ナット・ターナー  ジャンヌダルク  洪秀全

 黒人奴隷の反乱について思い出そうとして、「ナット・タイラーの乱」という語が頭に浮かんだがどうも変だ。「ワット・タイラー」と「ナット・ターナー」が混じっていた。時代も国も全然違う、いい加減な記憶である(呵々)。

 

 「ナット・ターナーの反乱」は南北戦争以前の黒人奴隷反乱としては有名なものだろう。50~60人の黒人が決起し、同じくらいの人数の白人を殺害して廻った。犠牲者は女子どもが多かったという。結局は民兵や軍に鎮圧され、全員処刑された。潜伏していたナットも捕まって絞首刑になった。その後は怒り狂った白人によって、反乱に無関係だった黒人も200名くらい殺されたという。

 ナットは読み書きが出来、聖書をよく読んで仲間に説教するくらいだったという。ある日、空に大きな音が響き渡り、彼は「神の敵を倒す」という使命を感じ取る。彼は仲間と共に武器を準備し、皆既日食を合図として決行した。

 

 百年戦争の最中、フランスの片田舎に生まれた少女が、ある日眼前に大天使と聖人(殉教者)が現れ、フランス王を立てイギリスを追い出せと言うのを聞く。少女は一途にフランス軍を率いてイギリス軍と戦い、オルレアンを奪取する。劣勢のフランスは立ち直る。が、無謀な作戦の結果彼女は捕虜となり、異端審問の末に火刑に処せられる。しかし後に彼女は無罪復権し殉教者として認められ、聖人に列せられる。

 

 大清帝国がイギリスと阿片戦争を戦って敗れたころ、広東あたりで科挙に失敗し続け病気になった男が夢を見た。不思議な老人からこの世の妖魔を退治せよと言われる。その後、科挙をあきらめた男は聖書に触れ、儒学を棄てた。聖書を自分なりに解釈して、先の夢の老人は神に違いなく、自分は神の子であり、イエスの弟であると称して信者を集め、軍を起こし、ついに清国の中に太平天国を作った(広東人の孫文は子どもの頃、太平天国の話を多分あこがれを以て聞いた)。太平天国はやがて内側から崩壊し、首都南京が官軍に破れると城内の20万人がことごとく殺された(中国の城郭都市攻防戦では負ければ大虐殺になるのが常だ)。宮殿の奥に隠棲していた洪秀全も死んだ。

 

 ナットの遺体は皮をはがれ(インディアンが白人の頭の皮を剥ぐというが、事実は逆だ)斬首され(その頭蓋骨は誰かが記念に持ち帰った。→第二次大戦中、雑誌タイムの表紙に、机上に飾られた日本兵の頭骸骨を眺める女性の写真が使われたのを思い出す)八つ裂きにされた。それらをまた人々は持ち帰ったとか。

 ジャンヌの遺体は、衆人に一旦黒焦げになったのを確認させ、さらに灰になるまで焼かれ、灰は河にながされた。(麻原某とか劉暁波の遺灰を思い出す)

 洪秀全は、官軍に包囲され飢餓状態の南京で雑草を食い続け(これをマナと称した)栄養失調で死んだ。遺体は清軍が棄てた。

 

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 何が自分の中で引っかかっているのだろうか。何の共通点でこの三つの例を想起するのか。そしてこれらの相違点は何なのだろうか。

 無学文盲あるいは偏った知識しか持たない者が、「神の啓示」によって決行するという点(神学的な深い理解の上で、ではない)が気になるのか。ジャンヌは正統でナットと洪が異端なのはどうしてか。旧教国のフランス人と新教国のアフリカ系アメリカ人、古代的王朝国家の中国人の違いなのか。正統国家を背負っているか否かなのか。

 

 昨今のBLM運動騒ぎ(暴動)の中で、黒人への暴行とともに、黒人から白人への暴行を撮した映像も流れてくる。かつてナット・ターナーの時代、黒人奴隷の人口が白人を越えたバージニア州では潜在的に黒人に対する不安・恐怖が広がっていたという。移民国家合衆国の人種比率が非白人優勢になりつつある現在はこれに似た状態なのかも知れず、人種間の暴力が常態化するのではないかという不安が拭えない。

 統計を信じれば、警察が殺してしまう人数は白人の方が多いし、黒人に殺される白人の方が白人に殺される黒人の数よりも圧倒的に多い。黒人の多くは黒人から殺されている。今世界中で殉教者か聖人のように扱われている黒人男性は、前科5犯、薬物中毒者だった。自分の中で何かが引っかかって釈然としない。

 人種差別、奴隷貿易の長い悲惨な歴史(キリスト教国によるものに限らず)は、人類の開明とともに徐々に解消されてきている。ガンジーについては今批判する向きもあるようだが、ネルソン・マンデラのような、迫害を受けた後に人種間融和を語る黒人指導者も現れた。歴史に照らして、今我々は冷静にならなければならない。

 

 「正義」に基づく行動が悲惨な結末をもたらすかもしれないし、「神(唯一絶対者)」が人を暴力に駆りたてるかもしれない。「正義」や「神」を押し立て暴力で迫ってくる相手にどうしたら冷静に対処できるか。おそらく方法は無い。命がけで戦うのでなければ、竹林か桃花源に逃げ込むほかないだろう。

 

 神と国家への忠誠、その両立の可能性ということを考えていて、その派生としてこんな思いが湧いてきた。