JFK暗殺から50年

 50年前の今日(といってもダラスとの時間差は15時間あるから日本なら明日23日午前3時半になるか)、ケネディ大統領が暗殺された。自分は小学生だったが、朝起きてすぐに親から知らされた。この朝、初めての日米テレビ同時中継が行われることになっていて、それが大統領の訃報を伝えたのだ(我が家にもすでにテレビはあった)。現役大統領の暗殺というとんでもない出来事に、新聞も大きな扱いだった。
 
 当時から「真実」に迫ろうとする研究者が様々な角度から調査を続けてきた。自分はそれらの本を読んだり、いろいろな映画作品やテレビのドキュメンタリーを見たりした。しかし、「私が大統領を撃った」という告白すら数種類あるのだから、もう藪の中である。
 
 ただ、現場で撮影された映像がたくさん残っているので、これは非常に重要なてがかりになるはずである。モーマン(ムアマン?)夫人の撮ったポラロイド写真から暗殺者の姿(バッジマン)を抽出したという研究グループも出た。ザプルーダーフィルムにもライフルを持つ帽子の人間が映っているとされる。今や、銃撃音入りで大統領にスタビライズされた映像さえ見られるようになった。その映像では、どう見ても前から弾丸があたっているようにしか見えないが、それでは後方のTSBD(テキサス教科書倉庫)ビルにいたリー・オズワルドには撃てないことになる。
 
 
 
 ケネディ大統領暗殺からさらに50数年前に、満州の哈爾浜で伊藤博文が暗殺された。この時の状況は原書房から伊藤博文暗殺記録が出版されているからかなり詳しく知ることが出来る。安重根は見物の人垣の中から身を出して拳銃を発射した。警護のロシア兵士の股の間から撃ったという証言もあるようだ。 だから銃創は下から上になるはずだというのに、上から下に向いていたということもある。
 真犯人は安重根以外にいるという説もある。駅舎の2階から騎兵銃で撃った者がいるというのだ。
 (この辺を脚色して何か(マンガですが)書こうと思ったこともあるが、できなかった。)
 安重根は日本の元勲伊藤博文の暗殺に成功するが、結果は皮肉にも朝鮮が日本に併合されるという道を早めることになった。まあそれで半島の近代化が急速に進み、現在の発展にも繋がっているわけであるが。
 
 
 暗殺者が賞賛される社会とはいかなる社会か。
 史記の刺客列伝に登場する者たちは、いずれも暗殺に失敗し無残な死を遂げるが、その精神は書き残された。彼らは刺客としての役割を自覚していた。何か正しい社会をつくるために暴君を倒したとか政治的主義主張に殉じたというような英雄ではなく、単なる殺し屋であるが、暗殺すべき相手を見てその人間的すばらしさに感じ、任務を放棄し、それでは依頼者に背くことになるので自殺した者もいる。
 さらに言えば、今日、井伊直弼を殺した者たち、(暗殺ではないが)ロシア皇帝ニコライ一家を殺した者たち、チャウシェスク夫妻を殺した者たちが賞賛されているか? 朝鮮王家でその末期に繰り広げられた(大院君派と閔妃派の)暗殺の応酬はどう評価されているのか。
 テロリズムは卑劣な、人間性に悖るものだ。それをこの現代に賞賛するようなことは論外である。
 
 伊藤博文ヒットラースターリンのような独裁者ではなかった。彼を殺したとて、何が変えられるわけでもなかった。伊藤が身を以て進めた明治維新のような国内改革こそが必要だったのだ。しかし、王室はその古代的あり方を変えることはなかった。改革派の金玉均は中国で王室の刺客から暗殺され、その遺体は祖国において五体バラバラにされて晒された。
 かの国の侮日の風潮が道を惑わしたのか。結局は一進会のような団体が日本との合邦を目指すが、もはや日本としても我慢できないところに来ており、併合という形になってしまう。
 
 中国やロシアに頼って日本を牽制しようとするやり方は、半島としての地政学的制約なのだろうか、今に至っても変わらないようだ。変わったのは、国際的なデマ宣伝手法が組織的に広く執拗に行われるようになったことだ。これも中共の手法にならっているのかも知れないが。