徒然草序段に関して 2021年度慶應義塾大学の小論文問題を見て、面白いと思ったこと 

 問題文は国文学研究者川平敏文氏の『徒然草ー無常観を超えた魅力』(中央公論新社)からの抜粋である。この中で、「つれづれ」の解釈が時代とともに変遷してきたことを述べているが、その中で、国文学者の論が同時代の文芸評論家に影響を与え、またその評論家たちの論が国文学者の研究に逆輸入されるという関係を実証的に示している。長くなるが引用してみる。(下線は筆者)

 

 「島津(久基)論文の影響は、特に評論家たちの『徒然草』観に顕著に認められる。たとえば小林秀雄は、のちに『無常といふ事』に収められる「徒然草」(昭和十七年〈1942〉初出)と題するエッセイの中で、「兼好にとって徒然とは、「紛るる方なく、唯独り在る」幸福並びに不幸を言ふのである」とし、(中略)このように昭和初期の評論には、兼好の「つれづれ」なる態度に、芸術家・批評家としての自己内省や、人生観照の精神をオーバーラップしたものが見出される。評論家が兼好に、みずからの理想を投影している部分も大きいであろう。/評論家たちが論じたこのような兼好像は、国文学の世界に逆輸入されていく。(中略)しかし、こうした新しい兼好の「神格化」に対する国文学界からの揺り戻しは、すでに昭和三十年代後半から四十年代前半にかけて起こっていた。たとえば国文学者安良岡康作は、『徒然草』の執筆動機や意識の全体を「つれづれ」という言葉に収斂させようとした小林秀雄の評論について、「つれづれ草における、作品としての統一は、そういう一語句によって代表させるには、あまりにも複雑である」(『徒然草』昭和三十六年〈1961〉)と批判した。(中略)「これを、清閑とか、閑寂とか、悠々自適とか、「まぎるるかたなく、ただひとりある」(第七五段)心情とか解して、何らかの価値ある生活感情を認めようとするのは考え過ぎであろう。することもないやりきれなさ・所在なさが、随筆の執筆を促す動機となったのである。」(『徒然草全注釈』)」

 「近代以降のこうした解釈の転変の果てに、第一章で紹介したような現代の徒然草注釈書の所説が定着する。すなわち「手持ち無沙汰」「所在ない」といった、「退屈」系の解釈である。」

 

 川平氏はここから、解釈に正解が無いことと、正解が無いからこそ古典には意味があるということを述べている。(この本全編を読んだわけではないので、この他の部分については分かりません。)

 

 今、面白いと思ったのは、自分がずいぶん前に徒然草序段ーこの「序段」についても、「序」が正しいとか、序段は無くて第一段と連続しているとか論が分かれているのだがーの解釈について小論を書いたとき、国文学者の論・解釈に評論家小林秀雄徒然草』からの影響を感じたことがあったのを思い出したからである。

 そこから深掘りする余裕も無く現在に至ってしまったけれど、今調べている「朝鮮の土地制度の変遷」についてもそろそろ先が見えてきたので、あらためて国文学のテーマでも扱ってみようかと思った次第である。

 以前のその小論では、「つれづれ」の解釈というよりは、「ものぐるほし」を中心に考えてみたのだった。この「ものぐるほし」の解釈についても、ある範囲で定着している観があるが、どうも満足できるものではないと感じている。今、あれこれ検索してみても、自分のように考える論考が全くヒットしないのが不思議である。探し方がダメなのか、自分の考えが箸にも棒にもかからないからかもしれないが…。

 

 興味のある方は読んでみて下さい。

徒然草序段の解釈について~「ものぐるほし」を中心にして - 晩鶯余録 (hatenablog.com)