高市首相が国連で演説した。国連は改革しなければならない。安全保障理事会は機能不全に陥っている。旧敵国条項は削除すべきだと。
習近平国家主席がトランプ大統領との晩餐会でスピーチした。中国とアメリカは80年前にともに日本軍国主義と戦い勝利した。多数の中国兵が戦死したが、そんな中でも多くのアメリカ軍パイロットを救出したと。
それは、援蒋ルート護衛のために宋美齢から雇われた「AVG=アメリカ合衆国義勇軍」のフライング・タイガースのことを言っているのだろうか。1941年末から翌1942年7月の解散まで、ビルマや雲南省昆明を拠点に日本軍機と交戦した。カーチスの翼には青天白日のマークがついていたが、当初はほとんどがアメリカ人パイロットだった。
その後はアメリカが戦争当事国となり、義勇軍は正規軍に変わった。共産党は関係ないだろう。アメリカは太平洋の戦いに全力を注ぎ、東南アジア方面はイギリス帝国軍が主力となった。
第二次世界大戦連合国としての中国
トランプ大統領は大戦時に中国(China)と同盟国だったと言った。
対日方針を決めたカイロ宣言は、蒋介石中華民国国民政府主席、ルーズベルト大統領、チャーチル首相の三名の会談によって発せられた。
第二次世界大戦の連合国(United Nations)は、戦後そのままUN(国際連合)となり、戦勝国(米英仏支蘇)は安全保障理事国となって国連の要を握った。その時、理事国の一つは国民党(蒋介石)の中華民国(ROC=Repubric of China)だった。共産党の中華人民共和国(PRC=People's Republic of China)は戦後4年経って成立した。それまでは、もちろん憲法も無い、コミンテルンの指示を受けて国共合作という共闘体制を作ったが、内実は自派の勢力拡大、国民党の弱体化を目的としていたゲリラ組織だった。ソ連は1937年8月に中ソ不可侵条約を結んでいるが、相手は当然中華民国だった。
その条約がありながら、1945年8月8日にソ連は満州に侵攻した。満洲は中華民国から独立した国家として成立したが、日本陸軍の力なくしては保てなかった。ソ連の侵攻は、日本の占領からの解放であり、満洲は中国に返還されるはずだったろう。
蒋介石はソ連の参戦を承知していた。詳細は知らずとも、ソ連参戦によって日本帝国軍は打撃を受け、満洲は日本の支配から逃れるだろうと期待していた。ところが圧倒的武力の差により、関東軍は満州の三分の二の地域を放棄して後退した。ソ連軍の進撃速度は驚くべきものだった。この時、蒋介石は中ソ不可侵条約への違反を非難することができなかった。ここでソ連が八路軍(中国共産党)と手を結べば自分の不利になると思ったからである。
同年8月14日、ソ連は中華民国と中ソ友好同盟条約を結び、軍事支援を行うことになった。ここで共産党「八路軍」の名は消えた。抗日戦の「勝者」は国民党政府だったのだ。だが、ソ連は表では国民党政権を支持しながら、裏では共産党を擁護していた。この条約で旅順・大連は一時ソ連の租借地となった。日露戦争以前に戻ったのである。
中国共産党の満州進出と勢力拡大
毛沢東はソ連の侵攻を知るとこれを千載一遇の好機と判断し、ただちに満洲へ急進した。満洲国政府は瞬時に瓦解し、軍閥(張作霖)時代以上の混乱が襲った。ソ連軍は占領しても統治はしない。そして中国共産党はそもそも農村山岳ゲリラに過ぎず、国家統治はおろか都市運営のノウハウも無かった。頼れるのは旧満洲国官僚と満鉄関連職員などであった。彼らは徴集され、都市機能と工場生産を再開、維持した。そのうえでソ連の鹵獲した日本軍の兵器弾薬は共産党に手渡された。小銃から97式中戦車までを手に入れた共産党軍は、後背の軍事産業力もあり、国民党軍(国民革命軍)と対等以上に戦えるようになったのだ。
満洲は極度の混乱から国の体を成すまでに回復した。国民党軍は各都市に分断され、「農村から包囲され」孤立した。補給路を断たれた都市は降伏するしかない。45万ともいう国民党軍が消えた。
共産党は地主、資本家階級を迫害し、農民に分け与えるという方法で勢力を拡大した。一方、蒋介石の国民党政府は相変わらずの政官腐敗と極度の経済的混乱(ハイパーインフレ)を克服できず、相次ぐ課税は民衆の反感を招いた。民心の離れた政権に見切りをつけたソ連も共産党を支援するようになり、アメリカも援助の手を引いた。
ここでアメリカが援助を続け、共産化を満洲までにとどめていれば、中華民国は大陸に存続し得たかもしれない。だが、アメリカは、日本統治には大成功したものの(旧官庁がそのまま機能したからだ)、朝鮮半島の統治には失敗した。朝鮮総督府の瓦解に伴って無政府状態に陥り、アメリカ軍の進駐が遅れたために各地に人民政府が立ちあがり、てんでんバラバラな状態になっていた。さらにソ連軍の南下によって北半分は分断されてしまった。ここで手を焼いているうちに中国の国共内戦は共産党側有利に進んで行った。民衆にとっては国民党の腐敗堕落よりは、共産党の方がましということだった。
台湾の帰属問題
結果、1949年、共産党は中華人民共和国の建国を宣言、国民党は内戦に敗れて台湾一省に逃げ込み、台北に遷都(臨時首都)した。日本敗戦以後、蒋介石は台湾を接収していた。当時の台湾は、日清戦争後の下関条約で割譲された日本の領土だった。
一方、転がり込まれた台湾では、国民革命軍、外省人は「狗去猪来(犬去りて豚来る)」と言われたくらい嫌われた。暴動も起きた。対立が収まったのは本省人の李登輝が総統になってからだ。
1950年、PRCはソ連と中ソ友好同盟相互援助条約を締結した。ソ連軍は完全に撤退し、租借地は返還された。
その後も停戦協定すら無い状況で両政府は敵対関係を続けている。つまり、現在の中国は、北朝鮮と韓国のような(停戦協定すら無いので半島両国にも劣る)、嘗ての北ベトナムと南ベトナムのような分断国家であるとも言えるだろう。
1952年、サンフランシスコ平和条約の発効によって、日本は台湾を放棄した。然しその帰属先は未定である。当時国連安全保障理事会常任理事国だった国民党政権のものでもない。
国連代表権問題と台湾独立
その後、1971年国連決議2758(いわゆるアルバニア決議案)によって、国民党政府は中国の国連における合法的な代表権を奪われた。しかし、1912年1月に建国した孫文の中華民国(ROC)は、現在も存続している。中華人民共和国は、国連の代表権は得たが、中華民国にとって代わった承継国家であるとは言えないのだ。
このことについて、日本政府の考え方は、「中国という国家を代表する政府がAからBに変わったというだけで、承継問題は存在しない」というものである。国家は一つ(一つの中国、だが「中国」の範囲はどこかは言わない)で政府は二つということだが、これを明確には言っていないし、決して言わないのが方針である。要するに台湾の存続を認めている。
PRCとROCの憲法は、ともに台湾を含む全土を領土としている。したがって、どちらかの政府が消えない限り対立は無くならない。そしていわゆる台湾独立、すなわち「中華民国が台湾一省を自国領土として憲法を改正する」ということが無い限り、解消しない。だが、PRCの法律は分離独立を禁じているので、独立宣言はただちに内戦の再開となる。(ただ、ROCは20世紀末に「台湾省」を廃し、今世紀に入って「大陸を含めた中華民国全図」を新規発行していないという。)
一方、大陸側が台湾統一を企図して軍事侵攻を行なった場合、それは必ず失敗するだろう。その時、台湾は自国防衛に成功したことをもって独立を宣言すれば、すかさずアメリカ、日本他多数の国がそれを承認するだろう。台湾はその時を辛抱強く待っているのかもしれない。
あるいは、PRCが発展のピークを越え、急速に転落していく(経済的に失速、混乱する=かつての国民党政権末期のように)ことで、国内の分断、ひいては内戦が生じた際、台湾はその一部独立勢力(あるいはウイグルやチベットかもしれない)と呼応して、独立を宣言するタイミングを得るかもしれない。
中国とアメリカは同盟国だったか
朝鮮戦争でアメリカ軍が3万人以上の戦死者を出したのは、中華人民共和国が「抗美援朝義勇軍」と称して彭徳懐率いる人民解放軍100万を越境参戦させたからではなかったか(内40万人が戦死したという)。ソ連供与のミグ戦闘機なども中国国内から飛来した。アメリカ義勇軍がアメリカとの同盟を示すのなら、抗美援朝義勇軍も中国と北朝鮮との同盟を示すだろう。アメリカと中華人民共和国は同盟どころか血みどろの戦争をした敵国同士だったじゃないか。国内では今日の反日行動と同じ愚行が美国に対して行われていたではないか。
おわりに
中学・高校の頃、「読むべき百冊の本」とかで、エドガー・スノウの『中国の赤い星』が勧められていた。その、甘美で冒険的な反逆者達の物語の影響で、毛沢東は良い人で(美化、神話化)、アメリカは中国共産党シンパだというような錯覚を持った人も多いかもしれない。自分も長い間そうだった。
スノウは当時アメリカにいた孫文の未亡人でスターリニストの宋慶齢やコミンテルンのアグネス・スメドレーに影響され、他に書いた『アジアの戦争』などは当時の日本批判、抗日の内容で、アメリカ人の参戦気分に影響した。だが、スノウは晩年、自分の誤解に気づき、『中国の赤い星』を書いたことを後悔していたという。


