中華人民共和国によって死刑・無期懲役刑に処せられた日本人戦犯はいない

 中華人民共和国によって裁判にかけられた日本人戦犯で死刑・無期懲役刑に処せられた者は1人もいない、という記事があった(まさかと思ったが、確かにそうであった)。
 一方、中華民国における戦犯裁判では多くの処刑者が出ている。GHQによって日本から連行され、二度と帰れなかった人も多い。南京事件関連のいわゆる百人斬りで有罪とされ銃殺された2名もそうである(これを中共による裁判と誤解していた)。
 
 中共によって裁かれた戦犯は「撫順戦犯管理所」に入れられた1200~1300人であり、その大部分はソ連によってシベリアに抑留されていた人が中共に引き渡されたものである。1950年のことで、終戦よりすでに5年経過していた。長い抑留生活の末に中共支配下の中国に送られた人々の心中はいかばかりだったろう。
 ところが撫順戦犯管理所では強制労働もなく、衣食・衛生も十分な生活であり、レーニンの著作などを勉強するだけであった。その中で「認罪学習」が行われ、戦犯たちは自分の戦争犯罪を自ら綴り、反省するに至った。1956年の裁判で40数名が刑を言い渡された(他は起訴免除)が、抑留期間と戦犯管理所収容期間とで刑期が相殺され、そのまま釈放、帰国した。中共、特に周恩来の指示命令でこのような温情に満ちた処遇が行われ、その結果、鬼のようだった日本人(軍人、官吏)の心もあらたまったのだった…。これを「撫順の奇跡」と呼ぶ人もいる
 
 しかし、日中戦争終結後の国共内戦下では満州に取り残された日本人に対する迫害が残酷・熾烈で、長春包囲戦(チャーズで知られる)や通化事件においての餓死、虐待死のみならず中共八路軍)による人民裁判で多くの(一般人も含む)命が奪われている。それが、国共内戦共産党の勝利に終わると一転して戦犯を優遇するようになったのだ。
 満州を占領したソ連軍は日本軍(関東軍)を武装解除し、その武器装備を譲渡された八路軍は一気に国民党軍と対等に渡り合えるようになっていた。
 
 厳しいシベリアの抑留生活から再び敵国の収容所に送られた人々。そこは「捕虜収容所」ではない。起訴されて未決の囚人として拘留され取り調べがあるわけでもない。外部との面会、通信はできない。祖国日本についても一方的に与えられる情報しかない。日々共産主義を学習しなければならない。不安と自棄。数年経ち、所長が訓示して、罪状は自分で述べなければならないと言う。つまり、嘘でも「自分の犯した罪」を自白しない限りここから出さない、ということだ。
 その後、精神に異常をきたしたり自殺をはかる人が続出した(NHKドキュメント「認罪」によれば自殺者は6人。内2人が亡くなったと)。
 そしてある日、集会で最初の1人の告白がなされる…。収容者たちは認罪学習に励み始め、「三光」に沿った証言をするようになる。
 
 6年後、帰国した戦犯たちは、当時の朝日新聞の記事によっても、明らかに洗脳されているとみなされていた。彼らは「中国帰還者連絡会中帰連)」を組織して様々な活動をする。証言集『三光』を発行したのも彼らである。
 
 北朝鮮にもみられるこの「自己批判」は、キリスト教での告白・懺悔のような感じだが、中国では1951年からの三反五反運動、1966年からの文革を思い起こせば分かるように、言うか言わないかがポイントであって、内容が事実か否かは関係ない。
 いかなる自己弁護も通用しない。そして、要求される方向性に合致していればいるほど高く評価される。合致するまで何回でも自己批判文を書かされる。
 文革の場合なら、左傾すればするほど良いので、皆が競って極端な言葉を吐き、相手を右派と言う。
 当事者でなくても、批判すべきとされた者に対しては何が何でも批判しなければならなかった。その対象者を弁護したり、黙っていて態度を表明しないこともできない。批判しなければ矛先は自分にも向けられるからだ。正邪、黒白を逆転させてでもその対象を打倒しなければならない。
 
 撫順の場合は批判すべきとされた対象は自分であり、相互告発もない(NHKドキュメントによれば同室の者、以前同所属だった者同士で過去の行動を指摘し合うことはあったようだが)分、精神的負担は少なかったかも知れない。しかしその告白した証言は永遠に相手の手に握られ、日本を永遠に告発し続ける材料とされている。
 
 
 昨年12月に日本の首相が靖国神社を参拝しても一昨年のような大規模な反日デモは起きなかった。もちろん「起こさなかった(起こせなかった)」のであろうが。尖閣の領海侵犯もこれ以上はエスカレートできず、自爆的な経済制裁もできず、11月に防空識別圏を設定したものの実効的な運用など出来ず、もう打つ手は歴史問題の蒸し返ししかないのだろうか。
 「日本は戦後体制を変えて軍国主義を進めようとしている」という批判。もう随分昔から日本国内でもさんざん聞き飽きた「軍国主義の復活」。いまさら世界中に触れ回ってどうする気なのか。韓国にならっていわゆる従軍慰安婦問題まで蒸し返そうとしているようだが、韓国の狂信的反日に乗ろうというのか(反米反日盧武鉉大統領を、「常軌を逸しているようだった crazy」と評した米人がいた)。
 
 大戦後68年。アメリカが肩入れした中共戦勝国中華民国を台湾に追い落とし、全土を共産化するとともにウイグルチベットを併合した。その後、建国より22年の1971年にアルバニア決議によって中華民国の跡を継ぎ、初めて国連に加盟し常任理事国の地位に就いた。
 連合国だったソ連アメリカは核を持って対峙し、冷戦が世界を二分してあちこちで代理戦争が起こされた。同じ共産圏でも中国とソ連が対立したりもした。
 一方、長い間西欧の植民地だったアジア各国は日本の占領が解かれると元の宗主国(イギリス、オランダ、フランス)が戻ることを拒絶。戦争によって独立を勝ち取った。ソ連の崩壊によって冷戦も終わり、今では資源・宗教が絡んだ地域民族紛争が頻発している。
 日本は連合国に占領されたが、様々な改革を経て独立を回復し平和国家としての道を歩んできた。
 つまりこのように、世界は変化しているのだ。大戦後の戦勝国による世界支配構造などとうに変質してしまっている(大戦の結果を未だ解消できていないのは分断された半島だけだろう)。それを、自己正当化の手段が他にないから、まるで昨日大戦が終わったばかりであるかのようにして蒸し返す。国連の敵国条項まで引き合いに出す。撫順戦犯収容所や抗日記念館を世界のジャーナリストに公開して宣伝する。はたして世界がその主張に理解を示すだろうか。
 
 
 ついでに、
 南シナ海の3分の2を自国のEEZとし、漁業規制をしようという一方的主張。なぜそんな無理を通そうとするのか。中国沿海の海洋汚染と乱獲により漁業資源が枯渇し、漁船が遠出しないといけないことと、中国自体が既に石油の純輸入国で、中東・アフリカからのシーレ―ンを確保したいためだろうが、南シナ海沿海国のベトナム、フィリピン、マレーシア、インドネシアはとうてい認めないだろう。中国はどうする気なのだろう。領土拡大の野望を持っている軍国主義者は誰なのか。