雑感20190107-2

 この歳になって、何か地元の演劇振興に寄与できることはないかといろいろ考えてみるが、人付き合いをしてこなかった所為で、この道の師とか頼れる人、同志?がいない。孤軍奮闘と言えば勇ましいが、独り相撲になったらわびしい。
 社会人劇団というのか、アマチュアのみなさん働きながらよく芝居作りしていらっしゃる。仕事帰りに集まって稽古するだけの意欲、熱意を持ち続けるのは本当に敬服するばかりだ。

 でも一方で、山形市民25万人(山形県の人口100万人(=仙台市の人口)の4分の1)の文化活動の中で演劇の占める部分はどれくらいあるのだろう。
 名のある俳優が出演する芝居が来れば、それはみんな高い入場料出して観に行くだろう。しかし市民が日常的に地元で芝居を観ることがどれくらいあるか(あるいは日常的に観られる芝居環境があるのか)というとその機会は少ない。(映画館は持ち堪えましたね、フォーラム長沢さんの努力は大きかった。)
 観客となる人が少ないことと、演劇活動をする人が少ないこととは相関していて、両方とも以前に比べて少なくなっている。悪循環…。

 長く関わった高校演劇についてみても、演劇部数の減少は当然のことながらマイナス要因だが、卒業後その経験が切れてしまうのも惜しいことだ。地元大学に進学すれば、2~3年は学生演劇で活動できるが、その先の就職で多くはさらに県外へ出てしまう。演劇サークルのない進学先ではその段階で終わってしまう。
 ある程度、高校生の時期に演劇の基礎の出来た人が、地元に多く残り、少しでも芝居作りに関われる機会、場所、時間があれば良いと思う。
 大学から始める人も多いのだろうが、伝統あるサークルならば先輩の適切な指導があるだろう。何でもそうだけれど、一から(ゼロから)始めるのは大変だ。
 ふらっと立ち寄って観た芝居に感動して、自分も一度やってみたいなと思う人が出てくるような環境。そんな人が次には舞台に立てるような環境(そりゃ初めては下手でしょうけど、中には意外に達者な人もきっといると思う)。そうやって浸透していく道があっても良いんじゃないかと思っている。
 ポイントは、「①発表場所を一定にする。②発表の頻度を上げる。③入場料を低く抑える。④長く続ける。」だと思う。もちろん作品の内容と表現の充実は前提として必要。また、地元の人の脚本でやるということもポイントになるだろう。