくれた。大平千枝子『阿部次郎とその家族』、新関岳雄『影と声 ある阿部次郎伝』の二冊。

 館内閲覧が出来ず、いつもの図書館とは一変した雰囲気だが、いずれ解除されていくのだろう。

 

 阿部次郎は余目近くの山寺という地区の生まれである。富太郎ゆき(竹岡)の六男二女兄弟の三番目である。五歳下の弟に三也(堀)がいる(明治21年生)。学者が多い中、異色の陸軍軍人になった。陸士23期卒、橋本欣五郎と同期で大佐までだった。砲兵で要塞勤務などしたが、大正10年陸大卒後、昭和に入ってからは国家総動員の計画をしたり、企画院の燃料局課長になり、次第に武器輸出などにも関わるようになった。昭和14年に待命、予備役となるが、直後に国策商社「昭和通商」の社長(専務)となる。

 この昭和通商については、里見甫について書かれた、佐野眞一『阿片王 満洲の夜と霧』で知ったのだが、世界的に調査網を持つ調査部が麻薬売買など闇の世界と深くつながっていた。戦後はその資料がことごとく焼却されたという。この昭和通商については『阿片と大砲』という当時の社員への聞き書きがあるので読む予定である。(天童市図書館にしかないようで、まだ読めない)

 闇の面は当時の社員もごく一部の者(社長とか)しか知らないことだったようだ。

 

 大正8年に阿部兄弟、その配偶者と子どもたちと祖母が写った写真を見ると、三也は一人軍服で、背は高いが(五男勝也(竹岡)よりは低い)それほど体格が良いとも見えない。(前の月に三歳の長男をジフテリアで亡くしたばかりだったので、やつれているのかもしれない。ちなみに次郎もこの年の11月に長男を失う)三也は初め次郎の婚約者であった従姉妹の九重と結婚したのだが、その人は写っていない。この件では兄弟に確執があったようだ。

 この一家は祖母以来のカトリック信仰者で、三也も信仰厚く、教会のハンセン病施設を見舞ったりしているようだし日本初のハンセン病院である神山復生病院院長の岩下壮一司祭の葬儀(昭和15年)にあたっては副委員長になっている。彼の長女三重子(三也と九重の一字をとっている)と二女綾子は修道女になっている。

 さて、歴史の闇の面に深く関わりながら、同時に敬虔なクリスチャンであったということに人間性の矛盾を感じざるを得ないのだが、そこら辺を少し調べてみたいと思っている。

 

 以前の記事で、自分の母フサエが戦前、実家の零落後、昭和12年から18年くらいの間、東京でお手伝いさん(下女)をしていたことを書いたが、二・三軒奉公した中で最も優しい人たちだったのがクリスチャンの方で、クリスマスには(たぶんイエス生誕の)人形を飾っていたとか、お嬢さんが修道院に入られたとかいう話をしていたのを覚えている。そして、「阿部次郎の兄弟で三也」ということも聞いている。今、ほぼ確信を持って、当時二十歳前後の母が、堀三也の家に奉公していたと言える。故郷山形の縁つながりで雇ってもらったのかもしれない。

 当時の三也夫妻は五十歳代前半で母の両親より三~四歳若いが、十七歳で故郷の母を亡くした身には、自分の母サタが重なって見えたかも知れない。