今日は沖縄戦で第32軍司令官の牛島満陸軍大将(自決直前に中将から昇進したが自決時の制服階級章は中将のままだったようだ)と同軍参謀長長勇中将、経理部長佐藤三代治大佐が自決し、組織的戦闘が終わった日である。もはや日本軍の指揮系統は断絶し、戦線は崩壊していた。
「ひめゆり学徒隊」は18日に解散を命じられたが、19日の伊原の野戦病院外科壕への攻撃(黄燐手榴弾と火炎放射器)によって多数が死亡。逃げおおせた生徒も22日には最南端荒崎の断崖で集団自決している。
ただ、米陸軍の公式戦史では牛島司令官の自決は22日になっている。組織的抵抗の終焉を示して、22日に米第10軍とその隷下部隊は整列して「星条旗よ永遠なれ」演奏とともに国旗を掲揚した。星条旗は青空の下翻ったとある。

RAISING THE AMERICAN FLAG on 22 June denoted the end of organized resistance.
米陸軍公式戦史によれば、摩文仁の丘(Hill89)の日本軍司令部では21日(18日の訣別電とは別?)に大本営への最後の無電連絡後、22日未明、自決とある。これは捕虜からの伝聞情報である。日本側の情報では牛島、長の二人は壕の入口で割腹し、介錯された。首はそれぞれ部下が持って手榴弾自決、穴に埋められたという。異説では米軍の手に渡ったとも。
いずれにせよ、これをもって沖縄戦は終結したものとされ、米軍来襲以後十次に渡って行なわれた「菊水作戦」(海軍及び陸軍航空機による航空特攻)も終了した。三カ月に渡る沖縄本島を取り巻く米艦船に対するおびただしい特攻は陸上からも望見できた。最後には水上機や練習機も特攻した。
これ以後、残存部隊ごとの戦闘となり、兵士たちは終戦も知らずに戦い続けた。補給は無く、米軍の陣地に夜襲をかけて食料や武器、軍服まで奪取したのだった。
少なくとも沖縄戦と無差別都市空襲、原爆、そして引き揚げについては、日本人はその実態を知り、忘れてはならないと思う。これらを主題とする作品が国語教科書に収められているのはむべなるかなである。