2025-01-01から1年間の記事一覧

劇団山形創立60周年記念公演『イーハトーボの劇列車』

劇団山形創立60周年記念公演 『イーハトーボの劇列車』 作、井上ひさし 演出、平野礼子 山形市中央公民館ホール(az七日町) 12月20日(土)14:00開演、16:25終演 60年に渡って88回の公演を行ってきた実績は県内随一であろう劇団である。その継続への熱意と…

一昨日書こうとしたことを今書き上げた。

88年前の12月13日は、中華民国の首都南京が陥落した日である(直前に重慶へ遷都したが)。 ちょっと南京事件の経緯をまとめようかと思ったが、書き始めると長くなってしまった。13日中には書上げようと思ったのに、日を過ぎ、長時間椅子に腰かけてい…

映画『国宝』を観た

ロングランなので今頃になって観た。 観て思った。そんじょそこらの映画ではない。まあ画面の密度の濃いこと(厚みがある、作り込んでいるという意味である)。3時間を圧倒されて過ごした。長編小説を3時間にしたのだからちょっと話が飛ぶ感じ(子役からの…

梅に鶯 牡丹に唐獅子 柿に熊

近所でも熊の目撃話が聞かれるようになった。馬見ヶ崎川沿いに山から下りてくるらしい。護国神社の脇の堤防には「熊出没注意」の幟が建てられていた。熊は山の上から人里をうかがっているのではないだろうか。 柿の木を見ると熊が食べに来てはいやしないかと…

『徒然草』序段「ものぐるほしけれ」補説(六)

(五)から続く 引き続き、小松英雄氏の『徒然草抜書 解釈の原点』から要約する。 「斜字」は引用した部分である。 序段と第一段の関係 序段と第一段を分けるか一続きのものとみなすかの別は古くからあり、『正徹本』では区切りが無く、『光広本』でも序段と…

『徒然草』序段「ものぐるほしけれ」補説(五)

(四)から続く 時代順に、「ものぐるほし」を中心にして、もう少し見てみたい。 ………………………………………………………………………… ㉑(昭和49年 1974)塚本康彦「徒然草の鑑賞(序段)」『徒然草講座第2巻』 「つれづれ」を「所在なさ」とする『全注釈』が「ものぐるほし」を…

『徒然草』序段「ものぐるほしけれ」補説(四)

⑱(昭和41年 1966)白石大二『現代語のふるさと 「国語史」のあり方をさぐる』秀英出版 十 発想の伝統と表現の継承 ㈢ 「物狂ほし」をめぐって 以上のことからは、この『つれづれ』の「物狂ほし」は、「書きつくれば、ソノ内容・ソノ行為ガ物狂ほしイモノデ…

『徒然草』序段「ものぐるほしけれ」補説(三)

(二)から続く もう少し島津久基の論から抜き出してみたい。長くなってしまいますが…。 …………………………………………………………………………………………………… 「一三 …乃ち、兼好の「つれ〲」は畢竟兼好の「つれ〲」である。古典のそれや漢字の「徒然」と全く同じである必要はない。作…

『徒然草』序段「ものぐるほしけれ」補説(二)

(一)から続く …………………………………………………………………………………………………… ⑨(大正15年 1926) 島津久基『つれづれの意義ー国文學と注釋ー』 『国語と国文學』大正15年7・8月号に発表された。のち、『国文學の新考察』(昭和16年 1941 至文堂)に所収。 島津久基は明治24年(…

『徒然草』序段「ものぐるほしけれ」補説(一)

以前の記事で『徒然草序段の解釈について~「ものぐるほし」を中心にして』というものがある。ずいぶん昔に、ろくに論文も読まないで書いたものであり、今になって少し補足した方が良いのではないかと思った次第である。 徒然草序段の解釈について~「ものぐ…

音訳校正ボランティア養成講習 終了

昨年9月4日から隔週毎に受講していた、音訳校正ボランティア養成講習が終了しました。この講習は二年に一度、県視覚障がい者情報センター(旧点字図書館)が主催しているものです。 これから実際に、与えられた課題図書の音訳を、一年かけて一冊丸ごと校正を…

近況 20251014

酷暑続きの日々が雨とともに急に終わり、秋となった。もうファンヒーター使った。しかしまあ、本県に台風は来なくなったなあ。かわりにクマが街中まで出てくるようになったが。本当にこれほどクマが徘徊する状況はこれまで聞いたことが無い。人の営みが変わ…

「断腸」

H・J・スノーの『千島列島黎明期(IN FORBIDDEN SEAS RECOLLECTIONS OF SEA OTTER HUNTING IN THE KURILS)』(講談社学術文庫 馬場脩・大久保義昭訳 1980)を読むと次のような話が書いてある。かなり長いが引用する。 ワーナーの冒険談 この章においては、…

『史記』項羽本紀、項羽自刎の場面における項羽の「笑」について Copilotの考察

Copilotに聞いてみた。 史記項羽本紀では、項羽は最期に笑って船に乗るのを断っていますが、その理由は何でしょうか? その回答は以下の通り。いやAIの進歩恐るべし。少しの間「考え中でーす」と英語で出ていたが、まあ驚くほどのまとめ方である。AIがホ…

『史記』項羽本紀、項羽自刎の場面における項羽の「笑」について 補説(三)

前回の「天人相関説」については生硬な論でうまく書けていません。不勉強な素人の仕事なもので、悪しからず。 今回は吉原英夫氏の〔「項王笑日、『天之亡我、我何渡為』」などについての若干の問題〕の中で気になった点を考えてみる。吉原氏は次のように書か…

『史記』項羽本紀、項羽自刎の場面における項羽の「笑」について 補説(二)

前回は「項羽の笑い」について、『史記』に見られる「笑」の語全例の意味を分類した結果から、それを「歓喜の笑い」ではなく「自嘲・苦笑・冷笑」であると解釈する論文を読んだ。 それらは「笑」一語の語釈から一伝記の全体を、或いは複数の伝記を一括して、…

『史記』項羽本紀、項羽自刎の場面における項羽の「笑」について 補説(一)

このブログの記事でよく読まれる記事に「『史記』項羽本紀、項王自刎の場面における項羽の「笑」について 1~4」がある。これは30年以上前に考察したものだが、当時専門的に研究した論文でもなく、漢文の授業研究を発展させたものにすぎない。 内容は、『…

ロシアの極東進出と日本 番外

アルハンゲリスク港のその後 ロシアと西ヨーロッパとの直接通商がイギリス船の北海航路発見によって開かれ、アルハンゲリスク港がその拠点となった、ということは前に書いた。スウェーデンからバルト海を抑えられていた当時、ロシアにとっては唯一の海港であ…

ロシアの極東進出と日本 9 清との接触

シベリアの毛皮そして清国との接触 ロシアが、シベリアのテンや狐の毛皮を、どれほど獲って輸出していたか。その具体的数量を『ロシアの拡大と毛皮交易』(森永貴子著、彩流社2008)からみてみよう。 1555年、カザン・ハン国併合を祝うシビル・ハン国に対し…

電子ピアノを始めた

遥か昔に子供が弾いていた電子ピアノ。ヤマハのクラビノーバで鍵盤は標準の大きさである。弾かなくなって、物置き台になり、本や書類が積まれていたが、昨年末に引っ越したのを機会に自分の部屋に置いた。自分が弾くためである。 もちろん弾けない。ハ長調の…

今年も半分過ぎ、あつい選挙の月となった

よくYouTubeを見るが、最近は地元の参院選立候補予定者の広告が出てくるようになった。地域ごとの限定広告なのだろう。スキップしないと2分間近く続くが、これで広告料がいくらになるものか。所属する政党は資金潤沢なのだろうと思う。この広告の内容は、明…

沖縄戦終了の日

今日は沖縄戦で第32軍司令官の牛島満陸軍大将(自決直前に中将から昇進したが自決時の制服階級章は中将のままだったようだ)と同軍参謀長長勇中将、経理部長佐藤三代治大佐が自決し、組織的戦闘が終わった日である。もはや日本軍の指揮系統は断絶し、戦線は…

米の値段について調べた

昨年夏以来、米の値段が高騰している。政府は備蓄米を放出しているが、値が下がらない。いったいどうなっているのか。いろいろ時間をかけて調べてみたが、自分が国民の主食である米の流通についてあまりにも知らないことをあらためて思い知らされた。調べて…

長谷川甚吉作半鐘入手顛末

銅町の鋳物師、長谷川甚吉(六代目長兵衛)が大正十年十月に納品した半鐘が、孫である自分の手元に昔の姿で戻るまでのこと。 その半鐘は大正十年十月に、長崎町(現中山町長崎)消防組第二部組頭秋葉三弥が新調したものである。「山形市銅町 鋳造人長谷川甚…

けはひ ケワイ 気配 気色

前の記事で「けはひ」と「けしき」について、 (『大漢和辞典』の)「氣配」の項に漢籍の出典が明記されていないのは、日本での造語である故かと推測されるが、漢籍のみならず和書の出典もないのは不審。 『和英語林集成』の記載と合わせてみると(紫色字の…

「けはひ」と「ケワイ」

中学生でも習うようなことだが、あらためて考えてみた。 古文の授業で最初に習う読み方のきまりが、『語頭以外のハ行音「はひふへほ」は、ワ行音「ワイウエオ」に読む』ということである(ヰヱヲはすでにア行と同じ発音になっている)。たとえば、「白妙(し…

ロシアの極東進出と日本 8 シベリア東進の動因

ロシアのシベリア東進についていろいろ読んでみると、そこにはいくつかの動機と要因が重なっている。それらは相互に密接に関連して生じたものであるともいえる。 最初から一貫して「不凍港獲得」という目的があったわけではないようである。 彼らにとって森…

ロシアの極東進出と日本 7 タタールの軛を脱す

1480年、「ウグラ河畔の対峙」によって「タタールの軛」が消滅したと言われる。 ウグラ川はモスクワの南を西から東に流れ、オカ川に合流する。さらに、モスクワを北方から東側に巡るヴォルガ川に合流する川であり、モスクワの重要な地形的防衛線になっている…

誕生日だった

先日誕生日を迎えた。生れたのは昭和の真ん中近く、二十世紀の真ん中くらい。 今日は「昭和の日(昭和天皇ご誕生日)」だったが、今や時代は昭和百年で、二十一世紀も四半世紀を迎えている。干支はもう七回り目に入った。まだ母親の没年齢になっていないので…

今年の桜

4月17日、県教育資料館(旧師範学校)、快晴。 幼稚園の子供たちが引率されて遊んでいた。頑是ない幼児が摘んだ花を見せに来る。 旧門衛所が保存されている。 教育資料館に隣接の高校の枝垂れ桜(奥)。元々は両方とも師範学校であった。本館が資料館とし…