『史記』項羽本紀、項王自刎の場面における項羽の「笑」について(3)

(2)の続き
 
6、「笑」の検討
 「天が私を亡ぼそうとしているのに、どうして渡れようか
 この言葉の意味は、予定された運命に従おうということではない。
 項羽にしてみれば、これまで天が自分に与えた窮地をすべて自力で脱し、九死に一生を得てきた。今、突然に与えられたあまりにも好都合な状況は何であるのか。これは自力で開いた活路ではない。とすればこれもまた天の仕業であるに違いない。人間は、気まぐれな運命の前に翻弄される無力な存在でしかないのか。所詮、天下統一の覇業などといっても、そんな人間の興亡など天にとっては無意味なことなのだ。そう思い至った時、項羽はその「幸運」を受け容れなかった。項羽は幸運どころか運命そのものを笑い飛ばした。人間を馬鹿にしたような天になど、どうして従えようか。今長江を渡ってしまえば、自分を一地方の王にまで矮小化することになる。それは西楚の覇王として天下を宰領する自分の「死」である。それよりは、あくまでも自分の意志を押し通し、運命に抗うことが自分らしい(人間らしい)死に方(生き方)である、と考えなかっただろうか。
 
7、司馬遷と「天」
 ここまで読んできて、はたして項羽は本当に笑ったのか、というような疑問をもたれるむきもあるだろう。太史令たる司馬遷は、どんな史料を根拠にしたのだろうか。そしていったい誰が項羽の最期の様子、言葉を記録したのだろうか。たとえば木曾義仲の最期を巴御前が語ったというように、なかばフィクションとして伝えられたものでしかなかったのではないか。もちろん、歴史的事実としてその言葉が発せられたかどうか、今となっては分からないが、当時の人々が、およそ百年前の出来事を語り伝えていた伝承の中に、その最期の様子がまるで見てきたように描写されていただろうと考えることはできる。
 また司馬遷が、その伝承に自分なりの解釈を加えたことも考えられる。たとえば伯夷列伝第一において、伯夷・叔齊は怨みの感情など持たずに死んだはずだという孔子の解釈を疑問視し、自分なりの解釈を述べているがごとくである。(注3)
 とすれば、項羽の言葉と態度はすなわち司馬遷の言葉であるということもできる。その場合、この小論のポイントも、司馬遷はどういう意図をもって項羽の最期の言葉を記したかという点に移らなければならない。
 太史公自序に、司馬遷の父談が、武帝の封禅の儀に参加できず憤死する前に言い残した「命なるかな。命なるかな。」という言葉がある。その父の遺志を継いだ遷が、「天命」という言葉に特別な思いを抱いていたとは考えられないだろうか。
 また、自身が李陵の禍を受けた際の「これは私の罪だろうか。」(注4)という言葉は、ただちに項羽の「非戦(我)罪」の言葉につながるのではないか。そうして、伯夷列伝に、有名な「天道是邪非邪」の言葉がある。天が個々の人間の幸不幸に無関心であるのはわかるとしても、人間の倫理的価値観をも超越して、悪人に安楽を配し、善人に悲哀と苦痛を配するならば、もはや我々は旧約聖書のヨブのような心境になるほかはない。(注5)
 司馬遷は「天」が人間の意図とは無関係に、ある大きな意志をもって動いていると考えていた。伯夷・叔齊は非業の死というべきだが、その不条理をも含めて、すべてが天の中にある。彼らの「命の衰えたるかな」という嘆きは、実は人間の側の価値観であって、天の知るところではないのだ。ここに、「人為」と「天」とはついに因果関係を持たず、無関係であるという認識が生まれる。しかし、司馬遷は「天」に対して重大な疑念を持ちながらも、決して「天」に抗おうとはしていない。過去の聖賢と同じように、不合理への憤りを著述へのエネルギーに変えたにとどまる。
 
(続く)