雑感20180723

 松本龍氏が亡くなった。東日本大震災の時復興担当相になった人で、あっという間に辞任した人だ。仙台や盛岡に来て、知事相手に暴言を吐いた。福岡だかの人で、同和の神様だかの孫に当たるらしい。知恵を出さないと助けないぞ、とかオレは九州だから東北はわからんのよ。何県に何町があるか、とか言ったりしたものだ。マスコミ取材にも「オフレコだから、これ書いたところは終わり」とか言ったが、河北新報だかがそのまま報道したから大変な非難を浴びた。まったくおかしなヤクザみたいな人が議員になって大臣になって、こんな人を選挙で選ぶ地元はどうなっているのかと憤慨した記憶がある。
 しかし、自分とほとんど年の差が無かったのだなあ。

 この年になると同年代の人が次々に亡くなる。この4年間に従兄弟世代の親戚が義理も含めて5人、立て続けに亡くなっている。もう、葬式、四十九日、納骨、一周忌、三回忌が錯綜してやってくる。法事でしょっちゅう会う、残った従兄弟たちで、もうしばらくは死ぬのやめようねという話をしている。

 勤めを定年退職して更に5年間再任用を受けたが、それも限りで無職となっている。自分は何をするのが生きがいなのか。何をすることが人様のためになるのか。結局はこれまでやってきた、経験してきたことをやるのが一番なのだろう。知識も、細々ながら人脈もあるのでやろうと思うことがやれる状況にあるのはありがたいことである。まあ金は無いのだが。

 転勤のたびに段ボールに詰めて、そのままになったものなどを、いろいろ片付けしていると、忘れていた昔のものが出てくる。断捨離しなければならないのだが、なかなかできない。ポータブルのシュレッダーを借りてきて思い切って流し込む手に出ている。仕分けしてから、ではなくて、手にとって即判断して裁断する。いや、そう、すんなりとはいかないので悩ましいのだが。
 最初の赴任校で映画同好会を作って8㍉映画を撮影、上映した時の文書が出てきたりする。当時の生徒たちの名前を見て懐かしくなる。それらのフィルムは、今自分が持っている。デジタルにしたほうがいいのかな。当時の人に聞いてみようかな。

 連れの方も片付けをしていて、さっき『カムイ伝』が2巻だけ出てきたのを読んでいた。いやあ、すごい力作である。17世紀前半、関東地方某藩の武士、百姓、下人、非人という身分制度の中で苦闘する人々の姿を、山々の自然、動物たちの生きる様と平行させながら描いて行く。画力もすさまじい。与えられた状況と、その中でも自分の力で道を切り開いて行こうとする若者の激しい心。これは当時の全共闘の学生がバイブル的にしたのが今更ながらよく分かる。(自分はほんの少し遅れた世代なので直接は分からなかった
 今の若者世代にはこういった、心を奮い立たせ、行動に駆り立てるものが何かあるのだろうか? あるのだろうが、既に青年期を通り過ぎた自分には見えず、分からないのだろう。(「少年ジャンプ」の有名な漫画は、『カムイ伝』とは違う気がするが、もちろん両者の書かれ読まれる時代の差であって、根底には共通するものがあるのかもしれないが、自分にはそうは感じられないということ。)
 でも、そういう、夢中になって、世の中を人々のために変えようとする若者の志があれば、それは尊いと思うし、自分はそれを応援したいと思うし、後から来る若者の前に、こういう人がいた、という事実を残したいとも思う。
 手塚治虫赤塚不二夫の子どもたちが、今、親のことを書き、彼らの遺産を継承する。手塚、赤塚の先輩世代もいたし、同世代の人々もいた。誰しもが誰かの影響を受け、誰かに影響を与え、そうやって新たな才能は育っていく。なんか、そういう回廊だか階段だかの途中の一石になれたら本望というところなのかな。よく分からないが。

 ああ、完全退職前の予想に反して、本が全然読めていないなあ。ボソッ