20190208

 韓国との問題が山積して、解決の道が見えない。
 少し韓国の歴史をおさらいしてみる。

 100年前の今日は東京のYMCAで朝鮮半島出身学生たちが独立宣言書を採択した日である。(大韓帝国はその10年前1909年に日本に併合されている。)
 1919年1月に初代大韓皇帝高宗が薨じ、日本の王公族として3月3日に国葬が行われたが、その直前、3月1日にいわゆる「三一(万歳)運動(事件)」が起きた。この「三一運動」における独立宣言をもって韓国の独立とみなし、今年が独立100年に当たるというので、韓国ではいろいろ行事が計画されているのだそうだ。そういう時期だから、抗日意識は高まるばかりなのだろう。

 大韓民国はご承知のとおり1948年8月15日建国の国家だ。(8月15日を光復節としているが、これは1945年の8月15日による)

 だが、三一運動の中で、李承晩や金九によって、上海において亡命政権大韓民国臨時政府が結成され、李承晩が初代大統領となっている。そこに独立運動諸派が結集していく。日中戦争時は、戦線拡大に従って南京、長沙、重慶と移っていった。この「政府」が、サポートしていた国民党政府からも、国際的にも承認されることはなかった。光復軍という軍事組織も設け、米軍の訓練を受けたりもしたが、実戦に加わる前に終戦した。また1941年の対日宣戦布告も日本に通達されず、効力のないものだった。従って臨時政府は交戦国でもないし、連合国でもない。しかし、これを正統とする考えに立てば、今年が独立100年ということになるのだ。

 1945年の光復後、臨時政府や共産党が寄り合って朝鮮人民共和国という臨時政府ができたが、米ソの対立もあって認められることはなく、すぐに瓦解し、南北に分かれて両国の支配下に置かれてしまった。国連が選挙の上統一国家を作るように勧めたが、ソ連が国連監視団の入国を拒否したのでお流れとなり、分断国家となってしまったのだ。後は朝鮮戦争という内乱というか冷戦両陣営の代理戦争というか、が半島を覆ってしまう。大戦中は、末期のソ連軍侵攻以外、空襲も無く平穏だった半島が、ロードローラーで往復するように破壊されてしまう。日本に落とされた量の何倍もの爆弾がB29から投下され、日本が受けた空襲や、満洲・半島からの引き揚げにも似た苦難を半島の人々も受けることになった。それで占領下の日本に半島からの難民が流入密入国)することにもなった(戦中に徴用された人たちはすでに帰国していた)。

 未完