『史記』項羽本紀、項王自刎の場面における項羽の「笑」について(1)

 以下の文章は「山形北高校研究紀要第30号(平成13年3月)」および「山形県高校国語教育研究会研究紀要第34号(平成13年3月)」に掲載したものの再掲です。若干字句を修正してあります。
 
1、初めに
 『史記』から教科書に採録されることの多い「項王自刎」と題される部分は、項羽本紀の最後にあって最も高揚する部分である。読者の皆様同様、筆者も一度ならず授業で扱ってきた部分である。教材は「鴻門の会」から「四面楚歌」、そして「項王自刎」へと続き、一時は天下を取った項羽が衆望を失い、戦いの中に亡んでゆく姿を生き生きと描いている。
 ただその中で、項羽が烏江という長江の渡し場に至った時、船を用意して待っていた亭長からの渡河の勧めを「笑って」拒否する心情だけは、もうひとつ納得できず、長い間ひっかかっていた。
 ここで項羽の最期の「笑」に関して一つの私的解釈を提示したい。
 
2、梗概
 「項王自刎」における項羽の「笑」は、従来一般的には「自嘲の笑い」、あるいは「人間性回復の笑い」と解釈され、授業においてもそのように扱われる。これは最近に至るまで変わらないようである。(注1)しかしこの試論では、そのような解釈は一貫性を欠くものであるとしてこれを取らず、あくまで「天」に対抗する姿勢を貫こうとする時発せられたものであると考える。
 そう考える理由は、決定的な劣勢の中でも「天の我を亡ぼす。戦の罪に非ざるなり。」として運命に逆らい、故地を目指して走り続ける姿と、亭長の一言によって一転して運命を受容するように心変わりする姿とは整合しないからである。
 また、あくまで「天」への対抗姿勢を崩さなかったと考える根拠は、「天之亡我」は必ずしも項羽の死を意味せず、項羽の「西楚の覇王」たる望みを打ち砕き「江東の王」へと格下げすることもまた、項羽にとっては「亡」なのであるということである。そう考えれば項羽が渡河を拒否する理由・心情が理解できるのではないか。
 また『史記』にみる「天」の例を探り、司馬遷が「天之亡我」にこめた意味合いをも考える。
 
3、従来の説の検討
 項羽の「笑」を自嘲の笑いとする説には直感的に違和感を感じる。それは『史記』を読む時、この「笑」が決して陰気で暗い感じを与えず、(個人差もあるだろうが)むしろ自嘲にはそぐわないカラッとした感じを受けるからである。また項羽本紀で項羽の感情表現として「怒」が数回使われることから感じ取れる彼の性格に照らして、この一回だけの「笑」が自嘲であるとするのは、かなり整合性を欠くように感じられる。また、急に恥を知る立派な心根になったのだと解釈するのも都合が良すぎるように思われる。
 次の項でも述べるが、「江東の父兄憐れみて」という同情を受けて初めて「籍独り心に愧ぢざらんや」との自責に至ったのだとする解釈の根拠については、この部分が「且つ」の後に書かれていることが問題である。「且つ」の前に「天の我を亡ぼすに、我なんぞ渡るを為さん。」と書かれているのだから、第一の理由は「天之亡我」の部分にあって、「憐」は後から付け足された理由なのではないかと思われるのである。
 また別の考えとして、自嘲にまでは及ばないが滅びる運命を悟ってのあきらめの言葉とする解釈もあるだろう。もはや死ぬに決まった運命ならば、じたばたしないで潔く死のうとしたというわけである。しかしそれなら、彼の死を覚悟した時点があいまいになってくるのではないか。四面楚歌するのを聞いた時点、田夫に欺かれた時点、東城で二十八騎になった時点、いずれでも死を覚悟したと解釈できるのであって、この烏江でなければならない必然性はないのではないか。
 
4、『史記』本文の検討
 問題となる部分を、少しずつ分けて検討してみよう。
 ① 於是項王乃欲東方渡烏江。
 ② 烏江亭長檥船待。
 ③ 謂項王曰「江東雖小、地方千里、衆数十万人、亦足王也。
 ④ 願大王急渡。今独臣有船。漢軍至、無以渡。」
 ⑤ 項王笑曰「天之亡我、我何渡為
 ⑥ 且籍与江東子弟八千人、渡江而西、今無一人還。
 ⑦ 縦江東父兄憐而王我、我何面目見之。縦彼不言、籍独不愧於心乎。」
 
 ①では、確かに項羽は烏江を渡ろうとしていた。それは「死に場所を探して、無意識に故郷の地に近づい」たというよりは、明らかに意識的な行動であるように読める。③・④では、四面楚歌の状況に亭長という味方が現れ、活路が見いだされた。確実に助かる道である。素直に考えれば渡るのが当然のところである。しかし、項羽は渡らない。③・④から⑤までの隔たりは意外に大きく深い。
 一般的な理解で言うと、⑦に見える「憐」に対して「愧」の心情が起きたと考えることができる。また亭長の言葉全体がすでに「憐」であるともいえる。とすれば「笑」を自嘲ととることも可能であろう。気がついてみれば、わずか二十数騎が従うだけの敗軍の将である。それは憐れみをかけられるべき哀れな姿であり、自分はもう滅びる運命なのだというあきらめの気持ちが生じ、亭長の暖かい言葉に人間味を感じたととる。それが一般的なのだろう。そうして武人としての誇りがよみがえり、ここを死に場所に定めた、と。
 しかし、渡らない理由を説明する⑥・⑦は「且」の後に書かれている。「且」が添加の意味を表すとすれば、この後に書かれている「自分は多くの部下を死なせてしまった責任をとって死ななければならない。」という判断は、「渡らない」ことの二次的理由である。これは後から付け足した理由であるように読める。項羽が渡らない第一の理由は、やはり「天之亡我」にある。
 そして⑤の「笑」を引き起こした直接の原因は亭長の言葉以外にはない。この言葉のどこかに「笑」の意味を解く鍵が潜んでいる。それは、「亦足王也」の部分であると考える。
 
 (2に続く)