鴻門之会における沛公暗殺計画への項羽の関与その他

鴻門之会における項羽の「黙然不応」と「諾」について

 

 鴻門の楚軍陣地。項羽と沛公の仲直りの宴席で、范増が腰に帯びた玉玦を挙げ、何度も項羽に示す。玦=決であり、決せよの意。「沛公暗殺を決断せよ」というシグナルである。項羽はそれを黙殺する(黙然不応)。すでに沛公を殺さないと項伯に約束しているからだ。范増もその経緯は知っているのだろうが、敢えて暗殺を促しているのだ。

 

 この宴席に坐する者たちは全員がこの范増の挙動に気づいただろう。四十万の敵兵の中で何の警戒もせず不用心に酒を飲んでいる者などいるはずがなく、皆、目の前の一挙手一投足に神経を研ぎ澄ましていたはずだ。范増が暗殺を促していることは皆の目に明々白々なのだ。

 

 しかし沛公も張良、項伯もそれを口に出すことはできない。言えば、友好の席にあらぬ疑いを持ち込んでぶち壊しにすることになり、討たれる口実になるからだ。沛公と張良は冷たい汗を流しながら范増と項羽を見つめていたことだろう。

 

 范増は、前日までの「撃破沛公軍」から今朝の仲直りまで大きく心変わりしてしまった項羽について、「為人不忍」という彼の性格を理解している。人の長所は同時に短所でもある。しかし沛公を殺す絶好の機会を逃すわけにも行かない。そこで范増は宴席から外に出て、項荘を呼ぶ。

 (この項荘について、『史記会注考証』には唐代の『史記正義』という書物に「項荘は項羽の従兄弟」と記されているとある。)

 そして「項羽は人情として沛公を殺せないのだから、おまえが入って挨拶し、剣舞を願い出てそれにかこつけて沛公を殺せ」と言い、「さもなければお前の一族(項氏)は皆、沛公に虜にされてしまうぞ」と念を押す。

 

 范増は宴席に戻り、後に項荘が続いてくる。この時、宴席の者たちにとって、この項荘の登場は偶然として捉えられるか?

 否であろう。范増が何らかの工作をしたことは誰の目にも明らかである。

 そして項羽は項壮の剣舞の申し出に対し「諾(よかろう)」と言う。

 

 この時、項羽には項荘と范増の意図(沛公暗殺)が見えていたかどうか?

 今の高校の教室ではそれは問題にもならず、「項羽にはわからなかった」が前提なのだろう。項羽はただ宴席を盛り上げる楽しみとしての剣舞を許可したに過ぎないと。項羽は直前で范増の催促を黙殺しているのだから、ここでもし暗殺だと認識したならば、許可するわけがない。項羽の行動に一貫性が無くなるから、ここはやはり剣舞への許可と読むしかないと。

 

 果たしてそうだろうか?

 沛公や張良は項壮の剣舞をどう見ていたか。項伯が立って剣舞を始めたのは、項壮の意図を見抜いたからである。張良は助けを求めて軍門の外に行くのだから、当然、危機を認識していた。ならば、沛公もそして項羽も気づかないわけがあるまい。項羽だけは気づかずに剣舞を楽しんでいたなどということがあるだろうか。

 

 では項羽の心情はどのようなものだったろうか。

 項羽に沛公を殺す気が無いのなら、剣舞の途中であっても、暗殺に気づいた時点でただちに「止めろ」と言うだろう。しかし言わないのは、暗殺を(消極的に)肯定しているからではないか。「諾」と言った時点ですでにNoからYesへの転換があったと考えるしかない。

 そのときの項羽の心中は、自分の決断で主体的に、だまし討ちに殺したくはないが、参謀范増の計画で従兄弟の項壮が実行するのであれば、敢えて反対するまでもない。その場合、自分の決断は補助的なものに過ぎないから心理的負担は軽い。ここで沛公が死ぬのは彼の運命というものだろうと思ったかも知れない。

 

 范増はもちろんそこまで計算して事を運んでいるに違いない。項羽の「人と為り忍びず」をよく理解した上で、迂回的に暗殺の承認を得る手段を講じたのだ。

 「為人不忍」の項羽でも、剣舞の許可という体裁ならばOKを出せるという、范増の思惑である。項羽もこのお膳立てならば、暗殺の許可では無く剣舞の許可だと敢えて納得して范増の巧妙なリードに乗ったということなのだろう。

 

 項伯は自分が仲直りを仲介した立場だから、みすみす目の前で沛公を殺させるわけには行かない。自分がだまし討ちをお膳立てしたことになってしまっては面目が立たない。

 項伯は項羽の心底(できるなら殺したくはない)が分かっているので、項羽の承認を得て舞っている項壮への妨害行動が許される(これもまた、ただ剣舞をしていたと言い訳ができる)。

 ただし、項羽が始めから項伯にそれ(暗殺阻止)を期待していたとは思えない。

 

 後半、樊噲が演説の中で「而聞細説、有効之人」と言っているのに対し、項羽は何も反論しない。図星をさされているからだろう。

 同じように、沛公が逃げた後、張良が「聞大王有意督過」と言うのに対しても、「誤解だ、自分は沛公を殺す計画を知らなかった」などと否定もしていない。

 

 なお、沛公脱出の後、范増が張良の献上した白璧を剣で突き毀し、「唉、豎子不足与謀」と言うのは、一般には項羽に対する失望の言葉だとされるが、これを項壮に対するものだと言う人もあるようだ。「豎子」は項荘を指すという解釈だ。あれほど言って聞かせたのに暗殺実行に失敗した項壮への怒りという解釈である。

 范増が項羽の目の前でこのような行動をすることには以前から違和感があったが、この説を知ると、そういうことかも知れないとも思えてくる。項羽に対する当てつけの意味合いを含んでいることは確かだろうが。

 

 

 我々は定説に従って解釈し、そこに疑いを持たない。自分の頭で考え、自分の感性で感じ取ろうとしない。しかし、異説はあるものだし、自分で納得のいかないことは突きつめて考えることが必要だろう。

 ヤフー知恵袋などを見ると、高校生からの授業内容への質問もよくあるが、それに対して懇切丁寧な返信をする人がいる。とてもよく説明してあると思うが、質問者からは「難しくて長くてわかりませんでした」などというコメントが返される。簡潔明瞭な答えさえあれば、どう考えたらその答えになるかの説明など不要なのだ。こういう質問者にはAIのchatがちょうど良いのだろう。知恵袋のように待つ間もなく答えが出てくる。

 

 

 ついでだが、最近、「若属皆且為所虜」の解釈について「言うことを聞かないと私(范増)がおまえのともがらを虜にするぞ」と脅迫した、という説を聞いて驚いた。

 項荘の一族とは(項荘が項羽の従兄弟であるなら)すなわち項羽を含む人々であろうから、范増がそんなことを言うわけは無いと思うのだが、項荘はここ以外に登場しない人物なので、名もない一武将とみて、鉄砲玉のように暗殺実行犯にされたという解釈なのである。しかしそんな無名の一武将が、唐突にリーダー同士の宴席に入ってこれるだろうか。項羽の顔見知りの、信頼できる人物だからこそ入れたのだろう。

 范増が項荘を暗殺に仕向けるための脅迫(やらないとおまえの親兄弟を捕まえるぞ)と解釈する説は、どうも再読文字に注目して「我、若が属を且に虜にせんとす」(=我虜若属)のようにとらえているようなのだ。

 

 ここはもちろん受身形で「沛公虜(沛公から虜にされる)」とするのが定説であり、それは、後半で范増が「奪項王天下者、必沛公也。吾属今(所)矣(私の一族は沛公の虜になる)」と言っているのにも通じるので妥当な解釈であろう。

 

 中国語のサイトでこの部分の現代中国語訳を見てみた。

范增起身,出去召來項莊,說:“君王為人心地不狠。你進去上前為他敬酒,敬酒完畢,請求舞劍,趁機把沛公殺死在座位上。否則,你們都將被他俘虜!”項莊就進去敬酒。敬完酒,說:“君王和沛公飲酒,軍營里沒有什么可以用來作為娛樂的,請讓我舞劍。”項王說:“好。

 「被他」は明らかに受身形であり、「彼から捕虜にされる」であって、范増自身が項荘一族を捕虜にするとは読めない。