今日も歩いた

 今日も徒歩通勤。主幹道路の路面は、凍った圧雪で凸凹のツルツルであったが、グレーダーで削られてアスファルトが見えるようになった。小路に入るとまだまだザクザクだったり、ツルツルだったりするが明日は車で行ってみようと思う。

 3年生は今日は小論文講演会。明日から2次試験向けの講習。自分の担当するのだが、まだ志望先によるコース分けが判然としないので明日は様子見ということで出番無し。

 センター試験の漢文問題。新井白石の随筆で、日本漢文だった。そう深い内容ではないのだが、所々読みにくい箇所があって、生徒はつっかえただろう。
 「蓋」を「けだし」と読めずに「なんぞ」と読んでしまった者が多い。 「盍」「蓋」を「なんぞ~ざる」と再読するので間違ったのだが、この場合は「蓋知、後之於今、…」のように返読(再読)していない。だが、「蓋知、」の部分が「蓋ぞ知る、」と反語っぽく読めそうな気がしたのだろう。
 この文は長くて、後の方に「猶今之於古也」という部分があり、「猶ほ今の古に於けるがごときを」と訓読している。文末の「也」は読んでいないのだ。この「ごときを」から返読して「知る」に返るのだが、倒置されていて、ちょっと分かりにくかったかも知れない。「蓋ぞ~を知らざらんや」みたいに直感してしまったかもしれない。
 「千載之上」「千載之下」も分かりにくかった。「千載」自体は『千載集』で知っているわけだが、「流芳千載」のように「千年」という意味で覚えていたかどうか。そして「上・下」の解釈がピンと来なかったかもしれない。
 一つ不満があるが、それは「為」を助動詞に読んだ場合に、書き下し文では平仮名にするように指導しているのだが、センター試験では「為り」「為る」と漢字で表記していることだ。これでは、漢字で書き下しているものは間違いだという判断になってしまう。まあ過去問の指導の際にそのことは言ってあるが、授業と違うことが出てくるのは遺憾である。

 APAホテルの部屋に置いてある書籍の問題。いわゆる南京大虐殺について否定的な内容があるというのだが、大体に於いてその残虐行為は、口にする当人達の常識から出てくるもので、およそ日本人の感覚ではできないことである(通州事件を見れば一目瞭然)。
 自分たちの悪行を隠すには、その行為を相手のやったことにしてしまい、自分たちは被害者になりすまし相手を非難する正義の立場を主張するという手があるのだ。
 まんまと成功して、大虐殺は世界の定説になっていると言うのだが、文字の国では古代から真実の歴史を記録することに命をかける人々がいたではないか。その国の末裔がいかに捏造しても、せいぜい100年ももたないで嘘はばれ、真実が明らかにされるだろう。中共自体、古参党員からの聞き書きで党の真の歴史を記録しているはずだ。公表はされないだろうが、書庫の奥に大事に保管されて、将来日の目を見る機会を待っているはずだ。