今朝は雪だった

 夜は雪になると予報で言っていたが、山の方の話かと思っていた。

 朝起きて屋根や庭が白くなっていて驚き。4月30日に積雪があるなど経験が無い。

 記録では最も遅い積雪は、130年前の明治25(1892)年5月2日だという。今生きている誰も経験の無いことである。平年値は4月8日だとか。入学式頃に雪が降るのはわかるが、平地に積もるのは希では無いか。

 今朝の雪は、しかしすぐに消えて無くなった。

 今日、車のタイヤを冬から夏に交換した。これは予定していたこと。たまたま雪の日に当たった。12ヶ月点検である。

 

 就職して1ヶ月、連休に入って少しは疲れを取ることができる。就職前のだらっとした感じよりは、体がきびきび動くようになったようだが、それはやはり疲れることだ。

 初心に返っていろいろ調べ、こちらの知識を一方的にしゃべらないように、生徒に考えさせるようにと試みている。なにせ漢文だけ、かつてやり慣れた教材ばかりなので、長年の習慣でほっておけば自動的に語ることができるので困る。録音再生機である。

 かつてはそういう自分を誇るような時期もあった。今考えればそんなこと専門家の足元にも及ばない、表面だけの知識に過ぎない。いかに自分が知らないか分からないかを自覚し、答えを共に追究することが、自分にも生徒にも大事なのだ。でも少し気を抜くと一方的にしゃべってしまう。いかんいかん。

 受験校なので、生徒には初見の文章に短時間で対処するスキルが必要になる。それはやはり訓練でしか身につかない。だから予習よりも授業と復習が大事になる。しかし今の生徒は復習しないのである。覚えたつもり、分かったつもりが一番危険である。 

 

 学力考査というのがあって、独自の問題を作成するのだが、次回は過去問から出題ということになっている。教科の部屋のロッカーに整理してある過去の問題をあざいてみると、なんと昭和59年の問題が見つかった。物持ちの良いことである。そして自分の作った問題に再開した。38年ぶりだ。当時はワープロなどないから手書きである。RISOグラフで印刷したと思うが原稿は方眼紙に鉛筆で手書きしていた。それ以前はボールペン原紙で、ゲーハーとかいう手回し輪転機で印刷したかと思う。原稿から印刷用原版(紙)を作る機械もあった。それ以前は鉄筆とヤスリでロウ原紙に書いていた。印刷は謄写版で1枚1枚の手刷りである。今の人はそんな経験は無いだろう。

 技術の進歩によって楽になった面と、逆に多忙になった面がある。短時間に多くのことができるようになったのだから当然だ、その分遊べる訳ではないのだから。

 

 一見して難しい。当時は平均点20点とかでも、出題者も生徒も平然としていたと思う。なんだろう、それでも生徒たちは、自分はできるという、そういう雰囲気(根拠無き自信)がみなぎっていたように思う。実際、最後には入試に向かって力を発揮していくのだった。今はそういう熱というか鋭さというか、そんなものが薄いように感じる。