暮れゆく令和元年

今年もあと九日。短い一年だったような気がする。天皇の代替わりがあったが、自分の生涯で二度も経験するとは思わなかった。それほど昭和は長かった。自分が生まれてからでも平成より長いのだから。(まあ物心ついてからは同じくらいか)

 

今年もいろんな方々が物故されたが、今月、中島敦彦が亡くなったのが自分としては思いがけなかった。「ゆれる車の音」とか良かったし、彼の脚本(「ギラギラの月」劇団ハートランド)で演劇部の公演をさせていただいたこともあったので。

 

 

 

 

 

 

 

世界はすっかり戦後体制から変わってしまい、新たな世界秩序を模索しているようだ。

米ソ冷戦の時代、大気圏内核実験が頻繁に行われ、その放射能を含んだ雨が日本にも降り、(今でもその時のストロンチウムとか残っているだろう)「ハゲるー」と言って笑いながら走っていた子どもはその所為か、確かに禿げてしまった…。核戦争の危機が叫ばれたが、相互確証破壊という理論でそれは回避されてきた。ところが今やそれも崩れつつあるようだ。新たな核危機。

国内政治では自民党社会党の二大政党+民社党共産党でずっと続いた国会だったが、次々と野党再編が為されて民主党という野党が政権交代を勝ち取り、失い、社会党はいつの間にか絶滅危惧種のようになってしまった。

韓国はいよいよ反日の政治姿勢を顕わにし、国家間の信頼はほとんど無くなりつつある。

中国は史上初めて海洋軍事国家に転身しようとしている。陸上でも新シルクロードによって影響を広げ、大帝国を築こうとしているかのようだ。

ベトナムは、かつて旧宗主国フランス、そしてアメリカと戦って勝利したように、中国人民解放軍を打ち破った。しかし今、南シナ海上では軍事的に劣り、中国の良いように島や海底油田を奪われつつある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

憲法9条改定について、某地域弁護士会主催のシンポジウムがあって、それをyoutubeで見た。割と有名な弁護士二人が賛否の立場に分かれて意見を述べていた。否定側は、現在は政府の自衛隊合憲の方針で良いが、将来的には自衛隊(戦力)を解消する方向に行きべきだと言った。丸腰で良いのかという質問には、かつての非武装中立論の焼き直しのようなことを言い、(先の大戦で多くの国民が無闇に命を失った反省から)何より国民の命が大事なのだから、軍事衝突にならないように抑制するべきだ、というようなことだった。確かに、一方的な空襲で一般市民が殺されていくのでは、犬死にと言うほかないが、それでも疑念は残る。

「豚になっても生きろ」は文化大革命下の中国で迫害された人の言葉だが、しかし豚になってでも生きられた人はまだ良かったのではないか。人権、人間の尊厳を全く無視したやり方で多くの本当に多くの人が殺された。

ベトナムは、フランスとアメリカとそして中国と戦って勝った。多くの犠牲を払いながら。今中国が強大な軍事力を持っているからといって、日本がその侵略に対して戦わずに降ったならば、ベトナムの人は日本人をどう見るだろうか。軽蔑まではしないとしても、決して尊敬するようなことはないだろう。

侵略者に対しては、国民の生命・財産を守るために自衛隊員が犠牲となって戦う。彼らが全滅した後には、国民は相手に降伏するよりほかないだろうが、忘れてはならない。内モンゴルチベットウイグルがどのようにして国を奪われ、言葉を奪われ、伝統文化を奪われつつあるかを。

豚になってでも生きれば命だけは守られる。2000年続く王朝と文化を持った国家の民としての独立も、自由も、矜持も、尊厳もなく…。