20170901雑感

 先日Jアラートが来たが、携帯から離れていて気付かなかった。
 朝早くからこんなことで起こすなとか言う人もいるようだが、何かあったら誰かがこれで命拾いするかもしれないというふうに考えられないのかと思う

 小学校低学年の頃(もう何十年も前だ)学校の図書室で薄い古びた冊子を見た。日本赤十字社の発行だったと思うが、救急対処法のようなもので、その中に原爆への対処として、光ったら背を向け、白いものを被れというようなことが書いてあった。自分はへーと思って、そんな場合はきっと実践しようと記憶したのだった。それは、その後いろいろな被爆体験記や広島・長崎関係の書籍を読むごとに再確認されてきた。

 当時は冷戦のさなかで、アメリカ合衆国ソビエト連邦(これも歴史的名辞になりつつある)も中華人民共和国も大気圏内核実験を繰り返していた。第五福竜丸を上げるまでもなく、放射性核物質が日本上空にも流れてきて、子どもは、雨にあたると髪の毛が抜けると言いながら雨の中ではしゃいでいたものだ。そのせいか今では髪の毛が薄くなってしまったが…。
 核戦争の危機感も今よりはずっと現実味があって、石森章太郎の「赤いトナカイ」なんか記憶に残っている。(前にも書いたような気がするが)

 通常爆薬の弾頭でミサイルを撃ち込まれても、せいぜいビルがいくつか壊れるくらいであろう。スカッドが200発あっても、すべてが東京都に連続的に着弾するとか、原発に何発も当たるかしない限り、たいしたダメージは無いだろう。第二次世界大戦時、ドイツがV2ロケットでロンドンを空襲した際も、実際の被害よりも心理的恐怖感の方が強かったという。この場合もガラスや破片の飛散から身を守るために必要なことはある。
 核弾頭であったらなおさら警報が必要だ。広島や長崎の人々は不意打ちを食らったので無防備な日常生活の中で最悪の被害を受けた。庭にいても石灯籠などのちょっとの影に入ったり、屋内でも窓際にいるかどうかでその後の運命が分かれた
 だから警報は必要だし、対処法も知っているべきなのだ。だが、これに対して、戦争を前提としたものの考え方を悪として排除するような言説がある。あまりに無警戒なその態度が、一層の被害をもたらすということを考えないのか
 戦争に限らず、日常的に訓練して備えている自衛隊員が、大災害時にどれだけ超人的な働きで民間人を救ったか。ダイ・ハード」の主人公のような人物が周りにいなかったら、不用意・無警戒・無防備な我々(自分の家族、友人)はむなしく傷つき死んでいくしかないだろうが、それでいいのか。

 北朝鮮が日本上空を通過して弾道ミサイルを撃っても、実質何も反撃されないのだったら、次も同じように撃つだろう。予告通りに中国・四国上空を飛ばしてグアムより手前に落とすかもしれないし、東京上空を通過させるかもしれない。日本はどの時点で何をするのかしないのか。アメリカ領土に危害が及ばない限り、アメリカ軍が何かしてくれることはないだろう。北朝鮮がそうしても大丈夫だとなったら他の国だってやるかもしれない。
 北朝鮮が核弾頭のミサイルを北海道の原野とかに撃ち込んだら、世界はどう対処するだろうか。どこかの国が核兵器で反撃してくれるのか。日本は72年前に2発の核爆弾で攻撃されたが、その無差別非人道的な攻撃が世界で非難、否定され悪として裁かれることは無かった。あの2発は日本の自業自得だというのだろう。では次の1発は? 北朝鮮は過去の日本の朝鮮半島支配を理由にして攻撃を正当化するかもしれない。(国連にはいまだに敵国条項がある。)世界は、中国・韓国を初めとして、アメリカをも含めて、それを認めるかもしれない。核攻撃を前にして、日本は北朝鮮の要求(多額の賠償金とか科学技術の無償移転とか竹島対馬などの領土割譲、日本海での漁業権剥奪、日本国内の在日朝鮮人の権利の極限までの拡大とか)に抗することができるか。

 と、いろいろ考えてみるが、人それぞれに考えはあるので読み飛ばしてください。ただ、核兵器を持った独裁国家がすぐ近くにあって、日本に対して決して友好的ではないという状況はどうなんだろうと考えることは必要だと思うのです。