自作高校演劇脚本①『マイ・ブルー・ヘヴン』

 『マイ・ブルー・ヘヴン』 作・佐藤俊一(これはペンネームです)

 

時   現代の秋(この作品は平成初めの頃に書きました。およそ30年前と考えてください。)

所   天上、中学校、中学校の屋上、百合子の家(それぞれ少しの装置でよい。抽象的装置でもよい)

キャスト

  二級天使
  小悪魔   (中性的存在であり、男子でないほうがよい)
  百合子   (中学三年生 左肘から先が義手の設定義手と見えるような何らかの方法をとること〉
  百合子の母 (三十六才)
  ヒロ子   (百合子の同級生、幼友達)
  トモ子   (百合子の同級生、必ずしも不良というわけではない)
  同級生1~2名 (トモ子の友人)
  美術の先生 (百合子の担任、二十六才、美術教師。担任を別にしてもよい。男子でも可)
  隣家の主婦 (三十六才、先生との二役も可)

音楽  CD「RADIO HEAVEN」より『私の青空』『ヘブン』

 

 


   音楽フェードイン
   幕開き(ホリ、天上の青色)
   二級天使登場

 

天使  皆さん、こんにちは。私は天上にいて、人々を幸せにすることを生業とする天使でございます。

    天使と申しましても、ピンからキリまでございまして、キリのほうから、三級・二級・一級・

    特級、そして大天使と位が分かれております。

    天使も修行を積んで初めて位があがるのでして、その修行の間に道にはずれたことをしますと

    落第して、悪魔のたぐいに身を落としてしまうのです。

    そうなんです。悪魔は天使のなれの果てなんですよ。

 

   こう言っているうちに、小悪魔登場。

 

悪魔  よう、あいかわらずおしゃべりだな、下っぱ。

天使  なんだ、お前か。

悪魔  頭に輪っかが無いところを見ると、まだ二級でウロウロしているとみえるな。

天使  よけいなお世話だ。お前こそ、こないだ落ちていったと思ったら、悪魔の下働きをさせられて

    いるんだな。何の用があって天上に舞い戻った。

悪魔  いや、用事は無いんだが、懐かしくてな。あっちは暗くて、慣れるまではどうも…。

天使  ふん。ところで、今は何をやっているんだい。

悪魔  初心者としてはたいしたことはやれないが、まあ面白いことをやってるよ。

    人間どもを幸せにしてやってるんだ。

天使  えぇ?そりゃ変だよ。人を幸せにするのは、私たち天使の役目、小悪魔のお前がなんで…。

悪魔  (口真似)えぇ?そりゃ変だよ。悪魔だって、もとはといえば天使だぜ、不思議はあるまい。

    大体天使が人間を幸せにしたなんてことがあったかい?なりゆきまかせの偶然で幸せになったり、

    不幸になったりしているだけじゃないか。その点、悪魔は違う。偶然を必然に、「かもしれない」を

    「ねばならない」に変えてやる力があるんだぜ。

天使  お前、角もないのにそんなことできんのかよ。

悪魔  けっ。お互い様だろう。

天使  『不幸な人に幸せを、涙の人に微笑みを』これが天使の歌い文句じゃないか。本家のお株をとっちゃ

    いけないよ。

悪魔  あんたたちは頼まれもしないのにおせっかいをやき、いざ頼まれた時は知らんふりするじゃないか。  

    俺たちは助けるべき人間は確実に助けるんだよ。

天使  そうして魂をとるんだろう。

悪魔  そりゃあ。報酬ってやつだろぉ。

    とにかく、人間の願いをかなえることにかけちゃぁ天使になんぞ負けないんだ。

    天使にそんなに力があるんなら、とっくに戦争だの災害だので死ぬ人間はいなくなってるはずだろ。

天使  だから、お前たちが邪魔してんじゃないか。

悪魔  えぇい、めんどうな。それじゃぁ、どっちが本当に人間を幸せにできるか試してみようじゃないか。

    ま、あんまり大きなことはできないから、誰か一人を選んで力競べだ。

天使  うーん。

悪魔  嫌だなんて言わせないぜ。さーてと、この真下にいる人間は、と。おやどこかの中学校だな。


   小悪魔と二級天使、下を覗く。中学校の屋上になる。生徒数名、思い思いの場所でスケッチブックを

   開いている。美術の時間である。百合子、上を向いている。

   美術の先生登場。


先生  (百合子の絵を覗きこんで)あら、百合子さん、これは…。

百合子 空です。雲一つない秋晴れの空。

先生  …どうりで一面、青。ねえ、見てごらんなさい。あの山の色。『錦織りなす』とはよく言ったもの

    ね、きれいな紅葉じゃない。むこうの人は山並みを描いてたわよ。

    そっちの人は、ほら、あの建物。緑の屋根の時計台がかわいいでしょう。
    …どうして、あなたは、ただの空なの?

百合子 ごめんなさい。実はあんまり気持ちがよくて、うつらうつらしてて時間がなくなっちゃったんです。

先生  まあ。(二人、笑う)百合子さん、一学期の自画像はよく描けていたわよ。とっても明るい表情で、

    あなたの特徴が出ていたわ。二学期の風景画も期待してるからね。さあ、皆さん、もう時間です。

    次の時間からは油彩の道具が使えますから、新しくキャンバスに描いてもらいます。

    それじゃ、片付けてください。

 

   先生、退場。

   生徒たち、道具を片付けはじめる。百合子、右手だけで器用に片付ける。

   ヒロ子、百合子に近寄ってくる。


ヒロ子 百合子、次の理科のテスト、勉強してきた?私、今の時間、参考書見てたんだけど、全然わかんな

    い。どうしてこんなものが世の中にあるのかしら。

百合子 (笑いつつ)私、夕べ頑張っちゃった。おかげで眠くて眠くて。

ヒロ子 百合子はいいわぁ国語でも数学でも、何でもできるんだもの。

百合子 そんなことないよ。ほら、今覚えた公式言ってごらんよ。

ヒロ子 うん、『x=vt』…

百合子 そう、「距離は速度かける時間」っていうことよね。


   二人、仲良く去る。暗転。舞台前に二級天使と小悪魔、登場。


悪魔  あの百合子という人間がサンプルにいいようだ。

天使  しかし、見たところ平均よりは幸せそうだな。もっと不幸に泣いてる人、あの理科の苦手な子なんか

    がいいんじゃないかな。

悪魔  おっと。だから天使さんは甘いってんだよ。もっとよく観察してみなけりゃ、幸せかどうかなんて

    わかりっこないぜ。

    さあ、俺たちもこの中学の生徒になって、あの子に近づくとしようぜ。

天使  いいだろう。

 

   明転。 下校の路上。生徒たち帰ってゆく。百合子とヒロ子、登場。


ヒロ子 あーあ、やっぱりできなかった。理科のテスト。一夜づけ、いやいや、一時間づけじゃぁ無理か、

    やっぱり。


   トモ子、慌てて駆けてくる。


トモ子 バイバーイ。

ヒロ子 あれー? トモ子、もう帰るの? 講習は?

トモ子 (立ち止まって)私、今日用事あんの。あんただって講習どうしたのよ。

ヒロ子 今日は、百合子のおかあさんが風邪で会社お休みしたから、早く帰るの。

トモ子 あんたは?

ヒロ子 助太刀よー。

トモ子 すけだちー? ばかみたーい。(と言って去る)

ヒロ子 あれ、講習さぼってデートなのよ。東高の二年生とつきあってるの。あと半年で高校受験だっていう

    のに。トモ子は私立専願だもんねぇ、金のない家の子は公立専願。私なんか「へたすると市内の高校

    には入れないかもしれないぞ」なん土人唇のやつが言うのよ。

百合子 どじんくちびる?

ヒロ子 井上のことよ。井上先生。(笑い)

百合子 ハハ…。だいじょうぶよ。こないだの模試、良かったんでしょう?

ヒロ子 うん。こないだは調子良かったんだ。これが続けばいいんだけどね。

 

   トモ子、慌てて戻ってくる。何か探し物の様子。


百合子 どうしたの?

トモ子 バスの定期落としちゃったみたいなの。やだー間に合わないー。

ヒロ子 講習さぼってデートしようとした罰だよ。

トモ子 やだー。ちゃんと入れといたのにー。


   そこへ小悪魔、学生服で登場。カバンを持っている。


悪魔  ねえ、ねえこれじゃない?(と派手な定期券入れを差し出す)

トモ子 え?あ、それよ、それ!(と近寄ってひったくるように受け取る。その時、小悪魔の顔を見て、一瞬

    見とれる)ど、どうもありがと。じゃーねー。

 

   トモ子、飛ぶように退場。小悪魔、百合子に向かって

 

悪魔  それから、これは君のじゃないかな。(とハンカチを差し出す)
百合子 え? あれ、(とポケットをさぐって)いつのまに落したんだろう? どうも…。

    (と受け取る。その際、カバンを左脇に抱えて、右手で受け取る)

悪魔  後ろを歩いていたら、ポケットからはみだしてるのが見えてさ、あぶないなと思ってたら、案の定、

    落ちちゃったんだよ。ついでにあの子の定期券も拾ったってわけ。

百合子 どうもありがとう。…同じ学年なのね。

ヒロ子 見たことない顔ね?

悪魔  まだ転校してきたばかりでね。ねえ、君たち仲がいいんだね、いつもいっしょにいるようだからさ。

ヒロ子 そう、私たちは幼稚園からずーっといっしょに遊んだ仲なの。(調子をつけて)喜びも悲しみも

    ともにしてはや十年…(笑い)

悪魔  君、悲しいことなんてあったの?

ヒロ子 失礼しちゃうわねー。そんないつも笑ってたらまるでバカじゃない。私たちだって幾多の苦難を乗り

    越えてここまで来たのよ。

悪魔  幾多の苦難って?

ヒロ子 それは、それはたとえば、この百合子なんかね、…

百合子 あ、あの、私たち急ぎの用事があるから失礼するわ、ハンカチ拾ってくれてどうもありがとう。

    じゃぁ。(とヒロ子をつれて去る)

悪魔  またね。 ふん、悲しい苦しいって言うやつほど、存外楽に暮らしているものだ。

    一見幸せそうな顔している人間こそ、本当は不幸を背負っているものなのだ。本人が自覚している

    かどうかは別として。悪魔の勘は外れはしない。なかなか面白くなりそうだぞ…。

 

   二級天使、制服で登場。カバンを持っている。


天使  おい、お前また何か悪いことたくらんでるな。そうだろ。

悪魔  うるさいな。あんたも女子中学生になったんだから、もっと言葉づかいに注意しなさいよね。

    しかしこうして見ると、まるっきり人間の女だなあ。なかなか可愛いぜ。

天使  あら、そうかしら。(照れる)

悪魔  けっ。 …さて、仲良く帰りましょうか、お嬢さん。

天使  はい。


   二人、手を組んで去る。暗転。百合子の家になる。百合子の母と隣家の主婦、お茶を飲んでいる。
   母は、寝巻に何かはおっている。百合子、帰ってくる。後ろからヒロ子。

 

百合子 ただいま。あら、今日は。ま、かあさん、起きてていいの?

主婦  お帰りなさい。また上がりこんでるの。なんか今日はさ、おかあさんの出かけるのが見えないからさ

    寄ってみたら、風邪だっていうじゃない。それで朝からずーっと寄りっぱなし。(笑い)

母   お世話になっちゃって。もう、夕飯の支度もしてもらったのよ。おかげで、すっかり良くなった。

ヒロ子 おじゃまします。

母   あら、いらっしゃい。どうぞあがって。

百合子 ヒロ子なんか、御飯の用意手伝うんだって、張り切って来てくれたのよ。

母   まあ、どうも御免なさいね、わざわざ。

主婦  いい友達持って、幸せじゃない。

百合子 あーあ、こんなんだったら二年生と部活してくるんだったな。

主婦  百合ちゃん、まだ部活やってるの? もう受験勉強しなきゃならないんじゃないの?

母   何をさておいても、絵を描くことだけはやめないんだから。(笑い)

主婦  いいわよねー、それでも公立のいいとこに入れるんだから。私のところのバカ息子なんかさー。

百合子 バカ息子だなんて。ケンちゃんが聞いたら怒るわよ。

主婦  バカって言われて怒るくらいだったらまだいいのよ。もう、何言っても馬の耳になんとかでさー。

ヒロ子 あの、私帰ります。おばさんも元気になったようだし。

    おかげで早く帰れたから、家で勉強でもします。

母   そう? 本当に御免なさいね。心配していただいてありがとう。また来てくださいね。

百合子 ほんとに勉強するんだよ。弟のゲーム取り上げたらだめだからね。(笑い)

ヒロ子 さよならー。(ヒロ子、退場)

母   いい子供さん。

主婦  ほんとね。

百合子 私、着替えてくる。(と退場する)

主婦  百合ちゃんも来年は高校生か。はやいもんだねー。あんたも、一人でよくここまでやってきたね。

母   あっというまね、十年なんて。でも、まわりにいい人ばかりいてくれたから、やってこれたんだって

    思ってるのよ。あの子が変にひがまずに育ってくれたのも皆のおかげ。

主婦  百合ちゃん、小学生の頃は看護婦さんになるって言ってたけど、今は違うんでしょ?

母   そう。あの体じゃ、患者さんを扱えないってわかったのね。今は、普通に会社勤めするって考えてる

    みたい。

主婦  大学までは無理? 成績いいんだもの。

母   短大くらいなら、行かせてやりたいんだけど…。本人にその気がないと。

主婦  もったいない。でもさ、少しでも箔を付けてあげておいたほうがいいんじゃない?

    将来、結婚するとき…

母   結婚ね…。いい人がいるといいけど。


   百合子、着替えて登場。


百合子 今日のおかず、何? おなかすいちゃった。

母   おばさん得意の、焼きそばよ。

百合子 そう。でも、おばさんのとこはどうするの?

主婦  へへー。ついでに焼きそばでーす。材料、六人前あるの。

百合子 なーんだ。(笑い)

主婦  でも、百合ちゃん帰ってきたんだから、私も帰ろう。朝出たまんま、何にもしてないんだから。

    だんなが帰ってきたら、びっくりしちゃうよ。焼きそばの材料、家の分もらってくね。

母   どうぞ、いっぱい持ってって。私、まだあんまり食べられないから。

    ほんとにありがとう。助かったわ。

百合子 どうもありがとうございました。あとは娘の私がひきうけます。(笑い)

主婦  ハハ…。どうぞよろしく。(と台所の方に去る)

百合子 熱、下がったの?

母   うん。薬飲んだら、昼頃にはもう平熱になった。

百合子 会社でいくら頑張っても、体こわして休んだら何にもならないでしょ。

母   ハイ、ハイ。

主婦  (声だけ)じゃあ、もらって行きまーす。お大事にー。

母   はーい、どうもねー。

百合子 さてと、焼きそばでも焼くか。

母   えー、まだはやいんじゃない?

百合子 おなかすいちゃったんだもの。いいでしょ?

母   ハイ、お言葉のままに従います。


   百合子、そばにあるエプロン(首に掛ける部分がある)を取り、器用に身に付ける。


母   百合子、あんた、やっぱり北高受けるの。

百合子 うん。近くていいじゃない。

母   西高だっていいんでしょう?

百合子 あのね、北高の美術の先生、面白い人なんだって。名前がね、なんとか・満。ていうんだって。

母   ナントカマン? あだ名? アンパンマンの仲間?

百合子 違うけど。「満」って感じで書いて、「みつる」って読むのよ。

母   あぁ…。あんた、美術部の顧問で高校選んでるの?

百合子 そればっかりじゃないけど。


   電話が鳴る。百合子、受話器を取る。


百合子 ハイ、佐藤です。ハイ…ハイ。おかあさん、高木さん。(と冷たい感じで受話器を渡す)

母   あら、…はい、かわりました。…ええ、ちょっと熱があったものですから、休ませてもらったんで

    す。いえ、もう大丈夫です。たいしたことありませんのよ。…そんな…娘も帰ってきてくれましたの

    で。あ、先日は、結構なものを送っていただきまして、ありがとうございました。どうかお気遣いな

    く。…はい、では失礼します。


   百合子、それとなく聞いているが、なんとなく非難するような気配。

 

百合子 あの人、お見舞いに来るの?

母   ん? そう言ってたけど、ことわった。

百合子 会社にも電話してくるの?

母   え? ああ、今日はたまたま仕事のことでかけたみたい。

百合子 そう。…ねえ、おかあさん、あの人のこと、どう思ってるの…。

母   どうって?

百合子 ううん、さあ! 焼きそばつくろー。


   と台所に去る。小悪魔、やってくる。


悪魔  (声)こんにちは。ごめんください。

母   はい。どなた?(と玄関に出ようとする)

悪魔  (声)百合子さんの友達で、児玉といいます。

母   コダマさん? どうぞ、あがってください。

悪魔  失礼します。(と入ってくる)突然お訪ねしてすみません。先程、百合子さんの落としたハンカチを

    拾ってあげたんですが、その時、僕のカードといっしょに渡してしまったようなんです。

母   まあ、そうですか。今呼びますから。百合子。百合子、お友達、児玉さん。

 

   百合子、台所から登場。


百合子 児玉さん? 知らないよ。…あら、さっきの。

悪魔  さっきはどうも。あのハンカチに僕のカード、はさまってなかった?

百合子 何もなかったけど…。見てみるわ。(と部屋に去る)

母   百合子と同級ですか?

悪魔  いえ、実は僕、最近転校してきて、さっき知りあったばかりなんです。

百合子 (部屋からもどって)これ?(とカードを差し出す)さっきは全然気がつかなかったのに…

悪魔  ああ、これだ。やっぱり、僕のポケットに入れた時、いっしょになっちゃったんだ。これなくすと

    大変なんだ。(家の中を一回り見回して)それじゃ僕は帰ります。

 

   百合子、玄関まで送るつもり。


悪魔  (帰りぎわに、百合子に)百合子さん、おとうさんいないの?表札を見たんだけど、おかあさんの

    名前でしょ。

百合子 え? そう。もう十年も前に亡くなったの。

悪魔  ふーん。病気で?

百合子 …事故よ。

悪魔  ふーん。大変だね。

百合子 (少しムッとして)さよなら。

悪魔  じゃ、またね。(と去る)

母   今時珍しい、きちんとした男の子ね。

 

   百合子、無言で母の傍に座る。母いぶかしげに見やる。


母   どうしたの?

百合子 なんか、食欲なくなっちゃった。(傍らの雑誌など取り上げて読む)

母   お腹すいたって言ってたじゃない。

百合子 いいの。

母   変なのね。…今の人と何かあったの?

百合子 何もあるわけないじゃない。

母   かっこいい子だったよね。タイプじゃない?

百合子 そんなんじゃないって。

母   そう。


   間。 母、所在無げ。


百合子 (唐突に)…おとうさんって、どんな人だった?

母   何? 突然。

百合子 おとうさんのどんなとこがよくって結婚したの?

母   ええ?ほんとにどうしたの?

百合子 私の覚えてるおとうさんは、大きくって、優しくって、煙草の匂いがした。でも、おかあさんから見

    たおとうさんって、違うんじゃないかな。

母   …おとうさんは郵便局勤めの固い人。お酒も飲まない、パチンコもやらない。そんな人だけど絵を描

    くのが好きで、休みの日には必ずスケッチしに出かけてた。おかあさんの絵も描いてくれたの。それ

    がとってもすてきな絵で、一目で気に入っちゃったの。

百合子 実物以上にきれいに描いてあったんだ。

母   美しさは主観的なものよ、見る人がきれいと思えばきれいなの。(笑い)

百合子 (少し間をおいて)…おとうさん死んで、悲しかったよね?

母   …確かに、死なれたときは悲しかった。結婚して七年足らずで連れ合いをなくしたんだもの。だけ

    ど、百合子がいたから悲しさも忘れられた。

百合子 でも、私も大けがしてたんだから、おとうさんのこと悲しんでる暇もなかったんじゃない?

母   そうねぇ、あなたもまる三カ月入院したから、ずっと付き添いしてたし…。

百合子 私がいてよかった?

母   なあに?

百合子 こんなの嫌だなって思わなかった?

母   思うわけないじゃない。あなたを育てることを支えに今まで生きてきたんだから。

百合子 それって、なんか重たいな。私、邪魔みたい。

母   邪魔って?

百合子 別に。

母   ははあ、うるさいおかあさんからさっさと離れちゃおうってことか。結婚でもして。

百合子 ちがう。逆だよ。…それに私、結婚なんかしないもん。

母   結婚しないって、どうして?おかあさんのことならかまわなくていいんだよ。百合子がいなくても

    おかあさん一人で気ままに暮らすから。

百合子 おかあさんにはおかあさんの生きたいように生きてほしい。

母   じゃあ、いいじゃない。…手のこと気にしてるの?

百合子 …。(首を横に振るが…)

母   そんなの気にしないの。きっと百合子のことわかってくれる人がいるから。

百合子 そうかな…。だとしても、どうせ死なれるんだったら、最初から結婚しないほうがいいんじゃない?

母   だんなが早く死ぬなんて決まってないでしょ。

百合子 私、誰かの負担になって生きるの嫌なの。

母   百合子。誰かの世話にならなきゃ生きられないなんて思ってるの。おかあさん、そんなふうに育てた

    覚え、ないよ。

百合子 わかんない。(立ち上がって)夕飯にしよう。(台所に去る。母、百合子の後ろ姿を見ている)


   暗転。 舞台前に小悪魔と二級天使登場。


悪魔  どうだ、意外に不幸の根がからまっていそうじゃないか。

天使  そうだなぁ。母子家庭か…。しかし、あの子はそんなこと少しも気にしていない。明るく生きている

    じゃないか。

悪魔  表面だけ見てるからさ。人間の心の底にこそ本当の願いが潜んでいるんだ。俺がそれを見せてやる。

天使  それは…、ちょっと違うんじゃないか?お、おい。おい。(と悪魔を追って去る)


   明転。 その日の夜。百合子の部屋。電気ストーブがあってもよい。

   百合子、パジャマ姿にカーディガンをはおって勉強中。左手が出ていない。

   百合子、勉強に集中できない様子。立ってラジオをつける。DJの声。

   DJの声で、おしゃべり、曲『マイブルーヘヴン(邦題、私の青空)』の紹介。

   デュエットの歌が流れる。(背景に若き日の父と母のシルエット。下手から上手へ歩いて行く。踊って

   もよい。前景で、百合子が背景の二人に合わせるように体を動かしてもよい)やがて、歌が終わる。

   百合子、しばらく姿見を見て机に戻るが、やはり集中できない。


百合子 人間なんて、どうせ死んでしまうんだったら、初めから生まれてこなければいいのに。


   やがて百合子、眠ってしまう。照明、変化する。小悪魔、学生服姿で登場。


悪魔  (うなずく)わかったぞ。(一転して児玉の声色で)百合子さん、百合子さん。僕は今日あってか

    ら、ずっと君のことが気にかかっていた。ねぇ、怒らないで教えてほしいんだ。

    君の左手、どうしてないの?

 

   百合子、急に起き上がって、左腕を抱く。悪魔のほうは見ない。


百合子 あの日、事故さえなければ…。おとうさん、私を助けようとしていっしょにひかれた。即死だった。

    私は左手が潰れてた。…もう十年、何回も義手を取り替えた。義手は成長しないから。最初は重く

    て、痛くて、マネキン人形になったみたいで嫌だった。今のと比べると出来が悪くて、ほんとに人形

    の手みたいだったの。この手がもどらないか、おとうさんが生きて帰らないかって願った。でも、そ

    んなこと願っても悲しくなるだけ。…片手じゃできないことって、いっぱいある。ギターが弾きた

    い。縄跳びがしたい。思いっ切りバット振りたい…。でも、片手が不自由なくらい、まだ幸せなんだ

    わ。そう思ってる。

悪魔  義手は成長しないけど、君は確実に成長してる。もう、恋をしてもおかしくない年ごろだろ。

    あの、トモ子さんなんか、もうしっかり相手をつかまえてる。

百合子 …トモ子はトモ子、私は私。…そう、結婚がすべてじゃない。結婚しない人だって大勢いるわ。

悪魔  僕は結婚のことまでは言ってないよ。百合子さん。僕とつきあわない?僕の力で、君の願いがいくら

    かかなうかもしれないよ。


   百合子、初めて小悪魔のほうを見る。


百合子 私の願い?

悪魔  ほら、手を見てみなよ。

 

   百合子の左手、袖から出ている。義手でなく、生身の手。


百合子 あっ。これ!?(左手を動かしてみる)

悪魔  さあ、マネキンの手じゃない、本物の君の手だ。縄跳びでも、ギターでもなんでもできるよ。

百合子 あ、あなたがやったの?

悪魔  そう。僕の力さ。(と言って、百合子に近づく)


   小悪魔が百合子に近寄り、暗転。 短い効果音。

   すぐに明転すると同じ部屋。百合子倒れている。小悪魔はいない。

   百合子、起き上がってあたりを見回す。左手がないことを確認して、


百合子 私…。(机に顔を伏せる)


   DJの声(天使の声に似ている)今夜もおわかれの時刻が近づきました。受験生の皆さん、あまり根を

   つめないで、もうおやすみしましょう。独りで寂しく聞いてくれたあなた、明日はきっといいことがあ

   るでしょう。昨日と今日の狭間におくる最後の曲は『ヘヴン』。じゃ、風邪などひきませんように。

   おやすみなさい。


   やさしい曲。やがて暗転。 曲、フェードアウトしていく。

   舞台前に二級天使と小悪魔登場。


天使  何なんだ! 今のは? え!

悪魔  何って。あの子の願いをかなえてやる…

天使  あれじゃ、古傷をつついて、寝た子を起こすようなもの。夢で願いをかなえてやるなんて、生殺しっ

    てやつじゃないか。

悪魔  まあ、黙って見てろよ。それともなにか、あんたがあの子に新しい手をやろうっていうのか? 

    そんなこと、大天使でなきゃできっこない。いや、もちろん俺にもできやしないが、俺はあの子が

    自分の願いを、じっと心の底に押し込めているのが不憫なだけなんだよ。

天使  かなう願いならな。

悪魔  かなわぬ願いなんて、本当はごくわずかなんだぜ。人間は、変な遠慮するからダメなんだ。

    「棒ほど願って針ほどかなう」って言うだろう。願って願って、願い続ける気力が大事なのさ。

天使  それは違う。自分を自分以上にしようなんてできっこないだろう。

悪魔  それを敗北主義って言うんだよ。黙って見てろって。(と去る)


   明転。 朝、登校時。百合子、いつもより少し暗い表情で登場する。ヒロ子が反対側から登場。


ヒロ子 おはよう。どうしたの今日は? 遅いから迎えにきちゃったよ。

百合子 ごめん。なんか、頭痛くて。夕べゴロ寝して、風邪ひいたみたい。

 

   トモ子、女生徒数人と登場。百合子たちに気付き、何かうなずきあって、近づいてくる。


トモ子達 おはよう。

百合子達 おはよう。

トモ子 昨日はどうも。あなたたちさー。人のこと何だかんだ言ってたけど、自分だって同じじゃない。

    ねー。(と他の女生徒とうなずきあう)

ヒロ子 何よ。

トモ子 百合子さん、昨日、彼氏がお家までいらしたでしょ。

ヒロ子 ええ?うそでしょ。

トモ子 何よ。この子が見たから本当よ。(と隣の子を見る)

女生徒1 昨日、私が帰りがけに百合子さんの家の前通ったら、かーっこいい男の子が玄関から出てきたの。

百合子 あ、あれは、落としもののことで…

ヒロ子 あ、あの人。なんで家まで来たの?

百合子 だからね、あのハンカチに…

トモ子 どーでもいいのよ。楽しいひとときをお過ごしになったのはかわりないんだから。いつも、男なんか

    って顔してるくせに、裏でこっそりなんて、やるじゃなーい。ねー。(女生徒達呼応する)

ヒロ子 何よーその言い方ー。

女生徒1 (後ろから)へーん、そんな手してるくせに。

ヒロ子 何だって! 誰、今言ったの!

女生徒2 その手で握手してみろー。

女生徒1 つかすんじゃないよー。(などと言いつつ走り去る)(「つかす」は山形弁)

ヒロ子 バカヤロー!(と追いかける)

 

   百合子、立ちすくんでいる。手からカバンが落ちる。

   二級天使、登場。


天使  どうしたの?大丈夫?

百合子 え…ええ、大丈夫。

天使  泣いてるの?(カバンを拾ってやる)

百合子 何でもない!(意外なほど強い口調。ひったくるようにカバンを取る)あ、ごめんなさい…。

天使  …ねぇ、私、今見てたの。ひどい人たちね。あんなの気にしないほうがいいわ。

    (百合子の様子を見て)…あなた、人と違うのが嫌?誰だってまるで同じ人はいないよ。顔も体つき

    も皆違うでしょ。その違うところが自分だって思えばいいのよ。

百合子 よくわかってる。(固い響き)

天使  …。ハハ、そんな顔してるとますます沈んじゃうよ。あなた、絵を描くんでしょ?私も好きなんだ。

    今度、美術室に行っていい?一緒に描こうよ。

百合子 …?


   ヒロ子、もどってくる。


ヒロ子 百合子ー。私がおもいっきり蹴飛ばしといてやったからね。気にするんじゃないよ。

    あれ? あなたは?

天使  私? 私は通りがかりの女生徒A、です。

ヒロ子 ? さあ、急がないと遅刻しちゃうよ。(と二人去る)


   小悪魔、登場。


悪魔  おやおや、何を始めようってんですか。

天使  嫌な奴。(女生徒のまま)あんなこと仕向けたの、あなたでしょ。

悪魔  いえいえ、あれは、たまたまあの子が僕を見かけてしまった結果ですよ。僕のせいじゃない。

天使  あの百合子って子を傷つけたら許さないよ。

悪魔  傷つけるなんて…僕があの子の手を潰したわけじゃないだろ。これからその傷を癒してやろうってい

    うんじゃないか。

天使  あんたが関わると皆不幸になって行くようだけど…。

悪魔  けっ。だから言ってるだろう。(本性が出てくる)人間様の願う力が足りないんだって!!

天使  胸騒ぎがして仕方がない。学校へ行こう。(と去る)

悪魔  (その背にむかって)優しいだけで幸せにできると思ったら大間違いだぞー。…ハハ…ハハハハ。

    (と去る)

 

   百合子とヒロ子、登場。内履きになっている。昇降口から教室への途中という設定。


ヒロ子 もー! おかげで遅刻しちゃったー。教頭先生にはしぼられるし、嫌んなっちゃう! 

    一時間目、理科よね、テスト渡っちゃうなー。

百合子 ごめん。私がもっと早く出てくれば良かったのね。(やや固い口調)

ヒロ子 え?

百合子 ごめんね、迷惑ばかり。…でも、そうしたくてやってるわけじゃないのよ私だって。

ヒロ子 何言ってるの? あの三人がからんできたのが悪いんじゃない。あなたのせいじゃないわ。

百合子 私がこんなんでなかったら…

ヒロ子 百合子! 今頃そんな…何になるの。とっくに割り切ったことでしょう!

百合子 割り切れてなんかいない! あなたにはわかんないよ。手があるんだもの!

ヒロ子 百合子…。

 

   百合子、泣く。右手にカバンを持っているので、涙がぬぐえない。


ヒロ子 私…私は何だったの? ずっと、あなたと一緒にいたじゃない? 私、あなたのことずっと…


   ヒロ子、後も見ずに駆け出す。百合子、何か声をかけようとするが、間に合わず、やがてとぼとぼ歩き

   だす。短い暗転。

   明転。 屋上。小悪魔がいるところにトモ子たちがやってくる。


トモ子 え? あの人。あれ昨日の。ますます許せない!(と小悪魔に近寄って)

    ねえ、私たちに用事って何?

悪魔  やあ、せっかくの昼休み、ごめんよ。

トモ子 いいよ。どーせ、いつもしゃべってるだけなんだから。(笑い)

悪魔  昨日、僕が百合子さんの家を出るのを見たのは、君?

女生徒1 そう。びっくりしちゃった! あの百合子って、男嫌いだって思ってたもんね!

悪魔  そ・れ・で、三人していじめたんだね?

トモ子 いじめたなんて、私たちこそ蹴られたんだよ。ねー(三人、痛がる)それに、あんたからそんな風に

    言われるスジあい、ないわよ。それとも何?あんたほんとにあの子に気があんの? あんな…

悪魔  うるさい! 僕は、あの子が幸せになるのを手助けしているんだ。邪魔する人間は…

トモ子 何よ。やろうっての!

女生徒2 なめんじゃねーよ!

悪魔  人間の中でも、お前たちはクズのほうだな。

トモ子 クズで悪かったね!

女生徒1 いいふりすんなよ!


   険悪な雰囲気。小悪魔、薄笑いしている。

   暗転。 以下の各場面は、カットバックで急テンポに変わる。

   明転。 面接室。百合子、座っている。先生登場。


先生  ごめんなさい、遅くなって。お昼、食べた?

百合子 はい。

先生  百合子さんはすぐ終わると思うわ。…北高、と。十分大丈夫ね。北高は最近、学生カバンでなくても

    よくなったから、あなたも楽になるわよ。この中学くらいよね、いまだに学生カバンなんて。大変だ

    ったでしょう。北高はね、前に片足義足の子が入学してね、それでも立派に卒業したのよ。部活も毎

    日やって。いい学校だと思うわ。おかあさん、お元気?

百合子 はい。会社が忙しくて大変みたいですけど。

先生  おかあさんもまだ若いんだから、あなた高校卒業してからももっと勉強させてもらえるんじゃない?

百合子 ええ…。

先生  できるだけ高い学歴つけるのも大切よ。

百合子 私、高校出たら就職するって、前から決めてるんです。早く自立して、おかあさんに新しい人生を

    プレゼントするんだって、小学生の頃からもう決めてたみたい。(笑い)だから、いいんです。

先生  …私、あなたを見てて、本当に素晴らしいなって感じてたの。ハンデに負けないで、皆と一緒に明る

    く強く生きてるでしょう。私なんか、五体満足なのにまだまだ半人前の教師で、反省しちゃう。

百合子 私、そんなんじゃないです。

先生  ?

百合子 本当は自分が嫌なんです。

先生  どうしたの?

百合子 おかあさんにも迷惑かけてるし…

先生  迷惑だなんて。

百合子 私、私があの時、事故に遭いさえしなかったら!


   暗転。 音楽、急迫する感じ。

   明転。 美術室のつもり。音楽フェードアウト。ヒロ子がしょんぼり座っている。二級天使登場。


天使  ねえ、百合子さんは?

ヒロ子 (ちらと見て)知らない。

天使  教室にいないのよ。

ヒロ子 …面接してたみたいよ。(つっけんどん)

天使  どうしたの?(側に座る)

ヒロ子 何よ。

天使  けんかでもしたの?

ヒロ子 …

天使  (独白)あいつのおかげで次々とこじれていく。本当にしょうがないやつだ。

    ねえ、私、百合子さんと友達になりたいの。あの子のこと、いろいろ教えて。

ヒロ子 …幼稚園がいっしょだったの。仲良くなって、よく遊んだ。お寺さんの幼稚園でさ。お墓の上とびま

    わって遊んだなー。

    でも、交通事故にあってさ、…私、その時見てたの。…あれで百合子が生きてるのは奇跡みたいなも

    のよ。おとうさんが命をかけて助けたんだ。

天使  それで…。(わかったという風)

ヒロ子 そう。大変だったのよ。私なんかもすいぶんめんどうみたように思うけど、でも本人が一番大変なん

    だよね。誰も代わってやれないし…。…私、百合子のために苦労させられてるって、どこかでそう感

    じてたみたい。…今朝、その気持ちが出ちゃったんだ…。

天使  でもあなた、百合子さんのためにあの三人蹴飛ばしてやったんでしょ。

ヒロ子 うん。私、力にだけは自信あるんだ。これまでも百合子をいじめるやつは皆私が泣かせてやった。

    でもいじめた子とも後で仲良くなった。けんかして、お互いの理解が深まったってことかな。でも、

    百合子とけんかしたのって初めて。

天使  ねぇ、私何だかとっても心配なの。こんなに面接かかるわけないし、百合子さんどこかしら?

ヒロ子 ここに来ないとすると屋上かも。

天使  行ってみよう。

ヒロ子 うん。


   暗転。 音楽。

   明転。 屋上。小悪魔、立っている。百合子、登場。


悪魔  やあ、せっかくの昼休み、ごめんね。

百合子 何ですか、用事って?

悪魔  昨日の返事をまだ聞いてなかったからさ。

百合子 昨日の返事って?

悪魔  「僕とつきあってくれないか」ってお願いしただろう?

百合子 えっ!!

悪魔  「僕の力で君の願いをかなえてあげられるかもしれない」って。

百合子 (おびえる)なんで知ってるの?

悪魔  僕が自分で言ったことだもの。ぜーんぶ覚えてるさ。

百合子 でも、あれは夢の中で…(恥ずかしさ)

悪魔  ハハハ、恥ずかしがっちゃいけない。ま、返事はあの時わかってるようなものだけど、やっぱりきち

    んと聞いておかないと。規則なもんで。

百合子 規則?

悪魔  いやなんでもない。こっちの話。さあ、返事は? 僕はもう君の願いをいろいろかなえてやったんだ

    から悪い返事はないだろうね。

百合子 私、何もお願いしてない…。

悪魔  いやいや、君の心の底にはいっぱい願いがつまってたよ。なくなった手はつけてあげられないけど、

    そのことで君をとやかく言う奴等は、皆僕が処理してあげる。

    それから、おかあさんのことだけど、ほら、高木っていったかな、つまらない男やもめのようだが、

    あの人と再婚するんだよ。

百合子 えっ?!

悪魔  おかあさんも、これで幸せになれる。君は、僕がついてるから心配いらないよ。

百合子 何言ってるの。ばかげてる。

悪魔  いやいや、おかあさんは今日も彼氏と昼食をともにしている。

百合子 どうしてそんなこと言うの。なんで私を苦しめるの?

悪魔  おや? みようなこと言うねぇ。これはみんな君の願ったことじゃないか。嬉しくないの?

百合子 うそ! 私からおかあさんを取らないで。ヒロ子も。…返して!(くずおれる)

悪魔  (独白)はて、どうも人間ってのはわからん。こう願いが多くては…。それがまたコロコロ変わりや

    がる。結局、君の一番の願いは何なの?

百合子 (耳に入っていない)もし、私が願ってこうなったんなら。そう、やっぱり私、私のせいなんだ…。

悪魔  ほほー。そうか。それが望みか。じゃぁ、かなえてやろう。そら。


   屋上のフェンス、ひとりでに鍵がはずれ、非常口の扉が開く。効果音。

   百合子呆然とした様子になり、立ち上がる。ゆっくりとフェンスに向き、歩き出す。

   フェンスに達するころ、ヒロ子の声。

 

ヒロ子 だめー(ヒロ子登場)百合子、何してるの!!


   百合子止まる。


悪魔  待て! 邪魔するな。

ヒロ子 ええ? 何考えてるのよこいつ? 百合子馬鹿なことしないで、こっち来なさい!

百合子 ヒロちゃん、ごめんね。

ヒロ子 何ー?

百合子 あの時、おとうさんじゃなくて、私が死んでいればよかったのに…。

ヒロ子 バカー。そんなこと言ったら、おとうさんがかわいそうだろうー。

百合子 私が飛び出さなかったら、おとうさんも死なずにすんだ。

ヒロ子 えーっ、違うよー。


   百合子、飛び下りようとする。


ヒロ子 あーっ


   ヒロ子、悪魔を突き飛ばし、百合子に駆け寄る。

   一瞬、百合子を抱き止め、入れ替わるが、もみあっているうちにヒロ子、外側に転落する。

   百合子、屋上側に倒れる。


百合子 ヒロ子! ヒロ子!

悪魔  あーあ。だから人間って嫌だよ。


   二級天使登場。


天使  おい。

悪魔  なんだ、いたのか。今頃出てくるなんて、出場を間違えたんじゃないの? 俺なんかもう、取りたく

    もない魂が手に入りそうだぜ。

天使  見事に不幸にしてくれたねぇ。

悪魔  チェッ、どーしてこう、なるの! ってな。

天使  さあ、お前の出番は終りだ。消えて消えて。

悪魔  フン。じゃ後始末はおまかせしますよ。

    購買部でパンでも買ってこよう。ポーク・カレーパンがいいかな。(と去る)

天使  あ、私にもUFOパンと牛乳。…行っちゃったか。

    百合子さん、百合子さん。(百合子、気がつく)だいじょうぶよ、何も心配いらないの。

    (フェンスに近寄って下を向き)もう出てきなさいよ。


   屋上外側から、ヒロ子、出てくる。


百合子 ヒロ子!!

ヒロ子 へへ、幽霊じゃないよ。ここ、避難バシゴの出っ張りがあるんだ。(と屋上に上がってくる)

百合子 ああ! 良かった。

ヒロ子 百合ちゃん、心の中でずっと自分のこと責めてたんだね。誰にも話さないでいたのね。

    でも、あの事故は百合ちゃんが悪いんじゃない。あなたの思い込みよ。私見てたからわかるの。

    トラックの方が歩道まで突っ込んできたんだもの。百合ちゃん悪くないんだよ。

百合子 …。


   百合子、ヒロ子の顔を見つめているが、やがてヒロ子の胸に顔を埋める。

   トモ子たち登場。絆創膏などあちこちに貼っている。


天使  どうしたの? その顔。

トモ子 あいつ、知らない?

天使  児玉君?

トモ子 そうそう。そんな名前。もーただじゃおかないから。(百合子に)あんたも、あんな奴とつきあっち

    ゃだめよー。あれ、ほんとのワルだから。ねー。

百合子 初めっから、あんな奴嫌いよ。

トモ子 なーんだ、やっぱりね。百合子があんなのとくっつくわけないもんね。

ヒロ子 あいつ、購買部にパン買いに行ったよ。

トモ子 よーし、行くよ。


   女生徒たち、「オー」と言ってゾロゾロ去る。


天使  百合子さん、ごめんね。

百合子 え?

天使  私、児玉君て、よく知ってるの。あなたとつきあおうとしたことも、みんな知ってたの。

百合子 !?

天使  あの人、根はいい人なんだけど、いつもやりかたを間違うの。私からあやまるわ。(と頭を下げる)

    私、あなたと友達になりたかったけど、もういっぱい友達いるもんね。じゃぁ、さよなら。

    (と去る)


   百合子とヒロ子、黙然と見送る。

   やがて百合子とヒロ子、仲良く去る。その際、フェンスの鍵をかけて帰る。百合子、疲れきった様子。

   暗転。 音楽。

   明転。 面接室。母親座っている。先生登場。


先生  あ、どうも、お忙しいところ。

母   いいえ、で、どんな具合なんでしょう。

先生  ええ、何か寝不足で風邪気味だとか言って、保健室にいたんですけど、ずいぶん疲れている様子なの

    で一人で帰すのも心配になって。

母   昨日、私が風邪で休んだものですから、あの子に負担をかけてしまって。私の風邪がうつったのかも

    しれません。

先生  ところで、ちょっとお聞きしたいんですが。

母   はい。

先生  百合子さんのことで、何か迷惑に感じてるなんてことありますか?

母   はあ?

先生  いえ、あの、百合子さんがそんなことちらっと言ったもんですから。

母   百合子が私の迷惑になってるって言うんですか?

先生  そうです。

母   …。たしかに、あの子が五才の時つれあいを亡くして、子供の体も傷ついてしまって、目の前が真っ

    暗になりました。この子を抱えて、あと一生悩まなけりゃならないんだって思いました。それは親の

    責任ですから。あの子が七五三の時、きれいに着飾ったまわりの子を見て、なんで私の子だけこんな

    体なんだろう! って悲しくなってしまいました。その頃、百合子が義手をなくして帰ってきたこと

    がありました。訳を聞いてもなかなか言わなかったんですが、その晩、知らない人が親子連れでやっ

    てきてこう言うんです、「今日うちの子が神社で遊んでいて池にはまりましたが、お宅のお子さんが

    助けてくれました。まわりに大人がいなかったので一人で助けてくれたようです。どこの子か名前も

    わからなかったのですが、『片手が取れた』とうちの子が言いますので、小学校に問い合わせてやっ

    と訪ねてきました」って。

    私、思いました。百合子が私の心の支えなんだって。私の心を照らす光なんだって。迷惑だなんて考

    えてません。あの子が幸せになって、孫の顔でも見ながら楽しくお茶でも飲んでるのがいいって、思

    ってるんです。

先生  …再婚は考えてませんの?

母   ちゃんと家族がいますもの。


   百合子、入ってくる。ヒロ子、カバンを持ってやっている。


先生  あら、ヒロ子さん、ありがとう。どう、具合は?

ヒロ子 熱が七度六分あります。

先生  やっぱり風邪ね。おかあさん、医者に連れてってくださいね。

母   はい。(と荷物を受け取る。百合子、母のところへ行く)

先生  では、お大事に。

ヒロ子 風邪なおして、明日は遅れないで来るんだよ。

百合子 うん。バイバイ。

ヒロ子 バイバイ。

母   どうもお世話になりました。失礼します。(百合子と去る)

ヒロ子 先生。

先生  なーに?

ヒロ子 三年生に児玉っていう男子いますか? 最近転校してきたっていう。

先生  え? 今年は誰も転入してないはずよ。

ヒロ子 変だなー。トモ子たちにけがさせたの、児玉っていうんだけど。

先生  おかしいわね?


   暗転。 舞台前に二級天使と小悪魔。(もとの姿)


悪魔  なんだよー、天使のくせに人をだますなんて。

天使  何言ってんだ。もうちょっとで大変なことになるところだったじゃないか。

悪魔  へっ。しかし、ま、この勝負は勝ち負けなし、だな。

天使  どうして?

悪魔  どうしてって、あんたは何もしなかったじゃないか。俺ばっかり働いて。

天使  そう思うかい? でも『過ぎたるは及ばざるにしかず』っていうだろ。

悪魔  ?

天使  神様の御心に任せるのが一番なのさ。

悪魔  またまた、神様なんてこの世に…

天使  シーッ。もう時間がないんだから、その話はまた今度。


   暗転。 音楽。

   明転。 舞台上、道。百合子、母の後について歩いて来る。


百合子 (立ち止まって)おかあさん。

母   (振り向いて)どしたの? 

    (百合子、無言で母を見ている)まぁ、十年も離れてたみたいな顔して。

百合子 おかあさん、今日、高木さんと会ってた?

母   あら、どうして知ってるの?

百合子 やっぱり…。

母   高木さんね、今度、おかあさんの会社の人と結婚するのよ。

百合子 えーっ。

母   おかしい?

百合子 おかあさんと結婚するんじゃないの?

母   あら、残念そうね。おかあさん、もうちょっと積極的になればよかったかな?

百合子 違ーう。ちがうけどー。(甘えるように母にすり寄る)おかあさん。…こんな私だけど、もう少し

    面倒みてくれますか?

母   百合。(と抱き寄せて)百合はおかあさんの大切な子。百合は、わたしの、心の天使。


   二人、よりそって歩き去る。音楽、高まって、

   幕