雑感20180917

 この土日は2日で11本の芝居を観た。高校演劇の地区大会で60分以内の芝居を10本。それに地元アマチュア劇団「楽天夢座」さんの旗揚げ30周年記念公演、萩尾望都原作・野田秀樹作『半神』。さすがに疲れた。

 今年の山形地区大会は例年になく生徒創作が多く、10校中8校が生徒創作脚本での上演だった。しかも全体にレベルが底上げされていた。惜しくも県大会に推薦されなかった中に既成脚本の2校が入っていたのは偶然か。既成脚本は全国のどこかの演劇部が上演した作品で、それなりに評価された作品なのだろうが、その作品の持つ力の源泉を読み取り、自分たちの解釈で表現するのにも力量が求められるということだろう。例えば関西弁を山形弁に置き換えるという脚色は発想としては良いが、今の高校生が、祖父母のいる家庭以外では、ほとんど方言を知らないという問題がある。微妙な方言のニュアンスが飛んでしまい、ただ乱暴な感じだけが伝わってしまったのではなかったか。いっそ共通語(という言い方すら古い感じだが)で演じたらどうだっただろうと思う。でも亡くなった母と不登校の息子の会話に心打たれる部分があった。

 一方、役者のレベルは総じて比較的高く、バランスが取れている部が多かった。山形中央などは生徒創作の脚本も意欲的な上に、感心するような役者がいて、県大会推薦漏れが惜しまれる部もあった。上山明新館は一定のレベルの役者がそろっていて、講評にもあったように安心して観ていられたし、何より観客の心に強く伝わるものがあった。大仕掛けな舞台美術や大人数による動き、過剰な演出などによる迫力で観客を圧倒しなくても、芝居は成り立つということを再認識するものだった。

 全体に前灯りの使い方が無神経な感じがした。顔、表情がよく見えない舞台が多かった気がする。逆にサスを全灯点けて、何もない部分も照らすというのは、照明の意味が無いのではないか。音響ではやはりレベル。同じチャイムを何度も大きなレベルで使うのは観客が嫌になるので止めた方が良い。効果でなくて邪魔になっている。県大会会場は山形市民会館より間口も奥行きも狭く、中割幕の位置なども違うので、装置や照明のプランをよく練り直してがんばってください。


 夜の部を観た『半神』。30年のキャリアは素晴らしい。この間、劇団員が更新されているのがバイタリティー維持のポイントなのだろう。内容については、萩尾望都の原作マンガに、レイ・ブラッドベリィの『霧笛』を重ねたもの。両者ともごく短い作品だが、深い深い想いが込められている。
 自分の中の自己愛と自己憎悪。一方を失い半分になった自分は、取り返せない半分を思い出し愛おしみ、満たされない永遠の孤独を感じる。
 野田秀樹の恐るべき想像力から生み出され、動き回る猥雑怪奇な神話たちのイメージがよく表現されていると思った。これらの怪物たちとともに、家庭教師の青年と老科学者が芝居を回していく。スフィンクスの謎の答えは常に人間。2分の1と2分の1を足した4分の2は、4本の足と2つの頭を持つ怪物=結合双生児のマリアとシュラ。
 難解な芝居だが、今年はあちこちで上演された当たり年だったようで、4月には山形西高校の定期公演でもやった。同じ中央公民館の舞台。セットは違うし大人と高校生なので演技もずいぶん違うが、芝居の肝は双方とも観客に伝わっていたと思う。お疲れ様でした。