思い出すこと

 オウム真理教事件7死刑囚の刑が執行されて大きなニュースになっている。自分などには、忘れた頃の執行という感じである。以下は、死刑の是非などについて云々するのではなく、この報道に関して思い出すことをダラダラと書き出してみるだけなのでご了承下さい。この事件の被害者、犠牲者の方々、なかでも坂本弁護士一家の方のご冥福を祈ります。

 印象に残っているのは、読売新聞の正月版紙面に、富士山麓の施設でサリン製造の痕跡発見という記事が載ったこと。
 それまでは、総選挙に立候補して歌や踊りの選挙運動をする変わった宗教団体という受け取りが大きかった。あの「空中浮揚」写真なんかも見ていたが、まあ信じる人はいなかったろう。山形の町中でも電柱に勧誘の説法かなんかのチラシが貼ってあった記憶があるが、どれだけの人が聞きに行ったものか。
 若い信者が教団の施設に入ってしまい、親との面会も出来ず、争奪するような場面とか、熊本の山村に施設を作るので地元民と争っているとか、断片的に批判的なニュースも出てきた。
 松本サリン事件が起きていよいよ怪しくなって、3月、都心での地下鉄サリン事件。恐るべき無差別テロが起きる。かつての極左過激派による爆弾テロ以来の驚きだった。(この間の捜査や報道が一貫性を欠いているような感じもしたが、それまでの常識からは、想像を超える事件だったということもあったのだろう)
 そして衆人環視の中での教団幹部村井秀夫刺殺事件。(この人は上祐史浩同様よくしゃべる人で、取材も受けていたが口の軽い印象だった。一般信者が粗食で修行する中、レストランに入ってステーキなどを食べて平然としていたのが印象的。マスコミ環視の中での殺害というと豊田商事会長殺害以来だったか。どちらも犯人は右翼団体構成員ということだが、謎っぽい)
 5月、上九一色村サティアンへの強制捜査麻原彰晃の発見、逮捕に至るまでの生中継。連合赤軍あさま山荘攻防の中継以来だったかな。隠し部屋で数百万円の札束を持ってヘッドギア被って隠れていたという報道は、哀れであった。
 教団の計画の全貌が知られるにつれ、その狂気とも言うべき暴走に信じられない思いだった。

 元信者の会?代表の方(ご自身、子どもを救い出すために毒ガス被害に遭われた)が、そもそも宗教団体の認可に問題ありというような指摘をされていたのはもっともなことだ。思想信条信教の自由はあるにせよ、反社会的な犯罪カルト教団が税制で優遇されるようではたまらない。(オウム真理教は、東京都庁に集団で押しかけ、認可するよう圧力をかけたようだが)

 偏った過激な思想信条信教を持った人物が、社会に対して否定的な感情、怨恨を持ち、社会に復讐する、あるいは社会を変革して自分の理想とする世界を実現したいと思う時、疑似的権威の力関係の中に未熟な若者たちを引き込んで洗脳し、過激な行動に駆り立てるという危険な例として記憶しなければならない事件だろう。

 真理は必ずしも権威の中にあるとは限らない。むしろ(俗っぽい)権威を疑う、離れてみることが真理への近道であることもあるだろう。
 あ、なんか教師っぽいこと言った、勘弁勘弁…。