連絡、「脚本置き場」がなくなります

 ジオシティーのホームページが3月末でなくなります。
 このブログの書庫「高校演劇脚本」からリンクして、ホームページを脚本置き場にしていたのですが、4月から見られなくなります。
 引っ越しも考えましたが、ホームページをファイル置き場にするのも(更新がほぼ無い)どうかと思い、止めました。
 ヤフーブログ自体が今年の12月15日で無くなりますので、ブログを引っ越ししてから、新たにボックスに入れることを考えます。






 最近はこのブログでも日韓関係の話題が多くなっていますが、興味の無い方はこの先はスルーしてください。



 「ところがかの日本人たるや、世々わが民族のため仇をなし、その怨みは千百年来つもりつもって、たがいに相剋している。一方は善、一方は悪で、万に一つも調和の道理はない。そのうえ日本は、わが国を侵略するのに専ら詐欺を手段とし、信義、誓約を蔑棄した。日本はたとえ僥倖を得て一時的に強盛となっても、颱風、驟雨はけっして久しく吹きあれることはない。天道は循環をくり返し、過去を脱却して来復する。かの草卉をみても、野火はこれを焼きつくすことはできない。春風が吹けば、また生きかえってくるのである。草木さえそうであるのに、ひとりわが民族魂がどうして蘇生しないことがあろうか。以上がまちがいなくわが国に光復の日がくるのを私が信じて疑わない理由である。」 引用、朴殷植『朝鮮独立運動の血史』(平凡社東洋文庫214、姜徳相訳注)より。傍線引用者

 これを読むと百年前、1919年当時の上海に亡命していた知識人(臨時政府第二代大統領)の、日本に対する考え方がよく分かる。これが、最近の韓国大統領の演説にも見られるように、現在につながる抗日・反日の基本になっているのだろう。

 続いて
 「そもそも、欧米列強の富強の文明を観察すると、みな数百年の歴史を経ており、これは一朝一夕の人智、尽力の及ぶものではない。日本は、極東の僻処にある島国で、見聞はまことに粗末で、歯をおはぐろにし、体にいれずみをし、魚鱉とともに生活している。飲食、衣服、宮中の生活用具などは、わが国から得たものにすぎない。
 それがある日、西方勢力が東漸する形勢をかいまみて、急いで自強を図らねばみずから存在することができないし、鋭意進取の気を持たなければ発展できないとして、これに国民を駆りたて、ただひたすらに武を練り、兵器を整え、心労して力を傾けたので、国勢は燄々として烈火のように暴騰し、軍国主義的大陸政策は着実に成功を収めたのである。」 引用、朴殷植『朝鮮独立運動の血史』(平凡社東洋文庫214、姜徳相訳注)より。傍線引用者   

 まさに小中華思想というべき日本観(蔑視)であって、これは、このさらに百年前の江戸時代に通信使として来日した儒者も同様の日本観を記している。というより経済や民生の様子には関心を払わなかったようである。
 明治維新後、日本の新政府は朝鮮との交渉を行うが、先方は日本からの親書を8年間受け取らなかった「書契問題」がある。日本側の忍耐も驚くべきだが、現地担当者が忖度して宮廷まで上げなかったらしい。後に高宗が知って担当者を処罰した。

 ちなみによく知られている「対日本人六條」を示す。
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 四月十二日晴 五十一度
 曾テ韓人 我ヲ待ニ 六條ノ秘訣アリト聞ケリ 偶 住永友輔 左ノ文ヲ得  テ出セリ 果シテ 其 聞所ノモノナラン

 朝鮮人待日本人六條
 一 遜辞  屈己接人辞氣温恭
 一 哀乞  勢窮情迫望人見憐
 一 怨言  失志慷慨激出怒腸
 一 恐喝  将加威脅先試嚇動
 一 閃弄  乗時幸會翻用機関
 一 変幻  情能無常眩惑難測

  右元禄年
 (明治七年四月入手)
 
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 十分に日本人の心性を把握して対応策を用意しているのだろう。ただ、誠実な対応の仕方ではないことは確かだ。