誕生日だった

 先日誕生日を迎えた。生れたのは昭和の真ん中近く、二十世紀の真ん中くらい。

 今日は「昭和の日(昭和天皇ご誕生日)」だったが、今や時代は昭和百年で、二十一世紀も四半世紀を迎えている。干支はもう七回り目に入った。まだ母親の没年齢になっていないので、もう少し生きたい。

 

 ここは空襲を受けなかった県庁所在市だが、最近目に見えて空地が増えた。この間まで住んでいた家もあっという間に更地になってしまった。本県の人口はこの五月にも百万人を下回るだろうということだ。老人世帯の家は住人の旅立ちとともに空き家となり、荒れていくか、更地になるか。更地も駐車場になるのは良い方で、生い茂る草地が残る。大昔なら畑になっただろうが、今から土を入れて畑にするのも酔狂なことで、やる人もいないだろう。食糧危機になったら南瓜でも植えることになるのだろうか。

 昔にぎわった通りの建物もどんどん取り壊され、市内にあった料亭も次々に姿を消している。「のゝ村」も庭石や庭木を残してほとんど更地になってしまった。嘯月、千歳館、のゝ村と無くなって(千歳館の建物と庭は保存されるらしいが)、今残っているのは四山楼と亀松閣、揚妻、白菊などか。

 

 

 三年ぶりにかつての職場で短期間働いた。常勤で朝八時半から夕方五時まで勤務する(まあ、いるだけのような時間が長かったのだが)のは、ずっと座位でいるので腰が痛くなった。引っ越してから椅子の生活になってはいるが、やはり椅子が合わないと覿面に腰に来る。

 職場の雰囲気は、六年前に同所に努めた時より良かった。あの頃はコロナ騒ぎに突入した頃だったので大変だったのだろう。他に、教員に女性が多くなったせいもあるか。六年前と同じ人や他校で知った人が多いのは自分の年齢のせいだろう。

 授業は教科書をひたすら読みこむ(生徒に読み込んでもらう)ということに注力した。古文は一文ずつ、現代文は一段落ずつ読んでゆく。少しでも引っかかるところ(本当に理解するのが必要なところ、生徒自身が腑に落ちるべきところ)を生徒に確認してゆく。「どういうことか?」に対して、本文からの抜き出しではなく、自身の考えを自分の言葉で答えることを目指す。頻繁に席の周囲の人と意見交換させる。それは楽しかった。年末の転居以来ようやく落ち着いてきたところで、働くにはちょうど良い時期だったかもしれない。

 

 部活動については、任意加入となっており、全体の生徒数も普通科は一学年四クラスしかないので、かつて(三十年も前か)七クラスだった時のような部員数を確保するのはどの部も難しくなっている。まあ、学校自体が存続できない所も多いのだから当然ではある。人がいなければ活動は成り立たない。複数校合同でのチーム編成とか、校外クラブチームとかの方法をとるようになっていくのだろうが、それ以前に高体連、高文連という組織自体が解散してしまうかもしれない。この国のスポーツや文化の裾野を、一部であっても支えていたものが消えてしまうとすれば、それを代替するものは何なのだろうか。

 

 別の高校で昨年と一昨年に少しコーチをした演劇部から定期公演に招待されて先日観劇した。新入部員は十一人だそうで結構なことである。上演作品は二時間ほどの大作でした。お疲れさまでした。