アメリカ・インディアンとアイヌから人種差別を考える

 アメリカインディアンについて、ずっと以前から、その白人から受けた迫害の歴史に関心があった。

 その前に、中南米へのスペインの侵略があって、原住民に対する略奪と虐殺が行われた。インカ滅亡の歴史も少し読んでいた。少数の白人が銃と馬の力で国王を捕らえ、部屋一杯の黄金を集めたにもかかわらず王を殺してしまう。(この辺はキリスト教のところで触れた部分だ。)ヨーロッパ人は黄金の他、新大陸からトウモロコシ・ジャガイモ・トマト・カボチャ・サツマイモ・タバコなどを持ち帰る。これらの新品種の作物によって、ペストと戦争で疲弊したヨーロッパの飢餓が救われた。(そのペストはアジア起源だが。他方、梅毒がアメリカ大陸由来で世界に広まったとされる。)

 ピルグリム・ファーザーズがアメリカ大陸に移住し、原住民と交流した。初期の入植者は、ネイティブ・アメリカンに助けてもらわなければ冬を越せなかっただろう。しかし、白人は農業をするために土地を手に入れ占有する。原住民には免疫の無い天然痘を広める。

 アメリカが建国され、次第に大西洋を渡ってくる白人が増え、フロンティアを求めて西へ西へと開拓を進めて行く。農場・牧場として広大な土地が切り売りされる。インディアンは土地所有の概念がなく、文字も無いので白人との対等な交渉・契約ができない。白人は与しやすい野蛮人として見下す。邪魔者でしか無い野蛮人を、白人は迫害する。彼等の生活の基盤であるバッファローを大量に射殺する。食用とかではなく、ただインディアンを困らせるために殺すのだ。バッファローの死骸が山のように積み上がり、その数は激減して絶滅に瀕する。

 土地と生活の基盤であるバッファローを奪われ困窮して行くインディアンを騎兵隊が追い立てる。ウーンデッド・ニーでのスー族の最期の戦いの様を知れば、いかにこの迫害が人種差別と人間性の欠如に満ちたものであるかが分かるだろう。幼い頃テレビで見た西部劇の騎兵隊は、野蛮で好戦的なインディアンから白人を守る正義の味方だったが、実態は映画「ダンス・ウイズ・ウルブズ」のように、まったく逆だった。

 黒人奴隷の場合はまた別の悲劇ではある。

 「清教徒」が原住民を殺す。「殺す勿れ、汝の隣人を愛せよ」はどこにいった? 平時の殺戮は、戦争に於ける愛国心とはまた別のことだろう。彼等は神の許しを得られるのか? 

 

 しかしまた、日本においてもアイヌへの迫害の歴史があって、その経緯は上記の内容とそう違いは無い。その昔、北海道には鮭や鹿は無数にいた。遡上する鮭を、老婆や犬さえもが千匹単位で捕ることが出来た。またエゾ鹿の群れは山の動くように見えたという。江戸時代、松前藩は知行地の代わりに場所請負による海産物、肥料用鰊などの独占的交易を行っていた。その際の不公正な取引、強制的な労働などは倫理的に許せないものがある。(アイヌの人種的、民族的位置づけは未確定だが、先住民として認定はされている。核酸の分析でみると、縄文人の直接の末裔ではないようだ。)

 幕末に幕府直轄地となり、明治時代には開拓使が置かれ、松前藩や商人の非道は止んだ。だが明治政府下では鮭や鹿の狩猟制限(毒矢はちょっと)が行われる一方、鮭や鹿は食用として大量に狩猟され、鹿肉は缶詰にして外国に輸出された。アイヌの生活基盤は鮭であり、往々にして密漁せざるを得なくなった。

 和人入植者は原生林を分け与えられ、苛酷な開拓に取り組んだが、多くは期限(5年とか)までに開拓を果たせず、落伍した。和人もアイヌの生活の知恵が無ければ住めなかっただろう。政府はアイヌにも土地を与えて農民化をはかったが、農業になじまないアイヌは土地を人(開拓落伍者など)に貸して金を得たりした。

 

 アメリカで起きたことと北海道で起きたことは通底する人類共通の黒歴史である、ということを言いたいわけだが、ここで追加しておきたいのは、カナダに於けるイヌイットエスキモー)差別のことである。過去にはインディアン同様の迫害があり、現在でも多くのイヌイットの女性に強制的な不妊手術が行われているということだ。これは民族浄化ではないか。カナダは「先住民族の権利に関する国際連合宣言」に反対した。

 そして中共によるチベットウイグル、モンゴルへの迫害と差別だ。中共朝鮮戦争の時期に内モンゴルチベットをどのように侵略していったか。「解放軍」は友好的な風を装って取り入り、油断しているうちに侵略軍と変じ、有無を言わせず従わせるのだ。反抗する者は何人でも殺す(文化大革命で(いや現在も)自国民に対してどれほどの暴力が振るわれたか。まして他民族への暴力を考えれば背筋が寒くなる)。特に指導者層、知識人から殺す。そうして中華民族としての同化政策が強制される。彼等の文化、言葉も宗教も奪い、民族を抹消しようとしているかのようだ。中共の覇権が及んだ国は同じ運命をたどるか、彼等を主人と仰いで奴隷化される道が待っているだろう。

 人類にとってこの悪夢のような他民族虐殺は、歴史上どの地域でも繰り返し現れている。我々は被害者にならないように厳に防衛しなければならず、加害者にもならず、加害国にはそれを止めさせなければならない。しかし、頼るべき国連の主要国は皆、内に差別を抱えているという現実がある。アメリカは人種の坩堝であるし(BLMは一面で反社会的争乱に傾いている気味がある)、ヨーロッパ各国も中東・北アフリカ難民の受け入れで摩擦が起きている。フランスなどはいまだに貨幣を通じてアフリカの旧植民地を経済的に搾取している。アフリカ諸国に強制的に、フランス・フランの百分の一の価値に固定したCFAフランを使わせている。この不公平な交易と、外貨準備高の50%をフランス国庫に納めるという経済支配が旧仏領アフリカ諸国の経済的発展を妨げているという。(今年から改善されて、CFAフランから「エコ」という通貨になるらしいが)

 シャルリー・エブドマホメッド侮辱なども、「表現の自由」という美名の下にフランスの持つ差別意識が透けているのではないかとも思えてくる。