雑感 2020年11月2日

 今日は疲れているけれど、書きたいことも溜まってきたので頑張って書いてみる。

 

 今の職場に入っていく道。正面に千歳山が見える。両側のハナミズキが紅葉していて、赤い実がなっている。きれいだ。

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 正門を入って玄関に至る坂。針葉樹が並んでいる。とても緑が多い。

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 小論文指導をしているが、今は推薦入試の書類(志望理由書など)発送の時期。ぎりぎり最後まで詰めようとする生徒がいる。一方、山形大学の総合選抜は今日が二次試験の発表日だった。11時前にサイトを見て、一次選抜結果のPDFを開いててっきり合格したと思い込んでしまったが、間違いを指摘されて不安になりながら待つ。11時ちょうどに発表され、一次合格12人中5人(定員は4人)の二次合格者に入っていた。最初の担当合格者。英文を読んでの小論文だったので英語の先生とALTとの指導。おめでとう。

 自分も「仕事した」という実感が湧いた。

 

 

 山形演劇鑑賞会が解散と決まった。コロナの影響で退会者が多かったとのことだが、もう何年も前から衰勢は蔽うべくもなかったので、疫病は一つのきっかけにすぎない。立て直しのための実効的な具体策も無く、新会員を入れてくださいと言うばかりでは行き詰まるのも目に見えていた。二年前か、総会で「地域のアマチュア劇団とタイアップして、若い劇団員たちに格安の会費で入会してもらい、一方これまでの会員はアマチュア劇団の公演を格安で(あるいは無料で)見られる(会員証提示)」という相互交流のやり方を提案してみたが、実現はしなかった。そういう手段も、やるならもっともっと前に行うべきで、すでに手遅れだったのだ。

 先日、阿部先生の回顧録?を読んだばかりで、50数年の歴史に幕を下ろす日が来たことに感懐は深い。

 

 

 山形市周辺の演劇シーンというのは、公民会主催の公演の他はいくつかの小劇団が蛸壺的に活動しているが、相互の交流ははなはだ少ない。まあ、同じ学校の部活やサークルを中心にしたほぼ同年齢のメンバーが劇団を立ち上げるわけで、気心の知れた仲間内でやりたい劇をやるというのが動機だから、それぞれに好きにやればよいともいえるだろう。だから共通の利害になるだろう事柄についても一致して行動することが無い。たとえば井上ひさしが「七日町に劇場を」と言ったとき、鑑賞会を初めとした演劇関係者がほぼ無関心で、何のムーブメントも起こせなかったこと。まあ、シベールさんなどが、こまつ座が上演できない小規模劇場では意味が無いと考えたせいもあるのだろうけれど、惜しいことをしたと思う(この辺は自分が誤解しているかも知れません)。

 町中の、いつも何かしら上演している小劇場という存在は是非とも欲しいところだ。

 そのシベール・アリーナの閉館危機に際しても地域演劇界から支援の動きが無かった。東ソーさんに救われたが、あの素晴らしい小屋がなくなることがどれほど山形市周辺の演劇環境に打撃になるか、アマチュア劇団関係者には感じられなかったのか。

 

 

 若い人が地域アマチュア劇団を集めてプロデュース公演のようなことをしている。昨年は創作劇を大ホールで上演した。今年はコロナの影響で遅れたが、昨日1日今日2日と小ホールで後藤ひろひとの「北大阪信用金庫」を改作した「北山形信用金庫」を上演した。県内の団体を集約し、たしか山形演劇リーグという名前になったと思うが、組織化をはかっているはずだ。プロデュース公演の方は全力演劇という名で行っている。

 これは画期的な動きなのかも知れないと思って注目していたが、しかしこれも一部の人が集まっているという感じであり、何か新しいものが生まれるようなワクワク感に乏しい。

 

 

 で、ここからは今日観た芝居の感想になるのだが、こういう感想は直接アンケートに書いて渡すべきだ(とくに厳しい意見は)という人もいる。けれど、ここは自分の書きたいことを書く場だし、別に上演した人に届かなくてもいい独り言として書くつもりだ。なお、この作品は山大の舞台工房さんが2010年10月に遊学館で上演したものを観ているので二度目になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何より演出の無策が腹立たしい。何も出来ていない。アフタートークの際、作者を前にして「話はくだらないので笑わせれば良いかと思った」というような発言があったが、よくもプロを前にして言えたものだ。笑わせることができていたらまだしもだが、自分の聞いた会場内の笑いは「白笑い」というレベルでしかなかった。それも分からないのか。台詞は皆早口で、最初から最後まで「全力で」叫んでいた。これは前回の大ホールで上演した芝居でも同じだったが、すぐに観客の耳と心は麻痺する。高校演劇の世界で嫌と言うほど聞かされてきた、「言葉の粒立て、歌うな叫ぶな、受ける間」といったことを彼等は聞いたことが無いのだろうか。話がくだらないから会話のリアリティーは無視してかまわないと思っているのだろうか。大部分の台詞が何を言っているのか聞き取れなかった(マウスシールドということを考慮しても)。そして台詞の発せられるリアリティーを全く表現しないでただ台本どおりに叫んでいるから、観客には何も伝わらないまま、単発的なギャグに表面的、反射的に反応するだけで時間が進んでいく。これは演劇ではない。みているのが苦痛だった。

 照明。あの舞台にあれだけの機材をセットし、ムービング、スモークまで使って何がしたかったんだ。明る過ぎて奥行きも意味づけも感じられない照明だった。

 音響。子供が耳を蔽っていた。音量レベルはリハで演出がOK出したのだろうが、オペレーターは自分の耳で聞いてどうだったのだろう。選曲はただ賑やかだった。

 これら効果が、効果として有効に機能しないのは、そもそも台本の理解が浅いからに他ならない。これも演出の読み込み不足としか言えない。

 こういった演出態度(方法とは言わない)で作品作りを継続して行くとして、地域の人たちは「演劇」に向き合って、好きになってくれるだろうか。今日のような舞台に1500円払って楽しみにして来てくれる人数がどれほど増えるだろうか。そもそも全力演劇の彼等はそういうこと(地域演劇の普及振興)を目標にしていない(自己満足に終始している)のではないだろうかと思ってしまう。

 いやそれならそうでかまわないのだ。彼等の自由なのだから。ただ自分はもう行かないと思う。(今度は後藤ひろひと自身がオーディション、演出、出演すると言ったから、その時は観るだろうが)