中に「三義士の墓」があって、李奉昌・尹奉吉・白貞基の三人の墓が並んでいる。(もう一人の墓も空のまま用意してあるが、これは安重根のためのものだという。)これらの三人はいずれも、日本人暗殺を企図、実行した者である。
seoul navi より
こうしてみると韓国では、独立運動の中で天皇以下日本の要人暗殺をたびたび計画、実行した人物たちを「義士」として建国の英雄と見なしていることが分かる。日本人から見れば危険きわまりない殺人者・テロリストなのであるが。(臨時政府にはテロしかできなかったのかもしれないが、裏では中国国民党なども支援していた)
昭和初期の一般の日本人からみれば、併合したのは良いのかもしれないが、こうテロが頻発しては物騒だという気もしていただろう。
韓国人の日本認識の中に、こういう部分が強くあることを知れば、今般の韓国国会議長文喜相の天皇戦犯主犯発言も、韓国にとっては「常識」であり、「正論」なのだろうと分かる。だから彼らからしてみれば、自分の発言に対して首相以下日本人のほとんどが憤っていることを理解できない。
「韓国にしてみれば韓国の独立・建国史の中では、日本は徹頭徹尾絶対悪である」ということを日本人が認識せずにいることが、もしかしたらいろいろな事案がこじれる理由なのかもしれない。「なぜ韓国はこんなことをするのだろう?」と思ってしまうのではなく、「韓国としてはこう考えるのが正論なのだ」と知った上で客観的に対処するべきなのだと思う。赦されるまで謝る、とかではなく。
「韓国中央日報日本語版(2014,10)」
李義士の義挙は尹奉吉義士の上海義挙、安重根(アン・ジュングン)義士のハルビン義挙とともに日帝時代「3大義烈闘争」に挙げられる。李義士はソウル龍山で生まれた。幼い頃、日本人が経営するパン屋の従業員として働いて虐待を受け、南満州鉄道会社で運転の見習いをしている時は「朝鮮人」と侮辱された。1909年の安重根義士の義挙に刺激された李義士は日本に渡った。日本語を習うなど6年間ほど日本に慣れた後、中国上海の臨時政府を訪ねた。秘密裏に白凡・金九(キム・グ)に会った李義士は自分の心情をこのように語った。
「私はもう31歳です。今後さらに31年間生きるとしても、今より良いことはないでしょう。人生の目的が快楽なら、過去31年間に快楽というものはすべて味わいました。これからの永遠の快楽のために命を捧げる覚悟で上海に来ました。私に世の中を驚かせる聖業をさせてください」。
白凡は李義士とともに安重根義士の弟の家に行った。李義士はそこで太極旗(韓国の国旗)を前に置き、両手に手榴弾を持ったまま天皇に対する狙撃を宣誓した。李義士の義挙は、日本の帝国主義が神格化した天皇の権威に深刻な打撃を与えた。当時沈滞していた上海臨時政府の独立運動に火をつけることになった。
「私はもう31歳です。今後さらに31年間生きるとしても、今より良いことはないでしょう。人生の目的が快楽なら、過去31年間に快楽というものはすべて味わいました。これからの永遠の快楽のために命を捧げる覚悟で上海に来ました。私に世の中を驚かせる聖業をさせてください」。
白凡は李義士とともに安重根義士の弟の家に行った。李義士はそこで太極旗(韓国の国旗)を前に置き、両手に手榴弾を持ったまま天皇に対する狙撃を宣誓した。李義士の義挙は、日本の帝国主義が神格化した天皇の権威に深刻な打撃を与えた。当時沈滞していた上海臨時政府の独立運動に火をつけることになった。
以下2月26日付記(記事引用)
文大統領は閣議前、金九の墓を参拝。初代韓国統監を務めた伊藤博文を暗殺し死刑になった独立運動家、安重根(アン・ジュングン)や上海で日本軍首脳部に爆弾を投げつけた尹奉吉(ユン・ボンギル)らの墓も参拝した。
青瓦台(大統領府)の副報道官は「三・一運動の崇高な自主独立精神や愛国先烈の犠牲精神を継承・発展させる意志を示すもの」と説明した。
この記事の場所「金九記念館」が孝昌公園ならば、文大統領の詣でた墓はもう二つ並んでいて、一つは昭和天皇暗殺未遂犯の墓になる。韓国大統領が天皇暗殺を顕彰するような行為は、記事には明記できなかったのかもしれないが、大統領の意図を曲解してとんでもない行動を起こす者が出るかもしれない。天皇ご譲位、新天皇ご即位を控えて、日本人として不安を禁じざるを得ない。