雪はまだまだ降るが、木の芽はもう花開く準備が出来ている

 晴れ間の多い日が続いて、雨まで降ったのでだいぶ雪が溶け、このまま春になるかと思ったが、やはり自然は甘くない。昨日は断続的に吹雪いて、また銀世界に逆戻り。朝の雪かきも復活。

 部活は5月2日(土)の第45回定期公演に向けて台本の選定、上演許可の取得、キャスティングまで進んでいる。読み合わせの途中だが、ネット台本の一般的傾向として、それほど台詞の解釈に時間を掛けないで済みそうなので、立ちに向かいつつある。
 スタッフの方は、当然ながら装置(舞台美術)、衣装などのプランが先行している。作品の世界観を出し、キャストの動線を決めるためにはまず装置が決まらなければならない。

 スタッフはほとんどが1年生なので経験が不足している。会館にはどういうものがあって、どういうふうに使えるのかを知らない。それで経験のある顧問や先輩からのアドバイスが重要になる。
 自分も四半世紀を超える顧問歴の中で結構やりたいことをやってきたので、たいていのことは経験している。部員が出してくるアイデアの妥当性から実現可能性まで判断して説明する。
 初心者の考えがちなことは決まっているので、そういうものはバシバシ斬る。観る者を圧倒するような舞台美術を考えてほしい。












 漢文で今年も項羽本紀(鴻門の会)をやった。沛公(劉邦)が逃げ去った後、都に入った項羽の軍が略奪・放火を行うという記述がある。沛公と項羽を対照的に描写しているのだろうが、実際の所は、兵隊というものが勝利の後の取り放題という褒美を目当てに戦っているということだろう。
 「屠城」というぐらいに徹底して殺し、金銀財宝婦女他あらゆるものを略奪する。ひどい話だが、もしそれを兵士に許さなければこれまた大変なことになるだろう。だから項羽も沛公に先取りされることを恐れ怒ったのだろう。
 これは近代になってもそのままである。
 辛亥革命後の国民革命軍は、清朝末期に勢力を得たいくつもの軍閥の戦闘員の寄せ集めでしか無く、制式化された兵器弾薬もなかった。(そんな軽火器主体の装備だから日本陸軍の敵ではなかった。だから多くの場合ゲリラ戦で挑んできた)
 昭和2年、第一次南京事件の際、英仏米日の領事館を北伐途上の革命軍(南軍)が襲い、徹底的な略奪をしたのをみれば、兵隊の有り様は紀元前のままだったと分かる。(兵の後には民衆も略奪に来た)家具、調度はもちろん、ゴミための空き瓶、便器から床板、人の着ている下着まで取っていく。(これは北軍と南軍の戦闘下の出来事ではなく、北軍が退却した後の出来事である。革命軍の中の共産党員が反帝国主義などと称して主導したものだ)
 英米は報復として長江に浮かべた自国軍艦から南京城内に二百発の砲撃を加えた。しかし当時の日本は無抵抗主義で、日本の軍艦は全く攻撃しなかった。この直前にも長江上流の万県という所で英国艦隊の士官と水兵が殺されるという事件があったが、その際、英国艦隊は万県に対して報復として三千発の砲撃を加え山容改まるほどであった。ところが中国は、このように阿片戦争以来、強硬な態度で出た英国にではなく、平和的態度でいようとした日本に攻撃の矛先を向けた。
 ヨーロッパのアジア蔑視(人種差別)とともに、中国の中華思想(という屈折した自尊感情)が見て取れるではないか。


 ドレスデンへの無差別爆撃から70年だった。3月10日には東京大空襲から70年、8月6・9日には原爆から70年となる。その時、私たちもドイツのように「我々は誰が戦いを始めたか知っている」と言うのだろうか。

 日本は連合国に敗れた、とはいえ、実質は太平洋におけるアメリカとの戦いに敗れたのだ。
 その戦いは、日本の大都市すべてをほぼ焼け野原にし、核兵器を二度も使用するほどの人類史上空前絶後の激烈なものだった。いかに両者が死にものぐるいで戦ったか、いかに日本が大き過ぎる戦争をしたのかがしのばれる。しかし日本は降伏を決めると潔く勝者の前に武器を置いた。

 勝者は、日本が二度と立ち上がれないように、工業を1930年代の水準にまで落として農業国にとどめようと、工作機械を国外に運び出そうとした。(これは、ソ連満洲から工場施設を持ち去ったことやアメリカがベトナム戦争の時に、北爆で原始時代に戻してやると言ったとかいう話につながるだろう)
 戦後の日本は勝者の情けの下で生きるしかなかったが、勝者も結局、東西冷戦という反共戦争に向かうしかなかった。戦争中、(宋美齢の影響力もあって)蒋介石の中国(そして共産党)を支援して一方的に日本を敵視したアメリカも、ソ連支配下になった満州北朝鮮国共内戦後の中国を見て一気に反共へと転じていく。
 負けた日本は世界最強の国の下につくことで今まで平和に生きてこられた。しかし70年も経てば世界の構造もガタがきているようだ。第二次大戦後の世界秩序なんぞもう様変わりしてしまった。
 この変化の中で日本はどうやって生きていくのだろうか。

 様変わりを感じさせる事件の中には、かつて欧米諸国がアジア、アフリカ(そして中南米)で行った植民地政策が遠因のものが多い。あの直線の国境線を引いたのは誰だ。
 決してISISの肩を持つわけではないが、大いに反省してもらいたい。