雪かきのせいか肩が痛い

 雪の降らない冬かと思っていたが、いきなり積もって、それが湿った重い雪だったので雪かきで疲れた。最初に頑張りすぎた。その疲れがどっと出たのか、このところ夕飯後すぐ寝てしまうような状態だった。
 何日か雪が続いた後、暖かくなり、大寒だというのに夜から雨が降って路面からすっかり雪が消えたのは驚きである。沖縄で雪が降るのも驚きだ。南の島に雪が降る、か。除雪車が除けていった雪の山もずいぶん溶けた。春先のようである。山肌も白くない。これで終わりだと助かるが、そうは問屋が卸すまい。でも2月下旬の合同発表会頃には消えていてほしいな。

 合同発表会の準備であれこれ考え、作業しているが、連絡はやはり電話が確実だと知る。メールはなかなかチェックされない。返信が来ない。民間では有り得ないことかも知れないが、この業種はメールで仕事しないのだ。開封通知を見て未開封の人に電話するとすぐ動く。

 ネット印刷を使ってチラシを印刷した。安い、速い。パンフレットもこれでいこうと思う。ただ、テンプレートの使い方がいまいち分からない。

 稽古の方はじわじわ進んでいる。1年生演出は頑張っているが、なかなかうまくはいかない。初めてなのだから当然であるが、うまくいかないで悩むところから進歩は始まる。人に学ぶということの大切さも知る。
 演出は、こんなふうにしてください、とイメージを伝える場合と、具体的に台詞の速さ大きさ、動き方を指示する場合とがある。その指示の場に応じた使い分けがなかなかできない。役者が今どちらを必要としているのかを判断して対応できるにはやはり経験が必要だ。
 作者には確固たるイメージがある。細部に至る構造が分かっている。しかし、第三者が脚本を読んでどこまでそれを理解できるかは分からない。作者が直ぐ傍にいるから説明できるが、もし遠くの場所、時間において説明無しに演出したらどうなるか…。まあ、全国の高校演劇では多くの場合こういうこと―作者の意図をくみ取れない、筋違いの演出―が起きているのだろう。
 似たようなことだが、再演してみると、脚本の出来不出来が分かるような気がする。役者や演出者が変わっても同じような感動が伝わるなら脚本として成り立っているのだろう。高校演劇のスタンダードな作品が全国で繰り返し上演されるのも分かるような気がする。



 再任用もまた1年が終わりに近づいてきた。来年は雇ってもらえるのか。顧問でいられるのか。
 やりたいことはやれるときにやる。人生、先はそう長くない。
 しかし、もう書かないんですかと言われ、自分はもう書かないのだろうか? と自問すると、はたして自分の中に創作意欲がどれほどあるのかわからなくなってくる。〆切という強制力がなければ人は書けないのかも知れない。