20190214

 ソウル駅の近くに孝昌公園がある。古くは朝鮮王の墓所だったそうだが、今は臨時政府の中心人物だった金九(白凡)の記念館と墓があり、他にも独立運動の功労者の墓が集中していて、全体が史跡となっている。
 中に「三義士の墓」があって、李奉昌尹奉吉・白貞基の三人の墓が並んでいる。(もう一人の墓も空のまま用意してあるが、これは安重根のためのものだという。)これらの三人はいずれも、日本人暗殺を企図、実行した者である。

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      seoul navi より

 白貞基は朴烈につながる無政府主義者で、1933年、上海で駐中国公使有吉明の暗殺を企てたが事前に密告され失敗。無期懲役となり、熊本の獄で病死した。遺骨は戦後掘り出されて韓国に埋葬された。

 尹奉吉は1932年、金九の指示により同じく上海の虹口公園での天長節の祝賀式で爆弾を投擲し、陸軍中将ら要人二人を殺害、多数に重傷を負わせた。軍人を殺害したので軍法会議で銃殺刑。

 李奉昌は1931年、昭和天皇暗殺のため金九から金と武器を受け渡日して、翌1932年1月、陸軍始観兵式に行幸された帰途、桜田門警視庁前で馬車列にむかって手榴弾を投げ、数名を負傷させた。大逆罪で絞首刑。

 安重根は知らない人はいないだろうが、1909年にハルビン駅で伊藤博文を暗殺した犯人。これは韓国併合より前の事件。安の遺骨は現在所在不明である。

 こうしてみると韓国では、独立運動の中で天皇以下日本の要人暗殺をたびたび計画、実行した人物たちを「義士」として建国の英雄と見なしていることが分かる。日本人から見れば危険きわまりない殺人者・テロリストなのであるが。(臨時政府にはテロしかできなかったのかもしれないが、裏では中国国民党なども支援していた)

 昭和初期の一般の日本人からみれば、併合したのは良いのかもしれないが、こうテロが頻発しては物騒だという気もしていただろう。
 今でさえ天皇陛下を侮られたら気分が悪いのに、戦前に天皇に対して暗殺未遂が行われたときの日本人がどんな気持ちだったか、容易に想像できるだろう。

 今日、李奉昌が犯行直前に書いた宣誓文などが韓国で文化財として登録されるというニュースもある。韓国は天皇暗殺未遂の犯人を祖国の英雄として顕彰する国なのだ。
 韓国人の日本認識の中に、こういう部分が強くあることを知れば、今般の韓国国会議長文喜相の天皇戦犯主犯発言も、韓国にとっては「常識」であり、「正論」なのだろうと分かる。だから彼らからしてみれば、自分の発言に対して首相以下日本人のほとんどが憤っていることを理解できない。
 「韓国にしてみれば韓国の独立・建国史の中では、日本は徹頭徹尾絶対悪である」ということを日本人が認識せずにいることが、もしかしたらいろいろな事案がこじれる理由なのかもしれない。「なぜ韓国はこんなことをするのだろう?」と思ってしまうのではなく、「韓国としてはこう考えるのが正論なのだ」と知った上で客観的に対処するべきなのだと思う。赦されるまで謝る、とかではなく。

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           李奉昌の宣誓文 「敵国首魁*屠戮」敵国首魁は天皇を指している wikipediaより
 
「韓国中央日報日本語版(2014,10)」
 李義士の義挙は尹奉吉義士の上海義挙、安重根(アン・ジュングン)義士のハルビン義挙とともに日帝時代「3大義烈闘争」に挙げられる。李義士はソウル龍山で生まれた。幼い頃、日本人が経営するパン屋の従業員として働いて虐待を受け、南満州鉄道会社で運転の見習いをしている時は「朝鮮人」と侮辱された。1909年の安重根義士の義挙に刺激された李義士は日本に渡った。日本語を習うなど6年間ほど日本に慣れた後、中国上海の臨時政府を訪ねた。秘密裏に白凡・金九(キム・グ)に会った李義士は自分の心情をこのように語った。
  「私はもう31歳です。今後さらに31年間生きるとしても、今より良いことはないでしょう。人生の目的が快楽なら、過去31年間に快楽というものはすべて味わいました。これからの永遠の快楽のために命を捧げる覚悟で上海に来ました。私に世の中を驚かせる聖業をさせてください」。
  白凡は李義士とともに安重根義士の弟の家に行った。李義士はそこで太極旗(韓国の国旗)を前に置き、両手に手榴弾を持ったまま天皇に対する狙撃を宣誓した。李義士の義挙は、日本の帝国主義が神格化した天皇の権威に深刻な打撃を与えた。当時沈滞していた上海臨時政府の独立運動に火をつけることになった。 
(ちなみに日本語版なので「天皇」になっているが、韓国では「天皇」と言わず「日王」と呼称する)
 
 以下2月26日付記(記事引用)
独立運動家記念館で閣議 外部開催は史上初=文大統領

 韓国の文在寅ムン・ジェイン)大統領は26日、ソウルにある独立運動家の金九(キム・グ)の記念館で閣議を開催した

 戦時を除き、公共庁舎ではない場所で閣議が開かれるのは初めて。

 日本による植民地時代の1919年に起きた独立運動三・一運動」と臨時政府樹立100周年の意味を強調する狙いがあるとみられる。

 文大統領は閣議前、金九の墓を参拝。初代韓国統監を務めた伊藤博文を暗殺し死刑になった独立運動家、安重根(アン・ジュングン)や上海で日本軍首脳部に爆弾を投げつけた尹奉吉(ユン・ボンギル)らの墓も参拝した。

  文大統領は閣議で、「きょうの閣議三・一運動100周年を迎える国家的な意味を込め、金九記念館で開くことにした」と言及。

 青瓦台(大統領府)の副報道官は「三・一運動の崇高な自主独立精神や愛国先烈の犠牲精神を継承・発展させる意志を示すもの」と説明した。

 文大統領は「(日本の植民地支配に協力した)『親日』を清算し、独立運動をしっかり礼遇することが民族の精気を正しく立て、正義のある国に進む出発」と強調した。
 
 この記事の場所「金九記念館」が孝昌公園ならば、文大統領の詣でた墓はもう二つ並んでいて、一つは昭和天皇暗殺未遂犯の墓になる。韓国大統領が天皇暗殺を顕彰するような行為は、記事には明記できなかったのかもしれないが、大統領の意図を曲解してとんでもない行動を起こす者が出るかもしれない。天皇ご譲位、新天皇ご即位を控えて、日本人として不安を禁じざるを得ない。