森戸辰男の書

 山形県立山形中央高等学校学習センター(図書館)の壁に掛けてある額

 

f:id:hibino-bonpei:20220223113912j:plain

 

 

 右から「學不厭教不倦」「学びて厭(いと)はず 教えて倦(う)まず」

 原典は

 『孟子』公孫丑篇

 「…然則夫子既聖矣乎?」曰、「惡、是何言也! 昔者子貢問於孔子。曰、「夫子聖矣乎?」 孔子曰、「聖則吾不能。我學不厭而、教不倦也。」 子貢曰、「學不厭智也。教不倦仁也。仁且智、夫子既聖矣。」」

 『論語』述而篇

 子曰、「黙而識之、學而不厭、誨人不倦、何有於我哉。」

 子曰、「若聖與仁、則吾豈敢。抑爲之不厭、誨人不倦、則可謂云爾已矣。」

 

 落款に「創立二十周年記念日 森戸辰男書」とある。印はない。同校沿革概要によれば創立二十周年記念式典は昭和41(1966)年10月15日に挙行されたので、その際のものであろう。同校校史にあたっていないので詳しい経緯は分からないが、来賓であり、その場で書いたものと推察される。

 森戸辰男は広島の人で、明治21(1888)年生まれだから、昭和41年には満78才である。経済学、社会学者。戦前は大正9(1920)年の森戸事件で東大を追われたが、戦後は日本社会党から衆議院議員となり、片山内閣、芦田内閣で文部大臣を務めた。昭和25(1950)年議員を辞職。広島大学学長就任(1963年退官)。中央教育審議会会長、NHK学園初代校長、日本図書館協会会長、国語審議会会長を歴任。

 揮毫の時期は、ちょうど中央教育審議会会長として「後期中等教育の拡充整備について(期待される人間像)」を答申する直前だった。講演があったとすれば、熱く教育について語ったはずだ。教育には良い教師が不可欠であると。地方高校の創立記念日の来賓としては別格の存在だったろう。