雑感 2020年11月3日 金木犀の呪い?

 庭の金木犀が5メートル近くの高さになって、道路標識にかかり、電線にかかりそうなので自分で剪っている。幹は分かれて上の方は5本くらいになっている。素人だからyoutubeで園芸専門家の動画をみて参考にした。2年くらい自分で剪ろうか本職に任せようか迷い続けた。最初の頃は到底手が出せない感じに見えたが、5年近く庭をいじって来てみると、椿を剪った経験もあってか最近はどうも自分で剪れそうな感じがしてきて、思い切って取りかかった。脚立を立てるスペースが取りづらいので手前から剪っていくが奥の方が届かない。土曜日に大きく手前半分くらいまで剪って、日曜日は切った枝葉の後片付け。今日、残りを切るつもりでかかったが、雲行きが怪しいし疲れてしまい、最後の高い枝が残っている。仕方が無いから幹の下の方で切ることにする。素人だから時間が掛かるし、切った後も無様な感じに見える。ま、木は生きている限り枝葉を出して成長するので、気にしないでおこう。

 土曜日の深夜というか日曜日の未明というか、切った木の付近の路上から奇妙な声が聞こえた。歌うような発声練習のような長く曳いた声だ。自分は寝ていたが、連れと息子が起きて、様子を見に行こうかどうしようか迷っている内に聞こえなくなったらしい。これはもう金木犀の祟りじゃないかということで、翌朝、塩を撒いた。次の夜、続いたらどうしようと怖かったが何も起きなかった。

 千歳山の阿古耶の松の話で、大木を途中まで何度切っても一晩で切り跡が元に戻るというバリエーションがある。木こりたちが大鋸屑を片付けると、元に戻らなかったという話だ。切り倒された松は押しても引いても動かない。峠を越えて宮城県に運び、名取川に掛け渡す橋の橋脚にしなければならないのに。そこで阿古耶姫が松に一言ささやくと松はするすると動いたという。それで、ささやき(笹谷)峠と言うようになったんだと。

 山川草木悉有仏性というのは、西洋だと樹木の聖霊みたいな考えになるのだろうか。

 庭いじりもまめに少しずつやれば楽しいものだ。樹木は放っておくと大がかりな剪定が必要になって危険だし、年と共に高所作業も出来なくなって行くだろうから、今のうちにやっておくことにしたのだ。…ここは借家だけど…。

 小鳥が多く来るせいか毛虫が湧いたことがない。蜘蛛や蜂や青虫はいっぱいいるが。や、小鳥の休み場所を奪ってしまったか。すまないがこの冬はどこかで休んでくれ。

 

 今日3日は昔の「明治節」。明治天皇の御誕生日。旧暦だと9月22日だったらしい。(崩御されたのは明治45年7月30日)生前ご在位中にはもちろん「天長節」と呼ばれていた。戦後、昭和23年に「文化の日」になった。明治天皇嘉永5年(1852)御誕生なので、今御存命であれば168歳になられる。昭和天皇明治34年(1901)ご誕生なので、今御存命なら119歳になられる。

 こうしてみると、百歳以上の人が何万人も居る現在、江戸末期など「ついこの間」という感じになるではないか。

 

 さてアメリカでは大統領選挙の投票日、270人の選挙人をとるのはトランプかバイデンか。今はまだ夜が明けたばかりだが、日本時間明日の昼前には何らかの結果が報道されるだろう。恐ろしいような気もする。