『史記』項羽本紀、項王自刎の場面における項羽の「笑」について(4)

(3の続き)
 
 伍子胥列伝第六に「人衆多勝天、天定亦能破人」とある。一時的には人が主導権を握っても、最終的には天命が勝ち人事は破れるというのである。だから、項羽のように、人間の身で運命に反抗できると思うのは誤りである。項羽本紀の太史公論賛に見られる項羽批判には、このような意味合いもあるのだろう。
 だが一方では、司馬遷項羽に対し「本紀」を立てるという最大の敬意を払っている。それは一介の浪人から身を起こし、ついに天下の覇者となった目覚ましさに対するものであるが、同時にまた、一個人にして天と争った希有な存在であることに対してのものでもあるだろう。そのように敬意を持つのは、司馬遷自身が、倫理としては正当な行為をしながらその結果非人間的な傷を受けるという不条理な運命を経験したことによるのだろう。
 最後に、司馬遷が李陵の禍を受けた後、自己の心情を吐露している「報任少卿書」の記述を再確認しておきたい。彼は史記執筆の動機を「亦欲以究天人之際、通古今之変、成一家之言」と書いている。「天人之際」が「天道と人為の関係」ということだとすれば、まさに史記の中心的テーマが、最も極端な「対立(抵抗)」という形で、ここ項羽本紀に現れていると言えるだろう。(注6)
 
8、終わりに
 我々は項羽像を思い描く時に、彼が自嘲する姿を想像できるだろうか。項羽は最後まで自らの力を信じ、「運命」に抗する人間であったと読みたい。それこそが司馬遷の意図し、後世に伝えようとするところだったと考えるからである。
 右の考察は、第四十一回東北地区国語教育研究協議会岩手大会(平成四年)での、盛岡二高二年生の研究授業を拝見していた時に思いついたことを、ようやく形にしたものである。平成十一年六月、教育実習生視察のために来校した国士舘大学中国文学科助教授(当時)河内利治(君平)先生に愚考の一端を聞いていただき、さほどの暴論でもなさそうだとの感触を得たため、このような形で公表させていただきました。最後までお読みいただいたことに感謝し、ご批判を待ちます。