雑感 2021年5月9日 常勤になった 芥川龍之介『英雄の器』

 久しぶりの記事になる。

 

 急な仕事が入って、6日から常勤になったので、その手続きやらでばたばたしていた。勤務先は車で45~50分かかる所である。季節が良いので苦ではない。今まで経験の無い小規模な職場で、まあ家庭的という感じである。とりあえず一ヶ月の約束なので今月末に終わる。最近は朝8時頃まで寝ていたのに、6時に起きて7時半には家を出ないと間に合わないので宵っ張りができなくなった。帰りは17時に帰れる。

 

 母方先祖の歴史については、銅町の歴史に関わっているので、その方面に詳しい郷土史家の方たちに資料をいただいたり、お話をうかがって、一歩ずつ進展を見ている。先達は有らまほしきものかな。ただ、叔父叔母世代は皆亡くなり、従兄弟も少なくなっているので、昔を語れる人が残っていない。年を取ってからは昔のことが知りたくなるものだが、その時になって、知る術がなくなっていることに茫然とするのである。

 

 

 朝鮮の土地制度の方は休止状態になっている。

 一応、図書館から『朝鮮総督府終政の記録(一) 旧朝鮮総督府官房総務課長山名酒喜男手記(終戦前後に於ける朝鮮事情概要)』という本を借りてきている。(その二)は図書館にはないようだ。なんと謄写版刷りである。当時の状況が現場感覚で伝わってくる。アメリカ軍との交渉過程も詳しく述べてあるが、まだ全部は読めていない。

 敗戦と同時に総督府という政治の根幹が崩壊したのは、総督が天皇の直属で、天皇が全面降伏したことにより、朝鮮における日本の施政権が消滅したという解釈からだろう。朝鮮には議会がなく、議員もいなかった。総督府が無ければ何も統一的に動かない。進駐したアメリカ軍政部は混乱を目の当たりにして旧組織を維持して対応しようとし、総督府上層部はアドバイスした。独立臨時政府樹立を希望する朝鮮人に対しては、いまだ無理だと判断したようだ。

 問題は昭和20年秋の収穫、納税がどのように行われたか。そこから農地解放、改革がどのように進められたかだ。

 なお、北朝鮮の状況については敗戦前後から連絡が途絶し、総督府では分からなかった。ただ、38度線を越えて満洲北朝鮮から逃げてくる日本人の話から情報を得るばかりであった。

 

 

 芥川龍之介の短編に『英雄の器』という小説があることを知った。青空文庫から後半を引用してみる。項羽の死の直後の漢軍陣営、呂馬通が劉邦の前でまくし立てている。

……………

「いやそう云うつもりじゃないです。――項羽はですな。項羽は、今日いくさの始まる前に、二十八人の部下の前で『項羽を亡すものは天だ。人力の不足ではない。その証拠には、これだけの軍勢で、必ず漢の軍を三度さんど破って見せる』と云ったそうです。そうして、実際三度どころか、九度くたびも戦って勝っているです。私に云わせると、それが卑怯ひきょうだと思うのですな、自分の失敗を天にかずける――天こそいい迷惑です。それも烏江うこうを渡って、江東の健児を糾合きゅうごうして、再び中原ちゅうげんの鹿を争った後でなら、仕方がないですよ。が、そうじゃない。立派に生きられる所を、死んでいるです。私が項羽を英雄の器でないとするのは、勘定に暗かったからばかりではないです。一切を天命でごまかそうとする――それがいかんですな。英雄と云うものは、そんなものじゃないと思うです。蕭丞相しょうじょうしょうのような学者は、どう云われるか知らんですが。」
 呂馬通は、得意そうに左右を顧みながら、しばらく口をとざした。彼の論議が、もっともだと思われたのであろう。一同は互に軽い頷きを交しながら、満足そうに黙っている。すると、その中で、鼻の高い顔だけが、思いがけなく、一種の感動を、眼の中に現した。黒い瞳が、熱を持ったように、かがやいて来たのである。
「そうかね。項羽はそんな事を云ったかね。」
「云ったそうです。」
 呂馬通は、長い顔を上下に、大きく動かした。
「弱いじゃないですか。いや、少くとも男らしくないじゃないですか。英雄と云うものは、天と戦うものだろうと思うですが。」
「そうさ。」
「天命を知っても尚、戦うものだろうと思うですが。」
「そうさ。」
「すると項羽は――」
 劉邦りゅうほうは鋭い眼光をあげて、じっと秋をまたたいている燈火ともしびの光を見た。そうして、半ば独り言のように、おもむろにこう答えた。
「だから、英雄の器だったのさ。」 

………………

 劉邦は何に感動したのか?

 もちろん「項羽が天と戦った」ことに、だろう。劉邦項羽が天に戦いを挑んだことを理解した。そしてそれを英雄の行為だと評価した。(しかし劉邦自身は天と戦おうとはしなかった。)

 

 芥川が現代の高校で漢文の授業を受けたら何と言うだろうか?

 「項羽は天に従った。項羽は自嘲して笑った。」と教えられるが、芥川はそう思わなかった。授業を聞いてあきれてしまうかもしれない。

 『史記』項羽本紀、項王自刎の場面における項羽の「笑」について(1) - 晩鶯余録 (hatenablog.com)