2019大学入試センター試験 漢文

 大学入試センター試験も来年で終わり、再来年からは記述式の新試験になるそうだ。本当にできるのか疑問ではある。マークシート・リーダーは使えないだろうが、それなら一体誰が採点するんだろう? 県立高校入選の各校毎300枚くらいの採点でさえ、3人掛かりでやってもミスが出るのを避けられないのに、50万枚の採点にどうやって正確さと一律の公平さを担保するのだろう?
 自分の受験生時代(50年前)は共通一次試験の前で、一期校二期校の時代だから、各大学独自の試験を一回受けるだけだった。その方がよっぽどスッキリするし、自己採点後に志願校変更などの面談に時間を費やすこともなくなるのではないか。

 それはさておき、漢文の問題。杜甫の文である。内容は叔母の墓碑銘を選した時の話である。本文は前半が省略されていると思われる。
 甥(杜甫)が実子にも劣らぬ孝を叔母に対して尽くすのを訝しむ人に答えた話が中心。そして叔母の死後、諱を決めて墓碑銘を記す時の状況が書いてある。

 傍線部A
 「奚孝義之勤若此」→「奚」の疑問詞(=何)で始まっている。(その直前の「豈孝童之猶子与」も疑問文で、いつぞやの「豈」の問題が思いだされるが、今回は注に訳してあるので問題ない。なお注の数が多いのは、時間を食うとはいえ、読解を容易にするので歓迎すべきである)
 「どうしてこのように孝養に勤めるのか?」という意味だが、口語訳ではなく、そう言われた理由を問われている。傍線部は訓点が施されているので反語に読んでいないのは明らか。だから否定的な意味にはならない。
 「若」は漢文ではyoungの意味に読まないので①は問題外。⑤は「義」の解釈や叔母の困窮について本文に無いことで選べない。

 二重傍線部(ア)
 「対」について。これはもう問題集でも教科書でもスタンダードな語なのでできない受験生はいないだろう。

 傍線部B
 「非敢当是」→「不敢」に類似の形。「無理してこうやっているわけではありません」くらいかと感じるが、注では「とんでもないことです」と謙遜している風な訳になっている。問題は杜甫がそう言う理由を問うている。今回は直接に句法を問うたりせずに、その先の解釈、文翔全体を踏まえた上での解釈を要求する問題が多い。好感が持てる。
 ①は孝行を尽くした自負があるかどうか、③は「生前叔母の世話をしていた」が書かれていない。④は叔父の死が書かれていない。後半を読んで叔母との幼時のエピソードを知れば、自ずと分かるはず。

 傍線部C
 「処楹之東南隅者吉」→白文に対して書き下し文と解釈のセットで選択する問題。定番である。ここには疑問・反語・否定などの句法は無い。「」が柱を意味すること、「~者は吉なり」と読むことは共通している。「処」を「処する」と読むか「処(を)る」と読むかの違いだが、この辺は解釈(口語訳)を見比べればどちらでもあまり関係ない。これもこの後に叔母がとった行動(病気の杜甫を柱の東南に移した)を知れば容易に答えられる。さらに後段で「魯の義姑」のエピソードが語られるのも踏まえなければならない。ここもまた全文の理解を踏まえなければ答えられない、良問だと思う。
 杜甫の叔母は、自分の実の子を犠牲にしてまでも、兄の子の杜甫を生かしてくれた、その恩義を自分は後に人伝に聞いて知ったということ。これは『烈女伝』中の女性そのままであると。

 傍線部D
 「我用是存、而姑之子卒」→「用是」は「以是」と同じく、前文中の具体的事柄を受ける。「~によって」。(後段にある「是以」は前文の趣旨を受けて「そういうわけで」)
 「卒」もポピュラーな語であるし、読みが振ってあるので難しくはない。

 二重傍線部(イ)
 「乃」→「即」・「則」・「乃」・「便」・「輒」とある「すなはち」だが、「乃」は「そこで」と訳すのが一般的。選択肢を見ると、「そこで」は無いので、「時間をおいて」というようなニュアンスのものを選ぶ。

 傍線部E
「県君有焉」→「君県」は注にある。「義」というものの解釈である。叔母の行動はどういう点で「義」と言えるのか。それは「魯の義姑」の行動に重なるので、選択するのは容易だろう。

 傍線部F
 「銘而不韻、蓋情至無文」→「蓋し」も問題集などで知っているだろう。「文」は、体に入れ墨することを「文身」というように、「飾る」ということである。
 選択肢は③と④が似ているが、「後悔」についてと「徳」という語の有無で決める。⑤は「百行」を「たくさんの善行」にしているのはともかく、「長文になるので」ではない。

 全体的に内容も設問も標準的だし、知識より理解を重視する、良くできた問題だと思われる。