自作高校演劇脚本⑤『リトル・マッチ・ガール』

『リトル・マッチ・ガール(狼少年版)作・佐藤俊一

 

時  現代の冬の夜(クリスマス)および過去(四〇年前) 

所  現代の日本のある町角  焚火(石油缶で)のできる空間 他 

キャスト

 少年、光山成文(みつやましげふみ、小学五・六年~中学一・二年くらい)

 男1、光山こと朴成文(六十歳くらい)

 女、方子(まさこ、六十歳くらい)

 男2、通りすがりの男、辛(しん)

 少女A、携帯売りの少女(高校三年生くらい)

 少女Bティッシュ配りの少女(大学一年生くらい)

 少女C、マッチ売りの少女を探している少女(小学三年生くらい)

 通行人・先生・生徒・その他、前の七人が兼ねる

 

初演 2003(平成15)年

 

 


   音楽が始まり、客電落ち、暗闇となる。

   背景幕の上に映像が写し出される。(北朝鮮への帰還船の映像)

   闇の中に男の姿が浮かび上がる。厚いコート、帽子、リュック。

   男、抱えていた箱を前に置き、蓋を開ける。

 

男1  何も入っていない。空っぽだ。箱を開けて老人になった話があったが、年をと

    った私には箱を開けても何も起きないのか。

    …おや? あなたも、箱を持っていますね。大事そうに抱えていらっしゃ

    る…。中には何が入っていますか?アルバムですか?お金ですか?

    …やはり空っぽですか? 中身を失った空の箱は何のためにあるのでしょう?

    おわかりでしたら教えてください。

    え、わからない? わからないって。じゃ、なぜその箱を捨てないんです?

    教えてください。教えてください。誰か教えてくれ!


   男2、登場。


男2  おまえの首でも入れるんだな、パクソンムン(朴成文)!

 

   男1、一瞬身を固くするが、振り向かず。


男1  ここまで追ってきたか。執念深いことだ。

男2  命令に忠実なだけさ。


   男1、身を翻して箱を投げつけ、逃げる。男2、男1を追って去る。

   暗転

   やがて音楽がクリスマス風に変わり、明転

   舞台にはベンチがある。(ボックスでも可)

   少女A登場、大きめの箱と幟を持っている。幟には「格安!プリペイド携帯」の

   文字。

   幟をベンチに立てかけ、ベンチに腰を下ろす。傍らに箱を置き、商売の準備。

   短いスカートで、寒そうな服装。


A   うー、寒。死ぬ。(ティッシュを取り出し、鼻をかむ。ティッシュ、使い切っ

    てなくなる)


   少女C登場。暖かそうな衣服。大きな絵本を抱えている。


A   (携帯にメールあり。見てみるが)なにこれ。(消す)


   C、ベンチのAを見つけてじっと見ている。やがて近づいてくる。


A   (携帯をかける)…。(消す)なんで出ないのよ…。

C   マッチ売ってる?

A   ああ?

C   マッチ、売ってる?

A   売ってないよ。売ってるのは、ケータイ。

C   携帯かー。

A   買う?

C   ううん、持ってるからいらない。ほら。(と自分の携帯を見せる)

A   …そう。

C   これみんな売らないと帰れないんだね。

A   まあね。

C   かわいそうなんだね。

A   まあね。

C   この携帯使ったら、いいことあるの?

A   はい?

C   売れなくて最後には自分で使うんでしょ。そしたらいいことあるのね。

A   …話、見えないんだけど。

C   私ね、「マッチ売りの少女」探してるの。

A   まっちうりのしょーじょ?

C   今日みたいな冬の夜に、マッチが売れなくて死んじゃった子。

A   …ああー。残念でしたね。私はマッチ売りじゃなくて、「携帯売りの少女」み

    たいな。

C   ちょっと違ったね。

A   いや、かなり違うけど…。

    それ、探しても無駄じゃないかな。実在の人物じゃないもん。

C   いるわよ。きっといる。見つけたら、私のお家に連れていって、たくさんおい

    しいもの食べて、あったかいお風呂にはいって、いっしょにおやすみするの。

A   ああそう。見つかるといいね。実は私もお腹ペコペコなの。お家に連れてって

    くれないかなー。

C   あなた、マッチ売りの少女じゃないじゃない。

A   (ムッとして)それはそうとして、もう九時だよ、家の人心配しないの。

C   だいじょーぶ。(ベンチに座る)

A   (独白)何がだいじょーぶなんだ?最近の小学生はわからんなー。


   (腹の鳴る音)ああ腹減ったなー。昨日からろくに食ってないもんな。

   通行人、通る。


A   あ、携帯いかがですかー。年末特別大安売り、一万円ポッキリで三カ月、何の

    面倒もないよ。

    ちぇっ、行っちゃった。…さっぱりだなあ。


   ティッシュ配りの少女B登場。

   再び通行人、通る。A、声をかけようとするが、


B   はい、どうぞ。新年二日から営業してまーす。よろしくお願いしまーす。

A   あらら、ちょっとー、人の営業、妨害しないでよね。

B   ええ? 何?(幟を見て)携帯売ってるの?

A   そうよ、これ売らないと生きていけないんだから、私。

B   大げさなこと言ってー。高校生でしょ、どこでそんなもの仕入れてきたの。

A   何よ。立派なアルバイトでしょー。

    あんたこそどこのティッシュ配ってんのよ。

B   (無視して)そっちは何? 妹?

C   私、マッチ売りの少女探してるの。あなた、マッチ売ってる?

A   わけわかんないでしょ。これ私の妹でも何でもないからね。そんな誘拐犯見る

    ような目で見ないでよ。

B   マッチじゃなくて、ティッシュ。配ってるだけだけど。

C   ふうん。(ポケットからお菓子を出して食べ始める)


   通行人、通る。すかさずA・B同時に声をかける。


A   携帯いかがですかー。年末特別大安売り、一万円ポッキリで三カ月、何の面倒

    もないよ。

B   はい、どうぞ。新年二日から営業してまーす。よろしくお願いしまーす。

 

    通行人びっくりして逃げ出す。


A   ちょっとー!

B   何よー!

C   まあまあ、二人ともそうとんがらないで。これでも食べて仲良くしなさい。

    (とお菓子を出す)

 

   A・B、毒気を抜かれ、ベンチに三人並んでお菓子を食べる。


A   う、うまい。もう一つくれない?(拒否される)くれよー。


   二人もめている間に、Bの携帯から着メロ。


B   はい。あーもうすぐ終わります。はいはいちゃんと配ってますよ。一人に一

    個、めんどくさがってまとめて渡したりしてませんから、御心配なく。

 

   A、むりやりお菓子を取り上げて食べている。


B   ちょっとー! ちっちゃい子供相手になんちゅうことしてんだよ。

A   だって、もうまる一日何も食べてないんだものー。この携帯買い取るのにお金

    全部使っちゃって、一文無しなんだもん。(泣きべそ)

B   馬鹿ねー。なんでそんなことしたの。

A   一台五千円で買い取って、一万円で売ったらぼろいかなーみたいな。でも、一

    台も売れないしー。

B   何台あるの?

A   五台。

B   ふうん。今時のプリペイド携帯は、もっと安く手に入るからね。

    …これはプリカじゃなくて電話代が内蔵されてるやつだね。

A   そう、なんも面倒なことないの。すぐ使えるよ。どう? 助けると思って一台

    買ってくれない。

B   甘ったれんじゃなーい。


   しばしの空白時間。人通りも途切れている。


A   …寒いわ~。

C   寒ーい。

A   ストーブが欲しいわ。(あたりを物色しはじめる)

B   また甘ったれたことを。(しかし、寒そう)

A   これで焚火できるんじゃない?(捨てられた一斗缶を持ってくる)

C   焚火、焚火!

B   焚火はいいけど、何、燃やすのよ? どこに薪があるのかなー?

A   うーん。あっ、それそれ。(Bのティッシュに目をつける)それ、燃やしちゃ

    おうよ!

B   何言ってんの、だめよー。

A   どうせただでくれてやるんでしょー。人に鼻かまれるより、ここで私たちの体

    温になったほうがよっぽど幸せにちがいないわ。

B   むちゃくちゃ言うんじゃない。こう見えても、私は責任感の強い人で通ってる

    んだ。郵便物を捨ててしまう郵便配達みたいなことができるもんか。

C   私も、暖まりたい…。

A・B ……。

B   …しょうがない。(ティッシュを取り出し、一枚ずつひねっては一斗缶に入れ

    る)

A   話、わかるじゃない。

B   いいから、マッチかライター、出しなさいよ。

A   やだなー、あんたまで。私はマッチ売りの少女じゃないんだから。

B   持ってないの?

A   煙草吸わないし。

B   やだ! こんなにしちゃって。火がつけられなきゃ意味ないじゃない!

A   あなた煙草吸わないの?

B   吸ってたけど、やめるんで、今、ニコレット噛んでんの。ネオシーダーだとタ

    ールが多いし。(当時まだ電子タバコは無かった)

A   馬鹿みたい。

B   言い出したのはそっちでしょ!


   三人、黙って座り込んでしまう。寒々とした空白時間。

   通行人、通る。すかさず、A立ち上がって声をかける。


A   携帯いかがですかー。年末特別大安売り、一万円ポッキリで三カ月、何の面倒

    もありません!


   しつこく追いかけるが、相手にされないのであきらめる。

   Aの携帯に着信。話し始める。

   戻ってくるところに、大きな荷物を背負った女が走って登場。

   二人ぶつかって倒れる。


女   きゃああ~!

A   おおっ、痛えー!(倒れた拍子に携帯が壊れる)

C   おばあちゃん、大丈夫?

B   おばあさん、大丈夫ですか?

A   私はどうでもいいんかい!(携帯を見て)あっ! ああっ! 壊れてるー!

女   ああああああしが折れた~。

B・C おばあさん(ちゃん)!

A   そんな婆さんの足より、これ、これどうしてくれんのよー! 

    途中だったのにー!

女   なに? ばあさん~?(と立ち上がる)

A   婆さんじゃなくて携帯!

女   携帯? 携帯電話なら…そこにそんなに持ってるじゃないか。一台ぐらいで、

    きんきん騒ぐな。

A   足、どうしたのよ。

女   え? よう聞こえんのだが。

A   ばばあ。

女   ばばあ~?

A   聞こえてんじゃないよー。

B   まあまあ、たいして怪我もしてないようだし、穏便に穏便に。

A   これ、弁償して。

女   わたしが悪いわけじゃないだろ。弁償なんか、するか。

A   じゃこれ買って。

女   いらんわ、そんなもん。

A   …信じらんない。(壊れた携帯を見て)携帯ないなんてー。どうすんのー。

C   おばあちゃん、もしかして煙草は吸いますか?

女   煙草か、大好きだ。

C   じゃ、マッチ持ってますね!

女   ああ。なんだ、マッチが欲しいのか。(袋の中から大きな徳用マッチ箱を取り

    出す)

B・C おおお!

女   しかし、おまえさんたちはどう見ても未成年じゃないのかな。

B   違うんです。煙草じゃなくて、焚火。これに火をつけたいんです。

女   ああー、そうか。


   B、女の徳用マッチ箱を受け取り、一斗缶の中の紙に火をつけようとする。


C   おばあちゃん、マッチ売ってるの?

女   いいや。持ってるだけで、売らないよ。

C   ふうん。

A   ばあさんのこと、マッチ売りの少女じゃないかって思ってんだよ。(笑)

女   ぎくっ。

A   マッチ売りのばあさんなんて、いないよねー。(笑)

女   初めから婆さんだったわけではないわい。

AC  え?

女   私は、毎年毎年、年末の町に出て、哀れな少女を探しているんだよ。

    なぜなら、私もマッチ売りの少女だったんだから。

    私が最後のマッチを擦った時、天国のおばあちゃんが迎えに来てくれた…。

    そして時は流れ、私は次の少女を迎えるおばあちゃんになったのさ。

    …もう何人の子が私の姿を見て天国に旅だったか…、数えきれないわ。

    なんちゃって。

C   …おばあちゃんになる前に来てほしかった。

A   来てほしくなかった。

女   信じないのかい? 本当かも知れないだろ。

A   いーえ、確実に、絶対に、明白に本当ではありません。

女   この世にはね、不思議なことがいっぱいあるんだよ。

A   あんたの存在が一番不思議だよ。


   一斗缶に火が入る。炎がちろちろと見える。四人、あたる。


B   あー燃えたー。

C   あったかい!

女   さて、このマッチを擦ってしまったな…。

B   え? まさか金取るの?

女   金などいらん! ただ、このマッチを擦ると、その人の望みが…

A   かなうの! じゃ、私、私の

B   バカなこと言ってないの。そんな「木曜ストーリーランド」みたいな話がある

    わけないじゃない。(当時そういうアニメ番組があった)

    「これは本当の、マッチでございます」とか。

女   これは、ほんとうの…


   C、マッチをひったくって一本取り出し、擦ろうとする。

   何度も擦るが、つかない。


A   な、なにすんだよ!(取り返す)

C   あたし、あたし、おかあさんに会うんだ!

A   おかあさんに会いたきゃ、さっさと家に帰りなさい。その携帯で迎えに来てく

    れって…

B   もしかして…。


   C、泣き出す。


B   …わかったわ。(Cの肩を抱く)

A   何がわかったって?

B   鈍感。

A   何なのよー。信じらんない。

女   なんだ、悪いこと言ったかな。あたしゃ、ただ、このマッチを擦ると…

A   ええいうるさい!(マッチを投げ捨てる)

女   わああ。(走って拾いに行く)

B   あなたも、マッチ売りの少女みたいにマッチ擦ったらおかあさんに会えるって

    思ってたのよね。それでマッチ売りの少女を探してた…

A   じゃあ、この子のおかあさんは…。天国じゃ、携帯、圏外よね。


   B、Cの携帯を手にして見、それをAに渡す。


A   これ、オモチャじゃん。

    おかしいよ。この子も、このばあさんも。マッチで願いがかなうんだったら世

    話ないよね。おばあちゃんといっしょに天国へ行ったなんて、結局、道路で凍

    死したってことじゃない。生きてるうちは誰も助けてくれなかったのよ。

    ひどい話じゃない。

女   傍目(はため)からは惨めでも、本人は幸せっていうことがあるんだよ。

 

   闇の中から幽霊のように男が現れる。厚いコートに帽子。古い大きなリュックを

   背負っている。

   幕開きの男である。ただし、箱は持っていない。


男1  マッチを、ください。

A   え? …マッチはないけど、携帯なら、

女   マッチが入り用なのかい?

男1  ええ、ずいぶん探しましたよ。今時、街頭でマッチを売る人なんかいません。

    もうタバコ屋もめったに見ませんしね、自動販売機ばかりで…。

A   スーパーに行きゃ、いくらでも買えるじゃん。

男1  ええ、そうです。しかし、私が探しているのは、こんな雪の日に、いたいけな

    少女が…(ちらと女を見て)…売っているような、そんなマッチなんです。


   A、女のマッチ箱を取って


A   何本、買いますか?

男1  一本、火をつけてください。

A   何? ただつければいいの? 一本、千円よー。お金持ってるー?

男1  それは、高い。

A   じゃ百円。これ以上まけられないわよ、いいわね。


   A、マッチを擦る。火がついて、男の顔が浮かび上がるが、すぐ消える。


男1  もう一本。


   A、マッチを擦る。何も起きない。


A   アチッ、アチチ。ねえー、何なの? 火傷しちゃったじゃない。治療費含めて

    五万円ね。

男1  高い。

女   そりゃ私のだ。金などいらん。

男1  このマッチもだめなのか…。

B   あなたも誰かに会いたいの?

A   こいつもマッチ売りの少女探してんのか?

女   あんたが自分で擦ればいいのさ。

    あれ?(男の顔を見て)あんたは…、光山(みつやま)さん…。

男1  え? 誰だあんたは。

女   …ずっと昔のことだよ。私もあなたも子供だった。

男1  光山と名乗っていたのは、もう四十年も前のことだ。

女   あなたはいつも箱を持っていた。

男1  箱…、箱はもう、ない。

女   光山さん、帰ってきたのね。

男1  私は、もう光山成文(しげふみ)ではない。

女   あなたが行ってしまう前、お盆にはよくいっしょにお墓参りに行ったわね。

    あなたの家のお墓はなかったのに、変ね。

    あなたはマッチを擦って提灯に火をつけてくれたわ。

男1  …マサちゃんかい?

女   そうです。方子です。

男1  ああ、確かに面影がある。懐かしいなあ。でもよく私のことが分かったね。

女   分かりますとも。ずーっとずーっと待っていたの。

男1  待っていてくれた? 私を?

女   ええ、あの日から、ずっと…


   音楽

   少年が箱を持って現れる。男2が反対側に現れる。前景、暗くなる。

   前景の人々退場。

   少年、大きな箱を持っている。常に持ち歩いている。その中には、少年曰く、

   「狼」が入っている。しかし、他の人にはもちろん狼は見えない。

   公園かバス停か、少年が座っているところに男がやってくる。少年の箱を気にし

   ている。


男2  その中、何入ってんの?

少年  オオカミ。

男2  オオカミ? ああ、ぬいぐるみ、ね。

少年  本物だよ。

男2  入んないだろ、そんな大きさじゃ。

少年  信じなくてもいいよ。

男2  嘘ついちゃいけないよ。嘘つくと、ほら、狼少年みたいになっちゃうよ。

    あ、こりゃいいや、狼少年(と、少年を指さす)。

少年  信じなくていいって。

男2  見せてごらん、その中。開けてごらん。

少年  おじさんには見えないよ。

男2  あー、そう来るか。正直者にしか見えない狼ってか。嫌だなーそういうの。

    自分だけ正直者でございますって。

少年  信じなくってもいいって。

男2  まあいいか。君が信じてる分には誰にも迷惑かかんないし。その狼は、君のペ

    ットってわけだ。

少年  ペットじゃないよ。僕の友達だよ。

男2  どっちでもいいけど。あー、名前あんの?

少年  オオカミ。

男2  名前は?

少年  僕?

男2  狼。

少年  僕はオオカミじゃなくて、この子がオオカミ。

男2  じゃなくて、狼の名前聞いてるの。

少年  この子? 僕のオオカミ。

男2  「僕の狼」ね。その「僕の狼」は、いつからその箱の中にいるのかな?

少年  「僕のオオカミ」じゃなくて、「君のオオカミ」でしょ。おじさんが言うんだ

    ったら。

男2  あのね、それは名前じゃなくて「呼び方」でしょ。人によって変わったんじゃ

    名前にならないだろ!

少年  このオオカミは…名前は…「ボク」だよ。

男2  ぼく?(独言のように)朴? 韓国から来たのか? まさかな。

少年  (男の声は耳に入らず)そうだ。今日から君をボクと呼ぶよ! …ボク…。

男2  いや、いつからそんな物持ってるんだって。…だめだこりゃ。

 

   男2、去る。学校になる。(チャイムが鳴ってもよい)

   生徒1・2現れる。


女   鬼ごっこしようー。

生徒2 じゃんけんで鬼決めよう。

全員  じゃん、けん、ぽん。


   少年、箱を持っているので手が出せない。


生徒1 なんで出さないんだよ。

生徒2 光山君が鬼ー。

生徒達 わーい。(と逃げ出す)


   少年、追いかけるが、箱を持っているため、なかなか追いつけない。

   追いついても手が出せないので、ずっと終わらない。

   追われるほうも、もう歩いている状態になる。


生徒1 つまらないよー。

生徒2 全然つかまらないんだものー。

女   縄跳びしよう。

生徒1 縄跳びー。


   生徒達、縄を持ってきて縄跳びを始める。初めは少年、跳んでいるが、箱を持っ

   ているためひっかかる。


生徒2 光山君、お持ちー。


   少年、縄を持つが、箱を持っているためにうまく回せない。


生徒1 なんだよー。ちゃんとまわせよー。

生徒2 どうして回さないのー。

少年  僕、ちゃんとやろうとしてるんだけど…。

生徒1 もう、光山君あっち行って。じゃまだから。

女   そんなこと言ったらかわいそうでしょ。

生徒2 だって、こんなことしてたら遊べないよ。


   チャイムがなる。


生徒1 あーあ、休み時間終わっちゃった。


   生徒達、落胆して着席する。先生入ってくる。


女   起立、礼、着席。

先生  はい、国語の時間です。『鴨取りごんべえ』の三回目。じゃあ、方子さん読ん

    でください。

女   ハイ。(立って)「やあつかまえたぞ。ごんべえは両手にいっぱいの鴨をつか

    まえると、よろこんでおどりあがりました」

先生  はい、次、光山君読んでください。

少年  ハイ。(立って読もうとするが、箱がじゃまで教科書が読めない)

先生  光山君、箱は下ろしなさい。

少年  ハイ。(下に置く)

先生  何入ってるの?

少年  狼です。

先生  オオカミ? ああ、人形ね。

少年  違います。本物です。

先生  犬の子? 学校にペットなんか連れてきちゃだめだろ。

生徒1 見せてみてよ。

生徒2 狼だって、見せてみろよ。

 

   少年、生徒たちに箱を取り上げられる。当然、中は空である。


生徒1 狼なんか入っていないじゃないか。

生徒2 やーい、嘘つき。「狼が来たぞー」

先生  光山君、どうしてそんな嘘を言うんだ?

少年  いたんです。逃げちゃったんだよ。みんなが騒ぐから。

生徒1 なんだ嘘つき。「狼が来たぞー」

生徒2 逃げたんなら探してこいよ。呼んでこいよー。

生徒1 箱を持ってる奴らはみんな嘘つきだもんな。

生徒2 先生、どうして世の中には箱持ってる奴らがいるんですか。

先生  箱を持ってる人たちか…。もともとは私たちがあの人たちの面倒をみようとし

    たのだが…

生徒1 あいつらは、ろくなことをしないって、父さんも母さんも言ってます。

生徒2 私の家でも、箱を持ってる奴は信用しちゃいけないって言ってます。

先生  そうか。そうだね、私たちにはあの箱の中に何が隠されているのか、わからな

    いからね。

少年  僕、僕はなにも悪いことしてない。ただ、箱を持ってるだけじゃないか!


   空の箱を持って泣く少年。

   先生、生徒たちをうながして去る。

   遠くで狼の吠え声がする。その声が近づいてくる。


少年  僕、僕は…嘘つきじゃない。(狼の声)…帰ってきたね。

    (箱を閉じる。箱を抱いて)君はあんな奴らには見られない。君はいつでも好

    きな所に行ける。草原を走る君。森に生きる君…

女   (一人戻ってきている)だいじょうぶ?

少年  (箱をかばって)な、何?

女   泣いてるの?

少年  泣いてなんかいないよ。

女   狼、帰ってきたの?

少年  知らないよ。

女   見せて。

少年  いやだ。

女   じゃあ、狼さんに聞いてみて。見せてもいいかって。

少年  …いやだって。

女   …そう。(去ろうとする)


   一瞬、狼の声。


少年  待って。

女   なに?

少年  今度、ボクの、いいや、狼の機嫌のいいときに見せてあげるよ。

女   ほんと? 良かった。じゃね。(去る)

少年  …(少女を見送った後、箱を捧げ持つ。狼の吠え声)


   少年、去る。

   暗転

   上手に照明。男1、現れる。ロマンチックな音楽。


男1  いつから持っていたのだろう?物心ついたときにはもう箱を持っていて、狼が

    入っていた。持っているのがあたりまえと思っていた。

    自分がまわりの子供と違うとわかったとき、悲しかったのか、恐ろしかったの

    か? それともうれしかったのか。醜いアヒルの子が、実は自分は白鳥だと分

    かったときのように…。

    いずれにせよ、それは孤立することを意味していた。他と違うということを許

    せないのが差別の根源だ。その意味では子供は寛容さに欠ける。

    だが、あの人だけは違った…。


   明転(夏の夜)花火の音遠くに聞こえる。

   少年現れる。(相変わらず箱を持っている)人待ちの様子。

   反対側から提灯(火は入っていない)をさげた女現れる。(浴衣に下駄履き姿)


女   今晩は。待った?

少年  いいや。じゃ、行こうか。

女   …。

少年  どうしたの?

女   ううん。なんでもない。

少年  浴衣、似合うね。

女   (うれしそう)ねえ、提灯に火を入れて。

少年  うん。


   少年、箱をおろし、マッチを受け取って、提灯のロウソクに火をつけてやる。

   そばでのぞき込む女。


女   ありがとう。(足下を照らしてうれしそう)

    ローソクの明かりって、震えて、ゆらめいて、生きてるみたい。

少年  そうだね。

女   ねえ、寝るときもその箱持ってるの?

少年  まさか、寝るときは置いておくよ。

女   お家の人も持ってるの?

少年  お父さんも持っているよ。お母さんは持ってないけど。

    お父さんの箱にはやっぱり狼が入っているんだ。だけどボクのよりずっと強そ

    うなんだ。

女   へえー。

少年  お父さんの国では、みんな持ってるんだって。それが普通なんだって。

女   じゃあ、向こうから見たらこっちの方が変に見えるのかな。


   女、提灯をかざして少年の顔に寄せ、静かに見つめる。

   少年、少しどぎまぎする。


女   私が向こうに行ったら、私がいじめられるのかな?

少年  そんなことないよ。もし、いじめるやつがいたら、ぼくが守るよ。

女   (ちょっとうつむいてから、空を見上げ)…お星様って、暗い空にいるからあ

    んなに輝くのね。

    私、これから先ずっと夜でもいい。あんなふうに輝いていられるのなら。


   見つめあう二人。

 

男1  その時の私は、本当に誰にも負けない強さを持ったように感じたのでした。不

    思議でした。

    夜の闇をマッチの光が切り開いたように、私の弱い心にも何かが芽生えたので

    はなかったか…。

    その時のことは、ずっと後まで、マッチを擦るたび思い出したものです。


   生徒たち現れる。音楽、急迫した曲に変わる。


生徒1 おやー、光山じゃないか。

生徒2 お二人さん、仲がいいねー。

女   何よ。

生徒2 何にもできない箱持ちも、女にだけは手が速い。

女   やめてよ。

少年  馬鹿にするな。

生徒2 なんだ弱虫のくせに。

少年  ボクは、いや僕の狼は強いんだぞ、お前達なんか噛み殺してしまうんだぞ。


   箱に手をかける少年。少しひるむ生徒たち。

   少年、箱を開ける。が、何も起きない。


生徒1 あれー、狼はどうしたのかな?

生徒2 噛み殺してくれないのかなー?

生徒1 やっぱり嘘つきだ。

少年  ほんとうに、狼がいるんだって!

生徒1 「狼が来るぞ!」お前は嘘つきの狼少年だ。

少年  違うよ!

生徒2 お前なんか、箱の国に帰れ。

生徒1 (方子に)おまえも嘘つきの仲間だな。

生徒2 おまえもいっしょに行ってしまえ。箱なんかこうしてやる。


   少年呆然としている。女、逃げる。

   少年は箱をメチャメチャに壊されてしまう。

   生徒たち去る。

   箱の残骸を前にして少年は独白する。


少年  狼少年は嘘つきだった。でも最後には本当のことを言った。

    けれど、村人たちは誰も少年の言うことを信じなかった。

    狼少年は狼に食われて死んだ。

    村人たちは少年が叫ぶのを聞いた。でも誰も外には出てこなかった。

    村人たちは確かに狼の唸り声と、少年の引き裂かれる音を聞いた。

    でも誰も出ては来なかった。

    全てが終わった後、村人たちは外に出て少年の無惨な姿を見た。

    そうして子供たちに言った。

    ほら、こんなふうに、嘘つきは誰からも信じられず、ろくな死に方はしない。

    おまえたちも良く覚えておくんだよ…。

    村人は狼少年を憎んでいた。自分たちには聞こえない声を聞き、自分たちには

    見えないものを見ているから!

    村人は少年を見殺しにした。みせしめにするために、教訓にするために。

    「ボク」はもう帰ってこない!

    けれどボクはいつでも僕といる!

    僕は今こそぼくになろう!

    (狼の吠える声大きくなる)

男1  ああ、あの時、私はもうこの国では生きていけないと思ったんだ。

    箱の中のボクがいなくなってしまって、私は自分のいるべき場所がどこか、分

    からなくなった。


   周囲が暗くなり、背景に海が現れる。灰色の空。

   背景幕に北朝鮮帰国船の映像。群集のざわめきと歓声。


男1  今でも思い出す、人々の歌声。湧き起こる万歳(マンセー)の声。

    両親に連れられて海を渡ったとき、私はまだ十五歳だった。母と私の生まれ育

    ったこの国を捨て、父の国へ。父にとっては「帰国の旅」。私たちにとって

    は、知らない土地への旅立ちだった。


   リュックを背負った少年が現れる。少女が反対側に現れる。


女   光山くーん。(人混みの中を探しているという様子)


   少年、身を隠す。


少年  方子さん、もう光山はいないんだ。今ここにいるのは、朴成文(ぼくせいぶ

    ん)なんだ。

女   光山くーん。どうして教えてくれないの。どうして一人で行ってしまうの。

 

   少年、身を隠したまま。(泣いている)

   女、とうとうあきらめて、失意の内に帰る。


男1  私は、私の仲間がいる国へと旅立った。みんなが箱を持ち、みんなが狼を友達

    としている国へ。

    その国では私の名は「パク(朴)」。

    だが、そこも、箱を失った私には安住の地ではなかった。


   背景の海他、消える。


男2  (箱を抱えている)やあ、同胞。よく帰ってきたねえ。この国に来たからに

    は、もう差別を受けることはないよ。私たちは自由と独立を回復したんだ。

    おや? 箱はどうした? 持ってないのか。

少年  持っていました。でも、僕の箱は、壊れてしまいました。

男2  壊されたのか。いかん! 箱がないなんて。さあ、これを持ちなさい。(新し

    い箱を渡す)

少年  …あ、ありがとうございます。(箱に耳を傾ける)…いるのかい? ボク。


   少年、箱を開けてみるが、空っぽである。落胆の様子。


男2  なんだ、中に入れる狼もなくしてしまったのか。お前はいったいどっちの仲間

    なんだ。そんなことでこの国の役にたつと思ってるのか。

少年  は、はい、がんばりますから。よろしくお願いします。

男2  この国はな、自主独立の精神で、世界中の誰にもまねのできない新しい国づく

    りをしているんだ。君も精一杯、偉大な指導者のために働いてくれ。

少年  はい。

男1  こうして私はいるべき場所を見いだした…はずだった。

    しかし、中身のない箱を持った人間は、あの国でも孤立するしかなかった。

    父も母もあの国で亡くなった。

    食うや食わずの体で病気になったら、たちまち…。

    何もかもなくして、一人取り残された私は、生きるために再び国を捨てた。

    そうして、ここに戻ってきた。…何のために?


   男の独白中に後景暗くなり、前景の人々戻ってくる。前景次第に明るくなる。


女   箱を探しにでしょう。あなたの箱は、ここにありますよ。


   女が自分の荷物を開けると箱が出現する。(修理の跡が歴然)


男1  これは…。

女   あなたが行ってしまった後、私が持っていたんです。あなたが帰ってきたら渡

    せるように。

 

   男1、箱の前に座り、撫でさすり、やがて耳を傾ける。


男1  いるのかい? ボク。


   静かに時間が過ぎる。

   やがて遠くで狼の遠吠えがし、全員がその声を聞く。


男1  いるんだね!


   狼の声次第に近づく。


男1  長い長い間、離れていたけれど、分かるよ。君が「ボク」だということが。


   男1、箱の蓋を開け、すぐ閉じる。


男1  ああ、これで、もとの僕にもどれる。

    (女を見て)ありがとう。ありがとう。

女   いいえ。私は何も…(うれしそう)

B   世の中にはこんな不思議な話もあるのね…。

A   ばあさんがマッチ売りの少女でなかったことだけは確かだな。

C   おばあちゃんは、ずっと待ってたんだ。ずっと会えるって信じてたんだ。

    願いってかなうのね。わたし、おかあさんに会いたい。

男1  おかあさんに?

女   あなたも擦ってごらん。さあ。

 

   C、絵本を女に渡し、マッチを受け取る。

   あぶなっかしい手つきでマッチを擦る。

   何も起きない。A・B、やれやれという様子。突然、売り物の携帯に着信する。


A   な、何? 電源入れてたかしら?

B   ワン切りでしょ…ランダム発信で。…違うわね。

A   発信元不明…。(手に取って)はい。…もしもしー。

    …何とか言えよー、イタ電かオラ。


   C、近寄ってAから携帯を取る。


C   …もしもし。…おかあさん? おかあさん?

A   んなわけないでしょ。

C   …おかあさん…。(泣いているような、しかし幸せそうな様子)

B   まさか…。

A   (Cから携帯を取り返して)…何も聞こえない。

C   返して!

A   買ってから言いなさい! これは売り物なの。

C   あーん。(泣き出す)

B   (Cを抱き取って)意地悪しないの。おかあさんだと思ってるんだから、その

    気にさせておけばいいじゃない。

A   ちぇー。こっちは自分の携帯壊れてるのに、がまんしてるんだからねー。

女   あんた、携帯依存症じゃないのかい?

A   ええい、うるさい!(マッチ箱を放り投げる)

女   わああ。(走って取りに行く。もどって来て)もう一本擦るか?

B   おばあさん、やめたほうがいいんじゃない。こんなのただの偶然よ。

    子供に変な期待させるの良くないわ。

女   そうか。もう残りも少ないしな。

A   私に擦らせてちょうだい。壊した携帯の分。

女   やれやれ何を願うっていうんだい。(マッチ箱を渡す)

A   …(小声で)携帯が売れて彼とスキーに行けますように。

    いやいやその前に、彼がここに来てくれますように。


   A、マッチを擦る。何も起きない。


C   来ないね。


   男2、現れる。音楽(打楽器)入り、次第に大きくなっていく。


C   (男2を見つけて)来た!


   Aをはじめ全員が振り向く。A、彼ではないのでがっかり。


男2  もう逃がさんぞ。(手には拳銃)

男1  シン(辛)!

男2  どうしたんだその箱は? お前のか!

男1  ああ、生まれた時から持っていたやつだ。お前こそ箱はどうした。

男2  …もう捨てた。ボロボロの穴だらけで使い物にならなかった。

男1  捨てた! 箱なしであの国にいたのか。

男2  俺だって、箱を探していたんだ。俺達はみんな箱を無くしてしまった。

    いいや、箱を持っていた時も中はからっぽだった。中身はとうの昔に消えてい

    た。後生大事に、空の箱を抱えていたんだ。

    しかし、箱がなければ中身ももどらない。俺達の狼は消えた。

    箱を朽ち果てさせたのは誰なんだ! よってたかって俺達の首を締めているの

    は誰だ!

男1  少なくとも俺ではない。この国の人達でもないぞ。あの国の指導者が間違って

    いるのははっきりしているじゃないか。

男2  俺達を蔑んだのはこいつらじゃないか。あの方は、こいつらから我々を解放し

    てくれたんじゃないか!

男1  あの国この国って…、いいか、人はな、誰でも皆箱を持ってるんだ!

    それがお互い、すこしばかり違っているだけなのさ。

    見てみろ、この国の人たちが何を持っているか。

男2  こいつらには金しかないのさ。せいぜいふんだくってやればいいんだ。

男1  違う。それは一時(いっとき)のもので、この人たちにはちゃんと本当の中身

    が残っている…

男2  うるさい! たわごとはもうたくさんだ、この裏切り者!


   銃声。

   男1も拳銃を取り出し応射する。銃撃戦の中、皆逃げ惑い、身を隠す所を探す。

   女、撃たれて倒れる。男2も撃たれて去る。

   音楽止む。


男1  方子さん!

B   (Cを抱いている)死んだの?

男1  胸を撃たれたようだ。意識がない。

A   ええー、何よこれー。私のせい?(尻餅をついている)

男1  私のせいだ。もどって来なければ良かった。

B   救急車、救急車!(携帯を取るが慌てていてつながらない)

C   願い事!

男1  何だって?

C   マッチを擦って願い事をするの。

B   そうよ! さあ、マッチを擦って!(マッチ箱をさぐる)

A   な、な、なに?

B   あ、最後の一本…。大事に擦ってね。


   男、慎重にマッチを擦る。不思議な色の光が出る。(SEあってもよい)

   しばしあって、女、息をふきかえす。


女   ああ…あなた。無事でしたか。

男1  方子さん。

C   よかったー。やっぱりマッチのおかげだ。


   A、空になったマッチ箱を手にとってしげしげと見ている。


女   これが弾を防いでくれたんだわ。(懐からCの厚い絵本を取り出す)

C   ああー。

女   ごめんね。穴があいちゃった。

C   ううん、いいの。

    おばあちゃんのおかげで、おかあさんとお話しできたんだもの。

男1  歩けますか?

女   ええ、歩けますけど、私の家まで送っていただけますか。

男1  はい。


   女、立ち上がる。男、手を貸す。


女   あなたも危ないところでしたね。いつもこんな風なんですの?

男1  まあ、祖国を捨てた男ですから。

A   その箱、本当は何が入っているんですか?

男1  見たいですか?(箱を差し出す)

A   (受け取って開けてみる)空っぽじゃない。

男1  本当は私にも見えないんです。でも私にはわかる。確かにあるんです。私の分

    身、というより、私が私であるために必要なものが…。…難しいですか?

    では、あなたはどうですか?あなたの箱には何が入っているんですか?

A   箱なんて持ってないですよ、私。(箱を返す)

男1  いいえ、何でもいいのです。思い出してごらんなさい。小さいときから持って

    いたでしょう?

A   …何だったろう?

男1  あなただけの箱。その中に、大切な大切なものがありますよ。


   男1・女、立ち去ろうとする。

   A、売り物の携帯電話を二台取り上げ、男1と女に渡す。


A   これ、私からの餞別。二人で幸せにね。

男1  ありがとうございます。

女   あなたの携帯壊して悪かったね。これは受け取れないよ。

A   いいんですよ。いつでも二人で話せるように、ね。


   女、うなづいて携帯を受け取る。


男1  みなさん、ご迷惑おかけしました。(二人、一礼)


   男1・女、去る。


B   私、タクシー拾ってこの子送るわ。あなたももう帰りなさいね。


   A、先程着信した売り物の携帯をCに渡す。


A   これでおかあさんと話したらいいよ。

C   え?

A   ただでいいから。

C   いいんですか? ありがとう。

B   本当にいいの? 一文無しなんでしょ?

A   もう、いいの。なんでこんなことまでしてお金欲しがってたのか、わかんなく

    なっちゃった。

    財布は空っぽでも、私の箱には何か入ってるような感じ…。やだ箱だなんて。

C   おねえちゃん、きっといいことあるよ。これ代わりにあげる。(オモチャの携

    帯を渡す)

A   はい、はい。ありがとう。

B   妙な夜だったわね。あなたももう帰ったほうがいいわよ。

C   さようなら。


   B・C去る。雪が降りだす。(音楽)

   A、残った売り物の携帯を一台取り上げ、電話をかける。


A   あれ? 何これ、かかんないよ。もしかしてこれ不良品? ありえねー。


   A、迷っているが、最後の一台の携帯を手にする。電話をかける。

   相手はなかなか出ない。


A   話し中ってか…。(切る)よっぽどついてないのね、私。


   沈黙(音楽はある)


A   なんで私はマッチを擦っても何も起きないの? 神様、そりゃ不公平でしょ。

    (祈るように)お願い。もう少し、もう少し…。少しだけ幸運が欲しいの。


   しばしの沈黙。

   電話が鳴る。A、恐る恐る出る。


A   はい。あ、私。さっきはごめんね。…ううん携帯替わったの。……え、あの携帯

    にかけてたの。それ壊れて……ううんなんでもないの。だいじょうぶ。

    あの…スキーだけどさ、いけないみたいなんだ。…うん。

    実はさ、お金ないんだ。少しはあったんだけど、馬鹿なことしちゃって…

    でも、それで良かったのかな? あ、こんなこと言っても、なんだかわかんな

    いよね。ううん、ただ…このまま…もう少し話していて…。


   静かに雪の降る中、電話にうなづき続けるA。(泣いているのかもしれない)

   音楽高まり、照明絞られていき、

   幕

自作高校演劇脚本④『むじなの話』

『むじなの話』作、佐藤俊一


人物 ケンジ(高校生)

   アヤノ(ケンジの同級生)

   少女(ユカ、ケンジの死んだ妹)

   老婆(あるいはケンジの母)

時  現代の夏

所  地方の町 ケンジの部屋 山 他

初演 2002(平成14)年9月

 

 

プロローグ

 

  幕が開く。(DO)
  中央に照明ケンジが立っている。


ケンジ 昔、むじなが、何を油断したか、山から人里に下りてきて居眠りしているとこ

    ろを捕まえられてしまった。

    むじなが目を覚ますと家の中でぐるぐる巻きにされてしまっていた。囲炉裏に

    は火がガンガンおこしてあって、鍋に湯がグラグラ煮立っている。そばで婆さ

    んがシュッシュッと包丁を研いでいる。むじなは「しまった」と思ったがどう

    にも縄を抜けられない。婆さんが一人なのを見て声をかけた。

    「おい、ばあさん。俺を食べるつもりか」

    「おお、むじな汁にして、食うてやるのだわい」

    「煮て食おうなんてあんまりだろう」

    「人に悪さをしておいて何を言う」

    「たしかに悪さはした。だが俺も食われたくはない。どうだろう、俺の集めた

    金をみんな婆さんにやるから、逃がしてはくれないか」

    婆さんは欲にかられて縄をほどいてしまった。すると、むじなは婆さんにとび

    かかり、ぐらぐら煮立った鍋の中に放り込んでしまった。狢汁ならぬ婆汁がで

    きてしまったわけだ。


1場


  溶暗

  目覚まし時計の音

  明転

  ちらかった部屋。蒲団が敷いてあり、そこにケンジが寝ている。

  ケンジ、手を伸ばして目覚ましを止め、また寝る。

  携帯の着メロが鳴る。ケンジ、携帯を取る。


ケンジ ハイ。あー、何?(ガバリと起きて時計を見る)遅いよモーニングコール。

    (制服に着替えながら)いつも起こしてくれてるじゃない。

    え? 何度もかけた? あれ、そうだっけ?

    でももう間に合わないよ。1時間目なんだっけ。

 

  バッグをかついで部屋を飛び出そうとする時、ドアのチャイムが鳴る。


ケンジ ハイ。(携帯を持ったままドアを開けにゆく)


  ドア(舞台奥)からアヤノが出てくる。ここでは二人とも携帯を手にしている。


ケンジ (携帯に向かって)何、どうしたの?

アヤノ (携帯に向かって)寝坊すけ。

ケンジ (携帯に向かって)なんでここにいるの?

アヤノ (携帯に向かって)おばか。

ケンジ (携帯に向かって)制服は?

アヤノ 本当にばかね。今日から夏休みでしょ。

ケンジ あっ。

アヤノ サイクリングに行く約束したでしょ。

ケンジ あーっ。ごめんー、忘れてたわけじゃないんだー。

アヤノ いいわよ。それより、朝まだなんでしょ。これでよかったらどーぞ。

    (とコンビニ袋を出す)

ケンジ どうも。

アヤノ (蒲団をたたんで座りながら)狭いねー、ここ。

ケンジ 俺一人だもん、これで十分さ。

アヤノ そっか。

 

  ケンジ、黙々と食べる。

 

アヤノ 自炊しないの?

ケンジ 忙しいとね、どうしても外食になっちゃうね。

アヤノ 私が来て、つくってあげようか?

ケンジ いいよ。…ごちそうさま。さてと、行くか。

アヤノ なんか、サイクリングって気分じゃなくなったなー。

ケンジ そうか?でも何もすることないぞ。

アヤノ じゃあ、エルパソでも行こうか?

ケンジ エルパソ

アヤノ パチンコよ。

ケンジ パチンコ!(反応が異常な感じ)

アヤノ (その異常さに驚いて)冗談よ、冗談。

ケンジ からかうなよ。

アヤノ ごめん。そんなに怒らないで。

ケンジ まさか、パチンコやってないよな。

アヤノ ないない。

ケンジ 俺はまじめなんだから、悪い道に誘わないでくれよな。

アヤノ あら、そんなにまじめな人とは知りませんでしたわ。

    (と、傍らのビールの空缶を見せる)

ケンジ お前だって飲むだろ。(と、空缶を取り上げて隠す)

アヤノ 一人暮し、寂しいんじゃないの?

ケンジ 別に。もう慣れたし、親戚の家に厄介になってるよりましだよ。

アヤノ 私さ、小学校の頃、お父さんとお母さんが事故で死んじゃって、私一人になっ

    たらどうしよう、なんて考えたことあるの。お金があるんだったら、一人で生

    きてくのもいいかな、なんて。…親不孝かな。

ケンジ いいんじゃない?今時は、「親がないから子が育つ」だろう。

    実際、一人暮しはいいよ。誰にも気を使わなくていいんだから。親子でも気を

    遣うことってあるでしょ?

アヤノ そうねー。

ケンジ ちょっと早い親離れだったけど、子供の自立にはおおいに役立ったということ

    さ。お前も早く自立しろよ。でも、パチンコだけはだめだ。

アヤノ お説教みたい。やっぱりサイクリング行こう。狭い部屋を出て、広い空の下

    へ。さあさあ。


  二人、部屋から出る。暗転(ただし、部屋の部分に明かりが残る)

  パチンコ台の音楽が鳴る。奥から椅子を持って女が登場。背を向けてパチンコをす

  る仕種。

  やがて赤ん坊の泣き声が聞こえてくる。泣き声が次第に大きくなる。女、はっと立

  ち上がって奥に走り込む。完全に暗転。


2場


  セミの声

  明転(昼・野外)

  センターに吊り物(木のカットクロス)

  自転車で走る二人。

  ケンジ、自転車を止めてアヤノを振り返り、


ケンジ そこの木の下で休もうか。

アヤノ うん。


  二人、自転車をパネルの裏に停めて、中央の台の所に来る。やや疲れた様子。


アヤノ こんな所まで来たの初めて。砂利道を自転車で走ったなんて何年ぶりかな。

ケンジ ここからの眺めは昔と全然変わんないな。向こうの山脈とこっちの山並みには

    さまれた盆地。川と田んぼと山しか見えない。

アヤノ あっちの山の向こう側からずーっと雲がわいてきて、こっち側に流れ落ちてく

    るみたい。

ケンジ 山脈を越えてくる大津波って感じだな。

アヤノ おもしろい言い方するのね。ねえ、何かお話しして。

ケンジ 話?

アヤノ 「お話しケンジ君」でしょ。

ケンジ じゃあ、「むじな」の話。


  以下、話の間に次第に日差しが弱くなり、ついに雨が降ってくる。


アヤノ それ、こないだ聞いた。

ケンジ あの続き。えーと、むじなが婆さんをよーく煮て食っているところに、村人た

    ちがやってきて、またむじなは捕まってしまった。

    「お、俺を殺すとばちがあたるぞ」

    「何を言ってるんだこのむじなが」

    ムジナはボコボコに、袋叩きにされてしまった。

    「た、助けてくれ。助けてくれたら、今まで悪さをして貯めた宝物のありかを

    教えるから」

    「ふん、そんなこと言って、まただますつもりだろう」

    「いや、本当だ。もう嘘は言わん」

    村人たちは、むじなを殺すのは宝物を手に入れてからでも遅くはないと思っ

    て、ムジナの手を縛ったまま案内させた。

アヤノ 手?むじなって狸みたいな動物なんでしょ。手あんの?

ケンジ ある。

    むじなは村人たちを案内して山奥に入っていった。あまり山奥に入るものだか

    ら心配になったが、むじなはもう少し、もう少しと言って、とうとう高ーい崖

    の上まで来た。

    「宝物のありかはここからしか見えないのだ。ほうら、あそこに光っている。

    よく見ろ」

    村人たちはむじなをほっぽりだし、崖から身を乗り出してのぞきこんだ。むじ

    なはその隙に村人たちの後に回るといきなり突き落とした。

    「はーははは。欲の皮の突っ張った馬鹿どもめが! ざまをみろ。俺様を殺し

    て食おうとした罰だ」

    小踊りして喜ぶむじなに、山から一陣の風が吹き下ろした。むじなは風にさら

    われてたちまち崖下へ落ちていきましたとさ。

アヤノ 何それ。

ケンジ むじなの話。

アヤノ それだけ?

ケンジ これだけ。

アヤノ 変なの。


  遠い雷鳴


ケンジ あ、雨だ。


  ザーッと夕立が降ってくる。(SE)二人、木の下に身を寄せる。


アヤノ すごい雨だね。

ケンジ うん。すごい水しぶきだ。向こうがかすんで見える。

アヤノ …もう地面が沼みたい。


  あたりはすっかり暗くなる。


アヤノ …寒くなってきた。

ケンジ うん。


  二人、近づく。


アヤノ どうしよう。

ケンジ そのうち止むさ。


  しばしの沈黙


アヤノ ねえ、むじなと村人と、どっちが悪かったんだろう。

ケンジ 人間から見ればむじなが悪者で、むじなから見れば人間が悪者さ。

アヤノ じゃあ、最後に吹いた風は?神様は人間の味方なの?

ケンジ わからないよ、そんなの。

アヤノ えーつくった人がわからないの? ケンジってどうやってお話作るの?

ケンジ 別に…。適当に思いつくまま。

アヤノ うそだー。適当であんな話できるわけないよ。

ケンジ あ、誰かいる。

アヤノ え? …いないよ。

ケンジ あれ、…木の影かな。

アヤノ こんな雨の中、誰も歩いてるわけないよ。

ケンジ 人だ。傘さして歩いてる。

アヤノ 見えないよ。

ケンジ こっちに来る。

アヤノ 見えないってば!


  SEが入る。次第に音量大きくなって行く。

  背景を横切って少女が歩いている。黒い傘をさしていて顔は見えない。

 

ケンジ あれ? あれは、妹のユカじゃないか?

アヤノ ええっ? やめてよケンジ! あんたの妹は赤ちゃんのとき死んだんでしょ!

ケンジ ユカ!


  と呼ばれて少女立ち止まり、傘をはずした。その顔に黒髪がかかっているが、その

  間から見えるのは骨だ。

  一瞬、稲光がして前景が目もくらむほど明るくなる。ほぼ同時に雷鳴。

  暗転の後、少女の姿消えている。

  台上、誰もいない。

  アヤノ、台の陰から這い上ってくる。


アヤノ ケンジ。ケンジ? どこなの。あれ、どうしちゃったんだろう、雨降ってない

    し。ケンジーッ。


  老婆が通りかかる。(袖より登場)


アヤノ あ、あの。すみません。この辺で男の子見ませんでしたか?私と同じ高校生な

    んですけど。

老婆  男の子? 久しく子供なんて見たことないが。あんたぐらいの男の子なら、知

    っているよ。

アヤノ よかった。雷が鳴って、友達とはぐれてしまって。私、そこから落ちて、やっ

    と登ってきたらいなくなっていて。…何時の間にこんなに高く登ってきたんだ

    ろう?

老婆  この崖から落ちた! よう無事で上がってこれたこと。

アヤノ ケンジは、その男の子はどこにいるんですか?

老婆  会いたいのか?

アヤノ ええ、もちろん。

老婆  ちょっと遠いな。

アヤノ え、遠いって?

老婆  今、あんたのいる場所とあの子のいる場所は、ちょっと違うんだわ。

アヤノ は?

老婆  わしは会えるが、あんたはなあ…。あんた、本当にあの子を探して、会いたい

    んだね?

アヤノ ええ。

老婆  それなら、この山をずっと上まで登って行くんだな。道なりに行くと上に家が

    あるから。

アヤノ その家にいるのね。

老婆  いるとは言わんが。

アヤノ いないの? 今、わしは会えるって言ったじゃない。

老婆  だから、上まで登れたらの話じゃよ。

アヤノ 登れます。

老婆  やれやれ、じゃあついてきなさい。


  アヤノ、老婆の後について行く。

  奥からケンジ登場。


ケンジ ああ、どうしたんだ? 雷、近くに落ちたのかな? アヤノ、おい、どこだ?


  ケンジ去る。

  袖から、アヤノと老婆、登場。


アヤノ この山に住んでるんですか?

老婆  ああ。

アヤノ 一人で?

老婆  …前は、じいさんと暮らしてたんだけど、今は一人だ。

アヤノ おじいさん、亡くなったんですか?

老婆  逃げたんだよ。

アヤノ 逃げた?

老婆  ちょっといざこざがあってな。まあ昔のことだ。

アヤノ …むじなって、この山にいるんですか?

老婆  むじな? ああ、ずっと山奥の方にな。たまーに下りてくるのがいるんだ。

アヤノ むじなって、悪さするんですか?

老婆  するなー。

アヤノ つかまえて食べるんですか?

老婆  …そんな話も聞いたかな。

アヤノ 食べたこと、ある?

老婆  あったかなー。

アヤノ じゃあ、むじなが人を化かすって本当ですか?

老婆  アハハ、お前そんなこと本気で考えてんのか?

アヤノ いえ…、友達がそんなことを言うもんだから。

老婆  ほれ、そこが家だ。着いたぞ。

アヤノ ここお婆さんの家なんですか? ケンジ、ここにいるんですか。

老婆  まあ待てって。あったかいものでも食べろ。


  老婆、奥に去る。アヤノ、座って待つが、落ち着かない。

  やがて老婆が鍋を持って現れる。(杓子と椀も)


老婆  ほら、これでも食って。(と椀によそってくれる)

アヤノ どうも…。これ、むじな汁?

老婆  はは、まさか。(と自分もよそって食べる)

アヤノ 何かこれ、肉ですか?

老婆  食ったことないじゃろ。お前の友達の肉。

アヤノ エエッ!

老婆  アハハハ、冗談冗談。ク・マ。

アヤノ 熊?

老婆  村の猟師さんが冬に捕るのを冷凍してあんのさ。

アヤノ もう、いいです。ごちそうさま。それで、ケンジはどこ?

老婆  ああ、そうじゃったな。友達は…帰った。

アヤノ 帰った? どこに?

老婆  さあな。自分の家にでも帰ったんだろうよ。

アヤノ 登ったら会えるって言ったくせに! 嘘つき! こんな所に連れて来て、こん

    なもの食べさせて。

老婆  いやお前はもう、近くにいるんだよ。なにせこのわしに会えたんだからな。

アヤノ 何言ってるか分からない! もどらなくちゃ。


  家を飛び出し駆け去るアヤノ。黙って見送る老婆。

  鍋・食器を片づける老婆。何かぶつぶつ言っているようだ。老婆奥に去る。

  袖からケンジ登場。


ケンジ アヤノーッ。どこ行っちゃったんだまったく。


  中央に来て。腰を下ろす。


ケンジ 帰ったのかな。変なこと言ったからなあ。…なにも、あんなときに見えなくて

    もいいのに。


  背後から少女が登場。


ケンジ (振り返らずに)今日は二度も出るのかよ。

    まだ成仏できないのか? 十三回忌は済んだはずだぞ。それに俺、お寺の前通

    るたびに、お前のこと祈ってるんだぞ。賽銭は入れないけどな。


  少女、ケンジのすぐ後にしゃがむ。


ケンジ でも、出てきていいんだぞ。とうちゃんとかあちゃん離婚して、ずっと一人だ

    から、お前がそこにいるだけで、なんか安心するんだ。


  アヤノ、袖より登場。声をかけようとするが、ケンジの様子を見ている。

  雨がしょぼしょぼ降ってくる。SE


ケンジ あ、やばいな。また降ってきた。天気予報あたんねーな。お前が分かって、教

    えてくれたらいいのにな。

アヤノ ケンジ!

ケンジ アヤノ! お前どこ行ってたんだ。

アヤノ ケンジ、あんた誰と話してるの?

ケンジ お前、見えるのか?

アヤノ ううん…見えないけど、ケンジには見えてるのね。


  少女、奥へ去ってゆく。


ケンジ ユカ? ユカ。…行っちゃったのか。

アヤノ ケンジ。だいじょうぶ?

ケンジ うん…だいじょうぶだ。時々見るんだ、妹のこと。死んだのは一歳にならない

    うちなんだけど、俺の見る妹は俺といっしょに成長してるんだ。変だろ。

    俺の部屋にも出るんだぞ。

アヤノ やめて。

ケンジ はは、嘘だよ。お話しケンジ君のうそ話。

アヤノ もう、心配したんだから。馬鹿。

ケンジ ごめん。

アヤノ やっぱり、家に帰ったんじゃなかったんだ。

ケンジ お前残して帰ったりしないさ。

アヤノ うん、わかってる。けど、さっき変な婆さんがさ、ケンジを知ってて、家に帰

    ったって言うから。

ケンジ 変な婆さん?

アヤノ そう、むじなの話に出てくるみたいな。

ケンジ もしかしたら…。

アヤノ 知ってるの?

ケンジ いや。

アヤノ そうよね。(奥を見て)私、さっきここから落ちたの…、でも、崖になんかな

    ってないよね?

ケンジ 何か変だな。早く帰ったほうがいいかも。

アヤノ うん、帰ろう。


  二人自転車に乗り、帰る。

  暗転SE

  中央だけ、ぼんやり照明が入る。その中にさっきの少女が現れる。顔は人間。

 

少女  昔々、ある所におじいさんとおばあさんが住んでいました。おじいさんは山へ

    柴苅りにおばあさんは川へ洗濯に行きました。おばあさんが川で洗濯をしてい

    ると、川上から大きなつづらが流れてきました。おばあさんはそのつづらを拾

    って、家に持って帰りました。おじいさんが山から戻るのを待って、開けてみ

    ると、中から河童が飛び出して、あっという間に二人を食べてしまいました。

    食べ終わると、河童はつづらを担いで川まで行き、つづらの中に入って、また

    川を流れて行きました。

    何が間違っていたのだろう。つづらを拾ったのが間違いか。おじいさんの帰り

    を待ったのが間違いか。つづらの中には宝でも入っているのじゃないかと考え

    たのが間違いか。

    あるいは、すべてが間違いか。


  暗転


3場


  明転すると1場と同じケンジの部屋。ただし照明が変である。

  毛布をかぶって寝ているケンジ、縛られている。


ケンジ お? おおっ!


  台から老婆が出てくる。砥石で包丁を研ぎ始める。


ケンジ おい。おい、お前誰だ? 何してるんだ。おいったら!

老婆  うるさいぞ、このむじなめが。

ケンジ むじなあ?

老婆  今、さばいてむじな汁にしてやるで、静かに待っていろ。

ケンジ 俺はむじなじゃなくて人間だ! 見て分からんかい。

老婆  むじなはよう化けるでな。見分けはつかん。

ケンジ そんなむちゃくちゃな。

老婆  いいや! お前はむじなに違いない! それはお前が一番分かっているはず。

    そうじゃろうが!

ケンジ え、えー?

老婆  ほれ、その顔に「私はむじなでございます。これまで数々悪さを重ねて参りま

    した」と書いてあるわい。

ケンジ わ、悪さをしたら皆むじななのか。お前は悪さをしたことがないのか。店から

    消しゴム万引きしたことはないのか。嫌いな友達の靴に画鋲入れたことはない

    のか。

老婆  ない。

ケンジ 隣の家の畑から大根抜いてきたことはないのか。気に入らない嫁をいじめたこ

    とはないのか。姑の可愛がっている猫に猫いらずを食わせたことはないのか。

老婆  …ある。

ケンジ お前だって似たようなものだ。なんでお前が人間で俺がむじななんだ。

老婆  やかましい!


  老婆、包丁を振りかざして襲いかかる。ケンジ、手を縛られたまま部屋の中を逃げ

  回る。


ケンジ 助けてくれー! 人殺しー!


  チャイム鳴る。


ケンジ はい! はい! 誰でもいいから、早く入ってきて!


  アヤノ登場


ケンジ アヤノー!

アヤノ な、何してるの。やめなさい!

老婆  やめろって、お前はどっちの味方するんだ。

アヤノ むじなの味方よ。

ケンジ むじなでないってー。


  老婆とアヤノの格闘。アヤノが優勢。


アヤノ やっぱり、殺して食べるつもりね。そうはさせないから!

老婆  ぎゃあー。(と袖に去る)

アヤノ さあ、早く逃げるのよ。村の人たちが来ないうちに。

ケンジ お前強いんだな。

アヤノ いいから早く!(と縄をほどく)

ケンジ たって、こんな狭い部屋の中、どこに逃げりゃいいんだよ。

アヤノ 窓!

ケンジ ここ2階だぜ。

アヤノ 毛布に乗って!

ケンジ ?

アヤノ 飛ぶわよ。

ケンジ 空飛ぶ毛布かよ、これ。

アヤノ それっ。


  飛び上がる毛布。窓を抜けて空を飛んで行く。SE


ケンジ ひゃああ。飛んでるー。うわー、家があんなに小さく見える。


  ホリに流れ雲のエフェクト


ケンジ これ、マジ本当か? 夢でも見てんのかな。


  アヤノ、ケンジの頬をつねる。


ケンジ イテテテ。痛いよ!

アヤノ 信じないと落ちるわよ。

ケンジ 信じる信じる。

アヤノ 夢の中に真実があるってね。

ケンジ 夢が真実、現実が夢? どっちなんだよ。

 

  アヤノ、笑って答えない。


ケンジ どこまで行くんだ?

アヤノ むじなは山奥に住んでるんでしょ。

ケンジ 山? 俺の住処はさっきのアパートでしょ。山奥に行ってどうするの。早く下

    ろしてくれよ。

アヤノ 危ない! 動くと落ちるよ。あなたの住処は、あんな狭い建物じゃなくて、人

    間が誰も来ない静かな山奥なの。

ケンジ いや、俺コンビニがないと生きていけないよ。

アヤノ ほら、着いたわ。


  流れ雲のエフェクト、SE止む。

  アヤノ、毛布から下りる。


アヤノ ケンジ、ここで私と暮らすのが一番いいのよ。

ケンジ 何言ってんだよ。自立しろって言ったけど、自立するにもほどがある。

アヤノ そんなこと言って。あなたはむじななのよ。人間の世界には住めないの。

ケンジ ち、違う。俺はむじなじゃない。なんかおかしいぞお前。いや、毛布が空飛ぶ

    のも、俺の部屋で婆さんが包丁研ぐのも、みんなおかしいけどな。

アヤノ おかしくなんかないわ。

ケンジ 帰してくれよ。

アヤノ 帰っちゃだめ。

ケンジ いやだ! 帰る。

アヤノ どうやって帰るつもりよー。

 

  ケンジ、袖に走り去る。アヤノ、寂しげに見送る。

  溶暗

  大黒幕がひかれ、ホリゾントが黒くなる。

  中央にぼんやり照明が入る。その中にアヤノが立っている。


アヤノ 昔々、あるところに、それはかわいらしい娘が住んでいました。娘にはこれま

    たかわいい弟がいました。二人並ぶと、まるでお雛様のようだと言われて、二

    人とも両親からたいそう可愛がられていました。

    あるとき、二人は森へ遊びに行きました。きのこを採ったり、虫を追いかけた

    りしているうちに、いつもより深く森へ入り込んでしまったことに二人は気が

    つきませんでした。娘がふと目を離した隙に、弟の姿が見えなくなってしまい

    ました。どこを探しても見つかりません。でも、弟を見つけなければ家には帰

    れません。娘も森の奥へと入って行きました。道なき道をたどるうちに、目の

    前に一軒の家が現れました。それは山姥の家でした。覗いてみると中に弟がい

    ます。思わず声をかけようとしましたが、弟は山姥の手にかかってもう死んで

    いたのです。弟は細切れにされて鍋の中に入れられました。娘はそれを見ると

    山姥の家の回りに枯れ枝を積み重ね、火をつけました。ゴウゴウと燃える家を

    見ながら、娘は泣きました。何日かたって、村にたどり着いた娘は、七日間床

    についてこの話を伝えると息を引き取りました。

    誰が間違っていたのでしょうか。言いつけを守らなかった弟でしょうか。かわ

    いい弟をつかまえて食べようとした山姥でしょうか。山姥を家ごと焼き殺した

    娘でしょうか。

    それとも皆が間違っていたのでしょうか。


  暗転


4場


  明転(大黒幕はひいたまま)

  目覚めるケンジ。再び縛られている。


ケンジ おっ? おおっ!


  老婆登場。包丁を手にしている。


老婆  目がさめたか、むじなめが。

ケンジ またお前か。俺をどうする気だ。

老婆  知れたことよ。むじな汁にして食うてやるのよ。

ケンジ 俺を食ってもそれほどうまくないと思うぜ。

老婆  うまいまずいの問題ではない。

ケンジ 婆さん、俺もずいぶん悪さを重ねてきたが、今度という今度は年貢の納め時の

    ようだ。ついては、婆さん、俺の懺悔として、俺が盗み集めた金をお前にやろ

    うじゃないか。

老婆  そんなもん、嘘に決まっている。

ケンジ 嘘じゃない。俺は人間に化けて町へ出ていっては、その金でうまい酒を買って

    くるんだ。一人で聞くのがいやなら、村の者皆呼んできてもいいんだぜ。

老婆  なに、村の者皆だと。それにはおよばん、わしが聞いて教えてやればよいこと

    だ。さ、言え。

ケンジ いや、口で言ってわかるものではない。俺が案内するから、この縄をほどいて

    くれないか。

老婆  なんじゃい。やはり逃げようという魂胆が見え見えじゃないか。

ケンジ そうかな。じゃあ、このまま案内するから、立たせてくれよ。

老婆  よっしゃ。

 

  ケンジ、立ち上がる。老婆とケンジ、歩いている。


ケンジ 婆さん、金のありかを教えたら本当に逃がしてくれるよな。

老婆  ああ、逃がしてやる。

ケンジ 金を手に入れたら、何か買うのか?

老婆  人が何に金使おうが勝手だろうが。

ケンジ 人間って奴は、俺なんかには分からない、思わぬことに金を使うからな。

老婆  生活費にするんだよ。

ケンジ 年金もらってないの?

老婆  足りんのよ。

ケンジ 何に使ってんの?

老婆  人の勝手だろ。

ケンジ …ところで婆さん、あんたとどこかで会ったことがあるかね?

老婆  むじななんぞに知り合いはおらん。

ケンジ いや…確かに見覚えがある。俺が小さいときだ-。

老婆  知らん。

ケンジ 俺がまだ幼稚園にも入らなかった頃だ。

老婆  わしは、知らん!

ケンジ 俺はその時妹といっしょだった…。妹と俺は待っていた…。けれど、その人は

    来なかった。

    そうして、ユカはいなくなった…。どこにもいなくなってしまった。

    お前…。そうだ、お前を待っていたんだ。お前がこっそりユカだけ連れて行っ

    て、そうして、食ってしまったんだろう!


  老婆、怯む。


老婆  わ、わしゃ知らん。何を言ってるのかわからん。

ケンジ お前は、お前なんか、人間じゃねえ、山姥だ!

老婆  ひ、人殺しー。

 

  ケンジ、老婆を蹴り倒す。


ケンジ えーい、このクソ婆ぁめ!

老婆  ぎゃあー。(と、台の後に転落する)

ケンジ アーッハッハハハハ。ざまを見ろ。俺様を食おうとした罰だ。むじな様を食お

    うなんて百年早いぜ。


  アヤノ登場


アヤノ ケンジ…。何てこと。お婆さんを殺したのね。

ケンジ アヤノ! こいつは山姥だ。俺の妹を殺して食った奴だ。俺が仇を討って悪い

    か。

アヤノ 人を殺したら、あんた、むじなも殺されてしまうのよ。

ケンジ …お、俺は、本当にむじななのか?


  アヤノ、ケンジの縄をほどいてやる。


ケンジ むじなだったらどうだと言うんだ。あいつが殺したのは悪くないのか。俺のど

    こが悪いって言うんだ。


  アヤノ、老婆の落とした包丁を持っている。ゆっくりとケンジを刺す。

  崩れ落ちるケンジ。


ケンジ 俺がむじなだと言うなら、その方が楽なんだろうな。むじなからすれば悪いの

    はあの婆さんで、むじなは悪くないんだから。悪いのは人間だもんな。

    そうだ、むじななんだ、俺はー。

アヤノ ねえ、ケンジ。風はどちらの味方なの?私は誰の味方をすればいいの?


  暗転(台の上だけが、ほの明るい)

  台の陰から老婆が登場


老婆  どこから間違ってしまったのだろう?

    川からつづらを拾った時か? だって、家はお金がなかったんだもの。何か入

    っているんじゃないかと思って…。重かったんだよ。ああ、おじいさんが手伝

    ってくれたら良かったのに。あの人ったら、自分の仕事にばかりかまけて、家

    のことなんか何もしちゃくれなかった。ああ、それで一人で開けてしまったん

    だ。だって、私は一人だったんだもの。やっぱり、開けたのが間違いか…。け

    れど、開けてしまったものは、もう元には戻せない。つづらに入って次の番を

    待つより他はない。

    私はもう、…私じゃなかった。


  老婆、寂しげに去る。

  暗転


5場


  明転

  倒れているケンジ。寄り添っているアヤノ。(さっきのまま)

  少女登場


アヤノ あ、あなた。ユカさん?


  少女、うなづく。

アヤノ 私、ケンジを…あなたのお兄さんを殺しちゃった。でも、どうして?

少女  心配しないで。

アヤノ もう、何がなんだか分からない。

少女  みんな、兄のつくったお話なの。

アヤノ お話?

少女  兄は自分のつくったお話の蜘蛛の巣から抜けられないの。そして、あなたもつ

    かまってしまったの。

アヤノ これは、夢なの?

少女  そうね、夢…。お兄ちゃんの心の傷から流れ出す涙。思い出の奥底でうずく痛

    み。

アヤノ どうすれば醒めるの?

少女  あなたが入ってきたことで、お話は崩れ始めたの。もうすぐ、終わりが来るの

    だけど…。

    そしたら私も消えてしまう。その後の兄がどうなるかは、よくわからない。

アヤノ 私が、壊してしまったの?

少女  いいえ、あなたは、兄を起こしてくれるのだわ。本当の目覚め…。あなたがい

    なければ、どうなることか。

アヤノ 目を醒ますのね。(起こそうとする)

少女  何がおきても、兄のそばにいてやってください。そうすれば…。


  少女の照明消える。


アヤノ ケンジ。…ケンジ。


  目覚めるケンジ。


ケンジ あれ、どうしたの?

アヤノ ううん、なんでもない。

ケンジ あれ、いつのまに帰ってたんだ?

アヤノ 大丈夫? 雨宿りしてた時からずっと変だったよ。

ケンジ ああ…。なんか俺、頭が混乱して…。

アヤノ でも、もうすぐおさまるから。

ケンジ ?


  突然、袖から老婆が猟銃を持って登場。


老婆  逃がさんぞ。

ケンジ 生きてたのか! 何回出てくりゃ気がすむんだ。

老婆  やい、むじな。お前はわしの娘を食ったことを忘れたか。

ケンジ 何、寝言語ってんだ。

老婆  わしの娘はお前の妹。そんなことも忘れたか。

ケンジ 何だって?

老婆  わしが食ったというお前の妹は、わしの娘だ。何でわしが自分の子供を食う

    か。

ケンジ ちょっと待てよ。何が何だか。

アヤノ ケンジ。しっかりして。

ケンジ アヤノ、俺はむじなでないって、この婆さんに分からせくれよ。

アヤノ 自分でよく考えて。いつからそんな馬鹿なこと思い込むようになったの?

ケンジ 何?

アヤノ よく聞いて。思い出すのよケンジ。

ケンジ 思い出すって、何を?

アヤノ あれを見て。


  アヤノの指さす方に照明がつき、その中に少女の姿。黒い傘をさしている。


アヤノ 思い出して。乱れた糸をほどくのよ。


  少女に向かっているケンジ

  ケンジ、固くなって少女を見つめる。


ケンジ …ユカは誕生日前に死んだ。車の中で。パチンコ屋の駐車場で。

    かあちゃんはパチンコに狂ってた。もう病気だった。サラ金から借金してパチ

    ンコしてた。

    車にユカをほったらかしにして、昼間っからやってた。

    ユカは一時間ももたなかった。(老婆を指さして)こいつが悪いんだ!

少女  暑いよ。かあちゃん、暑いよ。かあちゃん、早く来て。

    苦しいよ。ここ開けてよ。

ケンジ いや違う。お前は誕生日前の赤ちゃんだった。その言葉は…お前の言葉じゃな

    い。

少女  暑いよ。かあちゃん、暑いよ。かあちゃん、早く来て。

    苦しいよ。ここ開けてよ。

    ユカがおかしいよ。ユカが。

ケンジ 俺か! いっしょに車の中にいた、俺の声か。

    誰が悪かったんだ。妻を裏切って女つくったとうちゃんか。子供を顧みない母

    親か。かあちゃんを狂わせたパチンコか。

    それとも、俺か?

    生き残ってしまった俺が悪いのか? 二歳の俺が何か助けを求められなかった

    のか?

    クラクションを鳴らすとか、何かすれば、ユカも助けられたんじゃないのか?

    そうすればかあちゃんもとうちゃんも皆いっしょにいられたんじゃないのか?

老婆  私じゃない。あの人が…、お前が悪いんだ!(泣いている)


  苦悩するケンジに、猟銃を放つ老婆。


老婆  死ねい!


  銃声。ケンジ倒れる。呆然と見ているアヤノ。ケンジを踏みつける老婆。

  アヤノ、老婆を押しやり、ケンジを守るように重なる。


アヤノ ちがうの。ケンジは悪くないの。ケンジはただ、むじなだというだけなんだか

    ら。それだけのことで、ずっと苦しんできたんだから。もう苦しめないで。


  少女が近づいてくる。少女、老婆に近づく。老婆怯んで離れる。


老婆  ああ、許してくれ。許しておくれ。私が、私が悪かったんだ!

少女  お母さん。皆が悪かったの。そして、誰も悪くないの。お兄ちゃんを責めるの

    はやめて。

    そして、お母さんも自分を責めないで。

老婆  ユカ…。


  少女、老婆の手をとって共に去る。


少女  お兄ちゃんをお願いします。さようなら。

アヤノ さようなら。


  大黒幕開いてゆく。

  照明が正常にもどる。(夜空)


アヤノ ケンジ、ケンジ。目を醒まして。お話はもう終わり。あなたの心の傷から生ま

    れたお話たちは、もう終わったの。


  ケンジ、ゆっくりと目覚める。


ケンジ ん? 終わった? …ああ、おしまいなのか。

アヤノ 気分はどう?

ケンジ なんだか…寂しい。長い長い、ケンジ君のお話が終わったら、あとは何が残っ

    てるんだろ。

    空っぽだ。

アヤノ (ケンジを見つめて)空っぽじゃないよ。私がいるじゃん。ケンジは私と二人

    でいるのが一番いいんだよ。

ケンジ 俺がむじなだったら、どうする。いや、実際、俺はむじなだ。こんな俺…。

アヤノ あんたがむじなだったら、私は河童だよ。私が河童だったらどうする?


  二人、顔を見合わせて笑う。

  ケンジ、立ち上がって大きく伸びをする。


ケンジ あーあ。変な一日だったけど、こんどこそ、本当に目が覚めたぞ。

アヤノ 目が覚めたのはいいけど、もう夜よ。私帰るから送って。

ケンジ ああ。いっしょに行くよ。


  二人、奥に去る。

  幕

雑感 2021年2月28日 映画『ミツバチのささやき』

 スペイン映画『ミツバチのささやき』を観た。連れが毎週借りてくるDVD を観て、マンガを読む。観ないときもある。

 『ミツバチのささやき』は1973(昭和48)年公開というずいぶん昔の映画であるが、今まで観ていなかった。

 この作品は、映像による詩といって良い。全編を静かに流れる時間。安定したショット。ロングのカットの美しさ。荒涼とした村の、暗い色合いの風景。

 そして、ただもう主人公の子役(撮影当時6歳くらいとのこと)アンナの瞳に惹きつけられる。この子がいてこその作品としか言えない。

 巧みなドラマではなく、繊細で純粋な情感。

 言葉では伝えられません。ぜひご覧になることをお勧めします。

 

 スペインと云えば『パンズ・ラビリンス』も少女が主人公だった。こちらは怪奇残酷趣味が入っているけれど…。

 「名優も子役には勝てない」と云うが、フランス映画『禁じられた遊び』のブリジッド・フォッセイを思い浮かべた。これを小さい頃(たぶんテレビで)観て、「現実のことだと感じてボロボロ泣いていた」という人がいる。

 

 マンガの方は、『ブルー・ジャイアント』はヨーロッパ編が終わったところで止まっている。アメリカ編が読みたい。でもやはり、仙台から東京に出た頃の未熟で無名で貧乏でありながら苦闘している時期の話が面白い。ある程度上昇してしまうと、読者の立つ地平から、届かない上へと行ってしまったような寂しさが出てくる。いや話は面白いのだけど。

 今は井上雄彦の『リアル』を読んでいて、スコーピオン白鳥の再起?リングまで来ている。この辺り、野宮の凄さが薄れてきていて残念。野宮のキャラがすごく良いと思っているので。アホなくせに時々妙に哲学者的な理解力を発揮する男。

 少しずつ絵柄が変わってきたり、味付けのギャグのセンスも微妙に変わったりしているが、長い連載期間故のことだろう。この作品は初めの頃読んで、車いすバスケという障害者スポーツをテーマにし、真摯にその身体障害という現実に深く向き合いながら、エンターテインメントへと昇華させている力量に感心していた。

 この作品には、『バガボンド』に見るような、内面の映像的描写が増えているが、そのイメージは的確であり、そう違和感は無い。

 

 マンガも映画も、エンターテインメントでもファンタジーでも、生きている「人間」が描けていたら良し。人間が生きる姿、記憶と感情、心はみな違っているのだろうけれど、それが何故か互いに通じるのであって、その不思議な共感があるからこそ芸術表現が成り立っているのだ。まあしかし、「全員に」通じることは無い。

 

 

 今日で10月からの勤務期間終了。実質、金曜日が最終日だが、保険証は今日まで有効ということで明日以降返却に行く。初めての職場だったが、住みやすい環境だった。

 お世話になりました。

 

 仕事が暇な日は、ひたすら「朝鮮の土地制度の変遷」について調べていた。

 

 このテーマは大きすぎて、遅々として進まないが、自分の納得のゆくところまでの理解に達しないと書けない。なので、1945年はまだ遠い。

 土地調査の結果、国有地になった土地が即日本人に分け与えられたわけでは無い(一部は東洋拓殖会社への融資として渡された)。縁故小作者が優先になっていた。これは山林でも同じで、縁故ある者に払い下げられた。ただ、これは日本でも同じだったが、「入会権」という共同の権利がどう扱われたかは詳しく見なければならない。

 土地所有者が確定し土地登記制度により明確な売買が可能になった。そのことが地主と小作人の懸隔を広げ、貧富の差を広げる結果になった。それはどうしようもない結果だったろう。日本の地租改正でも同じようなことは起きた。大地主が蔟出し、富豪層が形成された一方で小作人の生活は苦しく、争議が多発した。

 第二次大戦後、アメリカの力で小作人の解放、農地解放が強行された。いずれそうしなければならないとは分かっていても踏み切れなかったことを、敗戦を機にやってもらったようなものだ。これは朝鮮半島南部でも同じだったろう。ただ、問題は内地人の所有地がアメリカに接収され、その帰属がどうなったかである。現在でも韓国では「親日派」の所有する土地を「日帝残滓」として国に取り戻そうとする裁判が行われている。

 北部朝鮮はソビエト連邦の影響を受け、共産主義体制となった。中国も内戦の結果共産党が政権を取り、大地主の土地を小作人に分け与えることで平等化を図った。しかしソ連式の共同農場を目指して、人民公社化が進められ、土地の所有権は農民から人民公社に、そして国に取り上げられた。農村に持ち込まれた社会主義悪平等は恐ろしい飢餓を生んだ。そして請負制となって個々の農民が「借地権」をもって耕作している。

1945年8月15日以降の韓国における農地改革(朝鮮半島における土地制度の変遷)その10

小作権・耕作権について考える

 

 再再度、「韓国における農地制度の変遷過程と発展方向」からの引用

 引用開始(記号、下線は筆者)

 

 2.日帝下の農地制度

 朝鮮の土地制度が封建的土地制度から近代的土地所有制度が確立するのは、日本の植民地下で実施された朝鮮土地調査事業からである。日本は朝鮮農業を支配するために、1918(大正7)年10月まで全国を対象とした土地整理事業を実施した。土地の私有制度の確立を目的とする土地調査は、土地所有権の所在調査、土地価格の調査、地形及び規模の調査など3項目に関するものであった。

(中略)

 3)土地調査事業が実施される以前は、ある程度農民が永久的に土地を耕作する権利がみとめられたが、土地私有制度が確立し、地主に対する小作人の立場が次第に弱まった。小作人は耕作期限を延長するために、地主に現物と労働力を無報酬で提供することも多くみられるようになった

 小作契約は口頭契約と文書契約があり、南韓地域(韓国)での小作機期間は1年が一般的であった。小作料は、生産量の30~70%で現物地代が主流であった。このように4)土地調査事業は、従来の土地地主関係を法的に再確認しただけではなく、耕作権さえ不安定なものとし、新たな地主・小作の関係を形成することになった。これによってわが国の農業は、発展的な転換点を迎えるのではなく、小作紛争が頻繁に起こり社会的不安が高まる契機ともなった。

 

引用終了

 

 下線部 3)、4) について。

 これまでも少しずつ触れてきているが、総督府による土地調査事業の結果、小作人の耕作権が不安定化したという論点について考えてみる。

 「土地調査事業以前は、ある程度農民が永久的に土地を耕作する権利がみとめられ」ていたとあるが、それはどういうことか。李朝は公地公民制だったが、その末期には実際上土地は私有化され、売買されていた。しかし建前上からも正式な売買契約のようなものは無く、所有関係も曖昧な土地が多くなっていた。また、隠結が大幅に増えた結果、国庫収入は激減していただろう。

 土地の私有化、土地税の金納化が行われる中で、従来の地主・小作人関係はどう変化したか。土地の所有者が納税者となったが、小作人は小作料を物納するままだった。

 これは日本の地租改正時の状況と同じだろう。日本では封建領主の下、村請制から個々の土地毎の納税となった。領主から領地が公債と引き換えに召し上げられ、それぞれの地主の所有物となった。納税先は各藩領主から政府に変わった。農地と違って町屋の場合は課税されていなかったが、同様に課税されるようになった。

 では封建領主がいない朝鮮に於いて、小作制度はどのようになっていたか。1922(大正11)年12月の『京城日報』記事「朝鮮の小作制度について(一~四)」から分類表を作ってみた。(なお〔代土〕は「垈」の一字で、沼田あるいは宅地を表すようである) 

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 『小作問題と朝鮮の小作制』(河田嗣郎1925「経濟論叢」第20巻)によれば、

 「定租法とは年の豊凶に拘らず年々一定額の小作料を納むるものであって、(中略)主として畑地に行はれ水田に行はるる場合は少い。即ち朝鮮に在っては水田の灌漑排水設備甚だ不十分で、従て降雨量や出水量の多少に依り年々の作柄一定せず、然かも小作人は貧弱なるものが大多数なるために、自ら作柄の豊凶に依る業務上の損害を一身に引受くるだけの力なく、やはり歩合小作制として豊凶共に一定歩合とするを便宜とするから、定租法は水田には行はれ難く、ただ水利設備の完全な所のみに於いて行はれるに過ぎぬ。定租法に於ける小作料決定の標準は平年作の三割五分乃至五割とせらるが、普通五割見当なのが多いようである。

 執租法とは、検見法、看坪法などとも称せられ、毎年作物の登熟前後に地主又は其の代理人小作人立会の上、立毛のままで収穫量を査攷して其の年の小作料を定める方法である。そしてその検見の方法は坪刈等に依って行はるれば公平に行はれ得るけれど、斯かる手数を掛けるを好まず、大抵は目分量で行はれる。執租法に於ける小作料は、歩合に依り折半を原則とすれど、検見の際、とかく見積りは実収以上に査定せられ易いから、小作料は実収額の五割を超ゆる場合が少くない。其代り又地主の寛大なる者に在っては実収量の五割以下なる場合もある。此の方法は簡便で又貧弱なる小作人には豊凶に依る企業上の危険が少いから、水田に於いては最も広く行はれて居る

 打租法とは、刈分法とも称せらるるものであって、地主又は其の代理人小作人と立会の上、実際収穫の行はるる時に、刈取られたる稲束の数によるか、然らざれば打穀調整の行はるる際に出来上がりたる穀物の分量に依て、之を折半するもの之である。(中略)打租法は小作方法としては最も幼稚な方法だけれど、貧弱なる小作人に取っては最も公平なるを得る方法と考えらるる。」

 

 さて、小作人の「耕作する権利」とはどういうものか。たとえば、耕作地の利用について、裏作も含めて栽培する作物の選定からすべての過程が小作人の自由に任されるような場合。小作人が完全に利用権(地主権)を持って自由に土地を使っている。地租も小作人が負担する。果ては二次小作に貸し出したり、耕作権を売買することも可能な場合がある。これを「永賭」と称している。

 この「永賭」の農民が、土地調査事業の結果、地主になれず小作人に成り下がったという場合、その人数はどれくらいあっただろうか? これを知る資料は、今見当たらない。ただ、上と同じ記事から各道での小作形態のおおよその傾向を分類しているので、そこから類推することができる。

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 上の分類は水田(〔水の下に田〕の一字)に限ってのもので、畑〔田〕ではほぼ全域で賭只である。

 こうしてみると、「永賭」の行われている地域は、国全体から見ればごく一部の地域であったことが分かる。とすれば、ほぼ地主と同等の権利を持っていた農民が小作人に転落した例というものも、全体から見ればごく少数だったと想像できる。

 同じ『京城日報』記事では、

 「永賭とは謂わば賭只の一種で、十年間又は永久に賭額を一定し地主権は小作人の任意に使用するものである。垈、煙草、人参、其の他特用作物を耕作する田(畑)に多く行われ、地租は小作人が負担することとなって居る。又小作人が地主権を「禾利」と称して他に転売することができるのである。」

 「処で朝鮮には内地に於ける永久小作の如きものは存在して居らぬのである。往古職田に於ける遺風として永賭と称する永久小作の制があり、地主は其の土地の収穫物より僅かの分配を受くる権利を有するのみで、恰も永賭小作人は第二地主の如く土地を自由に期間までは売買することが出来得たものである。是れ等は何れかと云えば小作権と認むるよりは寧ろ一種変態の所有権であろう。然し今日は法規上斯かる変態のものを認めざるようになったけれども実際に於いては猶永賭の名を以て関係を継続するものがあるようである。」

 とある。

 また、『小作問題と朝鮮の小作制』(河田嗣郎1925「経濟論叢」第20巻)によると、

 「特殊小作制と見らるべきものの中には、先づ『永小作制』の挙ぐべきものがある。これは永年の小作慣行に依り、小作人は地主の意思に独立して自由に小作権を売買譲渡するを得るものであって、地主は小作人に於いて著しき不都合なき限り、相当の賠償を為すにあらざれば小作地を取上ぐるを得ざるものである。然しその小作権は新に設定せられたるは少く、多くは昔時から永続的に小作の行われたるに依るもので、従て其の権利の法律的に十分確定して居るのは少ない。そして永小作に在っては小作料は普通の小作料より稍々低廉である。其代わり小作人は租税・水利費等を負担するを例とする。」

 とある。新字体に直してある)

 地租を負担し、小作権を売買できるというのであれば、その農民の自覚としては地主であるのとほぼ変わらないだろう。しかし土地調査事業の趣旨からすれば、本来の所有者は元々の地主とするしかなかった。当然、紛争が生じただろうが、そこで地主と永小作人がお互い話し合って収まる(多くは耕作者が買い取るのだろう)場合も多かったようだ。

 

 永賭でない、一般農民の小作権・耕作権はどうなっていたか。一般的には、一年間を期限として口頭で約束をしていたようだが、特に問題が(小作人が亡くなったとか、農地が災害に遭ったとか)無ければ翌年以降も小作は続けることができた。したがって、何年も耕作し続けている場合が多かったのだろう。ここから小作人に小作権・耕作権があったとみることもできるだろう。従来の地主・小作人関係が維持されたわけだ。

 しかし又、この期限が短期間で、また不安定であることから、先に見た「舎音」の横暴、すなわち任意に小作人を換えるということがあった。実際に換えられてはたまらないので、小作人は舎音の機嫌取りに奔走することになり、結果としては小作が続けられたのだろう。

 こういう搾取の最末端の小作人は、土地調査事業の結果どのような影響を受けただろうか。中間搾取者たる舎音や中間(二次)小作人はすぐには無くならなかった。零細小作人には小作権・耕作権のような意識はありようも無く、生きるために最低限の土地で耕作する以上のことは考えられなかっただろう。ここには大きな変化は無かったと思われる。それは同時に地主についても言えることだろう。

 「土地調査事業」は「農地解放」ではなく、正確な土地測量による地籍の整理、所有関係を整理して納税者を確定することが目的だったのだから。

 

 土地調査事業で土地所有関係が整理されて大損したのは、本来国有地だった土地を私有化し、世襲で受け継いできた両班や官僚層だったろう。彼らの不満が紛争の中心であり、大部分だった。その場合、実際の耕作者である小作人においては、地主が国に変わったということであり、耕作地を奪われるということではなかった。そして国(総督府)は自作農創出のための払い下げを、小作人に対して行っていた。

 こうしてみると、朝鮮の農民から土地を取り上げて日本人のものにしたというのは「神話」のようなものではないのか。

 

 金達寿『朝鮮―民族・文化・歴史―』(1958、岩波新書では、

 「いわゆる土地調査といわれたものであるが、それによって朝鮮の農民はほとんどハダカにされてしまった。「元来、朝鮮には土地の近代的所有はなかった。広大な土地が王室・宮院・官庁・書院・両班に属し、全体として官人層が土地に対する支配力を持っていたが、かれらは土地の管理をせずに収穫だけを取り、管理は舎音という差配にまかせ切りであり、しかも舎音が何段にも重って中間で搾取し、収租の権利の主体すら明白でなかった。一方土地を耕す農民は代々土地を耕してはいても、奴婢あるいは無権利な常民であって、その土地を自己のものとするまでには成長していなかった。土地所有そのものが未熟な状態にあったのである。したがって土地所有を証明するに足る文書・記録は整わず、面積の単位は区々であり、土地の境界もあいまいであった。また同族や村落の共同所有地が多く、その場合には所有者を見出すことも困難であった。このような状態は、日本人が詐欺的手段で朝鮮人の土地をまき上げるには好都合であっても、土地の自由な売買や土地所有の安定性は著しく妨げられていた。」(旗田巍『朝鮮史』)/要するにオクれていた、といえばそれまでのようであるが、つまり、こういう状態につけ込んで武断統治の府である総督府はそれらの土地を、しかも九年間もかかってすみずみまで洗いざらい片っぱしからとり上げたのである。其の結果、「土地調査は近代的土地所有権を強力的に成立させ、それによって日本人の土地取得は保証されたが、大多数の農民は生活の地盤を奪い去られた。耕地も山林も失った人々は、新に地主と小作関係を結ぶか、故郷を捨てて放浪せねばならなくなった。(後略)」(旗田巍『朝鮮史』1951、岩波全書)のである。」

 と、旗田巍の文章を引用して述べている。

 しかし、これはここまで見てきた経過からすれば、事実の前後、因果関係を相当飛ばしているようである。「九年間もかけて洗いざらい片っ端から取り上げた」というのは、表現、イメージとしては強く訴えるが、実際にはあり得なかったことで、ほとんど徴用工、挺身隊について語られる時の類のものに近い。(日露戦争時などの軍用地接収については強制的なものがあっただろうが。)

 

 金達寿の家は両班で、併合前は地主であった。

 「「五十里(日本の五里)四方他人の地を踏まず」というくらいだった。それが「数度にわたった土地調査によってだんだんと削りとられ」「それまでは特権的な旧官人で自身働くことはもちろん、農業経営のことは何も知らなかったから、没落はなおもつづいて祖父の代から父の代となり、一九一九年私金達寿が生れたころにはこれはもう、完全に没落しかけていた。」「私がはじめて目にした日本人というのは、家へ来る高利貸しであった。彼は家のものや村の人々からはトクとよばれていたのをおぼえているが、彼は、いつも二重まわしを羽織って猟銃を手にしていた。/私はいまも、このトクさんの顔と姿とを目の底にのこしている。というのは、彼が訪れてくるたびに、必ず家では騒動がおこったからである。収穫をおえたばかりの籾俵が、半狂乱のようになって引きとめる祖母の手をはらいのけてそのままどこへともなく積みだされ、そのあとからは、きまってこれまた父と母とは夫婦げんかをした。」

 絵に描いたような両班の没落と言えようか。特権階級にぬくぬくとしていた、実は無為無能だった彼らは、今まで無関心だった、舎音に収奪される小作人と同様の恐怖を味わったことだろう。彼らの抱いた被害者意識は、相当激しかったに違いない。

 「数度にわたった土地調査」というのはよく分からない。

 

 「この私の一家は、そのほんの一例にすぎない。こうしてハダカにされた朝鮮の農民は、北方のものは主として中国・満州へ、南方のものは日本へと安価な労働力となって流れ出た。」「早いはなしが日本にはいまもなお六〇万といわれる在日朝鮮人がのこっている。これらはもとをただせば、ほとんどすべてがあのいわゆる土地調査によって土地を奪われた農民であり、その子たちなのである。」金達寿、同書)

 と言うが、没落両班(地主)の末路生活に窮した小作農民とを一緒にして「奪われた」と語るのは、土地調査事業についての理解を混乱させるものであろう。

自作高校演劇脚本③ 『赤頭巾最終回』

赤頭巾最終回

 原作     ヤコブ・グリムとウイルヘルム・グリム
 訳      金田鬼一(岩波文庫版)
 翻案・脚色  佐藤俊一

 登場人物
   男1(狩人)
   女1(母/おばあさん)
   女2(赤頭巾)
   男2(狼A)
   男3(狼B)

 舞台装置 舞台上には階段が二つ置いてある。(一つの階段にはカーテンがあるとよい)
 衣装   女2のかぶる赤頭巾と前掛け、おばあさんの頭巾と着物、狼のしるし、旅人風の何か、
      その他は普通の服で良い。
 小道具  本、お菓子と葡萄酒の包み(紙コップ入り)、狩人の鉄砲

 

   初演は2001(平成13)年9月 上山明新館高校 麗明際ステージ発表(体育館)

 

 


  音楽

  ナレーション

 「赤頭巾。赤頭巾や。ちょっとおいで。ここにね、大きな上等のお菓子が一つと、葡萄酒が一本あるの。

 これをおばあさんの所に持ってってちょうだい。おばあさんはご病気で弱ってらっしゃるでしょ、

 こういうもの、おくすりになるのよ。さあ、暑くならないうちに行ってらっしゃい。…ああいい子だね、

 赤頭巾は。でも森にはこわい狼がいるから、食べられないように気をつけるんだよ。

 じゃあ、いってらっしゃい」


  幕が開く。

  階段にはそれぞれ女1と男1が腰掛けている。それぞれ手に本を1冊持っている。

 

男1  赤頭巾ちゃんのお母さんは、どうして狼のいる危ない森に、赤頭巾ちゃん一人で行かせたのか

    な? 気をつけなさいって言ったって、小さな女の子に何ができるっていうんだ?

    ねえ、どうしてかな?

女1  ええ? そんなの童話なんだから、どうでもいいんじゃない?

男1  そうかな? 僕が父親だったら、一人で行かせたりしないんじゃないかなあ。それに、おばあさん

    は、からだが弱いんだろう? だったらなんで一人で森の中に住んでるんだろう? 不便でしょうが

    ないよね。コムスン(当時あった介護派遣の会社名)が来てくれるわけないし。

    お母さんは、おばあさんを引き取るのが嫌だったのかな。意外に嫁いびりの激しい姑だったり

    して。嫁の復讐かな。

女1  「村から三〇分くらいかかる森の中」って書いてあるから、歩いていける距離でしょ。

    ときどきは様子を見に行ってたんじゃない。

男1  森までは三〇分でも、おばあさんの家は森のずうっと奥にあるって書いてあるぜ。

    そんな森の中に一人で暮らしてるなんて変だよ。

女1  本人に聞いてみるのが一番だわ。


  女1、階段から下りて下手に行く


女1  赤頭巾ちゃーん。ちょっと出てきてー。赤頭巾ちゃーん。


  下手より女2登場。


女2  何かご用?

女1  忙しいところごめんなさいね。教えてほしいことがあるの。

    お母さんは、どうしてあなたをい森に一人で行かせたんでしょう?

女2  それは、お母さんが自分で森に行ったら、「赤頭巾」の話にならないからです。

男1  「赤頭巾ちゃん」でなくて「お母さんちゃん」になっちゃうな。

女1  でもあなた恐くないの? 行きたくないんじゃないの。

女2  そりゃあ狼に食べられるかもしれないんですから。…でも、お母さんの言いつけですから。

男1  ふうん。お母さんは狼より恐いか。児童虐待は今に始まったことじゃないんだな。

女1  (母親になって)赤頭巾、これから、森のおばあさんの所に行ってちょうだい。

女2  お母さん。かんべんして。

女1  何よ、口答えするの。(手を上げる)

女2  狼に食べられてしまいます。

女1  ああ、親の言うことをきかないお前なんか、食べられてしまえばいいんだ。

女2  お父さん、お願い、私を行かせないで。

男1  (父親になって)…なあ、お前、…

女1  あなたは黙ってて。

男1  はい。…あれ? 赤頭巾のお父さんっていたっけ?

女1  そりゃあいるでしょう。けど、現代と同じで、父親の権威がない家庭だったのね。お話には

    出てこないわ。

    それより、昔のドイツの人にとっては、森は奥が深くて、子供なんか道に迷ったら出てこれな

    い、恐ろしい所だったのね。ヘンゼルとグレーテルの話では、森には魔女が住んでいて子供を

    食べてしまう設定になっているわ。案外、年取ったおばあさんは魔女に近かったりして。

男1  ところで、赤頭巾って、名前?

女2  いいえ。本当の名前は別にあるんですけど、その名前では呼ばれないんです。

女1  おばあさんからもらった赤いビロードの頭巾が気に入って、そればっかりかぶっているから、

    赤頭巾って呼ばれるようになったんでしょ。

男1  ふんふん、で、本名はなんて言うの?

女2  …カザリンルイトガルドベアトリックスファニア

男1  カ、カザリン、ルートゴ、フジサンロクニオームナク…「赤頭巾」でいいや。

女2  じゃあ遅くなるといけないから、私行きます。さようなら。

男1・女1 さようなら。


  男2登場。


男2  こんにちは、赤頭巾。

女2  あらこんにちは、狼さん。

男2  どこへ行くの?

女2  おばあさんの所。

男2  何持ってるの?

女2  お菓子と葡萄酒よ。

男2  お菓子おいしそう。ちょうだい。

女2  やだよ。あげない。(逃げる)

男2  くれよー。(追う)


  女2、袖に逃げ込む。男2続いて袖に入る。すぐに女2が自転車に乗って出てくる。それを

  男2が走って追いかける。少しの間、追いかけっこ


男1  あまり狼のこと恐がってないみたいだけど。

女1  「赤頭巾は狼というものがどんな悪いことをするけだものか知らないので、恐いと思いません」

    って書いてあるわ。

男1  そんなわけのわからない小さな子供には見えないけどね。

女1  知ってて知らないふりかしら。かまとと?

男1  だとしたら、たいした子供だなあ。

男2  ハアハア…。もういいよお菓子は。ところで、どこ? おばあさんのお家は。

女2  やだ、狼さんたら知ってるくせに。

男2  知らないよ。

女2  森のことで知らないことなんかないでしょ、狼さんは。

男2  いやほんとに知らない。

女2  やだ、もうー。

男2  教えろよー。

女2  おばあさんに何か用があるの?

男2  別にないけど。

女2  じゃなんで聞くのよ。

男2  なんでって…。

女2  わかった、おばあさんの家に先回りして、おばあさんを食べちゃって、私が着いたらおばあさ

    んのふりをしてだまして、私も食べようと思ってるんでしょ。

男2  ぎくっ。

女2  うそよ。狼さんはそんな悪い狼じゃないものね。おばあさんの家、教えてあげる。森のずうっ

    と奥に、大きな3本の柏の木があるの、そこを右へ行くと今度は2本の杉の木があるの、そこ

    を左へ行くと5本のブナの木があるの、そこを曲がらないでまっすぐ行くと川があるから、川

    上の方へ行くとはしばみの生け垣があるからすぐにわかるわ。

男2  …もう一回言って。

女2  あら、覚えられなかった?いい?森のずうっと奥に、大きな3本の柏の木があるの、そこ

    を右へ行くと今度は2本の杉の木があるの、そこを左へ行くと5本のブナの木があるの、そこ

    を曲がらないでまっすぐ行くと川があるから、川上の方へ行くとはしばみの生け垣があるから

    すぐにわかるわ。

男2  …。

女2  覚えた?

男2  …たぶん。

女2  じゃあ、私この辺でお花を摘んでるから、その間におばあさんの家に先回りするのよ。でない

    とお話がつながらないからね。さあ早く行って。

男2  う、うん。じゃあ。

 

  男2退場。


男1  おいおい、なんだこりゃ。赤頭巾はこれからどうなるかみんなわかっていて、狼を先回りさ

    せたのかい。

女1  おばあさんが食べられて、自分も食べられて、でも狩人に助けられるってわかってるから恐く

    ないのね。

女2  あーあ、また同じことの繰り返しか。童話の登場人物って、決まったことしかできないんだも

    の、退屈でしょうがないわ。


  男3登場。


男3  もしもし、そこのお嬢さん。

女2  え、あたし?

男3  ちょっと道をお尋ねしますが、おばあさんの家はどちらでしょう。

女2  あなた、誰?

男3  世界を流れ歩いている旅の者です。スナフキンとでも名乗りましょうか。

女2  おばあさんを知っているの?

男3  よーく知っていますよ。私は昔、おばあさんにお世話になったことがあるんです。久しぶりに

    近くに来たので、ご挨拶でもと思って。

女2  あらそうなの。おばあさんの家は森の奥ですけど、いっしょに行きますか? 

    私もこれからおばあさんの家に行くところなんです。

男3  すると君がお孫さん。

女2  はい。赤頭巾と呼んでください。

男3  それじゃあ、道案内、よろしくお願いします。


  二人退場。


男1  また変なのが出てきたなあ。あんなのお話にあったっけ。

女1  いるわけないでしょ。でもあやしい奴ね。一見優しそうで実は女の敵、連続婦女暴行魔なんて

    パターンじゃないのかな。

男1  そりゃあ大変。追いかけよう。


  男1退場、女1は階段の陰に移動。

  音楽

  女1がおばあさんの衣装で階段に寝ている。男2、おばあさんの家の戸を叩く。


女1  どなたかの?

男2  赤頭巾よ。お菓子と葡萄酒を持って来たの。あけてちょうだいな。

女1  かまわないからお入り。おばあさんは弱ってて起きられないからね。

 

  男2は、いきなりとびこんでおばあさんを飲み込んでしまう。

  おばあさんの着ものを着て、おばあさんの頭巾をかぶって寝る。

  女2・男3登場。


女2  あなたのお話、とってもおもしろいわ。世界中のいろんなこと知ってるのね。

男3  たいしたことはありませんよ。

女2  おばあさんの家はすぐそこよ。

男3  何か狼臭いね、ここは。

女2  あ、そうだ、狼さんが先回りしておばあさんを食べてしまったんだ。

男3  何だって!

女2  でもだいじょうぶよ。狩人さんが来て助けてくれるから。


  男3、家の中に飛び込む。


女2  あっ。

男2  赤頭巾かい。挨拶もしないなんて失礼だろう、いくらおばあさんだって。

男3  おやおや、おばあさん、おそろしく大きな耳だねえ。

男2  これでなきゃお前の言うことがよく聞こえないからね。でもどうしたの、その声は。

男3  おばあさん、ずいぶん大きい手だねえ。

男2  これでなきゃ、お前がうまくつかめないからね。

男3  おばあさんの口の大きいこと、びっくりしちゃう。

男2  これでなきゃ、お前がうまく食べられないのさ。


  男2、起き上がって相手を食べようとするが、男3を見て驚く。


男2  …って、何だお前は! 赤頭巾じゃないのか。

男3  お前、おばあさんを食べたな、出せ!

男2  出せって言われても、一度食べたものはだせねえよ!

男3  早く出さないと、狩人に腹を切られるぞ。ハサミでじょきじょきとな。

女2  ?

男2  狩人だって?

男3  ああそうだ。いいか、この話の登場人物で死ぬのは狼だけだ。他のおばあさんや赤頭巾は生き

    返って、童話が読まれるたびにまた同じことを繰り返すんだ。だから何がどうなるかみんなわ

    かっている。わかってないのは狼のお前だけなんだ。

男2  う、うええ。(と吐く)


  女1登場。


女1  ああ息苦しかった。おや、なんだかいつもと様子が違うねえ。

女2  あなた、誰?

男3  おれは、狼だ。

一同  ええ?

男3  十年前、お前たちに殺された狼の子供さ。親父は狩人に腹を裂かれ、その腹に赤頭巾から石を

    詰められ、毛皮をはがされて死んだんだ。狼が恐ろしいなんて言うが、お前たち人間の方がよ

    っぽど恐ろしいじゃないか。

男2  ひええ、あぶなかった。

女2  だって、石を詰めるようになってるんだもの。私だってやりたくてやってるわけじゃないわ。

女1  童話の世界では、狼は悪者に決まってるんだ。人間を食べたんだから、ひどい目にあって殺さ

    れるのが決まりなんだ。それが気に入らないって言うのかい。

男3  自慢じゃないが、私は人間を食べたことなんかありませんよ。


  男1登場。


男1  (狩人になって)やや、これはどうしたことだ!狼が2匹もいる。それにおばあさんも赤頭

    巾も、食べられないでいるじゃないか!やい狼め、長いこと探させやがって、今日という日

    は殺してやる。

女2  ちょっと待って! いつもの台詞はいいから。これ以上混乱させないで。

男1  俺だって事情がさっぱりわからないよ!

女2  それはね、かくかくしかじかこれこれこういうわけなのよ。

男1  ああそうか、なるほどなあ。

    しかし、俺はもう数え切れないくらいたくさんの狼を殺してきたんだぞ。幼い子供の読む本の

    中でな。でも俺はいつでも正義の味方で、悪者は狼に決まってるんだ。そんな逆恨みされても

    困るんだよな。

男3  世界中で「赤頭巾」の本が読まれるたびに罪もない狼が一匹ずつ死んでいく。この世の中から

    「赤頭巾」の話がなくなれば、狼が殺されることもなくなる。だから私は世界中を回って、赤

    頭巾の本という本を焼き捨てているんだ。

女2  そんなことしたら、私たちもいなくなっちゃう!

男3  それじゃあ、いつまでも同じことを繰り返していくのか? 食われたり、殺したり。

一同  それは…。

女1  …とうとうこの日がやってきたか。考えてみれば、もうずいぶん長い間、人間様が世界の真中

    でいばっていた。そろそろ時代もかわらなきゃね。

    私たちが読まれてきた間、私たちはみんなのお手本だった。でももう、こんなお話じゃお手本

    にならない時代が来ているのかも知れないね。

男2  殺さないで…。

男1  もう、狼は殺さなくてもいい。

女2  私も、いつまでも小さな女の子じゃつまらない。

女1  さあ、赤頭巾の持ってきてくれたお菓子を食べて、葡萄酒を飲んで、みんなで楽しくやろうじ

    ゃないか。今日が「赤頭巾」の最終回というわけだ。打ち上げだよ。

 

  一同、コップに葡萄酒を注いで乾杯する。

  音楽とともに

  幕

自作高校演劇脚本②             『スターライト・マジック』

『スターライト・マジック』 作、佐藤俊一 

 

全一幕 九場

時   現代 秋の彼岸のころ その四カ月後

所   某地方、某県、某市のとある住宅地 小公園 小学校の校庭

登場人物

    母     四十歳くらい

    祖母    七十歳くらい

    サトコ(姉) 中学校三年生

    カナコ(妹) 小学校六年生

    タカシ(少年)小学校六年生くらい

    ユミ    小学校六年生

    マユ    同

    カヨ    同

    原田先生  二十四歳

 


  初演は1996(平成8年)2月 於、県生涯学習センター遊学館
  山形北高校演劇部(フル・ダブルキャスト

 



プロローグ


    客電半灯になる。客席から男の子が登場し、舞台上に上がる。

    (緞帳は下りたまま)客席のほうを見る。広い範囲を見渡すという感じ。

    客席後方からリュックを背負った女の子が登場。

       客席中央程まで駆け出し、舞台上の男の子に向かって呼ぶ。


カナコ  タカシ君! 生きてたのね。私よ、カナコよ!。


    タカシと呼ばれた男の子、これに反応したのか、ほほ笑むと見えたが、緞帳の裏に消える。

    カナコ、舞台に上る。


カナコ  タカシ君‥‥。やっぱり違ったか…。

     あれから何か月たったかな。十、十一、十二、一、…もう四か月か。あの地震があったのが去年の

     お彼岸の夜だった。私の家もご近所も、ううん、この町全部が崩れてしまった。ほら、ここからで

     も駅のビルが見える。

     私の家族は、公園に建てた仮設住宅でお正月を迎えた。通ってた小学校もプレハブ。…もうすぐ卒

     業だけどね。

     お姉ちゃんは、もうすぐ高校受験なのに、勉強ができないって言ってる。中学校も避難所になって

     いて、お姉ちゃんもいろいろ被災者のお世話してるから。お姉ちゃんも変わったもんだわ…。

     でも、一番変わったのは、先生たち。いつもやかましく注意するだけだったのに、先生たちが自分

     たちでてきぱき動いてるんだから。

     でも、家族の誰も怪我しなかったのが良かった。足の悪いおばあちゃんも無事だったんだもの…。

     タカシ君がいてくれたから…。

    客電が落ちる。暗転。


1場


    緞帳が上がる。DO

    明転。舞台は小公園。背景は秋の空。

    女子小学生二、三人登場。皆、運動着姿。 

    (以下の場面は、カナコの着替えの時間を確保するためのものである)

 

ユミ   ねえ、白組のリレーの選手決まった?

カヨ   決まった。でも、紅組のほうが絶対速いよ。カナコいるし。

マユ   今年が小学校最後の運動会かぁ。私、過去五年間、勝ったほうの組になったことないのよ! 

     最後くらい勝ちたいよホントに。だからこんな天気のいい日曜も走って頑張ってるのよね、うん。

カヨ   カナコって、紅組の副応援団長よね。

ユミ   そう。リレーと応援、両方練習あるから結構大変なんだけど。

マユ   でも、今日、いたっけ?

ユミ   あー、今日はお墓参りなんだって。

カヨ   ふーん。ねえ、ここから私ンちまで走らない?

マユ   何言ってんの、今まで学校のグランド走ってたでしょうに。

カヨ   だって、お腹が空いちゃったんだもの。

二人   えー!

カヨ   一等賞にはポテチー!

 

    カヨ走り出す。二人、慌てて追いかける。


二人   あ、待てー。


    四人の家族が登場。祖母、母、姉、妹。妹はカナコである。お彼岸の墓参りの帰り。

    墓には、七年前に亡くなった父と、十八年前に亡くなった祖父が眠っている。

    祖母は足が痛そうにして歩いている。母と姉がそれを支えて歩いている。

    カナコは一人はしゃぎながら歩いている。祖母はベンチに腰を下ろして休む。


母    おばあちゃん、大丈夫ですか?本当にタクシーで来れば良かった。今日は調子が良いなんて言うか

     らバスにしちゃったけど。

祖母   いいの。今日はほんとに歩きたかったんだから。

カナコ  無理しないでよ。でも、お墓参りの時はいつも歩くよね、おばあちゃん?

姉    そう? 去年、とうさんの七回忌した時は、親戚皆でマイクロバスに乗ってったじゃない。

     ついこの間と思ったらもう一年たったのね。

カナコ  あ! あれ見て、あれUFOじゃない!

姉    飛行機よ。

カナコ  音がしないじゃない。

姉    あれだけ高かったら、音なんか聞こえないよ。カナコはそそっかしいし、にぎやかだし、いったい

     誰に似たんだろ。お母さんは静かだし、お父さんも無口でおとなしかったし…、おばあちゃんに似

     たのかな。

祖母   カナコはお父さんに似たんだよ。

姉    えー、信じらんない。

母    お父さんが大声挙げて笑ったことなんて、数えるほどしかなかったですよ。

     (指を折りながら)カナコが初めて「オトーサン」てしゃべったとき。カナコが幼稚園のパン教室

     でこんな大きなパンダの形のパンをつくって持ってきたとき。カナコが…

姉    お父さんは、カナコ、カナコだったもんね。

母    いつも、なにするんでも、私が音頭とらないと動かなかったし。

カナコ  父さんはね、本当はとっても面白いんだよ。いろいろ冗談言って笑わせてくれたもの。

祖母   あの子は小さい頃、今のカナコとそっくりの楽しい子だったの。

姉    へー? じゃ、カナコも、大人になったらおとなしくなるの? 考えらんない。


    以下、祖母とカナコ、母と姉の別々の会話になる。同時に進行してよい。


祖母   さて、家に帰ったらおはぎ食べようね。

カナコ  なんでさ、ぼた餅のこと、オハギって言うの?

祖母   萩の花が、小さくて赤くて、小豆みたいだからじゃないか。

カナコ  じゃ、ぼた餅はなんでぼた餅なの?

祖母   お餅が白い牡丹の花のように見えるから。同じものでも、春は牡丹餅、秋はお萩というわけ。

カナコ  おばあちゃんって物知り!


    二人から少し離れて、母と姉の会話


姉    おばあちゃんの足って、もう治ることないんでしょ?そういうの身体障害者って言うんじゃない?

母    そうね。おばあちゃんくらいの障害だと、二級障害者で、手帳がもらえるんだけどね。

     おばあちゃんはいやだって、民生委員の山田さんに何回言われてももらわないでいるの。

姉    おばあちゃんって、事故で足悪くしたんだよね。

母    そう、三十年前、家が火事になって、その時の火傷がもとでああなったんだって。

姉    …若いときからとろかったのね。

母    それに、以前はリハビリってあんまり考えられてなかったみたいで、足が変形したまま固まっちゃ

     ったらしいの。これはお父さんから聞いた話。

カナコ  昔は、おばあちゃんもカマドでご飯炊いてたの?

祖母   うちは町中だからカマドはないよ。七輪も使ったけど、文化カマドっていって、羽釜を入れて練炭

     で炊くこんな(と、手で格好を示しながら)のがあって、それずいぶん使ったね。

カナコ  それ、どうしたの? 捨てちゃった?

祖母   うちが火事で焼けたとき、古いものは皆なくしたから。

カナコ  どうして火事になったの?

祖母   どうしてって…ちょっとした不注意のせいさ。

カナコ  不注意って?

祖母   ……。

カナコ  …あ、ごめんね。思い出したくなかった?

祖母   あはは。この歳になるとね、思い出したくても思い出せないことのほうが多いんだよ。


    ここで二つの会話が一致する。


祖母   さあ、もう行こうか。


    家族が動き出したところに、先程の小学生のうち二人(マユとユミ)が戻ってくる。


カナコ  あっ、ユミちゃんとマユちゃんだ。

二人   こんにちわー。

ユミ   これからカヨンちでゲームするの。一緒にしない? 私たち着替えてくるから。

カナコ  する! いいでしょ? 宿題終わってるし。

母    いいわ。じゃ、先に帰ってるからね。


    家族三人去る。


カナコ  ね、今日はなにすんの?

マユ   桃電デラックスだって。

カナコ  またー。私あれ嫌よ。

ユミ   私、ぷよぷよ持ってくから。飽きたらそれしよ。

カナコ  うん。じゃ、私ここで待ってるから、行ってきて。

二人   じゃね。


    二人去る。カナコ、ベンチ(に見立てたボックス)に腰を下ろす。

    その後ろをさまざまな人々が通り過ぎる。秋風が吹き、枯れ葉がハラハラと散る。


カナコ  (独白)昔、私がもっと小さかった頃。お父さんは若くて、よく自転車のハンドルのところに私を

     乗せて散歩に行きました。坂道をすごいスピードで下るときは、おもわず叫んでしまうのでした。

     私がもっともっと小さかった頃、お父さんはずっと若くて、私を抱っこしてお空に持ち上げてくれ

     ました。その時の写真は私の一番好きな写真です。

     写真の中のお父さんは年をとりません。でも、私はどんどん大きくなっていく。わたしはいつか、

     お父さんの歳になるでしょう。そして、もっと大きくなったらお父さんの歳を越えるでしょう。

     でも、お母さんやお姉ちゃんとは、いつまでもいまのままの歳の差です。

     生きてるってことは歳をとるってことなんだわ…。


    カナコの後ろを歩き過ぎる人々の中に、一人の男の子。カナコを見ている。


少年   ねえ。ねえ、きみ。

カナコ  何?

少年   それ、取ってくれない?

カナコ  え?

少年   その袋。(と、ベンチの傍らにあった紙袋を指さす)

カナコ  これ?

少年   ありがとう。(袋を受け取り大事そうに抱え、自分もベンチに腰掛ける)

カナコ  それ、何が入ってるの?

少年   これ? これは僕の全財産。

カナコ  全財産?

少年   うん、ほかには何も持ってない。

カナコ  あんたの家どこ?

少年   この近く。だけど火事で焼けちゃった。

カナコ  えー! じゃ、あんたってホームレスなの? その若さで。

少年   ホームレス? まあそんなものかな。

カナコ  最近、この近くで火事なんてあったっけ?

少年   最近でもないから。覚えてないだろ。

カナコ  ふーん。でさ、その中に何入ってるの?

少年   よく質問する子だね。

カナコ  何よ。あんただって子供じゃない。教えてくれたら一緒に遊んであげてもいいよ。これから友達と

     ファミコンするから。

少年   ファミコン? まだしたことないなー。

カナコ  えー! 今時めずらしい。

少年   テレビゲーム、やりすぎると目を悪くするよ。

カナコ  一日一回、一時間って決めてるから大丈夫。それより、教えてくれないの?

少年   教えたいんだけど、信じてもらえるかな。

カナコ  何それ?

少年   この中にはね、僕の過去と未来が入ってるんだ。

カナコ  …アルバム?

少年   アルバムには未来のことは写ってないだろう?

カナコ  じゃ何なの?

 

   少年、紙袋から古いオモチャと一冊のノートを取り出す。

 

少年   このオモチャが僕の過去。

     それから、このノートを見ると、未来が、今から起こることがわかるんだ。

カナコ  あ、そう。さよなら。

少年   待ってよ。やっぱり信じてくれないじゃないか。

カナコ  あなた、何か変な宗教やってんでしょ? 私、無宗教だからね。お布施なんかしないわよ。

     それとも宜保愛子の真似?

少年   違うよ。じゃ、見てみるよ。(と、ノートを開く。カナコには中が見えないように)

     今から君の友達が二人来る。一人は赤い服、もう一人は黄色い服。赤い服のほうの子は、背中に

     ゾウさんのリュックを背負って、頭にはミニーマウスの帽子をかぶって来る。

カナコ  何それ。(笑)


    そこに先程の二人が戻ってくる。二人の格好は少年の言ったとおりである。

    カナコあきれて見ている。少年はそれをニヤニヤして見ている。


マユ   お、ま、た。あれ、どうしたの? 似合わないかなこの格好。

ユミ   だからその帽子やめなさいよ。ガキっぽいんだから。(マユ、しぶしぶ帽子を取る)…その子は?

カナコ  この子? なんて言ったらいいか…。

少年   僕、タカシ。カナコちゃんとは今知り合ったんだ。よろしく。

マユ   どこの子?

カナコ  ホームレスなんだって。

マユ   ホームレスって?

ユミ   段ボールに住んでて、残飯あさって、エアガンで撃たれたり、川に放り込まれたりする人?

カナコ  そんなんじゃなくて、お家が火事でなくなったんだって。

マユ   (こっそり)あんまりつきあわないほうがいいんじゃない?

カナコ  でも、この子すごいよ。未来がわかるの! 

     今、あんたたちの服の色とか、その帽子とか当てたのよ。

マユ   えー? 見てたんじゃないのー。

ユミ   予言なんてさ、麻原彰晃だってしたんだよ。

カナコ  ね、もう一回やってみせて。そのノートに書いてあるんでしょ?

タカシ  いいよ。(と、ノートを開く)…もうすぐ別の友達が来る。その子はベージュの服を着て、泣きな

     がらやってくる。そして今日のファミコンはできなくなる。

マユ   それが、予言?

ユミ   ずいぶん簡単なのね。

タカシ  初めはこれくらいにしとかないと…。

カナコ  え?

マユ   あら? カヨじゃない、あれ。

 

    カヨ登場。タカシの予言の通りの服装で、泣いている。


ユミ   …どういうこと?(と、マユと顔を合わせる)

カヨ   ごめーん。お兄ちゃんたらさー、急に友達連れてきて、ファミコンするって。だからダメって言っ

     たんだけどー、あのバカ。だからごめんね。

カナコ  ね! 本当でしょう!(マユとユミ、ポカンとしている。カヨは、何だかわからないという様子)

     すごーい! こんなの初めて。ね、もっとやってみせて!

マユ   ちょっと待ってよ。そんなさ、自分が知ってることを言ってるだけじゃないの。ねえ、どっかで見

     てたんでしょう。

ユミ   そうよ。今度は私たちの聞くことに答えて。

タカシ  いいけど、答えられないこともあるよ。ノートに書いてあることには限りがあるからね。

ユミ   じゃあね。次にこの公園にはいってくるのは男か女か。

タカシ  (ノートを見る)…女だよ。若い女性。


    四人見つめる中、やってきたのは女子高校生。自転車を引いている。


タカシ  次は二人づれの女性。一人は和服を着ている。


    言った通りの人が来る。


タカシ  次も女性。買い物帰りの主婦。


    言った通りの人が来る。


カナコ  全部当たり!

ユミ   女ばっかりね…。

     じゃあ。今度の運動会では、紅白どちらの組が勝つか。…でもこれじゃ、すぐには当たったかどう

     かわからないな…。

タカシ  (ノートを開く)残念だけど、今年の運動会は中止になる。だから勝ち負けなし。

カナコ  えー、どうして? どうして中止になるの。台風でも来るの?

タカシ  (ノートから顔を上げて)今夜、小学校が…焼けてしまうんだ。

三人   えーっ!

カナコ  今日は火事の話題が多いわ…。

マユ   なんで燃えちゃうのよー。言ってみなさいよ。

タカシ  …放火なんだ。

ユミ   放火?

カヨ   でも、でもさ、前からわかってるんなら、止めることできるんじゃない?

マユ   そうよ、警察に言えばいいじゃん。…だめか。信じてくれないよね。

カナコ  でも、未来って変えていいの?

タカシ  一人二人の人間がやることならね。

     すごくたくさんの人に関わっていたり、…自然現象は無理だけど。

カヨ   私たちで止めようよ。

マユ   えー? どうやって?

カヨ   簡単じゃない。その時刻に学校にいればいいのよ。人がいるってわかれば放火しないじゃない。

カナコ  今夜って、何時頃?

タカシ  八時頃。

カナコ  行けなくはないわね。

タカシ  でも、子供だけじゃ危ないから、家族を連れていったほうがいいよ。そうだ、家族そろって、グラ

     ンドで花火大会とか芋煮会なんかすればいい。いっそテント張って泊まるといいよ。

ユミ   …何か、変ね。ははーん、この浮浪者、ただで晩ご飯にありつこうっていう魂胆だな。

タカシ  違う違う! そんなんじゃない。

カナコ  でも、勝手にそんなことしたら、先生から怒られるんじゃない?

タカシ  大丈夫、絶対怒られない。学校を救ったんだから、誉められるよ。

ユミ   そうかな? 救ったかどうか、先生にわかってもらえるの?

カナコ  だったら、先生も仲間に入れちゃおう。独身の原田先生なら来てくれるよきっと。そんで怪しいや

     つを見かけたら、それで信じてくれるんじゃない?

マユ   どうする?

ユミ   放火魔、来なかったら?

カナコ  それでもいいじゃない。私、先生に電話するから。みんな、家の人に話してね。

マユ   じゃあ、電話してね。

ユミ   先生来なかったら、やめるからね。

カナコ  うん。じゃ、後で、バイバイ。


    三人去る。


カナコ  さ、帰ろ。あなたも、寝るとこないんだったら、私ンちに来ない?

タカシ  カナコ、ちゃん。

カナコ  なに?

タカシ  僕の話、信じてくれてありがとう。

カナコ  半分信じてないよ。ごめんね。けど、家族みんなでキャンプ気分ってのが気に入ったの。最近家族

     の会話が不足してるから。

タカシ  仲良くやってるんじゃないの?

カナコ  仲は良いのよ。けど皆忙しいんだね、きっと。あなたのとこはどう?

タカシ  言っただろ。これが全財産だって。僕が持ってるのはこれだけなんだって。

カナコ  ……。あなた、一人ぼっちなの。

タカシ  うん。家族ってさ、いなくなってみると、思うんだ。もっといろんなこと話したり、いろんなこと

     できたのになって。いるときは何かうるさくて、そんなこと考えないのに。

カナコ  私ンちの子になれば? 私の弟にしてあげるから。

タカシ  弟?

カナコ  家は女ばっかりだから、跡取りだって大事にされるよ。

タカシ  …できたらいいね。

カナコ  …さて、これから先生とお姉ちゃんとお母さんと…あーあ、説得できるかな。

タカシ  僕も手伝おうか。

カナコ  そうね、でもややこしくなるから、私だけで話すわ。

タカシ  そう。じゃ、必ず、家の人も来るように言うんだよ。おばあちゃんもね。

カナコ  え?

タカシ  必ずだよ。

カナコ  うん。

タカシ  じゃ、七時に小学校の門のところで。


    タカシ、速やかに去る。

    カナコ、去る。

    暗転(公園の装置を撤去し、室内に転換)

    袖近くに照明が当たり、その中にカナコ登場。


カナコ  (独白)私はそれからすぐ先生に電話した。原田先生は二十四歳の独身女性。アパートで一人暮し

     をしている。でも彼氏はいないんだって。だからせっかくの日曜日も外出しないで、洗濯と掃除に

     熱中していた。

     先生、だから、来て。一人でいても面白くないでしょ。悪くなんかないって。それにさ、ひょっと

     したらすっごくおもしろいこと、あるかもよ。え? それは、ヒ、ミ、ツ。じゃ、本当に晩ご飯、

     食べないで来てね。七時だからね。

     あ、カヨ? 今ね、原田先生に電話したらね、来てくれるって。だから、来て。え? 駄目なの?

     そう、じゃしかたないわね。うん。

     ユミ? 原田先生ね、来てくれるって。…そう、お客さん来るの。じゃあ、あなただけでもいいか

     ら来て。カヨちゃんはね、弟が風邪ひいて、具合悪いんで来れないって。うん。じゃ、マユちゃん

     に電話しといて。それじゃ、バイバイ。


    袖の照明落ちる。反対側の袖に照明が当たる。原田先生がその中に入る。何か本を読んでいる。


原田   子供は時々、大人の考えつかないような、突飛な事を想像するものです。たとえば、口裂け女。人

     面犬。でも、その想像の背景には、子供が無意識のうちに感じとった、社会や家庭の抱える問題が

     あるのです。

     いじめられるので学校に行きたくない。学校がなくなればいい。学校が火事になればいい。…子供

     の想像は、現実との区別ができないくらい強いものです。今日、学校が火事になると思ったら、も

     う信じ込んでしまいます。ある場合には、その想像を現実にするために、自ら行動を起こすことさ

     えあります。

     もちろん、自分では、放火するという意識はありません。これは、予言の成就だと言っても良いで

     しょう。(本から顔を上げる)

     カナコちゃんは、私のクラスの子です。とても明るくて、活発な子ですが、どこか無理をしている

     ように感じるときがあります。あと半年で私の手を離れてしまうけれど、気になるのです。

     だから、今電話をもらって、すぐに行く気になったのです。

     それに、一人で本読んでるのにも飽きたし。


    袖の照明落ちる。暗転


2場


    明転。部屋の中に祖母と姉がいる。姉は勉強中。祖母は座椅子に座ってテレビを見ている。


祖母   裕次郎も若かったね。この顔の長い若いのは、名前なんていうんだったかな…。ああジーパンか。

     松田優作だ。

姉    おばあちゃん、テレビは黙って見てよ。…それ「太陽に吠えろ」の再放送でしょ。おばあちゃん

     は、もう三回くらい見てんじゃない。

祖母   黙って見てると面白くないんだよ。お前も一緒に見たら? 勉強もいいけど、少し休んでからすれ

     ばいのに。

姉    私、刑事ものってダメなの。それに、夏休み過ぎてみんな頑張ってきてるんだから。

祖母   そう、お前も大変だな。(と、テレビを消して本を取り出し、読み始める)


    袖から声が聞こえてくる。会話の内に、母とカナコ、登場する。

母    急にそんなこと言われても困るのよ。こっちにも予定があるんだから。

カナコ  だからお願い。七時に先生と約束したの。晩ご飯も一緒にするって。

母    カナコ、どうしてそんな勝手なことするの。それに、芋煮だなんて、鍋とか薪とか、今から用意で

     きないわよ。

カナコ  怒らないでよ。じゃ、花火だけにして、ご飯はガストかぼんぬーるに行けばいいじゃない。

母    あなたがそんなふうに勝手にするのを怒ってるんです!

祖母   どうしたの。

母    この子が、今日の夕飯は小学校のグランドで食べたいって言うんです。それも、もうお友達と約束

     してきちゃったんですって。こっちの都合も聞かないで。

祖母   またどうしてそんなこと考えたかね。

カナコ  いいでしょう? たまには家族皆で楽しまなくちゃ。

姉    私、行かない。勉強あるもの。カナコ一人で行ったら?

母    だめよ。

祖母   私も足が痛くて無理みたいだねえ。

カナコ  皆でなきゃだめなのよ。それに先生にも言っちゃったんだし。

母    だめです。先生にはおかあさんから謝っておきます。

カナコ  そんな…。じゃあ、本当のこと言うわ。

母    本当のことって?

カナコ  本当はね、学校にね、放火しようとしてるやつがいるんだ。そいつが今晩、小学校を狙って来る

     の。だから私たち、ユミとマユと、タカシくんとで見張ってることにしたの。

母    タカシくんて? 誰?

カナコ  さっき知り合ったの。その子が教えてくれたんだ。学校が燃えちゃうって。

姉    そんなこと、どうしてその子にわかるの。

カナコ  それは…。

姉    まさか、その子が放火犯人なんじゃないでしょうね。

カナコ  違うよ!

母    そんな妙な子とつきあっちゃいけません!

カナコ  違うってば。ねー、行かないと学校が燃やされちゃうよ!

母    それも先生にお話しします。きっと警備保障会社の人が巡回してるから、連絡してもらうわ。

姉    変な人がいたら警察に突き出してくれるわね。

カナコ  駄目よそんなの!

姉    どうして?

カナコ  …その子、ホームレスなんだもの。どっか施設に入れられちゃうわ。

祖母   浮浪児か。今時、いるんだねえ。

カナコ  フロージじゃないよ、ホームレス。

姉    同じことよ。

母    かえってそのほうがいいんじゃないの。道端で寝てるんでしょ、その子。保護してもらったほうが

     いいわよ。

カナコ  だって、…私の弟にするんだもの。

一同   はあー?(カナコ少し照れる)


    袖から原田先生の声


原田   今晩は。カナコちゃんの担任の原田ですが。

カナコ  先生!(と、袖に向かって駆け出す)

母    まあどうしましょ。

 

原田先生とカナコ登場。


原田   夕方のお忙しいところ、突然すみません。

母    いえ、こちらこそ。いつもカナコがお世話になって。今日はなにかカナコが勝手なことをお願いし

     たようで。ご迷惑だったでしょう。

原田   いいえ、私は全然かまわないんです。ただ要領を得ないところがあるので、直接伺ったほうがいい

     かなと思いまして。

祖母   いつも孫がお世話になりまして。

原田   こちらこそ、どうも。

姉    姉です。

原田   どうも。お勉強中だったの。ごめんなさいね。

母    まあ、お座りになってください。(姉、勉強道具を持って袖に去る)

カナコ  挨拶なんかいいから。お母さんに説明して。

原田   (笑)説明ったって、私、わからないから来たんじゃないの。説明するのはあなたの方でしょう。

カナコ  また説明するのー?


    暗転(前の場面の小公園に転換)


3場


    明転(一場よりも時刻が進み、夕暮れとなっている)

    ユミとマユ登場。先程と違って防寒に配慮した服装になっている。


ユミ   何だ、マユちゃンちも来れなかったのか。

マユ   うん。そりゃそうだよね、大人にこんな急に言ったってねえ。

ユミ   そうだよ。最初は全然聞いてくれなくてさ、カナコちゃンちから原田先生が電話してくれて、やっ

     と許してくれたんだよ。

マユ   原田先生って私たちの話よく聞いてくれるからいいよね。こないだもさー、教室掃除しててさ、男

     の子がモップに乗って遊んで壊しちゃったの。それを松村先生が女子のせいにするから頭きちゃっ

     てさ、皆で原田先生に言ったら、ちゃんと聞いてくれたもの。

ユミ   夏休みなんかさ、海に連れてってもらった人いるんだよ。今日ももしかしたら、先生が一番花火し

     たいんじゃないかな?

マユ   そうかもね。ほら、家の残った花火。これグランドでバンバンやってたら、放火魔もびっくりよ

     ね。

ユミ   マユちゃん、本気で信じてるの?

マユ   ええ?

ユミ   あのタカシって子さ、ただ一緒に遊びたいだけで、嘘ついたのよ。そう思わない?

マユ   そうかな?

ユミ   きまってるじゃん。未来がわかるノートなんて。ドラエモンじゃないってのよ。ホームレスだなん

     てのも嘘よ。子供のホームレスなんて、聞いたことないよ。どっかの国のさ、ストリート・チルド

     レン? あんなの日本にいないよ。

マユ   カナコちゃんは信じてるみたいじゃない?

ユミ   ああいうタイプが意外とひっかかるのよね。

マユ   ひっかかるって?

ユミ   男よ。

マユ   はー?


    原田先生が登場。服装は先程と同じ。


原田   こんにちわ。もう今晩わかな?

二人   先生。

ユミ   カナコちゃんは?

原田   それがさ、私がカナコちゃんの家を出る前に、飛び出してっちゃった。おかあさんが「しょうがな

     いわね」って言ったとたんによ。(笑)

ユミ   カナコらしいわね。

マユ   先生がお願いしてくれたから、行ってもいいことになったんでしょ?

原田   うーん。まあね。先生も、その、タカシ君に会ってみたくなったの。未来がわかるなんておもしろ

     いじゃない。

ユミ   本気?

原田   本気に見えない?

マユ   先生、信じてるんだ!

原田   あなた方は信じてないの?

ユミ   だって、ねえー。

原田   まあいいわ。花火もやりたいし、たまには贅沢な食事してもバチは当たらないでしょうし。

     さ、行きましょうか。

ユミ   カナコちゃんの家の人は?

原田   支度して、後からいらっしゃるわ。

     あ、そうそう、二人とも晩ご飯はいらないって、言ってきたよね?

二人   はい!

原田   じゃ、行こう。


    三人去る。

    照明落ちる。短い暗転(照明の変化だけでも可)小学校の教室への転換。

 

4場


    先程より薄暗い。ホリは大黒幕。カナコとタカシ登場。


タカシ  どうして先に一人で来ちゃったの?

カナコ  どうしてかな…。何だかうれしくなっちゃって。変ね、私って。

タカシ  そんなことないよ。

カナコ  …ねえ、うちの子になるんだったら、絶対守らなくちゃならないこと教えてあげる。

タカシ  何?

カナコ  ご飯を食べるときにね、必ず最初にお味噌汁から口をつけるの。

タカシ  それって、普通じゃない?

カナコ  そうお?

タカシ  最初に箸を湿らせるんだろ。そうしないと、ほら、箸にご飯粒がいっぱいついたりして。

カナコ  なんだ、普通なのか。おばあちゃんがよく言うんだ。でも安心した。それならすぐ、家に来れる

     ね。あなたのお部屋はどうしよう。

タカシ  本気で考えてるの?

カナコ  本気よ私。あなたこそまじめに考えてよ。自分の事でしょ。

 

    タカシ苦笑する。

    二人、少し進んで教室に入る。


カナコ  ここが私の教室。六年二組。(と、二人教室の中に入る)私、一番前の列なんだよ。


    カナコ、自分の席に座る。


カナコ  ここが私の席。すぐ後ろがユミちゃんなんだ。ユミちゃんて、さっきの子。わかる?

タカシ  うん。なかなか信じてくれなかった子。

カナコ  ユミちゃんはね、学級委員してるの。頭いいんだよ。

タカシ  ふーん。


    タカシ、教室の中をしげしげと見回す。


カナコ  この学校、すっごく古いの。窓はサッシだけど、壁も床も木の板でしょ。隙間だらけ。冬なんか寒

     いの。トイレも少し前まで、水洗じゃなかったんだって。


    タカシ、教室の壁を見ている。何か探している様子。


カナコ  …なにしてるの?

タカシ  この辺の壁板に、穴が空いてると思ったんだけど。こんなおっきな穴なんだ…。

カナコ  どうしてそんなこと知ってるの?

タカシ  穴の中に宝物を隠したり、友達への秘密の通信を入れておいたりね。

カナコ  あなた、何年生?

タカシ  (カナコの質問を無視して)あ、この柱の傷。これはね、床屋のブンちゃんが切り出しナイフで削

     ったんだ。なんでかっていうとね、家の商売用の剃刀研ぎで磨いてきたもんだから、どれくらい切

     れるか試したかったんだって。それでこんなに削っちゃって、佐藤先生からメチャクチャ怒られた

     んだ。

カナコ  床屋って、ミシマ理容のこと?

タカシ  そう。

カナコ  あそこの子はもう高校生よ。名前だってブンちゃんじゃなくて、コウちゃんていうんだよ。

タカシ  そうだっけ? あ、見てご覧。ここに、おそ松君とチビ太とイヤミが彫ってあるだろう。これ、僕

     が彫ったんだ。彫刻刀の細いやつでね…。

カナコ  あなたが彫ったって? いつのこと?

タカシ  あった! ここだ。板が打ち付けてあるけど間違いない。(と、その板を剥がしにかかる、ジェス

     チャーでよい)

カナコ  何するの! やめなさいよ!


    意外に簡単に板が剥がれる。


タカシ  うん、この穴だ。(と、その穴に手を入れ、中を探る)

カナコ  私知らないよ。自分でちゃんと直しなさいよ。

タカシ  あった!(と、何かを取り出す。それは小さな茶筒である)

カナコ  なあに、それ?

タカシ  僕のタイム・カプセル。

カナコ  タイム・カプセル?

タカシ  そう、ここに入れといて、何十年かたった後、この校舎が壊されるときに取り出そうと思ってたん

     だ。

カナコ  どうして、今出しちゃうの?

タカシ  だって、校舎が焼けたら一緒に燃えちゃうじゃないか。

カナコ  ええ? だって、焼けないようにするんでしょ? そのために来てるんじゃない。忘れたの。

タカシ  …そうだったね。

カナコ  もっとも、もうすぐ壊して、建て直しちゃうんだけどね。

タカシ  …もうグランドに出よう。皆、来る頃じゃないかな。

カナコ  うん。でもね、カヨちゃんはどうしても来れなかったの。ユミちゃんとマユちゃんも、家の人はだ

     めなんだって。

タカシ  …そうか。君の家の人は?

カナコ  家は皆来るよ。原田先生と一緒にご飯食べることになったから。

タカシ  (安心した様子)良かった。

カナコ  何がいいの?

タカシ  何がって…。

カナコ  カヨちゃんが来れないのに、いいわけないでしょ。

タカシ  そうか、カヨちゃんたちとは仲良しなんだ。

カナコ  そうだよ。

タカシ  カナコちゃん。

カナコ  なに?

タカシ  君はきっと、僕を恨むだろうね。

カナコ  ええ?

タカシ  でも、僕にはこれ以上できないんだ。

カナコ  何言ってるのか全然わかんない! あなた変よ。

タカシ  わからなくてもいい。わからないほうがいい。(自分に言い聞かせるように)

     さあ、行かなくちゃ。


   タカシ、カナコに背を向けて走り去る。

   カナコ、タカシを追って去る。

   暗転(照明の変化だけでも可)


5場


   小学校のグランド。もう夜になっている。ホリは夜空。

   原田先生とユミ、マユ登場。先生はバケツと懐中電灯を持っている。


原田   わあ、夜来てみると、全然別の感じだね。

マユ   なんか、校舎が真っ黒で、かぶさってくるみたいに見えるね。

ユミ   あれ、プールのとこの公孫樹の木でしょ。あんなに大きかったかな?

原田   ゴヤの描いた巨人みたいだわ…。

ユミ   何それ?

原田   スペインの有名な画家が描いた絵よ。地平線の向こうを巨人が通り過ぎてゆくの。

ユミ   ふーん。

マユ   公孫樹の木、実がポロポロ落ちるのよね。今年も銀杏いっぱい食べられるかな。

ユミ   あの匂いは嫌だけど、食べるとおいしいよね。

原田   あらあら、あなたがたは芸術より食い気なのね。

マユ   先生。難しいこと言ってないで、花火しよう、花火。

ユミ   まだ誰も来てないじゃない。

マユ   だってもう、約束の七時過ぎてるんだよ。

原田   カナコちゃんの家の人、もうすぐ来るから待ってましょう。

 

    マユ、待ちきれない様子で花火を袋から出して見ている。

    カナコが登場。何か探すような様子。


ユミ   カナコ! 来てたの。

マユ   あの子は?

カナコ  いないのよ。さっきまでいたんだけど、教室からここに来る間にいなくなっちゃった。階段下りた

     ところまでは背中が見えたんだけど。

ユミ   やばいよそれ。あいつ放火しに行ったんじゃないかな。

カナコ  まさか!(先生の顔を見る)

原田   まさかそんなことはないでしょ。でも、こんな真暗な校舎でなにしてるんだろ。

カナコ  迷ってるんじゃないかしら。

原田   だとしたら、かわいそうね。この校舎、古いところに何回も建て増ししてるから、わかりづらいも

     んね。

マユ   お化けに捕まっちゃったのかな。

ユミ   お化けなんて。そんなの、いないよ。

マユ   夜中に職員室に電話がかかってきてさ、(と、受話器を取るしぐさ)「もしもし。私、メリーちゃ

     ん。今、校庭の花壇のところにいるの…」

ユミ   ばかばか、やめてよ!

原田   (二人にかまわず)捜しに行く?

カナコ  うん。

原田   あなたたち、ここで待ってる?

ユミ   行く! 行きますっ。

マユ   (ニヤニヤして)…恐いんでしょう。

ユミ   恐くなんかないよ! マユちゃん嫌い!


    三人、校舎のほうに去る。

    カナコの母と姉、登場。服装少し変わっている。懐中電灯持参。


母    おばあちゃん、よっぽど疲れたのね。お茶漬け食べて寝ちゃったわ。

姉    あんな無理して歩くことないのにね。

母    お父さんのお墓参りには決まって歩いてくのよ。自分でそう決めてるみたいなの。お寺近いからい

     いけど。

姉    どうしてかしら?

母    お父さんが生きてた時もね、お父さんの前だと、わざと元気に振舞ってたみたいなの。

姉    へー。

母    あら? 誰もいないんじゃない。

姉    遅くなったと思ったのにね。(腕時計を見る)もう、七時半だけど。

母    カナコもいないのね。あんなに飛び出して行ったのに。

姉    (そこに置いてあるのを見つけて)あ、これ花火。バケツも。

母    忘れ物でも取りに行ったのかしら。

姉    じゃ、ここで待ってましょう。


    二人、腰を下ろす。


姉    でも、放火があるから学校で花火なんて、子供だましよね。

母    そうね。花火がしたいだけなんだろうね。カナコが皆で遊びたい気持ちもわかるのよ。考えてみた

     らお父さんが亡くなってから、どこにも行ってないし。

姉    受験生としては迷惑な話だけど。

 

    突然、遠くから短い悲鳴が聞こえる。二人びっくりする。


姉    何、今の。

母    校舎の中から聞こえたみたい。カナコたちかしら。

姉    行ってみよう。


    二人、去る。

    暗転 ホリは大黒幕。



    校舎の中。真暗な中、懐中電灯の明かりが出てくる。


カナコ  マユ。マユ、どこ?

原田   マユちゃん、返事して。

ユミ   マユー。冗談やめて出てきてよー。

 

    タカシとマユが登場。


マユ   こっちよー。

カナコ  いた!

ユミ   何してんのよー。一人で勝手に行かないでよ!

原田   (マユの方を照らして)けがしてない?

マユ   大丈夫。この人急に出てくるんだもん、びっくりしちゃって。


    この間、照明、次第に、意識されないほどゆっくりと明るくなってゆく。


原田   この子がタカシ君?

カナコ  どこ行ってたの。捜しに来たのよ、私たち。

タカシ  ごめん。

原田   タカシ君、聞きたいことあるんだけど。私は…

タカシ  先生ですね。

原田   そう。君が、今晩この学校が火事になるって言ったのね?

タカシ  そうです。それは嘘じゃない。

ユミ   「それは」って?

タカシ  学校は今日燃えてしまうってこと。けど、それは放火でじゃないんだ。

マユ   えー、やっぱり嘘だったんだ。

ユミ   なーんだ。あんたがさ、このボロ校舎を花火みたいに燃やしてくれるんじゃないかって期待してた

     のよ。

カナコ  冗談はやめてよ。

タカシ  本当は、もうすぐ大地震がくるんだ。校舎は潰れて、その後、近くの家から出た火がうつって、そ

     れで

マユ   それじゃ、私たちがいたって、火事を防ぐことなんかできっこないじゃない。

原田   地震が来るってどうしてわかるの?

カナコ  そのノート見たんでしょ?

タカシ  信じてくれるよね。放火だなんて言って君たちを誘い出したのは、地震の時、家の中にいると下敷

     きになって危ないからなんだ。今日の地震はすごく大きくて、古い木造家屋はほとんど倒れてしま

     う。だからグランドにいたほうがいいんだ。


    この間に、懐中電灯を持った母と姉、登場。


マユ   あれ? 誰かしら。

姉    カナコなの?

カナコ  お姉ちゃん。

母    大丈夫? あら、先生もみなさんも来てたんですね。

タカシ  おばあちゃんは?

カナコ  おばあちゃんはどこ?

母    ごめんね、疲れて寝ちゃったの。カナコには悪いけどって言って。

姉    あんまり無理させられないでしょう。

カナコ  大変!

タカシ  どうしてわからなかったんだろう。とにかく外に連れ出さなきゃ。

     皆すぐここから出て! それから家の人に電話して、外に出るように言うんだ。カヨちゃんの家に

     もね。


    タカシ走り去る。


カナコ  どこに行くの!(タカシを追って走り去る)

母    カナコ!

ユミ   カナコちゃん!

母    一体どういうことなんですか?

原田   もうすぐ大地震がくるって言うんです。この校舎が潰れるくらいのが。

姉    地震? 火事じゃないんですか?

ユミ   私、恐い。

マユ   お家に帰りたい。

原田   (二人を抱き寄せて)まず、グランドに出ましょう。いずれにせよ、それからです。


    五人足早に去る。入れ替わるようにタカシとカナコ登場。

    緊迫した音楽。


7場


    ゆっくりと大黒幕が開き、夜空が広がってゆく。


カナコ  待って、待ってよ。私の家わかってるの?

タカシ  ああ。おばあちゃんを助けなきゃ! もう時間がない!

カナコ  おばあちゃん、死んじゃうの?

タカシ  死なせちゃいけないんだ。

カナコ  ねえ、本当に地震来るの? 私、わかんない!

タカシ  わからなくていいんだ!

カナコ  待って!


    二人、袖に去り、すぐに引き返す。(走った距離感を出すため)二人、カナコの家に着く。

    玄関を開けようとするタカシ。(しぐさだけ)


タカシ  鍵がかかってる!

カナコ  お母さんが持ってるんだ。

タカシ  裏口に回ろう!


    地鳴りが聞こえてくる。大きな揺れが二人を襲う。


カナコ  きゃあっ。

タカシ  しまった!


    地鳴りが大きくなり、建物の破壊する音、ガラスの割れる音などが響く。


タカシ  家が壊れる!


    タカシ、倒壊しつつある家に飛び込む。(手に持っていた袋を放り出して行く)


カナコ  あっ! タカシ君、危ない!


    轟音とともに家は完全に倒壊する。


カナコ  あーっ!(倒れ伏す)


    地鳴りが遠のく。静寂が忍び寄る。


カナコ  タカシ君? おばあちゃん?(立ち上がる)


    潰れた家を見て愕然とするカナコ。


カナコ  おばあちゃん。おばあちゃーん。どこ? 返事して。誰かいないの? 

     どうしてこんなに静かなの? みんな死んじゃったの?


    潰れた家から寝間着姿の祖母が這い出してくる。


祖母   カナコ…。

カナコ  ! おばあちゃん。

祖母   一体全体、何が起きたんだ。

カナコ  地震よ。

祖母   地震? そうか。お前は大丈夫か。

カナコ  私、何ともない。おばあちゃんは?

祖母   うん、大丈夫だ。隙間から出られた。お母さんたちは?

カナコ  学校。

祖母   そうだったな。グランドにいるんなら安全だ。

 

    カナコ、落ちている袋を見つける。


カナコ  おばあちゃん、今、おばあちゃんを助けに入った子がいるの。会わなかった?

祖母   ん?

カナコ  まさか、この下で…。


    カナコ、瓦礫の山に向かって呼ぶ。


カナコ  タカシくーん。(耳を傾ける)タカシくーん!

祖母   駄目だな。明るくならないとどうしようもない。あ、向こうで火が出たな。風がなくて良かった。

 

    カナコ、立ち上がって空を見る。カナコに照明が当たり、他は暗くなる。


カナコ  (独白)…全部、タカシ君の言ったとおりになった。たくさんの人が怪我したり、亡くなったりし

     ただろう。あの子は地震が来るのがわかっていたのになぜ皆に知らせなかったんだろう。そうすれ

     ば、その人たちも助かったかもしれないのに。…でも、誰も信じなかったかも知れない。私たちだ

     って、本気じゃなかったもの。

     ユミちゃんやマユちゃんの家の人は無事なんだろうか。カヨちゃんはどうなったんだろう。タカシ

     君はこの家の下敷きになってるんだろうか。


    照明戻る。

    母と姉、駆けつける。先生とユミ、マユも続いて登場。先生は二人をかばうようにしている。


母    カナコ! おばあちゃんも。良かった!

カナコ  おかあさん!(駆け寄り、抱き合う)

祖母   一家全員無事か。なによりだ。うん。

母    どこか打ちませんでしたか?

祖母   大丈夫。足はあいかわらずだけどな。


    元気な言葉に反して、寒そうな様子。母、それを察して上着を脱ぎ、祖母に掛ける。


姉    私たちの家、なくなっちゃったのね。

母    ここに来る途中の家、軒並み壊れてたわ。うちだけ助かるとは思ってなかったけど、こんなに見事

     に潰れてるなんて。

ユミ   先生、私たちどうしたらいいの?

マユ   (泣き声)みんな壊れちゃった。みんな死んじゃったんだ。マユは独りぼっちなんだ。

     もう嫌だー…

原田   しっかりして! 大丈夫よ、カナコちゃんのおばあちゃんみたいに、みんな無事で、あなた方を待

     ってるわ。でも、今は離れないでかたまってたほうがいいの。明るくなったら逢えるから、だから

     泣かないで。


    この辺からサイレンの音、騒音など聞こえだす。


姉    あ、誰か出てきた。

母    お向かいの青木さんよ。良かった。青木さん。(と、袖に去る)

カナコ  早く明るくなれ! 明るくなったら、お姉ちゃん、手伝ってね。

姉    何?

カナコ  助けるのよ。タカシ君がこの下にいるんだ。

姉    ええ! 本当?

カナコ  家が潰れる直前に、飛び込んでいったの。

姉    何で? どうして家になんか?

カナコ  おばあちゃんを助けるためよ。

姉    どうしてあの子が家のおばあちゃんを助けなきゃなんないの?

カナコ  どうしてって…。とにかく、入ったまんま出てこないんだから。

母    (戻ってきて)小学校はもう火がまわってだめですって。それで皆さん、公園まで避難するんです

     って。私たちも行きましょう。

原田   あの公園も避難場所になってるから、あなたがたのお家の人も来るはずよ。

ユミ・マユ (うなづく)カナコちゃんも行こう。

カナコ  私、ここにいる。

姉    カナコがいたってどうしようもないでしょ。

カナコ  励ましてやるんだよ。「がんばれ」とか、「もうすぐ助けが来るぞ」って。

ユミ   逃げたんじゃないの? あの子って、急に出てきたり、いなくなったりするじゃない。きっと、ま

     たどっかから出てくるよ。

カナコ  そうだといいけど。

母    余震が来るかもしれないから、早く安全な所へ行かなきゃならないの。お母さんの言うこと聞い

     て!

原田   カナコちゃん、お母さんの言う通りにしたほうがいいわ。

 

    カナコ、仕方なく皆と一緒に去るが、家のほうを振り向いて、


カナコ  タカシくーん。


    暗転


8場


    明転

    公園。夜空に満天の星が輝いている。ビニールシートの上にカナコの家族、原田先生たちがいる。


原田   あの子、ほんとに身寄りがないのかな。誰かに連絡したいんだけど。何か手がかりないかしら。

カナコ  これ、あの子の。(と、袋をさしだす)

原田   この際だから、中、見せてもらうわ。(と、中身を出してみる)ノートが一冊…

カナコ  未来が書いてあるノート。

原田   これが?(と、ノートを開いてみ、カナコにノートを渡して見せる)

カナコ  真っ白!(ノートを返して)何も書いてないのに、どうして先のことがわかったんだろう?

原田   本人に聞いてみるしかないわね。(ノートをしまい、次に、茶筒を取り出し)これ、何かしら。

カナコ  タイムカプセルだって。教室の壁の中に入ってたの。

原田   タイムカプセル?(と、こじ開けようとするが)あら、だめだわ開かない。(茶筒を袋に戻し、お

     もちゃを取り出して)これは、サンダーバード4号ね。これだけじゃ何もわからないわねえ。


    先生、袋をカナコに返す。

    ユミとマユ登場。


ユミ・マユ 先生。

原田   どうだった?

ユミ   お母さんは大丈夫だった。あっちにいるよ。お父さんはまだ会社から帰ってきてない。電話が通じ

     ないから、どうしてるかわからないの。

原田   そう。

マユ   私のとこは、私が電話してすぐに外に出たから皆大丈夫だった。むこうの車の中で寝てるの。それ

     からこれ、売り物だけど、この際だから食べてもらいなさいって。(と、袋を差し出す)

原田   なあに? あら、お菓子がいっぱい。

マユ   先生とカナコちゃンちの分。わけてね。

原田   ありがとう。そう言えばお腹空いちゃったね。(と、少し取ってポケットに入れ)

     はいカナコちゃんの分。(と、袋をカナコに渡す)

カナコ  カヨちゃんは?

ユミ   それが、全然わからないの。近所の人も探してるんだけど。家はもうメチャクチャだって。

マユ   いくら呼んでも返事がないんだって。

原田   あの時、カヨちゃんのとこには電話できなかったからね…。

マユ   あの子、どうして放火だなんて言ったんだろう。初めから地震だって言えば良かったのに。

ユミ   なに言ってんの、偶然よ。地震の予知なんて絶対できないって、テレビで言ってたよ。あの子は

     ね、晩ご飯にありつけないってわかって逃げ出したのよ。

カナコ  そんなことないよ。みんなタカシ君に助けられたんじゃない。

ユミ   助けられたって? じゃあ、カヨちゃんは? カヨちゃんは助けられなかったって言うの?

     あの子が言ったのは嘘で、それが偶然にあたったのよ。ねえ、そうでしょ。そう思わなかったら…

カナコ  わかった。ユミちゃん、わかったよ。

マユ   …ユミちゃん、行こう。


    ユミ、マユ去る。


原田   さて、私もアパートを見てから学校に行かなくちゃ。

カナコ  学校? 何しに行くの?

原田   私の職場よ。こういうときは職員が集まることになってるの。校舎は焼けちゃったけど、きっと避

     難所になるから片づけなくちゃ。テントが残ってたらグランドに張って、水道やガスが使えるかど

     うかも調べなきゃね。

     カナコちゃん、学校なるべく早く始められるようにするから、元気で待っててね、お家の人を大事

     にしてね。

カナコ  はい。


    原田先生、去る。

    カナコ、家族の所にもどる。母に、マユからのお菓子の袋を渡す。


祖母   …あーあー。(うわ言)

母    ? どうしたのかしら。

祖母   あー、わかった、わかったよ、タカユキ。

カナコ  タカユキって、お父さんの名前だよ。

姉    何がわかったんだろう?

母    寝言よ。寝言に返事するのはいけないって言うわ。

祖母   今行くから。

母    おばあちゃん?

姉    どこに行くのかしら? まさか、お父さんがお迎えに来たりして…

母    バカなこと言うんじゃありません! おばあちゃん、起きてください! おばあちゃん!

祖母   うーん。…ああ、どこだ、ここ?

母    公園です。皆さんと一緒に避難して来たんですよ。

祖母   あー、そうだった。あれ、タカユキは?

母    しっかりしてください、おばあちゃん。お父さんはいません。夢を見たんですよ。

祖母   夢かー。(普段と様子が違う)

カナコ  どんな夢だったの? おとうさん出てきたの?

祖母   おばあちゃん、風呂に入っててな、それが水風呂で、寒い寒いと思ってると、お父さんが、冷たい

     だろうって言ってマキくべてくれたんだ。あれは昔の家の風呂桶だったなー。

母    おばあちゃん、しっかりしてくださいね。おばあちゃんがいてくれるから、私もなんとかやってい

     られるんですから。

祖母   あーあー、わかってるよ。こんな時だからしっかりしなけりゃね…(と言いながら、うなだれてし

     まう)

母    おばあちゃん?(と、抱きかかえて)あら、熱がある! 大変!

 

    祖母は熱にうなされる感じで語り始める。


祖母   三十年前も、今日みたいに家がなくなってしまったっけ。今の家はその後、お祖父さんが苦労して

     建てたんだ。

     あの時、お父さんはまだ小学生だった。今のカナコくらいのな。あの日は私、出かけていて、あの

     子が一人で留守番しててな。

母    おばあちゃん、しゃべらないで、安静にしててください。


    母、祖母を寝かせ、ある限りのものを着せかける。娘たち手伝う。


祖母   それでな、寒い日で、ストーブつけてたんだ。あの子は何かした拍子に、そのストーブ倒してしま

     ったんだ。

姉    じゃあ、お父さんが火事にしちゃったのね。

祖母   あの子は恐かっただろうけど、子供なりになんとか火を消そうとしたんだな、風呂場から水汲んで

     きてかけたりしたらしいんだけど、石油が燃えてるんだから、かえってひどくなってな。

母    そんな話、初めて聞いたわ。

祖母   私が帰った時はもう、家がボウボウ燃えててな、いやびっくりしたけど、近所の人から「あんたん

     とこの子供、まだ中にいる」って言われて、もう…

     夢中で名前呼んだ。そしたら「かあちゃあん」て声聞こえたんだ。確かに聞こえたの。私はその声

     めがけて飛び込んだ。目の前真っ赤になったけど熱いなんて感じない。あの子は風呂場の風呂桶の

     中で丸くなってた。抱きかかえて外に出ようとしたけど、崩れてきた柱に足はさまれて…もうだめ

     だ、この子とここで死ぬんだ、と思った。

母    その時なんですね、足怪我したのは。

祖母   そう、それで観念したとき消防の人が来て助けられたの。一歩遅かったら二人とも死んでた。

カナコ  お父さんは?

祖母   あの子は怪我はしなかったけど、煙吸って意識がなかった。あとは病院で別々になってしまって、

     次に会ったのは一月も後で、その時にはもうすっかり人が変わっていてな。

カナコ  人が変わってた?

祖母   自分のせいで家焼いて、母親に一生残るような怪我させたって、口には出さないけど心の中で自分

     を責めてたんだろ。明るいところがなくなってしまってな。(涙を拭う)いつも何か遠慮してるみ

     たいな、そんな子になってしまった。

母    知らなかった…どうして教えてくれなかったんですか。

祖母   あの子がそんなふうになったのも、一人にして出た私が悪かったんだと思ってね、あの子の重荷を

     少しでも軽くしてやろうと、足が痛くても平気なふりして…あの子の心の傷に触らないように触ら

     ないようにしたんだけど…。そのまま三十年経ってしまった。

母    それがわかってたんでしたら、私も何かあの人のためにしてやれたのに…

姉    お父さんって…やっぱり馬鹿だわ。そんなことにこだわって。(涙ぐんでいる)

祖母   やっぱり私が悪かったんだね。

カナコ  違うよ! 誰も悪くない! お父さんだって自分を責めたりなんてしてない。お父さんはそんない

     じけた子供みたいな人じゃない。

母    カナコ…。

カナコ  お父さんのことわかってあげて。

母    そうね。お父さんとは十年いっしょにいたけど、カナコのほうがずっとわかってるのね。

姉    (立って)私、薬がないか聞いてくる。なかったらお医者さん探す。おばあちゃん放っておけない

     もの。

母    一人で大丈夫? お金まにあう?

姉    大丈夫。なんとかなるわよ。カナコ、後頼むね。

カナコ  お姉ちゃん?


    姉、去る。祖母、母、カナコの3人が残った。星空、一段と冴える。


祖母   きれいな星だねえ。辛い目にあったことも忘れてしまうようだ。

母    ほんとにきれい。

     星空を眺めるなんて何年ぶりかしら。こんなにきれいな空が私たちの上にあったんですね。


    照明が落ちてゆき、カナコ一人が浮き出てくる。但し、星は最後まであってほしい。


カナコ  (独白)お父さん。お空にいるンなら教えて。私たちこれからどうしたらいいの?

     タカシ君はどこに行っちゃったの? 私の弟じゃ嫌だったのかな。お兄ちゃんの方が良かったか

     な? ほんとは、お兄ちゃんでもよかったんだ。


    暗転


9場


    二・三日後の午前中、同じ公園、いくつか荷物の包みがある。

    姉とカナコがシートを畳んでいる。

    母が自宅からもどってくる。


母    ただいま。(いくらかの荷物を持っている)

姉・カナコ お帰りなさい。

母    (荷物を置いて)もう、掘り出せるものもないわね。後はパワーショベルかなんかで片づけてしま

     うんですって。

姉    お金と通帳、はんこ、仏壇の位牌。着替えと毛布があるんだから十分よ。

カナコ  (荷物を開けて)あー、アルバムだ。これ押入の奥にあったんでしょ。よく取り出せたね。

母    それが、おばあちゃんの出てきた隙間から入ったら目の前にあったの。昨日は気づかなかったんだ

     けど。

カナコ  このアルバム、古いね。見たことないんじゃない?

母    それは、お父さんの。お母さんもずうっと見てないな。

姉    じゃあ、お母さんと出会う前のお父さんが写ってるんだ。

カナコ  見よう見よう。


    姉とカナコ、見始める。


姉    わあ、どれがお父さんかわからない。

母    えー、どれどれ、…これよ。

カナコ  へえー。

母    お母さん、病院のおばあちゃんの所に行くからね。

姉    はい。いってらっしゃい。

カナコ  いってらっしゃい。


    母、去る。

 

声    カナコちゃーん。

 

    ユミ・マユ登場。


カナコ  おはよう。ユミちゃん、叔父さんとこから来たの?

ユミ   うん、家族全員で金目のもの掘り出しに来たの。あれ、テント畳んじゃったの?

カナコ  うん、ここに仮設住宅建てるんだって。もう工事が始まるから、できるまで学校のグランドに移る

     の。

マユ   グランドに行っても、やっぱりテントなんでしょ。

カナコ  でも四・五日でここに戻れるみたいよ。

ユミ   カナコ。

カナコ  なあに?

マユ   早くいっしょに学校で遊びたいね。

カナコ  そうね。


    ユミ・マユ、笑いをこらえている様子。


カナコ  どうしたの? 二人して。変なの。

ユミ・マユ (袖に向かって)もう出てきていいよー。


    カヨ登場。


カヨ   やあ。

カナコ  カヨちゃん!

カヨ   ごめんね、連絡できなくて。

カナコ  今までどうしてたの?

ユミ   それがさー、あの日弟が肺炎で入院したんだって。

マユ   それで地震の時は家族全員病院に泊まってたんだってー。

カナコ  なーんだー。(笑)

ユミ   いくら呼んでも返事しないわけよねー。心配させちゃってさー、もう。

カヨ   だからごめんって言ってるでしょう。

カナコ  良かったー。


    アルバムを見ていた姉が、ある写真に注目する。


姉    あら、これ、お父さん? ねえ、カナコ。ちょっと見て。

カナコ  なあに。

姉    この写真見て。

 

    カナコ、写真を見る。そこには一人の男の子が写っているが、それはタカシのようにも見える。


カナコ  ?!

姉    あの、タカシって子に似てない?

カナコ  そっくりだ。でも、どうして?

ユミ・マユ・カヨ ?

 

    カナコ、アルバムを三人に渡し、傍らの袋から茶筒を取り出し、思い切り壊す。


姉    カナコ、何するの?

ユミ   それ、何?


    中からは小さな紙が出てくる。その紙を開いて読む。


カナコ  タカシくんのタイムカプセル。

ユミ   タカシくんの?

カナコ  「大人になった僕に、十二歳の僕より。昨日僕は退院した。お母さんはまだ入院している。今日、 

     ブンちゃんが来た。ブンちゃんは泣いて僕に謝っていた。僕は覚えていないと言った。実際、煙を

     吸ったせいかよく覚えていないし、ブンちゃんのせいにするつもりもないのだから。…

マユ   ブンちゃんって誰?

カナコ  (かまわずに読む)お母さんはまだ歩けない。一生歩けないかもしれない。お母さんは自分の足と

     ひきかえに僕を助けてくれた。僕はお母さんに生んでもらって、また助けてもらって、二度も命を

     もらった。僕はいつかきっとお母さんの命を助けるつもりだ。でもそんな時は来ないほうがいいの

     かも知れない。…」

姉    どういうことなの?

カナコ  これお父さんが書いたんじゃない?(と、紙を姉に渡す)

姉    え?(紙に目を走らせる)

ユミ   カナコ、今、タカシくんのって言ったじゃない。

カナコ  お父さんがタカシくんだったんだ。

ユミ・マユ・カヨ ええー?

姉    カナコ、おかしなこと言わないで。

カナコ  お父さんが、おばあちゃんを助けに三十年前からやってきたんだ。

姉    カナコ…。

カナコ  お父さんが私たちを助けてくれたんだ!

ユミ・マユ・カヨ カナコちゃん!

姉    カナコ!(とカナコを抱きしめる)ほんとにそうだったらいいね。お父さんが私たちを助けてくれ

     たんだったら、どんなに嬉しいかしれない。

カナコ  お姉ちゃん。…

姉    私たちを残して逝ってしまったお父さん。居て欲しいときにいてくれなかったお父さん。

     でも、ずっと見ていてくれたんだったら…。


    カナコと姉、手を取り顔を見合わせる。

    幕

 

自作高校演劇脚本①『マイ・ブルー・ヘヴン』

 『マイ・ブルー・ヘヴン』 作・佐藤俊一(これはペンネームです)

 

時   現代の秋(この作品は平成初めの頃に書きました。およそ30年前と考えてください。)

所   天上、中学校、中学校の屋上、百合子の家(それぞれ少しの装置でよい。抽象的装置でもよい)

キャスト

  二級天使
  小悪魔   (中性的存在であり、男子でないほうがよい)
  百合子   (中学三年生 左肘から先が義手の設定義手と見えるような何らかの方法をとること〉
  百合子の母 (三十六才)
  ヒロ子   (百合子の同級生、幼友達)
  トモ子   (百合子の同級生、必ずしも不良というわけではない)
  同級生1~2名 (トモ子の友人)
  美術の先生 (百合子の担任、二十六才、美術教師。担任を別にしてもよい。男子でも可)
  隣家の主婦 (三十六才、先生との二役も可)

音楽  CD「RADIO HEAVEN」より『私の青空』『ヘブン』

 

 


   音楽フェードイン
   幕開き(ホリ、天上の青色)
   二級天使登場

 

天使  皆さん、こんにちは。私は天上にいて、人々を幸せにすることを生業とする天使でございます。

    天使と申しましても、ピンからキリまでございまして、キリのほうから、三級・二級・一級・

    特級、そして大天使と位が分かれております。

    天使も修行を積んで初めて位があがるのでして、その修行の間に道にはずれたことをしますと

    落第して、悪魔のたぐいに身を落としてしまうのです。

    そうなんです。悪魔は天使のなれの果てなんですよ。

 

   こう言っているうちに、小悪魔登場。

 

悪魔  よう、あいかわらずおしゃべりだな、下っぱ。

天使  なんだ、お前か。

悪魔  頭に輪っかが無いところを見ると、まだ二級でウロウロしているとみえるな。

天使  よけいなお世話だ。お前こそ、こないだ落ちていったと思ったら、悪魔の下働きをさせられて

    いるんだな。何の用があって天上に舞い戻った。

悪魔  いや、用事は無いんだが、懐かしくてな。あっちは暗くて、慣れるまではどうも…。

天使  ふん。ところで、今は何をやっているんだい。

悪魔  初心者としてはたいしたことはやれないが、まあ面白いことをやってるよ。

    人間どもを幸せにしてやってるんだ。

天使  えぇ?そりゃ変だよ。人を幸せにするのは、私たち天使の役目、小悪魔のお前がなんで…。

悪魔  (口真似)えぇ?そりゃ変だよ。悪魔だって、もとはといえば天使だぜ、不思議はあるまい。

    大体天使が人間を幸せにしたなんてことがあったかい?なりゆきまかせの偶然で幸せになったり、

    不幸になったりしているだけじゃないか。その点、悪魔は違う。偶然を必然に、「かもしれない」を

    「ねばならない」に変えてやる力があるんだぜ。

天使  お前、角もないのにそんなことできんのかよ。

悪魔  けっ。お互い様だろう。

天使  『不幸な人に幸せを、涙の人に微笑みを』これが天使の歌い文句じゃないか。本家のお株をとっちゃ

    いけないよ。

悪魔  あんたたちは頼まれもしないのにおせっかいをやき、いざ頼まれた時は知らんふりするじゃないか。  

    俺たちは助けるべき人間は確実に助けるんだよ。

天使  そうして魂をとるんだろう。

悪魔  そりゃあ。報酬ってやつだろぉ。

    とにかく、人間の願いをかなえることにかけちゃぁ天使になんぞ負けないんだ。

    天使にそんなに力があるんなら、とっくに戦争だの災害だので死ぬ人間はいなくなってるはずだろ。

天使  だから、お前たちが邪魔してんじゃないか。

悪魔  えぇい、めんどうな。それじゃぁ、どっちが本当に人間を幸せにできるか試してみようじゃないか。

    ま、あんまり大きなことはできないから、誰か一人を選んで力競べだ。

天使  うーん。

悪魔  嫌だなんて言わせないぜ。さーてと、この真下にいる人間は、と。おやどこかの中学校だな。


   小悪魔と二級天使、下を覗く。中学校の屋上になる。生徒数名、思い思いの場所でスケッチブックを

   開いている。美術の時間である。百合子、上を向いている。

   美術の先生登場。


先生  (百合子の絵を覗きこんで)あら、百合子さん、これは…。

百合子 空です。雲一つない秋晴れの空。

先生  …どうりで一面、青。ねえ、見てごらんなさい。あの山の色。『錦織りなす』とはよく言ったもの

    ね、きれいな紅葉じゃない。むこうの人は山並みを描いてたわよ。

    そっちの人は、ほら、あの建物。緑の屋根の時計台がかわいいでしょう。
    …どうして、あなたは、ただの空なの?

百合子 ごめんなさい。実はあんまり気持ちがよくて、うつらうつらしてて時間がなくなっちゃったんです。

先生  まあ。(二人、笑う)百合子さん、一学期の自画像はよく描けていたわよ。とっても明るい表情で、

    あなたの特徴が出ていたわ。二学期の風景画も期待してるからね。さあ、皆さん、もう時間です。

    次の時間からは油彩の道具が使えますから、新しくキャンバスに描いてもらいます。

    それじゃ、片付けてください。

 

   先生、退場。

   生徒たち、道具を片付けはじめる。百合子、右手だけで器用に片付ける。

   ヒロ子、百合子に近寄ってくる。


ヒロ子 百合子、次の理科のテスト、勉強してきた?私、今の時間、参考書見てたんだけど、全然わかんな

    い。どうしてこんなものが世の中にあるのかしら。

百合子 (笑いつつ)私、夕べ頑張っちゃった。おかげで眠くて眠くて。

ヒロ子 百合子はいいわぁ国語でも数学でも、何でもできるんだもの。

百合子 そんなことないよ。ほら、今覚えた公式言ってごらんよ。

ヒロ子 うん、『x=vt』…

百合子 そう、「距離は速度かける時間」っていうことよね。


   二人、仲良く去る。暗転。舞台前に二級天使と小悪魔、登場。


悪魔  あの百合子という人間がサンプルにいいようだ。

天使  しかし、見たところ平均よりは幸せそうだな。もっと不幸に泣いてる人、あの理科の苦手な子なんか

    がいいんじゃないかな。

悪魔  おっと。だから天使さんは甘いってんだよ。もっとよく観察してみなけりゃ、幸せかどうかなんて

    わかりっこないぜ。

    さあ、俺たちもこの中学の生徒になって、あの子に近づくとしようぜ。

天使  いいだろう。

 

   明転。 下校の路上。生徒たち帰ってゆく。百合子とヒロ子、登場。


ヒロ子 あーあ、やっぱりできなかった。理科のテスト。一夜づけ、いやいや、一時間づけじゃぁ無理か、

    やっぱり。


   トモ子、慌てて駆けてくる。


トモ子 バイバーイ。

ヒロ子 あれー? トモ子、もう帰るの? 講習は?

トモ子 (立ち止まって)私、今日用事あんの。あんただって講習どうしたのよ。

ヒロ子 今日は、百合子のおかあさんが風邪で会社お休みしたから、早く帰るの。

トモ子 あんたは?

ヒロ子 助太刀よー。

トモ子 すけだちー? ばかみたーい。(と言って去る)

ヒロ子 あれ、講習さぼってデートなのよ。東高の二年生とつきあってるの。あと半年で高校受験だっていう

    のに。トモ子は私立専願だもんねぇ、金のない家の子は公立専願。私なんか「へたすると市内の高校

    には入れないかもしれないぞ」なん土人唇のやつが言うのよ。

百合子 どじんくちびる?

ヒロ子 井上のことよ。井上先生。(笑い)

百合子 ハハ…。だいじょうぶよ。こないだの模試、良かったんでしょう?

ヒロ子 うん。こないだは調子良かったんだ。これが続けばいいんだけどね。

 

   トモ子、慌てて戻ってくる。何か探し物の様子。


百合子 どうしたの?

トモ子 バスの定期落としちゃったみたいなの。やだー間に合わないー。

ヒロ子 講習さぼってデートしようとした罰だよ。

トモ子 やだー。ちゃんと入れといたのにー。


   そこへ小悪魔、学生服で登場。カバンを持っている。


悪魔  ねえ、ねえこれじゃない?(と派手な定期券入れを差し出す)

トモ子 え?あ、それよ、それ!(と近寄ってひったくるように受け取る。その時、小悪魔の顔を見て、一瞬

    見とれる)ど、どうもありがと。じゃーねー。

 

   トモ子、飛ぶように退場。小悪魔、百合子に向かって

 

悪魔  それから、これは君のじゃないかな。(とハンカチを差し出す)
百合子 え? あれ、(とポケットをさぐって)いつのまに落したんだろう? どうも…。

    (と受け取る。その際、カバンを左脇に抱えて、右手で受け取る)

悪魔  後ろを歩いていたら、ポケットからはみだしてるのが見えてさ、あぶないなと思ってたら、案の定、

    落ちちゃったんだよ。ついでにあの子の定期券も拾ったってわけ。

百合子 どうもありがとう。…同じ学年なのね。

ヒロ子 見たことない顔ね?

悪魔  まだ転校してきたばかりでね。ねえ、君たち仲がいいんだね、いつもいっしょにいるようだからさ。

ヒロ子 そう、私たちは幼稚園からずーっといっしょに遊んだ仲なの。(調子をつけて)喜びも悲しみも

    ともにしてはや十年…(笑い)

悪魔  君、悲しいことなんてあったの?

ヒロ子 失礼しちゃうわねー。そんないつも笑ってたらまるでバカじゃない。私たちだって幾多の苦難を乗り

    越えてここまで来たのよ。

悪魔  幾多の苦難って?

ヒロ子 それは、それはたとえば、この百合子なんかね、…

百合子 あ、あの、私たち急ぎの用事があるから失礼するわ、ハンカチ拾ってくれてどうもありがとう。

    じゃぁ。(とヒロ子をつれて去る)

悪魔  またね。 ふん、悲しい苦しいって言うやつほど、存外楽に暮らしているものだ。

    一見幸せそうな顔している人間こそ、本当は不幸を背負っているものなのだ。本人が自覚している

    かどうかは別として。悪魔の勘は外れはしない。なかなか面白くなりそうだぞ…。

 

   二級天使、制服で登場。カバンを持っている。


天使  おい、お前また何か悪いことたくらんでるな。そうだろ。

悪魔  うるさいな。あんたも女子中学生になったんだから、もっと言葉づかいに注意しなさいよね。

    しかしこうして見ると、まるっきり人間の女だなあ。なかなか可愛いぜ。

天使  あら、そうかしら。(照れる)

悪魔  けっ。 …さて、仲良く帰りましょうか、お嬢さん。

天使  はい。


   二人、手を組んで去る。暗転。百合子の家になる。百合子の母と隣家の主婦、お茶を飲んでいる。
   母は、寝巻に何かはおっている。百合子、帰ってくる。後ろからヒロ子。

 

百合子 ただいま。あら、今日は。ま、かあさん、起きてていいの?

主婦  お帰りなさい。また上がりこんでるの。なんか今日はさ、おかあさんの出かけるのが見えないからさ

    寄ってみたら、風邪だっていうじゃない。それで朝からずーっと寄りっぱなし。(笑い)

母   お世話になっちゃって。もう、夕飯の支度もしてもらったのよ。おかげで、すっかり良くなった。

ヒロ子 おじゃまします。

母   あら、いらっしゃい。どうぞあがって。

百合子 ヒロ子なんか、御飯の用意手伝うんだって、張り切って来てくれたのよ。

母   まあ、どうも御免なさいね、わざわざ。

主婦  いい友達持って、幸せじゃない。

百合子 あーあ、こんなんだったら二年生と部活してくるんだったな。

主婦  百合ちゃん、まだ部活やってるの? もう受験勉強しなきゃならないんじゃないの?

母   何をさておいても、絵を描くことだけはやめないんだから。(笑い)

主婦  いいわよねー、それでも公立のいいとこに入れるんだから。私のところのバカ息子なんかさー。

百合子 バカ息子だなんて。ケンちゃんが聞いたら怒るわよ。

主婦  バカって言われて怒るくらいだったらまだいいのよ。もう、何言っても馬の耳になんとかでさー。

ヒロ子 あの、私帰ります。おばさんも元気になったようだし。

    おかげで早く帰れたから、家で勉強でもします。

母   そう? 本当に御免なさいね。心配していただいてありがとう。また来てくださいね。

百合子 ほんとに勉強するんだよ。弟のゲーム取り上げたらだめだからね。(笑い)

ヒロ子 さよならー。(ヒロ子、退場)

母   いい子供さん。

主婦  ほんとね。

百合子 私、着替えてくる。(と退場する)

主婦  百合ちゃんも来年は高校生か。はやいもんだねー。あんたも、一人でよくここまでやってきたね。

母   あっというまね、十年なんて。でも、まわりにいい人ばかりいてくれたから、やってこれたんだって

    思ってるのよ。あの子が変にひがまずに育ってくれたのも皆のおかげ。

主婦  百合ちゃん、小学生の頃は看護婦さんになるって言ってたけど、今は違うんでしょ?

母   そう。あの体じゃ、患者さんを扱えないってわかったのね。今は、普通に会社勤めするって考えてる

    みたい。

主婦  大学までは無理? 成績いいんだもの。

母   短大くらいなら、行かせてやりたいんだけど…。本人にその気がないと。

主婦  もったいない。でもさ、少しでも箔を付けてあげておいたほうがいいんじゃない?

    将来、結婚するとき…

母   結婚ね…。いい人がいるといいけど。


   百合子、着替えて登場。


百合子 今日のおかず、何? おなかすいちゃった。

母   おばさん得意の、焼きそばよ。

百合子 そう。でも、おばさんのとこはどうするの?

主婦  へへー。ついでに焼きそばでーす。材料、六人前あるの。

百合子 なーんだ。(笑い)

主婦  でも、百合ちゃん帰ってきたんだから、私も帰ろう。朝出たまんま、何にもしてないんだから。

    だんなが帰ってきたら、びっくりしちゃうよ。焼きそばの材料、家の分もらってくね。

母   どうぞ、いっぱい持ってって。私、まだあんまり食べられないから。

    ほんとにありがとう。助かったわ。

百合子 どうもありがとうございました。あとは娘の私がひきうけます。(笑い)

主婦  ハハ…。どうぞよろしく。(と台所の方に去る)

百合子 熱、下がったの?

母   うん。薬飲んだら、昼頃にはもう平熱になった。

百合子 会社でいくら頑張っても、体こわして休んだら何にもならないでしょ。

母   ハイ、ハイ。

主婦  (声だけ)じゃあ、もらって行きまーす。お大事にー。

母   はーい、どうもねー。

百合子 さてと、焼きそばでも焼くか。

母   えー、まだはやいんじゃない?

百合子 おなかすいちゃったんだもの。いいでしょ?

母   ハイ、お言葉のままに従います。


   百合子、そばにあるエプロン(首に掛ける部分がある)を取り、器用に身に付ける。


母   百合子、あんた、やっぱり北高受けるの。

百合子 うん。近くていいじゃない。

母   西高だっていいんでしょう?

百合子 あのね、北高の美術の先生、面白い人なんだって。名前がね、なんとか・満。ていうんだって。

母   ナントカマン? あだ名? アンパンマンの仲間?

百合子 違うけど。「満」って感じで書いて、「みつる」って読むのよ。

母   あぁ…。あんた、美術部の顧問で高校選んでるの?

百合子 そればっかりじゃないけど。


   電話が鳴る。百合子、受話器を取る。


百合子 ハイ、佐藤です。ハイ…ハイ。おかあさん、高木さん。(と冷たい感じで受話器を渡す)

母   あら、…はい、かわりました。…ええ、ちょっと熱があったものですから、休ませてもらったんで

    す。いえ、もう大丈夫です。たいしたことありませんのよ。…そんな…娘も帰ってきてくれましたの

    で。あ、先日は、結構なものを送っていただきまして、ありがとうございました。どうかお気遣いな

    く。…はい、では失礼します。


   百合子、それとなく聞いているが、なんとなく非難するような気配。

 

百合子 あの人、お見舞いに来るの?

母   ん? そう言ってたけど、ことわった。

百合子 会社にも電話してくるの?

母   え? ああ、今日はたまたま仕事のことでかけたみたい。

百合子 そう。…ねえ、おかあさん、あの人のこと、どう思ってるの…。

母   どうって?

百合子 ううん、さあ! 焼きそばつくろー。


   と台所に去る。小悪魔、やってくる。


悪魔  (声)こんにちは。ごめんください。

母   はい。どなた?(と玄関に出ようとする)

悪魔  (声)百合子さんの友達で、児玉といいます。

母   コダマさん? どうぞ、あがってください。

悪魔  失礼します。(と入ってくる)突然お訪ねしてすみません。先程、百合子さんの落としたハンカチを

    拾ってあげたんですが、その時、僕のカードといっしょに渡してしまったようなんです。

母   まあ、そうですか。今呼びますから。百合子。百合子、お友達、児玉さん。

 

   百合子、台所から登場。


百合子 児玉さん? 知らないよ。…あら、さっきの。

悪魔  さっきはどうも。あのハンカチに僕のカード、はさまってなかった?

百合子 何もなかったけど…。見てみるわ。(と部屋に去る)

母   百合子と同級ですか?

悪魔  いえ、実は僕、最近転校してきて、さっき知りあったばかりなんです。

百合子 (部屋からもどって)これ?(とカードを差し出す)さっきは全然気がつかなかったのに…

悪魔  ああ、これだ。やっぱり、僕のポケットに入れた時、いっしょになっちゃったんだ。これなくすと

    大変なんだ。(家の中を一回り見回して)それじゃ僕は帰ります。

 

   百合子、玄関まで送るつもり。


悪魔  (帰りぎわに、百合子に)百合子さん、おとうさんいないの?表札を見たんだけど、おかあさんの

    名前でしょ。

百合子 え? そう。もう十年も前に亡くなったの。

悪魔  ふーん。病気で?

百合子 …事故よ。

悪魔  ふーん。大変だね。

百合子 (少しムッとして)さよなら。

悪魔  じゃ、またね。(と去る)

母   今時珍しい、きちんとした男の子ね。

 

   百合子、無言で母の傍に座る。母いぶかしげに見やる。


母   どうしたの?

百合子 なんか、食欲なくなっちゃった。(傍らの雑誌など取り上げて読む)

母   お腹すいたって言ってたじゃない。

百合子 いいの。

母   変なのね。…今の人と何かあったの?

百合子 何もあるわけないじゃない。

母   かっこいい子だったよね。タイプじゃない?

百合子 そんなんじゃないって。

母   そう。


   間。 母、所在無げ。


百合子 (唐突に)…おとうさんって、どんな人だった?

母   何? 突然。

百合子 おとうさんのどんなとこがよくって結婚したの?

母   ええ?ほんとにどうしたの?

百合子 私の覚えてるおとうさんは、大きくって、優しくって、煙草の匂いがした。でも、おかあさんから見

    たおとうさんって、違うんじゃないかな。

母   …おとうさんは郵便局勤めの固い人。お酒も飲まない、パチンコもやらない。そんな人だけど絵を描

    くのが好きで、休みの日には必ずスケッチしに出かけてた。おかあさんの絵も描いてくれたの。それ

    がとってもすてきな絵で、一目で気に入っちゃったの。

百合子 実物以上にきれいに描いてあったんだ。

母   美しさは主観的なものよ、見る人がきれいと思えばきれいなの。(笑い)

百合子 (少し間をおいて)…おとうさん死んで、悲しかったよね?

母   …確かに、死なれたときは悲しかった。結婚して七年足らずで連れ合いをなくしたんだもの。だけ

    ど、百合子がいたから悲しさも忘れられた。

百合子 でも、私も大けがしてたんだから、おとうさんのこと悲しんでる暇もなかったんじゃない?

母   そうねぇ、あなたもまる三カ月入院したから、ずっと付き添いしてたし…。

百合子 私がいてよかった?

母   なあに?

百合子 こんなの嫌だなって思わなかった?

母   思うわけないじゃない。あなたを育てることを支えに今まで生きてきたんだから。

百合子 それって、なんか重たいな。私、邪魔みたい。

母   邪魔って?

百合子 別に。

母   ははあ、うるさいおかあさんからさっさと離れちゃおうってことか。結婚でもして。

百合子 ちがう。逆だよ。…それに私、結婚なんかしないもん。

母   結婚しないって、どうして?おかあさんのことならかまわなくていいんだよ。百合子がいなくても

    おかあさん一人で気ままに暮らすから。

百合子 おかあさんにはおかあさんの生きたいように生きてほしい。

母   じゃあ、いいじゃない。…手のこと気にしてるの?

百合子 …。(首を横に振るが…)

母   そんなの気にしないの。きっと百合子のことわかってくれる人がいるから。

百合子 そうかな…。だとしても、どうせ死なれるんだったら、最初から結婚しないほうがいいんじゃない?

母   だんなが早く死ぬなんて決まってないでしょ。

百合子 私、誰かの負担になって生きるの嫌なの。

母   百合子。誰かの世話にならなきゃ生きられないなんて思ってるの。おかあさん、そんなふうに育てた

    覚え、ないよ。

百合子 わかんない。(立ち上がって)夕飯にしよう。(台所に去る。母、百合子の後ろ姿を見ている)


   暗転。 舞台前に小悪魔と二級天使登場。


悪魔  どうだ、意外に不幸の根がからまっていそうじゃないか。

天使  そうだなぁ。母子家庭か…。しかし、あの子はそんなこと少しも気にしていない。明るく生きている

    じゃないか。

悪魔  表面だけ見てるからさ。人間の心の底にこそ本当の願いが潜んでいるんだ。俺がそれを見せてやる。

天使  それは…、ちょっと違うんじゃないか?お、おい。おい。(と悪魔を追って去る)


   明転。 その日の夜。百合子の部屋。電気ストーブがあってもよい。

   百合子、パジャマ姿にカーディガンをはおって勉強中。左手が出ていない。

   百合子、勉強に集中できない様子。立ってラジオをつける。DJの声。

   DJの声で、おしゃべり、曲『マイブルーヘヴン(邦題、私の青空)』の紹介。

   デュエットの歌が流れる。(背景に若き日の父と母のシルエット。下手から上手へ歩いて行く。踊って

   もよい。前景で、百合子が背景の二人に合わせるように体を動かしてもよい)やがて、歌が終わる。

   百合子、しばらく姿見を見て机に戻るが、やはり集中できない。


百合子 人間なんて、どうせ死んでしまうんだったら、初めから生まれてこなければいいのに。


   やがて百合子、眠ってしまう。照明、変化する。小悪魔、学生服姿で登場。


悪魔  (うなずく)わかったぞ。(一転して児玉の声色で)百合子さん、百合子さん。僕は今日あってか

    ら、ずっと君のことが気にかかっていた。ねぇ、怒らないで教えてほしいんだ。

    君の左手、どうしてないの?

 

   百合子、急に起き上がって、左腕を抱く。悪魔のほうは見ない。


百合子 あの日、事故さえなければ…。おとうさん、私を助けようとしていっしょにひかれた。即死だった。

    私は左手が潰れてた。…もう十年、何回も義手を取り替えた。義手は成長しないから。最初は重く

    て、痛くて、マネキン人形になったみたいで嫌だった。今のと比べると出来が悪くて、ほんとに人形

    の手みたいだったの。この手がもどらないか、おとうさんが生きて帰らないかって願った。でも、そ

    んなこと願っても悲しくなるだけ。…片手じゃできないことって、いっぱいある。ギターが弾きた

    い。縄跳びがしたい。思いっ切りバット振りたい…。でも、片手が不自由なくらい、まだ幸せなんだ

    わ。そう思ってる。

悪魔  義手は成長しないけど、君は確実に成長してる。もう、恋をしてもおかしくない年ごろだろ。

    あの、トモ子さんなんか、もうしっかり相手をつかまえてる。

百合子 …トモ子はトモ子、私は私。…そう、結婚がすべてじゃない。結婚しない人だって大勢いるわ。

悪魔  僕は結婚のことまでは言ってないよ。百合子さん。僕とつきあわない?僕の力で、君の願いがいくら

    かかなうかもしれないよ。


   百合子、初めて小悪魔のほうを見る。


百合子 私の願い?

悪魔  ほら、手を見てみなよ。

 

   百合子の左手、袖から出ている。義手でなく、生身の手。


百合子 あっ。これ!?(左手を動かしてみる)

悪魔  さあ、マネキンの手じゃない、本物の君の手だ。縄跳びでも、ギターでもなんでもできるよ。

百合子 あ、あなたがやったの?

悪魔  そう。僕の力さ。(と言って、百合子に近づく)


   小悪魔が百合子に近寄り、暗転。 短い効果音。

   すぐに明転すると同じ部屋。百合子倒れている。小悪魔はいない。

   百合子、起き上がってあたりを見回す。左手がないことを確認して、


百合子 私…。(机に顔を伏せる)


   DJの声(天使の声に似ている)今夜もおわかれの時刻が近づきました。受験生の皆さん、あまり根を

   つめないで、もうおやすみしましょう。独りで寂しく聞いてくれたあなた、明日はきっといいことがあ

   るでしょう。昨日と今日の狭間におくる最後の曲は『ヘヴン』。じゃ、風邪などひきませんように。

   おやすみなさい。


   やさしい曲。やがて暗転。 曲、フェードアウトしていく。

   舞台前に二級天使と小悪魔登場。


天使  何なんだ! 今のは? え!

悪魔  何って。あの子の願いをかなえてやる…

天使  あれじゃ、古傷をつついて、寝た子を起こすようなもの。夢で願いをかなえてやるなんて、生殺しっ

    てやつじゃないか。

悪魔  まあ、黙って見てろよ。それともなにか、あんたがあの子に新しい手をやろうっていうのか? 

    そんなこと、大天使でなきゃできっこない。いや、もちろん俺にもできやしないが、俺はあの子が

    自分の願いを、じっと心の底に押し込めているのが不憫なだけなんだよ。

天使  かなう願いならな。

悪魔  かなわぬ願いなんて、本当はごくわずかなんだぜ。人間は、変な遠慮するからダメなんだ。

    「棒ほど願って針ほどかなう」って言うだろう。願って願って、願い続ける気力が大事なのさ。

天使  それは違う。自分を自分以上にしようなんてできっこないだろう。

悪魔  それを敗北主義って言うんだよ。黙って見てろって。(と去る)


   明転。 朝、登校時。百合子、いつもより少し暗い表情で登場する。ヒロ子が反対側から登場。


ヒロ子 おはよう。どうしたの今日は? 遅いから迎えにきちゃったよ。

百合子 ごめん。なんか、頭痛くて。夕べゴロ寝して、風邪ひいたみたい。

 

   トモ子、女生徒数人と登場。百合子たちに気付き、何かうなずきあって、近づいてくる。


トモ子達 おはよう。

百合子達 おはよう。

トモ子 昨日はどうも。あなたたちさー。人のこと何だかんだ言ってたけど、自分だって同じじゃない。

    ねー。(と他の女生徒とうなずきあう)

ヒロ子 何よ。

トモ子 百合子さん、昨日、彼氏がお家までいらしたでしょ。

ヒロ子 ええ?うそでしょ。

トモ子 何よ。この子が見たから本当よ。(と隣の子を見る)

女生徒1 昨日、私が帰りがけに百合子さんの家の前通ったら、かーっこいい男の子が玄関から出てきたの。

百合子 あ、あれは、落としもののことで…

ヒロ子 あ、あの人。なんで家まで来たの?

百合子 だからね、あのハンカチに…

トモ子 どーでもいいのよ。楽しいひとときをお過ごしになったのはかわりないんだから。いつも、男なんか

    って顔してるくせに、裏でこっそりなんて、やるじゃなーい。ねー。(女生徒達呼応する)

ヒロ子 何よーその言い方ー。

女生徒1 (後ろから)へーん、そんな手してるくせに。

ヒロ子 何だって! 誰、今言ったの!

女生徒2 その手で握手してみろー。

女生徒1 つかすんじゃないよー。(などと言いつつ走り去る)(「つかす」は山形弁)

ヒロ子 バカヤロー!(と追いかける)

 

   百合子、立ちすくんでいる。手からカバンが落ちる。

   二級天使、登場。


天使  どうしたの?大丈夫?

百合子 え…ええ、大丈夫。

天使  泣いてるの?(カバンを拾ってやる)

百合子 何でもない!(意外なほど強い口調。ひったくるようにカバンを取る)あ、ごめんなさい…。

天使  …ねぇ、私、今見てたの。ひどい人たちね。あんなの気にしないほうがいいわ。

    (百合子の様子を見て)…あなた、人と違うのが嫌?誰だってまるで同じ人はいないよ。顔も体つき

    も皆違うでしょ。その違うところが自分だって思えばいいのよ。

百合子 よくわかってる。(固い響き)

天使  …。ハハ、そんな顔してるとますます沈んじゃうよ。あなた、絵を描くんでしょ?私も好きなんだ。

    今度、美術室に行っていい?一緒に描こうよ。

百合子 …?


   ヒロ子、もどってくる。


ヒロ子 百合子ー。私がおもいっきり蹴飛ばしといてやったからね。気にするんじゃないよ。

    あれ? あなたは?

天使  私? 私は通りがかりの女生徒A、です。

ヒロ子 ? さあ、急がないと遅刻しちゃうよ。(と二人去る)


   小悪魔、登場。


悪魔  おやおや、何を始めようってんですか。

天使  嫌な奴。(女生徒のまま)あんなこと仕向けたの、あなたでしょ。

悪魔  いえいえ、あれは、たまたまあの子が僕を見かけてしまった結果ですよ。僕のせいじゃない。

天使  あの百合子って子を傷つけたら許さないよ。

悪魔  傷つけるなんて…僕があの子の手を潰したわけじゃないだろ。これからその傷を癒してやろうってい

    うんじゃないか。

天使  あんたが関わると皆不幸になって行くようだけど…。

悪魔  けっ。だから言ってるだろう。(本性が出てくる)人間様の願う力が足りないんだって!!

天使  胸騒ぎがして仕方がない。学校へ行こう。(と去る)

悪魔  (その背にむかって)優しいだけで幸せにできると思ったら大間違いだぞー。…ハハ…ハハハハ。

    (と去る)

 

   百合子とヒロ子、登場。内履きになっている。昇降口から教室への途中という設定。


ヒロ子 もー! おかげで遅刻しちゃったー。教頭先生にはしぼられるし、嫌んなっちゃう! 

    一時間目、理科よね、テスト渡っちゃうなー。

百合子 ごめん。私がもっと早く出てくれば良かったのね。(やや固い口調)

ヒロ子 え?

百合子 ごめんね、迷惑ばかり。…でも、そうしたくてやってるわけじゃないのよ私だって。

ヒロ子 何言ってるの? あの三人がからんできたのが悪いんじゃない。あなたのせいじゃないわ。

百合子 私がこんなんでなかったら…

ヒロ子 百合子! 今頃そんな…何になるの。とっくに割り切ったことでしょう!

百合子 割り切れてなんかいない! あなたにはわかんないよ。手があるんだもの!

ヒロ子 百合子…。

 

   百合子、泣く。右手にカバンを持っているので、涙がぬぐえない。


ヒロ子 私…私は何だったの? ずっと、あなたと一緒にいたじゃない? 私、あなたのことずっと…


   ヒロ子、後も見ずに駆け出す。百合子、何か声をかけようとするが、間に合わず、やがてとぼとぼ歩き

   だす。短い暗転。

   明転。 屋上。小悪魔がいるところにトモ子たちがやってくる。


トモ子 え? あの人。あれ昨日の。ますます許せない!(と小悪魔に近寄って)

    ねえ、私たちに用事って何?

悪魔  やあ、せっかくの昼休み、ごめんよ。

トモ子 いいよ。どーせ、いつもしゃべってるだけなんだから。(笑い)

悪魔  昨日、僕が百合子さんの家を出るのを見たのは、君?

女生徒1 そう。びっくりしちゃった! あの百合子って、男嫌いだって思ってたもんね!

悪魔  そ・れ・で、三人していじめたんだね?

トモ子 いじめたなんて、私たちこそ蹴られたんだよ。ねー(三人、痛がる)それに、あんたからそんな風に

    言われるスジあい、ないわよ。それとも何?あんたほんとにあの子に気があんの? あんな…

悪魔  うるさい! 僕は、あの子が幸せになるのを手助けしているんだ。邪魔する人間は…

トモ子 何よ。やろうっての!

女生徒2 なめんじゃねーよ!

悪魔  人間の中でも、お前たちはクズのほうだな。

トモ子 クズで悪かったね!

女生徒1 いいふりすんなよ!


   険悪な雰囲気。小悪魔、薄笑いしている。

   暗転。 以下の各場面は、カットバックで急テンポに変わる。

   明転。 面接室。百合子、座っている。先生登場。


先生  ごめんなさい、遅くなって。お昼、食べた?

百合子 はい。

先生  百合子さんはすぐ終わると思うわ。…北高、と。十分大丈夫ね。北高は最近、学生カバンでなくても

    よくなったから、あなたも楽になるわよ。この中学くらいよね、いまだに学生カバンなんて。大変だ

    ったでしょう。北高はね、前に片足義足の子が入学してね、それでも立派に卒業したのよ。部活も毎

    日やって。いい学校だと思うわ。おかあさん、お元気?

百合子 はい。会社が忙しくて大変みたいですけど。

先生  おかあさんもまだ若いんだから、あなた高校卒業してからももっと勉強させてもらえるんじゃない?

百合子 ええ…。

先生  できるだけ高い学歴つけるのも大切よ。

百合子 私、高校出たら就職するって、前から決めてるんです。早く自立して、おかあさんに新しい人生を

    プレゼントするんだって、小学生の頃からもう決めてたみたい。(笑い)だから、いいんです。

先生  …私、あなたを見てて、本当に素晴らしいなって感じてたの。ハンデに負けないで、皆と一緒に明る

    く強く生きてるでしょう。私なんか、五体満足なのにまだまだ半人前の教師で、反省しちゃう。

百合子 私、そんなんじゃないです。

先生  ?

百合子 本当は自分が嫌なんです。

先生  どうしたの?

百合子 おかあさんにも迷惑かけてるし…

先生  迷惑だなんて。

百合子 私、私があの時、事故に遭いさえしなかったら!


   暗転。 音楽、急迫する感じ。

   明転。 美術室のつもり。音楽フェードアウト。ヒロ子がしょんぼり座っている。二級天使登場。


天使  ねえ、百合子さんは?

ヒロ子 (ちらと見て)知らない。

天使  教室にいないのよ。

ヒロ子 …面接してたみたいよ。(つっけんどん)

天使  どうしたの?(側に座る)

ヒロ子 何よ。

天使  けんかでもしたの?

ヒロ子 …

天使  (独白)あいつのおかげで次々とこじれていく。本当にしょうがないやつだ。

    ねえ、私、百合子さんと友達になりたいの。あの子のこと、いろいろ教えて。

ヒロ子 …幼稚園がいっしょだったの。仲良くなって、よく遊んだ。お寺さんの幼稚園でさ。お墓の上とびま

    わって遊んだなー。

    でも、交通事故にあってさ、…私、その時見てたの。…あれで百合子が生きてるのは奇跡みたいなも

    のよ。おとうさんが命をかけて助けたんだ。

天使  それで…。(わかったという風)

ヒロ子 そう。大変だったのよ。私なんかもすいぶんめんどうみたように思うけど、でも本人が一番大変なん

    だよね。誰も代わってやれないし…。…私、百合子のために苦労させられてるって、どこかでそう感

    じてたみたい。…今朝、その気持ちが出ちゃったんだ…。

天使  でもあなた、百合子さんのためにあの三人蹴飛ばしてやったんでしょ。

ヒロ子 うん。私、力にだけは自信あるんだ。これまでも百合子をいじめるやつは皆私が泣かせてやった。

    でもいじめた子とも後で仲良くなった。けんかして、お互いの理解が深まったってことかな。でも、

    百合子とけんかしたのって初めて。

天使  ねぇ、私何だかとっても心配なの。こんなに面接かかるわけないし、百合子さんどこかしら?

ヒロ子 ここに来ないとすると屋上かも。

天使  行ってみよう。

ヒロ子 うん。


   暗転。 音楽。

   明転。 屋上。小悪魔、立っている。百合子、登場。


悪魔  やあ、せっかくの昼休み、ごめんね。

百合子 何ですか、用事って?

悪魔  昨日の返事をまだ聞いてなかったからさ。

百合子 昨日の返事って?

悪魔  「僕とつきあってくれないか」ってお願いしただろう?

百合子 えっ!!

悪魔  「僕の力で君の願いをかなえてあげられるかもしれない」って。

百合子 (おびえる)なんで知ってるの?

悪魔  僕が自分で言ったことだもの。ぜーんぶ覚えてるさ。

百合子 でも、あれは夢の中で…(恥ずかしさ)

悪魔  ハハハ、恥ずかしがっちゃいけない。ま、返事はあの時わかってるようなものだけど、やっぱりきち

    んと聞いておかないと。規則なもんで。

百合子 規則?

悪魔  いやなんでもない。こっちの話。さあ、返事は? 僕はもう君の願いをいろいろかなえてやったんだ

    から悪い返事はないだろうね。

百合子 私、何もお願いしてない…。

悪魔  いやいや、君の心の底にはいっぱい願いがつまってたよ。なくなった手はつけてあげられないけど、

    そのことで君をとやかく言う奴等は、皆僕が処理してあげる。

    それから、おかあさんのことだけど、ほら、高木っていったかな、つまらない男やもめのようだが、

    あの人と再婚するんだよ。

百合子 えっ?!

悪魔  おかあさんも、これで幸せになれる。君は、僕がついてるから心配いらないよ。

百合子 何言ってるの。ばかげてる。

悪魔  いやいや、おかあさんは今日も彼氏と昼食をともにしている。

百合子 どうしてそんなこと言うの。なんで私を苦しめるの?

悪魔  おや? みようなこと言うねぇ。これはみんな君の願ったことじゃないか。嬉しくないの?

百合子 うそ! 私からおかあさんを取らないで。ヒロ子も。…返して!(くずおれる)

悪魔  (独白)はて、どうも人間ってのはわからん。こう願いが多くては…。それがまたコロコロ変わりや

    がる。結局、君の一番の願いは何なの?

百合子 (耳に入っていない)もし、私が願ってこうなったんなら。そう、やっぱり私、私のせいなんだ…。

悪魔  ほほー。そうか。それが望みか。じゃぁ、かなえてやろう。そら。


   屋上のフェンス、ひとりでに鍵がはずれ、非常口の扉が開く。効果音。

   百合子呆然とした様子になり、立ち上がる。ゆっくりとフェンスに向き、歩き出す。

   フェンスに達するころ、ヒロ子の声。

 

ヒロ子 だめー(ヒロ子登場)百合子、何してるの!!


   百合子止まる。


悪魔  待て! 邪魔するな。

ヒロ子 ええ? 何考えてるのよこいつ? 百合子馬鹿なことしないで、こっち来なさい!

百合子 ヒロちゃん、ごめんね。

ヒロ子 何ー?

百合子 あの時、おとうさんじゃなくて、私が死んでいればよかったのに…。

ヒロ子 バカー。そんなこと言ったら、おとうさんがかわいそうだろうー。

百合子 私が飛び出さなかったら、おとうさんも死なずにすんだ。

ヒロ子 えーっ、違うよー。


   百合子、飛び下りようとする。


ヒロ子 あーっ


   ヒロ子、悪魔を突き飛ばし、百合子に駆け寄る。

   一瞬、百合子を抱き止め、入れ替わるが、もみあっているうちにヒロ子、外側に転落する。

   百合子、屋上側に倒れる。


百合子 ヒロ子! ヒロ子!

悪魔  あーあ。だから人間って嫌だよ。


   二級天使登場。


天使  おい。

悪魔  なんだ、いたのか。今頃出てくるなんて、出場を間違えたんじゃないの? 俺なんかもう、取りたく

    もない魂が手に入りそうだぜ。

天使  見事に不幸にしてくれたねぇ。

悪魔  チェッ、どーしてこう、なるの! ってな。

天使  さあ、お前の出番は終りだ。消えて消えて。

悪魔  フン。じゃ後始末はおまかせしますよ。

    購買部でパンでも買ってこよう。ポーク・カレーパンがいいかな。(と去る)

天使  あ、私にもUFOパンと牛乳。…行っちゃったか。

    百合子さん、百合子さん。(百合子、気がつく)だいじょうぶよ、何も心配いらないの。

    (フェンスに近寄って下を向き)もう出てきなさいよ。


   屋上外側から、ヒロ子、出てくる。


百合子 ヒロ子!!

ヒロ子 へへ、幽霊じゃないよ。ここ、避難バシゴの出っ張りがあるんだ。(と屋上に上がってくる)

百合子 ああ! 良かった。

ヒロ子 百合ちゃん、心の中でずっと自分のこと責めてたんだね。誰にも話さないでいたのね。

    でも、あの事故は百合ちゃんが悪いんじゃない。あなたの思い込みよ。私見てたからわかるの。

    トラックの方が歩道まで突っ込んできたんだもの。百合ちゃん悪くないんだよ。

百合子 …。


   百合子、ヒロ子の顔を見つめているが、やがてヒロ子の胸に顔を埋める。

   トモ子たち登場。絆創膏などあちこちに貼っている。


天使  どうしたの? その顔。

トモ子 あいつ、知らない?

天使  児玉君?

トモ子 そうそう。そんな名前。もーただじゃおかないから。(百合子に)あんたも、あんな奴とつきあっち

    ゃだめよー。あれ、ほんとのワルだから。ねー。

百合子 初めっから、あんな奴嫌いよ。

トモ子 なーんだ、やっぱりね。百合子があんなのとくっつくわけないもんね。

ヒロ子 あいつ、購買部にパン買いに行ったよ。

トモ子 よーし、行くよ。


   女生徒たち、「オー」と言ってゾロゾロ去る。


天使  百合子さん、ごめんね。

百合子 え?

天使  私、児玉君て、よく知ってるの。あなたとつきあおうとしたことも、みんな知ってたの。

百合子 !?

天使  あの人、根はいい人なんだけど、いつもやりかたを間違うの。私からあやまるわ。(と頭を下げる)

    私、あなたと友達になりたかったけど、もういっぱい友達いるもんね。じゃぁ、さよなら。

    (と去る)


   百合子とヒロ子、黙然と見送る。

   やがて百合子とヒロ子、仲良く去る。その際、フェンスの鍵をかけて帰る。百合子、疲れきった様子。

   暗転。 音楽。

   明転。 面接室。母親座っている。先生登場。


先生  あ、どうも、お忙しいところ。

母   いいえ、で、どんな具合なんでしょう。

先生  ええ、何か寝不足で風邪気味だとか言って、保健室にいたんですけど、ずいぶん疲れている様子なの

    で一人で帰すのも心配になって。

母   昨日、私が風邪で休んだものですから、あの子に負担をかけてしまって。私の風邪がうつったのかも

    しれません。

先生  ところで、ちょっとお聞きしたいんですが。

母   はい。

先生  百合子さんのことで、何か迷惑に感じてるなんてことありますか?

母   はあ?

先生  いえ、あの、百合子さんがそんなことちらっと言ったもんですから。

母   百合子が私の迷惑になってるって言うんですか?

先生  そうです。

母   …。たしかに、あの子が五才の時つれあいを亡くして、子供の体も傷ついてしまって、目の前が真っ

    暗になりました。この子を抱えて、あと一生悩まなけりゃならないんだって思いました。それは親の

    責任ですから。あの子が七五三の時、きれいに着飾ったまわりの子を見て、なんで私の子だけこんな

    体なんだろう! って悲しくなってしまいました。その頃、百合子が義手をなくして帰ってきたこと

    がありました。訳を聞いてもなかなか言わなかったんですが、その晩、知らない人が親子連れでやっ

    てきてこう言うんです、「今日うちの子が神社で遊んでいて池にはまりましたが、お宅のお子さんが

    助けてくれました。まわりに大人がいなかったので一人で助けてくれたようです。どこの子か名前も

    わからなかったのですが、『片手が取れた』とうちの子が言いますので、小学校に問い合わせてやっ

    と訪ねてきました」って。

    私、思いました。百合子が私の心の支えなんだって。私の心を照らす光なんだって。迷惑だなんて考

    えてません。あの子が幸せになって、孫の顔でも見ながら楽しくお茶でも飲んでるのがいいって、思

    ってるんです。

先生  …再婚は考えてませんの?

母   ちゃんと家族がいますもの。


   百合子、入ってくる。ヒロ子、カバンを持ってやっている。


先生  あら、ヒロ子さん、ありがとう。どう、具合は?

ヒロ子 熱が七度六分あります。

先生  やっぱり風邪ね。おかあさん、医者に連れてってくださいね。

母   はい。(と荷物を受け取る。百合子、母のところへ行く)

先生  では、お大事に。

ヒロ子 風邪なおして、明日は遅れないで来るんだよ。

百合子 うん。バイバイ。

ヒロ子 バイバイ。

母   どうもお世話になりました。失礼します。(百合子と去る)

ヒロ子 先生。

先生  なーに?

ヒロ子 三年生に児玉っていう男子いますか? 最近転校してきたっていう。

先生  え? 今年は誰も転入してないはずよ。

ヒロ子 変だなー。トモ子たちにけがさせたの、児玉っていうんだけど。

先生  おかしいわね?


   暗転。 舞台前に二級天使と小悪魔。(もとの姿)


悪魔  なんだよー、天使のくせに人をだますなんて。

天使  何言ってんだ。もうちょっとで大変なことになるところだったじゃないか。

悪魔  へっ。しかし、ま、この勝負は勝ち負けなし、だな。

天使  どうして?

悪魔  どうしてって、あんたは何もしなかったじゃないか。俺ばっかり働いて。

天使  そう思うかい? でも『過ぎたるは及ばざるにしかず』っていうだろ。

悪魔  ?

天使  神様の御心に任せるのが一番なのさ。

悪魔  またまた、神様なんてこの世に…

天使  シーッ。もう時間がないんだから、その話はまた今度。


   暗転。 音楽。

   明転。 舞台上、道。百合子、母の後について歩いて来る。


百合子 (立ち止まって)おかあさん。

母   (振り向いて)どしたの? 

    (百合子、無言で母を見ている)まぁ、十年も離れてたみたいな顔して。

百合子 おかあさん、今日、高木さんと会ってた?

母   あら、どうして知ってるの?

百合子 やっぱり…。

母   高木さんね、今度、おかあさんの会社の人と結婚するのよ。

百合子 えーっ。

母   おかしい?

百合子 おかあさんと結婚するんじゃないの?

母   あら、残念そうね。おかあさん、もうちょっと積極的になればよかったかな?

百合子 違ーう。ちがうけどー。(甘えるように母にすり寄る)おかあさん。…こんな私だけど、もう少し

    面倒みてくれますか?

母   百合。(と抱き寄せて)百合はおかあさんの大切な子。百合は、わたしの、心の天使。


   二人、よりそって歩き去る。音楽、高まって、

   幕