観劇 『グッドピープル』 川西町フレンドリープラザ

 23日(土)川西町フレンドリープラザにて『グッドピープル』観劇。

 サヘル・ローズが見たくてチケットを買った。司会とかルポでは見ているが、役者としては初めてである。

 

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 アメリカの翻訳物だなあという感じで見ていた。台詞劇である。

 以下、あらすじを書きますのでまだ観ていない方はご注意。

 内容は、現代アメリカの問題総ざらえといった感じではあるが、貧富の格差が最大の問題として書かれている。貧民区に暮らす人々は、安い給料を得るため必死で職を探す。生活保護とか社会保障制度が無いのか、滑り落ちた人々はなかなか底辺の境遇から這い上がれない。親ガチャなんてものではない。知的障害児(といっても30代)を抱えたシングルマザーのマーギーは、その世話のためもあり、勤務時間にたびたび遅刻することで1ドルショップのレジの仕事を失う。悲惨な感じだが、近所の奥さん方は慣れっこでへらへら話し込んでいる。『欲望という名の電車』、『ガラスの動物園』などを思い起こさせる内容である。

 マーギーは、この貧民区から脱して医者になった高校の同級生マイクが医院を開いているというので、仕事をくれるかもしれないと思って訪ねて行く。上流階級に成り上がった(もちろん努力して)マイクは、かつての貧民区の生活を忘れたようである。自分は努力して抜け出した。それを強調されれば、抜け出せなかった自分は怠け者だったということになるのか。今のマーギーとはあまり関わりたくもないようだ。仕事はもらえないが、食い下がって、マイクの家でのパーティーにお邪魔することにする。そこに来る誰かは仕事をくれるんじゃないか。友達仲間は、マーギーの子は2ヶ月つき合ったマイクの子だと言ってやれとそそのかす。

 パーティーの前日、電話で子供が病気だからパーティーは中止という連絡が来る。マーギーは嘘だと思って、当日マイクの家にドレスを着て押しかける。

 しかしパーティーは本当に中止で恥をかくが、マイクの妻ケイトから夫の昔の話を聞きたいと言われて居座る。次第にマイクの過去―隣町の黒人の子をボコボコに殴り倒したことなどを話し―ケイトは黒人である―、マイクが怒ってしまう。あたりまえだ。そんな昔のことを暴き出すような失礼なことはすべきではない。しかし、底辺にあえぐ者は藁にもすがって生きようとする。善人では居られないのだ。子供のことを言ってしまうが、マイクの妻は家庭を壊そうとするようなマーギーを拒絶する。

 マーギーの言動は、貧民区の生活の中にある無恥や狡さ、嫉妬と羨望によって塗り固められている。しかし、人間の真情は残っている。貧民区に帰ったマーギーは近所衆とビンゴ(毎週教会で?やっている宝くじのようなもの)に運を求めて興じるのだった。

 

 サヘルの演技は良かったと思う。劇中の人格にも合っていたかと思う。マーギー(戸田恵子)やマイク(長谷川初範)の演技が失礼ながらいささか一本調子に感じられたのとはひと味違っていた。一幕は主婦連(木村有里阿知波悟美)に、二幕はサヘルによって支えられていた感じだ。

 ただ、原作で白人と黒人であるのが、舞台上では日本人とイラン人なのはどうか? 原作のニュアンスが出せたのだろうか? 幼なじみの奥さんが黒人で、才色兼備で、大学教授の娘であるという設定。プア・ホワイトの目に彼女はどう映っているのか。アメリカ人には感得できても、日本人には分かりづらいニュアンスがあるのではないか? この作品、アメリカ人で、映画で(細かい表情付で)見てみたいと思った。席が少し遠いこともあって表情が見えなかったので。

 

 舞台はセットを回転させての転換が主だが、それ以外にも物の出し入れがあり、回数も多いので少し煩わしい感じがした。

 舞台端にマイクがあって台詞を拾っていたようだ。

 

 前に勤務していた所の演劇部員で、卒業後放送界(裏方)に入った女子が、サヘルと友達だと言っていたのを思い出す。今何しているかな。