雑感170626

 ノーベル平和賞受賞者、劉暁波が仮釈放されたという。劉暁波は末期の癌で病院にいるという。
 2020年までの刑期が残っているが、彼の命がその後まであるかどうか。
 彼にはブログで自分の日々を人々に知らせることもできない。
 (北朝鮮から解放されたアメリカ人が脳機能の損傷で亡くなったことを連想する)
 劉暁波の人生は1989年の民主化運動(六四天安門事件)に身を投じて以来、当局から拘束され、裁判、投獄の連続だった。2008年、零八憲章を発表、国家転覆の罪に問われた。彼の妻もまた、軟禁状態に置かれた。世界が彼の釈放を要求し、ノーベル平和賞が授賞されても中国は許さなかった。

 人民民主独裁(! 共産党一党独裁だろう)による国家政権と社会主義制度の転覆をはかったとして、国家政権転覆扇動罪で懲役刑。

 どこぞの国では、国家指導者が憲法改正をリードすればそれは憲法違反だと非難する。
 言論の自由報道の自由という価値を何か別の物と履き違えて、倒閣、政権打倒だけを目的としている者が、国民をミスリードしているんじゃないのか。

 M川という元官僚が会見の席でとくとくと語るのをありがたく拝聴する報道機関の記者たち。阿呆らしくて何が真実の報道、何が権力の監視だと思ってしまう。50年以上も新設を認めてこなかった根拠も明示できないのに何が規制緩和のプロセスに不透明なところがある、だ。バカも休み休み言え。

 特定秘密保護法、安全保障法制、組織犯罪防止法、いずれも必要ないと言い、かえって一般人の自由を束縛する、徴兵制が復活する、民主主義を破壊すると言い募るが、これほど民主的な制度の中で守られ安穏と暮らしながらその体制を言論の名を借りた言葉の暴力で崩そうとする。彼らはいったい何のために存在しているのか。
 劉暁波の爪の垢でも煎じて呑んだら良かろうと思う

 メディアの異様さがこれほどまでにあからさまになってきたのは何かの兆候なのだろうか。