2020年までの刑期が残っているが、彼の命がその後まであるかどうか。
彼にはブログで自分の日々を人々に知らせることもできない。
劉暁波の人生は1989年の民主化運動(六四天安門事件)に身を投じて以来、当局から拘束され、裁判、投獄の連続だった。2008年、零八憲章を発表、国家転覆の罪に問われた。彼の妻もまた、軟禁状態に置かれた。世界が彼の釈放を要求し、ノーベル平和賞が授賞されても中国は許さなかった。
M川という元官僚が会見の席でとくとくと語るのをありがたく拝聴する報道機関の記者たち。阿呆らしくて何が真実の報道、何が権力の監視だと思ってしまう。50年以上も新設を認めてこなかった根拠も明示できないのに何が規制緩和のプロセスに不透明なところがある、だ。バカも休み休み言え。
特定秘密保護法、安全保障法制、組織犯罪防止法、いずれも必要ないと言い、かえって一般人の自由を束縛する、徴兵制が復活する、民主主義を破壊すると言い募るが、これほど民主的な制度の中で守られ安穏と暮らしながらその体制を言論の名を借りた言葉の暴力で崩そうとする。彼らはいったい何のために存在しているのか。
劉暁波の爪の垢でも煎じて呑んだら良かろうと思う。
メディアの異様さがこれほどまでにあからさまになってきたのは何かの兆候なのだろうか。