道澄寺梵鐘銘文の訓読について その1

 「道澄寺梵鐘銘文」については、平成19(2007)年に一度訓読を試みたことがある。義理の従兄弟の鈴木氏から、遠縁のA氏が訓読を試みているので手伝ってくれないかというような依頼をされたのだった。今はお二人とも他界されている。

 A氏は、鈴木氏の先祖で左沢に堰を築いて新田を拓いた鈴木政胤らの調査もしていたので、「鈴木政胤開墾碑」の碑文の訓読についていささか文通があった。戦前の国漢の授業を受けた方だけに、読み方についてはなかなかエキサイティングなやり取りもあった。

 当時は拓本そのものを見ることができず(鈴木氏は拓本をお持ちで、自分はワープロで起こしたものをいただいたのだった)、ネットで調べたが詳しい資料や写真も見当たらなかった。それで未解決のまま過ぎていたが、ごく最近ふと思い出して検索してみると、梵鐘各面の銘文の写真や、拓本というか筆写のような物の写真版も出てきた。この十数年間に様々な資料がデジタル化されてネット上に公表されたのであろう。それでよく見てみると、秋葉氏が、おそらく不鮮明な拓本からワープロで起こしたものに誤字のあることが分かった。それによって、当時どうしても誤字(あるいは誤記)としか思えなかった字がやはりそうだったと証明されたものもある。

 当時いただいた文面は下のようであった。

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 各面を拡大してみる。

  第1面

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 第2面

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 第3面

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 第4面

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 この異体字の多い文面を、A氏がどれだけ苦労して活字化されたかがしのばれる。

 A氏は昭和41(1966)年に奈良国立文化財研究所を訪れた際にこの拓本を贈られたとのことで、その後昭和63(1988)年頃から解読を試みたとのことである。

 この梵鐘は現在、奈良県五條市の栄山寺にある。伝来は不明。国宝である。銘文は菅原道真、書は小野道風と伝わるが、銘文にあるように延喜17(917)年に鋳造されたとすれば、どうもあり得ないことのようである。

 栄山寺については→https://www.eisanji.com

 

 A氏が平成17(2005)年頃に試行した読み下しは下記のようであった。

第一面

 道澄寺は、従三位(じゅさんみのかみ)大納言兼右近衛大将、行(ぎょう)皇太子傅(ふ)藤原の朝臣と、参議左大辯 従四位上兼行勘解由長官播磨権守(ごんのかみ)橘の朝臣とが、四恩に報じ、六趣を済する為、合誠勠力 して建立する所なり。

 

第二面

 堂宇比甍、南北輪奐、尊像接座して前後跏趺す。両相公、宿して香火の縁を殖し、葛の戚と為し、唯、現世の契闊の情を結ぶに非ず。欲浄刹、安養の楽を與(とも)にす。故に、各々その名首字(道明の「道」、澄清の「澄」)を取り、以て此の寺額の題と為す所以のものは

 

第三面

 本縁を来代に貽(贈)り、同志他生を期するもの也。藤亜相、爰(ここ)に匠に命じて乃(すなわち)鴻鐘を鋳せしむ。旦(あした)に、将に長夜昏迷に妙聲を聞かせ、暁を苦海に知ら令(し)むれば、溺せしもの梵に驚きて通津せん。延喜十七年十一月三日、之に其の詞を銘して云ふ。

 

第四面

 師施治、菩提催縁、虚受必應響、高く自す。夕より暁に至り出定入禅して衆聖に傍唱すれば遥かに大仙に警し、法増感、耶夢驚眠、阿鼻獄に通じ、有頂天に達す。劫数億萬世界、三千一音の利益無限無邊なり。

  

 次回に銘文の写真を載せるので、どんな字が誤読されたものなのかが分かるが、今はこの読み下しをもとに自分の調べたこと、自分の当時考えた読み方を記してみる。

 

第一面

 道澄寺は、従三位 守(しゅ) 大納言 兼 右近衛大将 行(ぎょう) 皇太子傅 藤原の朝臣、参議 左大辯 従四位上 兼行 勘解由長官 播磨の権守 橘の朝臣、四恩に報い六趣を済(すく)ふ為に合誠勠力 して建立する所なり。

 

第二面

 堂宇は甍を比(なら)べて南北に輪奐し、尊像は座を接して前後に跏趺す。両相公、香火の縁を世に宿殖し、葛の戚と為る。(香火を殖(た)つるの縁を宿(とど)め、世に瓜葛の戚と為る。)唯に現世に契闊の情を結ぶのみに非ず、無欲にして浄刹安養の楽しみに與(あず)かる。故に、各々其の名の首字を取り、以て此の寺の額題と為す。

 

第三面

 本縁を来代に貽り、同志を他生に期する所以なり。藤亜相、爰に匠に命じて乃ち鴻鐘を鋳しむ。且つ将に長夜に昏迷するものをして妙聲を聞きて暁を知り、苦海に潜溺するものをして梵刻に驚きて津に通はしめんとす。延喜十七年十一月三日、之に銘して其の詞に云ふ、

 

第四面

 師は治を施し菩提は縁を催す。虚受は必ず響きに應じ、高く自傅す。夕べより暁に至るまで、出定し入禅して、傍唱の衆聖は大仙を遥警す。法善は感を増し、夢は眠りを驚かして、阿鼻獄に通じ、有頂天に達す。劫は数億萬、世界は三千あれども、一音の利益は無限無邊なり。

 

 第一面、A氏は「守」を国司の意に解していたようだが、ここは「しゅ」と読んで位に比して官職が高い(ここでは従三位ならば中納言が相当なのに大納言の職についている)ということである。この反対(位に比して官職が低い)が「行」である。 

 「葛」は大漢和辞典仏教用語辞典を引いて、「葛」だろうと判断した。瓜葛は「親戚」の意味があった。この下の「両相公宿殖香火之縁為瓜葛之戚」の意味が分からない。

 「無欲浄刹與安養之楽」の「與」はA氏のように「ともにす」で良いだろう。

 第二面の最後に「所以」とあって、これをA氏は「~所以のものは」と読んでいる。しかし、それなら返読するのが普通なので、次の第三面から返読するのではないかと考えた。梵鐘の四つの池の間が独立したまとまりで、次の間から返ってくる例が無いとなれば不可であるが、その知識が無いので分からなかった。

 第三面、「匠」では意味不明なので、辞典で見つけた「(ふ)氏」=「鐘を鋳る匠」だろうと思った。

 「」と読んでいる字は、文意から「」ではないかと思った。

 「長夜昏迷聞妙聲而知暁」と「苦海潜溺驚梵刻而通津」は対句で、これらに「令」の使役が掛かっていると考えた。「暁に苦海を知らしむ」とは読み難い。「苦海」はこの世であり、「妙聲」「梵」はこの鐘の時を告げる音色だろう。

 第四面の最初の二行が分からない。ここにも誤字(誤読)があった。法増感耶夢驚眠」は、「耶」が「邪」に通じると考え、法が有頂天に、夢が阿鼻獄に続くというように考えた。

 「劫数億萬 世界三千 一音利益 無限無邊」の「一音」はこの梵鐘の音色のことであろう。逆接的に読んでみた。

 最後の一面はすべて四字句で読んで行くのがいいのかもしれない。

 

 さて次回は実際の鐘に鋳出された銘文を見てみよう。

 なお、この銘文については『京都古銘選釋 七』(1942)に詳しい解釈があるようだが、今読むことが出来ない。施された返り点だけは知ることが出来る。