近所でも熊の目撃話が聞かれるようになった。馬見ヶ崎川沿いに山から下りてくるらしい。護国神社の脇の堤防には「熊出没注意」の幟が建てられていた。熊は山の上から人里をうかがっているのではないだろうか。
柿の木を見ると熊が食べに来てはいやしないかと思ったりする。柿は誰も採らないからいっぱい生ったままである。あちらの柿の木からこちらの柿の木と狙って移動して来はしまいか。
などという心配をするようになるとは、生まれてこの方、思ってもみなかった。熊というのは、山奥にいて、猟師に鉄砲で撃たれて毛皮を売られるものだとしか思わなかった。昔、街中では、たまに水路を蛇が流されていったり、どこかから逃げてきた亀が庭にいたり、猫の額ほどの畑にオケラがいたり、カナチョロが石垣の間から出てきたり、キジ鳩が庭の木の上でデデッポッポーと鳴いたり、夕方に蝙蝠が飛んだりするくらいで、あとは野良犬野良猫だった。小学校では鶏と兎を飼っていて、当番があったなあ。
小学校高学年のとき、旧市内から川向うに転居したが、えらい田舎に見えた。牛は鳴くわ、馬車は通るは、神社の鳥居に巨大な蜘蛛が巣を張っていたり…。中学の頃、通学路の一面の田んぼが区画整理されていく大工事の過程を見たのを思い出す。その一面の水田だった中に、今は市の総合スポーツセンターがある。
結婚してからはまた旧市内で暮らすようになったが、三十年くらい住んだ狭いボロ屋が大家の死去で仕舞となり、ぐっとましな一軒家に移った(築四十年超だったが)。ここは庭もあり、庭木いじりが面白くて、安い道具(脚立や鋸、選定鋏など)を買ってあちこち枝を切ったりしていたが(大家が良いと言った)、庭木も年々大きくなるもので、太く高くなっていく。金木犀なんか大きな枝を切り、始末するのも大変になってきたし、なぜかうちの前だけ暗渠になっていない側溝に枯れ葉や土が溜まり、草が茂るので、それを三年に一遍くらい浚ったり、角地なので周りの道の除雪をするのもつらくなってきていた。それがまた、大家の死去で転居を余儀なくされ、七年ほど住んで終わった。
昨年夏は軒裏にモンスズメバチに巣をつくられて、蜂が部屋の中にまで飛ぶような始末だったが、なんとか共存して過ごした(家の中に出た蜂はスプレー噴射で瞬殺)。今年も猛暑だったが、転居したので無事。去年まで住んだ家はもう壊されてしまった。大きな巣があったことだろう。今度の家は庭もないので、どうしても部屋に閉じこもりがちである。
と、少し個人的なことを書いてみた。熊のように未知の新たな土地に踏み出しているわけではない。
「ものぐるほし」について少し、
⑴ 『古事記』に「壽令狂」を「ほぎくるほす」と読んでいる箇所が出てくる。他動詞の「くるほす」とされている。これは江戸時代に訓読したのだろうか。
「狂ふ」を使役形にしてあるので、「くるはしむ」か「くるはす」と読むところだが、ここも「は」と「ほ」が通音ということで「くるほす」なのだろうか。
この動詞「くるほす」から平安時代の形容詞「ものぐるほし」が派生した、とは言えないだろうと思う。
⑵ 現代語の「くるおしい」は明治末頃には使われていたようだが、もとは「ものぐるほし」なのだろう。「もの」が脱落して「くるほし」が「くるおしい」になったというのが妥当な感じがするが、素人の考えである。現代語の「くるおしい」の意味するところは、古語の「ものぐるほし」ではごく少ない例しかみられないかなり特殊な意味であるように思う。その意味を強調する過程で「もの」が脱落したのかもしれない。