会話文の文末が置き字「矣」である場合の、引用の送り仮名「ト」の位置について、教科書による違い。

 東京書籍「古典A」の教科書は、『烈女伝 孟母断機』で(曰、「…則為虜役。」)の「矣」に「ト」を送っていることに気づいた。ここは当然、「為」の後に「ラント」と送るべきだと考えて、生徒にもそう言ったのだが、教科書を見せられて驚いた次第。迂闊だった。長い教員生活の中での常識が覆ってしまった。自分が知らないだけだったのか。

 同じ教科書で論語 直躬』でも(曰、「…直在其中。」)の「矣」に「ト」を送っている。これは「在」の後に送るべきではないか。
 『史記 仲尼弟子列伝』でも(曰、「…磋乎、由死。」)の「矣」に「ト」を送っている。これは「死」の後に送るべきではないか。
 『史記 留侯世家』でも(曰、「…済北穀城山下黄石、即我。」)の「矣」に「ト」を送っている。これは「我」の後に送るべきではないか。

 ちなみに、同じ東京書籍の「精選古典B」の教科書でも同様に、
荘子 曳尾於塗中』では(曰、「願以境内累。」)の「矣」に「ト」を送っている。編集者が同じだから当然であろう。

 しかし、同じ東京書籍でも『図説国語』に掲載してある故事成語の例話『推敲』では、(曰、「推敲字佳矣。」)は「佳」に「シト」を送っている。
 
 では他の出版社ではどうか。
 筑摩書房の「古典B」教科書では、『戦国策 先従隗始』で(曰、「…馬今至。」)の「至」に「ラント」と送っている。

 また、第一学習社の旧課程「古典」教科書では、荘子 曳尾於塗中』で(曰、「願以境内累。」)の「累」に「ハサント」を送っている。
 『淮南子 螳螂之斧』では(曰、「…必為天下勇武。」)の「為」に「ラント」を送っている。
 『孟子 助長』では(曰、「…予助苗長。」)の「長」に「ゼシム」を送っている。
 
 今、各問題集を見ても、東京書籍のようにはなっていない。東京書籍の教科書が特異なのである。しかし、検定を経ているのだから、間違いではないのだろう。 

 これは何が問題かというと、「…也。」のような場合、置き字か否かの判断に迷うときに、「ト」の位置によって判断ができる、ということがあるからだ。「矣」は置き字として訓読しないのが普通だから、そういう判断は不要ということだろうか。
 もう少し調べてみよう。(生徒は別段、こんな違いについて疑問にも思わないわけだが)