『最貧前線』、「月工作」そして阿片 

 戦時「特設艦船」というものがあって、日露戦争での「特設巡洋艦信濃丸」のバルチック艦隊発見のエピソードはよく知られている。

 その分類に「特設監視艇」があって、日本海軍は民間船を徴用していた。宮崎駿の『最貧前線』に出てくる吉祥丸がそれだろう。本土空襲に来る爆撃機を察知するため、太平洋上に警戒線を作り、その線に沿って何隻も配置されたようだ。機銃で武装し強力な無線機を積み国旗を揚げていたので軍艦だが、所詮は漁船、米軍機には対抗できなかった。『最貧前線』の中でも、僚船が次々に撃沈されていく様子を無線で知る場面がある。

 この作品は脚本化され、舞台にもなって、内野聖陽さんらが演じている。なんと高校演劇でも上演されているようだ。

 

 堀三也が実施した「月工作」は戦争末期、昭和19~20年のことだが、これは堀事務所という民間業者の雇いで、一応、海軍・陸軍の徴用船「特設輸送艦」とは別の範疇なのだろう。

 船も船員もろくなもの(語弊はある)は残っていないような状況で(ネットで見られる福井県の戦時徴用船資料では、18隻中14隻が100㌧未満だった。堀の船は26㌧、築?30年以上の漁船を使うほかなかった)どれほどのことが出来たかは分からない。(まあ北朝鮮イカ釣り漁船を考えれば出来ないことは無いとも思うが。)

 (『悲劇の輸送船』(大内建二)など読めばもっと分かるかも知れない。)

 無謀な戦争継続のため無謀な輸送船団を組織する。その無益さを一番良く分かっていたのは堀自身ではなかったか。

 第一次世界大戦で欧州諸国が総力戦を行った、その様相を、1922~23年頃にフランス駐在武官補佐官であり、また陸軍内随一の経済通だったという堀は十分に研究していただろう。資源の無い日本がどうやって戦争を継続するか。戦争継続に必要なタングステンなどの金属は中国大陸内でしか入手できない。たとえそこが敵の支配地域であっても、現地の有力者(軍閥)に働きかけ、入手して日本に送らなければならない。手に入れるための手段(交換物)は、日本軍の(中古)武器であり、それが尽きれば、蒙彊産の阿片だったということだ。

 阿片戦争以後、清国の領土内では阿片吸引が広く浸透し、それを一時に禁止することは不可能だった(アメリカの禁酒法を見れば良い)。日本の台湾統治では阿片の吸引を一定量に制限し、専売にするなど管理することで改善していった。同様なことが大陸でも図られたと思うが、複雑困難な闇の世界があり、里見甫などの特殊な人間が必要だったのだろう。

 麻薬を戦争の資金源にするのはある意味普遍的で、アメリカやミャンマー反政府勢力がインドシナ半島に「黄金の三角地帯」を設けたこと、北朝鮮覚醒剤を製造、密輸していることでも分かる。