雑感20180902

 アジア大会、これも若者が頑張っている。18歳、侮れない。

 雨の晴れ間、久しぶりに庭の草を取る。しっかり育ち、まるで野菜のようになってしまって、茹でて食えそうである。毎年違った種類の草が主流になるようだ。と思えば、同じ所に同じ種類が生える。どくだみも手に負えないくらい広がる。木や花の近くでない所は除草剤で一掃すると楽だ。
 草取り用のごく小さな熊手様のものや、二股の根こぎのような小道具を使うので比較的楽であるが、腰が痛い。腰掛ける台車もあるが、あまり好きではない。
 屏際には蔦が伸びてきて、地や壁を這い上り、すぐに他の植物に絡んでいく。この根は地表すぐ下を屏沿いに這って長く伸び、牛蒡のように太くなる。 伸びた紫陽花の枝を切る。庭木もどんどん大きくなるので切らなければならないが、大きい木だと素人ではなかなか手の施しようがない。枝を透かす切り方が分からない。何年か試行錯誤すればある程度分かるようになるかもしれない。

 隠居という身分は実に結構なもので、働かずに、好きなことをしていられる。一財産築いた人は、世のため人のために大事業を成したりするが、自分は財産など無い年金生活者だから、大事業は出来ない。

 小さな劇団など立ち上げて活動しているが、結局は金が必要である。仕事もせずに楽隠居を気取っていたが、どうも金が無いと好きなことも十分には出来ない。ここで初めて金のために働こうかという気持ちになる。今までも給料をもらって使われる身ではあったが、金のために働いているという意識は存外薄かった。今や自分のために切に金が欲しいという心境が分かるようになった。といって、何が出来るわけでもないので、しょうがない。これまで関わった人たちの人脈をたどって、できるだけエコ(エコロジー、エコノミー)に事が動くように考えるしかない。
 そのうち仙台か福島に出て公演してみたいと夢見ている。中心になる若い人が定着してからだろうが。