『史記』「項羽本紀」四面楚歌、「抜山蓋世の歌」の直前にある一節。
「有美人名虞、常幸従。駿馬名騅、常騎之。」の訓読について。
垓下の砦にたてこもった楚軍の周囲を、数千の漢軍が幾重にも取り囲む。
夜、項羽は聞く。周囲の漢軍が皆、楚国の歌を歌うのを。項羽は自分の祖地がすでに敵の手に落ちたのかと疑う。楚人が漢軍の中に多数いると思ったからだ。
項羽は酒宴を開く。そこには側近たちと愛人の虞がいる。
有美人名虞、常幸従。 美人有り名は虞、常に幸せられて従ふ。
駿馬名騅、常騎之。 駿馬あり名は騅、常に之に騎す。
ここでいささか疑問なのは、「幸」を、虞を主語にして受け身で読んでいることだ。
ここを対句になっていると考えると、対応する句の「常騎之」は項羽を主語にして読んでいるのだから、前の句も項羽を主語にして読んだ方が良いのではないかと思うのだ。つまり
美人有り名は虞、常に幸す。 (今、「従」を省いて読んでみた)
これなら対句として主語が一貫していると思うのだがどうだろう。
仮に「従」を「之」にして読んでみよう。
有 美人名虞、常幸之。 美人有り名は虞、常に之を幸す。
(有)駿馬名騅、常騎之。 駿馬あり名は騅、常に之に騎す。
良い感じではないか?
しかし本文は「従」なので、項羽を主語にすると「従」を「従はしむ」と使役に読むか、「従ふ」と他動詞(下二段活用)に読む(「従える」の意)ことになる。
常に幸して従はしむ。 常に寵愛して(軍に・自分に)つき従わせていた。
常に幸して従ふ。 常に寵愛して従えていた。
つまり下のようになる。
有 美人名虞、常幸従。 美人有り名は虞、常に幸して従ふ。
(有)駿馬名騅、常騎之。 駿馬あり名は騅、常に之に騎す。
どうだろう?
虞美人は悲歌慷慨する項羽に唱和する。
項羽の頬を幾筋かの涙がつたった。
側近たちも涙し、顔を上げて二人を見ることもできない。
虞美人は、足手まといにはなりませんと潔く自決する。
項羽は愛馬の騅にまたがり、八百騎を率いて打って出る。
東城の戦いで二十八騎になった項羽は長江の辺、烏江という渡し場にたどり着く。
向こう岸は故地である。
なんと亭長(宿場の親分)が、ただ一艘の舟を用意して項羽を待っていた。
江東の地は小さいとは言っても千里四方の広さと数十万の人口があります。
ここもまた王となるには十分な地でございます。
この舟を出してしまえば、あとは漢軍が来ても渡ることは出来ません。
さあ、急いでお渡りください。
項羽は笑って言う。
天が私を滅ぼそうというのに、どうして私は渡れようか。
幾たびも死地を自力で切り抜けてきた自分の前に、あまりにも幸運な道が開けた。
しかしこれは自分の力ではなく、天の用意した道である。
この舟に乗れば、自分は天下の王ではなく、江東の王として生き延びることにな る。しかしそれは、一時は天下を手にした自分にとって、死にも等しいことである。
天は自分をそのようにするために、この舟を用意したのだ。
だから自分は決してこの舟で渡らない。
自分はあくまで天の命に従うつもりはないのだ。
しかし、あなたは身の危険をも顧みず私を救おうとしてくれた立派な人物だ。
お礼に私の愛馬を授けよう。
こうして騅は亭長の舟に乗せられ、江東の地へ渡った。
馬を下りた項羽は、数百人の漢兵を斬り倒したが、自分の身も十余の傷を負い、力尽きようとしていた。ふと振り返るとそこに呂馬童がいるのが目に入った。
お前は私の昔なじみではないか!
馬童は顔を背け、後ろにいた漢軍の王翳に項羽を指し示して言った。
これが項王だ。
項羽は馬童に言った。
漢は私の首に千金と一万戸の領地を懸賞金として掛けているそうだ。お前にやろう。
項羽は自ら首刎ねて死んだ。
王翳ら漢軍の将が我先にと項羽の死体を奪い合い、体は五つに引き裂かれた。
五体は劉邦の前に並べられ、五人に恩賞が下された。
愛馬の騅は生き延び、愛人の虞は死んだ。
愛人を死なせ、愛馬を生かした項羽の気持ちは、現代の平凡な市民である我々には、なかなか理解しがたいことであろうか。
『史記』項羽本紀、項王自刎の場面における項羽の「笑」について(1) - 晩鶯余録 (hatenablog.com)