オリンピック観戦 フェンシング男子エペ団体

 オリンピックをテレビで観戦している。昨日はフェンシング、男子エペ団体戦に感動した。40年ほど前に高校の部活で顧問をしていたので、全くの素人だったけれど少しは知見がある。9年間関わって、後は演劇部に関わるようになり、遠ざかってしまった。

 当時、エペやサーブルは男子のみの種目だった。そしてサーブルには電気審判器は使われなかった。「突く」場合には剣先のポイントで作動するが、「切る」動作では方法がなかったのだろう。今ではサーブルも電気審判になっているはずだ。

 当時は、選手は背後にケーブルを着け、それをリール(巻取機)で常に張っているので、「猿回し」などと揶揄する人もいた。今は無線になり、動きの制約もなくなっている。古いリール(かまぼこ形)を使っていたので、よく故障して泣かされた。

 当時の電気審判は得点された方のランプが点灯する(減点法)ので、一般の人が見ると最初は戸惑うのだった。今では得点した方に点灯している。マスクの中が光るのも昔はなかった。昔は床屋の看板灯みたいに縦長で、色ランプが積み重なったものだった。

 ピスト(競技する台。ここから両足が出ると一本取られたことになる)は細かい金網が敷いてあり、電気回路がまわっていて、床を剣で突いても反応しないようになっている。エペは全身何処でも、足の裏でも、ほどけた靴紐の先でも、早く突いた方の勝ちである(同時の場合は両者の得点)。そこで、床を突いても反応しないようにしなければならないのだ。

 昨日の決勝などは、日本選手がすこぶる好調で、一瞬の相手の虚を突くのが目立った。まるでレッスンでもしているような、きれいなファンデブ-からトゥシュが決ったのには驚いた。(なぜか日本の剣道的な感覚のように感じた。)

 ただ接近してもつれると、ヨーロッパ選手の剣捌きに一日の長があるようだった。

 昔はソ連の教本の翻訳を見て、背中へのフォーク突きなどに驚いていたもので、ロシア、本場フランス(用語はすべて仏語)を破っての金メダルは予想外の驚きであり、うれしさである。選手、スタッフ、協会の皆さん、おめでとう!!

 しかしエペは、昔の高校生のイメージだと、間合いを取ってあまり動かない印象だったが、昨日はほとんどフルーレに近い動きに見えた。もしかしたら剣が軽量化されているのかも知れない。

 電気審判はあるが、最終的には人間の審判が判定する。「用意(エトブプレ)」、「開始(アレ)」、「止め(アルト)」の合図の他、得点の説明をしなければならない。特にフルーレでは攻撃権の有無が重要なので、ただ先に突いても、剣が一度払われて(パラード)いればダメである(攻撃権がなくなる)。凄い速さでこのやりとりがあるので、審判が見極め、説明して判定するのである。だから審判のミスもあるし、なかば恣意的な偏った傾向の判定もある。すると監督は本部の技術委員会に訴える。その結果、格上の審判が側に来て試合を見ることもあった。なにせ高校生の試合では大学の部員が審判をしていたので、なかなか気分屋の学生もいたのだ。

 

 一方、同時に行われていた女子サッカー決勝トーナメント1回戦(準々決勝)だが、グループリーグと同様に、見ていて勝てる気がしなかった(ほとんどエペを見ていたのでところどころしか見ていないが)。もちろん得点はしているのだが、攻めきる、勝ちきるという展望がない。相手に比べてあまりにも非力だった。

 こちらの競技にも素人なので、一観客としての勝手な感想に過ぎないので、間違っていたらごめんなさい。

 まず体格差。身長の低い選手ばかりを選んだのかと思うほどだった。まあ、女子高校サッカーはあまり普及しておらず、身長の高い子は伝統的なバレー、バスケ、ソフトなどの部に行ってしまうのかもしれない。一般に体の小さい子が多いように感じる。

 走力。とにかく走るのが遅い。歩幅が相手より無いんだから、回転を速くしないと。

 トラップ。受けたパスを足元に収められていない。自分のものにして次の動きにつなげることができず、跳ね返しては相手に取られている。これは基礎・基本でないのか?

 蹴ったボールにスピードが無い。ロングパスも活用できていない。ペナルティエリアに切れ込む勇気が無い。

 他にも守備の不徹底とか選手交代とか、いろいろ言われているようだが、選手全体に覇気を感じられなかった(特に後半)のが一番残念だった。選手個々には闘志を持っているのだろうが、チームとして一丸となって相手ゴールに向かっていたのかどうか。

 そうなるとこれは監督の責任である。

 

 自分の、素人顧問としてチームを指導しきれなかった過去を思い出しながら、テレビを見ていた。この歳でも、思い起こす悔いは鮮烈なのだ。