好好学習 天天向上

 天津の大爆発、深圳の大規模な土砂崩れ。産業の発達した都市近辺でこうした巨大事故(人災)が起きるのは、やはり急速な発展の歪みが露わになっているのだろうと思ってしまう。
 日本でも明治時代の足尾銅山だの昭和の公害だのがあり、それらの原因となった企業体質や法律を改善して今日があるのだから、中国もやがてはそれらを克服していくのだろうか。

 無尽蔵の人的資源を活用し、数で経済的優位を得てきたのだが、公平な富の分配が行われないために、格差はすさまじいものになっている。まあ、100メートルまで堆積した土砂のごときものだ。アベノミクスの恩恵が中小企業に及んでいないというようなレベルではない。
 蟻のように扱われてきた国民一人ひとりが人権を主張し始めると、国家(党)は逆にその数の膨大さに対応できない。

 清朝末期の革命による中華民国の誕生。北伐、日中戦争国共内戦を経て中華人民共和国の誕生。労働者・農民が偉くなり、旧支配層、金持ち、地主、知識人は階級的に敵とされた。北朝鮮でいう「成分」というやつだ。取って代わったものの専門的な知識を欠く者が教条主義的な浅知恵で進める事業は甚だしい徒労と無駄を生む。だから初期の共産党は旧満洲の日本人にさまざまな方面で協力させ、技術を教えてもらっていた。しかしやがて大躍進運動が悲惨な結末を迎え、餓死者の山が築かれてはじめて毛沢東も失敗を認める。雌伏を強いられた毛は権力の回復を企て、文化大革命を発動する。こうしてさらに10年間に及ぶ物心両面での混乱と破壊が重ねられた。

 米国、日本との国交回復で息をつき、民主化の機会もめぐってきたが、天安門広場での学生・市民虐殺でそれを弾圧し、世界から非難され制裁を受ける。それでも日本は最初に援助を再開した。

 だが江沢民以降、反日宣伝が強化され、尖閣諸島国有化を機に暴動が起こされると在中国の日本企業も略奪、焼き打ちされた。
 先に富める者から富めという経済の疑似資本主義化が行われたが、それは国営企業が一部特権者の食い物にされていく過程でもあった。そのころには、かつて中国にもあったはずの老舗の商習慣というか商売のモラルなど、もはや残ってはいなかっただろう。


 こんなことを書いてしまったのは下の図を見て感じるところがあったからだ。

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 これはwikipediaの「紅衛兵」の頁にある図だが、上の方に鉛筆で書かれた文字が読みたくて、書道の先生と考えた結果、「好好学習 天天向上」だと判明した。「習」は簡体字で羽の半分だけで習の字になる。「上」は草書のように「∴」と書いてある。毛沢東が小学校一年生に語った言葉だという。

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この写真は某ブログから無断で拝借しました。不都合があれば削除します。

 いや、引っ掛かったのはその文字よりも先にこの絵であって、毛沢東語録をかざし、メガホンでスローガンを唱え、ペンで威嚇するその図柄(要素)が何かに似ている気がしたのだ。
 …その答えは意外というか、やっぱりというか、この三題噺みたような物が、今の日本の学生によって?描かれた図の中にあったのだった。メガホンは電化されているが。