演劇公演の中止について思うこと

 3月に入って小中高とも休校になり、公民館なども利用が中止される部分が多くなっている。これにつれてアマチュア劇団の公演も中止になるところが続いている。感染者の多く出ている都市圏でのプロの公演も中止になっているのだから当然のようにも思うが、本県ではまだ感染者が出ていないので判断に苦しむところではあるだろう。(隣県で東北地方初の感染者が出たが、これは例のクルーズ船の乗客だった方で、そこからの二次感染はまだ知られていない。)

 

 9年前の3月、東日本大震災のとき、4月23日に定期公演を控えていた山西演劇部は、ほぼ3月いっぱい部活動が出来なかった。

 各地の会館自体が損傷したり、鉄道が動かずにプロの公演も中止を余儀なくされた。演劇鑑賞会然り、シベールアリーナ然り。(シベールアリーナでの「日本人のへそ」上演中止は、その後のこまつ座との関係に大きく影響したと聞いている)

 山形市中央公民館ホールも3月中の行事はすべて中止となった。だから山西定期公演が、利用再開後ほぼ最初の演劇公演となった。部活は3月24日から練習を再開した。その日の部活の最後に、活動できることの幸せをしっかり認識することを話し合った。

 4月8日、入学式当日の未明に大きな余震が来た。どうするか。午前中の始業式は取り止め。在校生は登校させず、もう来ていた生徒は帰し、教員だけで掃除や入学式の準備をした。新入生は1人も欠席しなかった。

 

 あのとき上演したのは、柳美里静物画』だった。作者は今福島県に住み、小さな本屋と劇場を作っている。

 もし震災の時期が少しズレていたら、あの公演は無かっただろう。延期してでも定期公演をやったか? まず会館が取れない。定期テストや学校行事の合間を縫って、市内各校が借りているし、1年前からの予約で埋まっている。

 彼女たちは前年の県大会で惜しくも東北大会を逃した。今でもなぜあの芝居が抜けられなかったのか理解できないほどの出来だったが、その彼女たちの最後の舞台が、未曾有の天災によって上演できなかったとしたら、なんと悲しいことだったろうか。

 高校生は生活をかけて芝居を作っているわけではない。純粋に芝居をしたくてやっているのだ。アマチュア劇団とも違って、毎日毎日練習できる。生活費を稼ぐことも考えずに、勉強を忘れてでも没頭していける。これはとても貴重なことであり、実は演劇界全体の中でも、非常に大切な場所だと思う。

 

 今プロの方々が、公演自粛の要請に対して発言されている。いかなる時にも演劇を上演する機会が保証されなければならない、というような発言の意図がよくわからない。(いや、良く分かってはいる。不当に「弁士中止!」と言われるような感じがするのだろうと。)

 わずか9年前に、したくてもできない状況があったことを、芝居の出来る状況ではなかったことを、観客にも演者にもなれない状況があったことを、その状況がもしかしたら東北地方以外にも全国的に広がるかも知れないということを想像してしまうのは、怯えすぎ、考えすぎなのだろうか。

 例のクルーズ船の中に入って芝居しようとする人はいないし、武漢に行って芝居しようとする人もいないだろう。

 その対極に、黒死病が広がる町で、ここは今は安全だと信じて扉を閉ざし、宴会に興じる人々がいるのだろう。

 その愚かさの両極端の間のどこか、冷静で正常な位置に自分が立つことが出来るかどうか、それが問題だ。