(二)から続く
もう少し島津久基の論から抜き出してみたい。長くなってしまいますが…。
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「一三 …乃ち、兼好の「つれ〲」は畢竟兼好の「つれ〲」である。古典のそれや漢字の「徒然」と全く同じである必要はない。作者自身の説明に聽くのが一番いゝ方法ではあるまいか。幸にして彼の精神生活の内部に立ち入つて、そこから是が説明を演繹し來る手數をとらなくとも、彼自ら自分の言葉で明らかな解説をしてくれてゐるではないか。/ 「つれ〲わぶる人はいかなる心ならむ。まぎるゝ方なくたゞ一人あるのみこそよけれ。」(徒然草七十五段) /そして續いて其の理由を此の段で述べてゐる。「配所の月罪なくて見ん」理想もそれである。/若し「つれ〲」が「退屈」だとすれば、それを兼好に好ませておく註釋者達は少々悪戯が過ぎよう。」
(晩鶯注、「配所の月罪なくて見ん」は第五段に、顕基中納言の言としてある、)
「一四 …和泉式部集 「いとつれ〲なる夕ぐれに、はしに臥して前なる前栽どもを唯にみるよりはとて物に書きつけたればいとあやしうこそみゆれ。 さばれ人やは見る(下略)」(家集五) /…(書きつけたれば」と「書きつくれば」、又「あやしうこそみゆれ」と「あやしうこそ物狂ほしけれ」は、厳密には、表現せられた「我れ」の姿を後からふりかへつて眺めるのと、今表現せられつゝある「我れ」を感じ、動きつゝある心のはたらきと感情の靜かな興奮とをそのまゝしるしつけたといふ Tense の上の幾分の差異、敍述の主題の客觀的であると主觀的であるとの差異、作者の心境乃至心的過程の上に於ける自己判定と自己觀照との差異があるけれども、一面からは要するに修辭的の差異とも言へる。)/ が、それは兎も角、「つれ〲」は徒然でも居然でも何でもあれ、兼好の「つれ〲」はまぎるゝ方なくたゞ一人ある狀態である。」
「一六 …時世こそ違へ、全生活の姿こそそれ〲に同じからざるところあれ、西行も兼好も、更に又、蕉翁であれ、惟然坊であれ、良寛和尚であれ、いづれは此の「つれ〲」の心境をほんたうに味はうとし、そして味ひ得た人々であり、或はもつと進んだ境域にまで到達し得た人々であると言へよう。「つれ〲せめてあまりぬる時」屢ゝよき藝術は、詩は生れ出づるものである。」
「私は茲で徒然草の讃歌を唱詠してゐるのではない。語釋の妥當でないことから、ひいてそれが其の思想までも正しく理解せられることの障碍となる恐ろしさを考へてみたのである。」
「一七 まことにこのつれ〲をたのしむ心とつれ〲に堪へ得ない心との縺れ、それが徒然草全篇を通じて流れてゐる兼好の心持である。」
「以上に述べたやうな解釋は、それ〲の場合に於ける、單語の辭書的註解のみでは出來ない。(ほんたうの意味からいへば、文の解釋は如何なる場合に於ても、常にさうであるべきではあるけれど。)作品全體(或場合には作者のあらゆる意味での全生活を知らねば試み得ない方法ではあるが、そして又、これは我々が作品を通して作者の心の奥に直に飛び込んで行くことが出來れば、たやすく遂げ得られるところの作業であるべきであるが、しかし又作品がよく理解せられる爲には、やはり正しい解釋が必要である。一語一句にも滲み込んでゐる作者のたましひを、生活を、心の聲を、姿を、あやまりなく知り得、感じ得る爲には、ほんたうの意味の註釋は唯一つのこれが開扉の秘鑰でなければならぬ。結局完全なる理解は卽ち完全なる釋義であり、完全なる釋義は又やがて完全なる理解でなければならない筈である。」
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部分的に、鋭い考察がある。「書きつけたれば」と「書きつくれば」との違いに触れる人はあまりいない。全体的に印象批評の肯定、推進に傾いているようだが、「正しい解釋」、「ほんたうの意味の註釋」「完全なる釋義」こそが鍵であるとも言っている。
多くの用例、とりわけ『枕草子』「つれづれなるもの」「つれづれなぐさむるもの」の例を、(馬おりぬ双六⇒「うらやましきもの」)や(除目に司得ぬ人⇒「すさまじきもの」)と照らし合わせて、「無聊」や「退屈」では説き尽くせないとしている。
さらに、和歌によく出る「つれづれとながむ」から導き出される「つれづれ」の語意は「つくづく」や「つらつら」と近似であるとしている。
『徒然草』との時代の違いという事を無視すれば、かなり首肯できる指摘ではないかと思う。これらに対する具体的反論は今のところ目にしていない。
さて、あえて言えば、次に見る小林秀雄の文章に、似ているところがあると感じる。小林は昭和16年刊の『国文學の新考察』を読んで、影響を受けているのではないかと思う。
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『新訂小林秀雄全集 第八巻 無常といふ事・モオツァルト』(新潮社 1978)から引用。
全体に短い随筆であるが、島津久基や永積安明の一文の長さに比して、その文の簡潔さに注目される。
「つれづれ」といふ言葉は、平安時代の詩人等が好んだ言葉の一つであつたが、誰も兼好の樣に辛辣な意味をこの言葉に見付け出した者はなかつた。彼以後もない。「徒然わぶる人は、如何なる心ならむ。紛るゝ方無く、唯獨り在るのみこそよけれ」、兼好にとつて徒然とは「紛るゝ方無く、唯獨り在る」幸福並びに不幸を言ふのである。「徒然わぶる人」は徒然を知らない、やがて何かで紛れるだらうから。やがて「惑の上に醉ひ、惑の中に夢をなす」だらうから。兼好は、徒然なる儘に、徒然草を書いたのであつて、徒然わぶるまゝに書いたのではないのだから、書いたところで彼の心が紛れたわけではない。紛れるどころか、目が冴えかへつて、いよいよ物が見え過ぎ、物が解り過ぎる辛さを、「あやしうこそ物狂ほしけれ」と言つたのである。この言葉は、書いた文章を自ら評したとも、書いて行く自分の心持ちを形容したとも取れるが、彼の樣な文章の達人では、どちらにしても同じ事だ。
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こうして見ると、小林の文に、島津の言いぶりと似た表現があることがわかる。
「紛るゝ方無く、唯獨り在る幸福と不幸」などは、「兼好の「つれ〲」はまぎるゝ方なくたゞ一人ある狀態である」や「つれ〲をたのしむ心とつれ〲に堪へ得ない心との縺れ」に照応しているように思われる。ここから、その影響関係が窺われよう。小林が『國語と國文學』を読んだとも思われないので、前年刊行の『國文學の新考察』を読んだのであろう。(…こんなことは既に誰かが指摘済みなのだろうが。)
この文章は「無常といふ事」「平家物語」「西行」などとともに『無常といふ事』としてまとめられたが、古典からインスピレーションを受けたそれらの随想(批評?)は独特な魅力を持っている。しかし、彼は文献学や国語学を専門とする者ではないから、その直観は小林の中では成立するが、客観的に証明できるかは別問題となる。
「ものぐるほしけれ」は、「目が冴えかへつて、いよいよ物が見え過ぎ、物が解り過ぎる辛さ」と書かれているが、これは兼好の執筆時の心境、精神状態を表現していることになろう。こうして序段は一つのまとまりある随想の如く評価されることになった。
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⑭ 昭和24年 1956)和泉恒二郎「徒然草の「序段」をめぐって」 『日本文学』5巻4号(<特集>室町時代の文学)
『日本人の心情;閑吟集を起点として』(教育出版センター1979)所収
これを旧註の「謙退の辞」とする説に従って、<その書けたものは、ほんとうにへんに、わけもわからぬものであるわ。>(橘純一氏『徒然草新講』)とか、<変てこな事ばかり書いて行くので自分ながらどうも狂気じみたような気がする。>(佐野保太郎氏『徒然草新講』)ととる解釈で、すましておけば問題はないのである。その際「ものぐるほしけれ」の主語が「自分の心」か「書いたもの」か、あいまいであるという点も、そのいずれにしろ、全体の意味にはたいした変りはないであろうから。(中略)しかし兼好がこの短い文章の中で、「つれづれなる」自己から、「日くらし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつく」る自己、さらにその自己の行為を「あやしうこそものぐるほしけれ。」と観ずる自己という順序に、自己のすがたを正確に定着しているところからみると、どうもただの「謙退の辞」だけでなく、そのうらには兼好独自の冷徹な「自照」の眼がはたらいているようにも思われる。(中略)そうなるとこの「ものぐるほし」を、芸術創造に際しての作家の心理状態の告白とみて、<感興がわいてきて、ものにつかれたような興奮にさそわれる>(佐成謙太郎氏『徒然草新解』)とみる解釈も、なかなか捨てがたいものとなる。(中略)
兼好も、広くみれば、この「物狂ひ」の伝統の流れのうちにあるのではあるまいか。ただ彼は「ものぐるほし」とは感ずるが、「物狂ひ」になることはできなかったのである。周知のように、彼は「ひたふるの世捨人」の境地をなつかしがりながら、その心は俗世間から超越できなかった。そこに「徒然草」の世界が展開する。
兼好の自意識は「まぎるるかたなく、ただひとりあるのみこそよけれ。」(第七十五段)と観じて、彼自身をつなぎとめ、行為の世界へ踏みこませない。
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和泉氏は彼以前の諸説を引きながら、「ものぐるほし」にまた新たなニュアンスを見出している。
氏の文章を読めばわかるが、つまり、諸説は(和泉氏を含め)『徒然草』全段から自論にふさわしい任意の段を選び、それによって兼好の「作家的内面」を推理、構築、評価しているのだ。「つれづれなる自己」、「そこはかとなく書きつくる自己」、「あやしうこそものぐるほしけれと観ずる自己」のように、すべての文字を兼好(という作家)の自己表象として捉えている。「ものぐるほし」が内面の表象であるならば、主語が「書かれたもの」でも、「書いている心境」でも同じことになる。
こうした、「作家論」によって「序段」を解釈するアプローチは、現代の批評者の持つ文学観に依って立つものになる。独創的であればあるほどおもしろいものになるだろう。しかし、14世紀に書かれた時点での「序段」の意味は、当時の日本語の中で解釈される他はなく、その範囲を超えての推理は、空想的なものとなるのではないだろうか。
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通釈 所在なさの退屈にまかせて、終日硯の前で、胸に浮かぶとりとめないことを、何というあてきまりもなく書きつづけていると、變に氣持が狂わしくなってくる。
評 全編の冒頭である。「よしなしごと」の陰影のとりかたには二様あって、謙遜ととれば「つまらないこと、くだらないこと」となり、自得ととれば、「何等囚われることなく、自由奔放に」という余情がある。が、ここは前後の文勢上謙遜の意に解するが至當である。しかし以下記述することを、著者は本當にくだらないことと思っていようか、否、大いにくだることと自信すればこそ記述したのである。已往数十年の人生體驗の中、よきが中のよきを粒選りして、最もよく精錬された表現をしたのがこの草子であるから、これは確かに謙遜の辭で、我國古來幾多の述作に見られる著者のおきまり文句である。「心に移り行くよしなしごとをそこはかとなく書きつけたもの」といえば、これほどうまく我國の随筆文學の本質を表わした語句はないのである。
又この徒然草の冒頭は枕草子の跋文に倣ったとの説がある。枕草子巻末の
この草子は、目に見え、心におもふ事を、人やは見むとすると思ひて、つれ〲なる里居のほどに書き集めたるを……
とあるのと一寸似てもおり、單にこればかりではなく、外にも、枕草子に影響を受けたと想われる點が澤山あるから、この觀方は正しい。けれどもそれによってこの序段の末を「もし人がこれを讀んだならば狂氣の沙汰とも思われよう」と口譯するのは間違いで、ここはやはり作者自からの心持ちをいったと解すべきであり、「人がこれを見たらば云々」と他人の見ることを豫想していることはいうまでもない。
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序文には謙遜の意がこめられているとするが、「ものぐるほしけれ」の解釈については「変に気持が狂わしくなってくる」と、作者自身の心持ちについて言ったものとしている。
枕草子の跋文を引いて、その謙遜であることを認めながら、「読んだら狂気の沙汰と思われるだろう」という言い方はしないだろうと説明しているのがおもしろい。作者自身は渾身の作品であると自負するところがあっただろうというのだ。
これはやはり、「ものぐるほし」の語意を、「ばかげている」ではなく、文字通りの「狂気じみている(狂人のたわごと)」としか考えていない故の説であるようだ。
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⑯(昭和31年 1956) 富倉徳次郎『徒然草:類纂評釈』 開文社
ちなみに、この段は随筆文学の性格を語ったものとして人口に膾炙している。それは「心にうつりゆくよしなし事をそこはかとなく書きつくる」という点にあろうが、この「心にうつりゆく」は、いわゆる統一のない思いつきを記す意味に解すべきではなく、作者が自由な態度で、自己に直面して筆を執っていることを意味するのであり、また「そこはかとなく書きつくれば」は、無秩序を意味するのではなく、自由を意味していると見るべきである。たゞ謙遜した言葉づかいをしているまでであり、実はこの謙遜が日本の文学の序文の常の姿なのである。そしてまた、この段の最後の語「あやしうこそものぐるほしけれ」も同様なのである。これについて、今同じような例を挙げるならば、
「いとつれ〲なる夕暮に、はしに伏して、前なる前栽どもをただに見るよりはとて、ものに書きつけたれば、いとあやしうこそ見ゆれ、さはれ人やは見る」(和泉式部集)と同じ言葉づかいなのである。「あやし」という形容詞には、不思議な、奇妙な、の意、見苦し、の意とがあるが、筆者は「見苦しい出来で」という位のつもりで書いていると見るべきだと思う。
しかしだからといって、この「あやしうこそものぐるほしけれ」と書いている作者の心境を、この語の語としての持味とは別に、いろ〱考えることは自由である。それはこの語の解釈というよりは、徒然草そのものの解釈であり、兼好への批判であるともいうべきであろう。山口剛はこゝに平安期以来の文学に培われている伝統的な精神と、それと異る新らしい時代の「兼好の形と影」とが遂に一つになることができず、「その二つは或は重りあふが如く離れて了ふが如く奇々怪々の状をなすそれが」「あやしうこそものぐるほしけれ」であるとし(徒然草講義)、小林秀雄氏は「兼好によって徒然とは『紛るる方無く、唯独り在る』幸福並びに不幸であった。(中略)兼好は徒然なる儘に、徒然草を書いたのであって、徒然わぶるままに書いたのではないのだから、書いたところで彼の心が紛れたわけではない。紛れるどころか、目が冴えかへって、いよいよ物が見え過ぎ、物が解り過ぎる辛さを、『怪しうこそ物狂ほしけれ』と言ったのである。」(無常といふ事)と説いている。ただこうした解釈は、徒然草執筆の際の兼好の心境の解釈で、言葉の意義解釈というよりも、言葉の陰影の説明として注意すべきものというべきである。
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この富倉徳次郎氏の評は納得できる説明のように思われる。
小林秀雄の「無常といふ事」(1946年2月刊)に触れている。
語釈から言えば、「ものぐるほし」は書いたものに対する、「ばかばかしい、あきれた」という表現にしかならないが、徒然草全体から読み込めば(それはずいぶんと近代文学的な構成として見るように思われるが)、読む人なりに、「深い意味(作者の意図)」が読めてしまうということか。
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不思議と、ものにとりつかれたような興奮にさそわれることだ。
「ものぐるほし」は、心気の異常に興奮した、ものにとりつかれた精神状態で、次次と取材が思い浮かんできて制作欲をそそられる心持をいう。狂気じみているという謙辞ではない。
(中略)
ところで、この断り書きを、枕草子では巻末にしるしているのに反して、徒然草が巻頭に序としてしるしているのは、作者の態度を明らかにする上からも有効であり、文意もこの方がすなおであって、これからの記事が、ゆかしく待ち受けられる感じがするのである。
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「狂気じみている」という謙辞ではない、というからには、「狂気じみている」は文字通りの「狂気」を言うものではない、ということだろうが、新たに「ものにとりつかれたような興奮」という解釈がなされるのは、やはり小林秀雄の影響ではないか。
(四)に続く