自作高校演劇脚本④『むじなの話』

『むじなの話』作、佐藤俊一


人物 ケンジ(高校生)

   アヤノ(ケンジの同級生)

   少女(ユカ、ケンジの死んだ妹)

   老婆(あるいはケンジの母)

時  現代の夏

所  地方の町 ケンジの部屋 山 他

初演 2002(平成14)年9月

 

 

プロローグ

 

  幕が開く。(DO)
  中央に照明ケンジが立っている。


ケンジ 昔、むじなが、何を油断したか、山から人里に下りてきて居眠りしているとこ

    ろを捕まえられてしまった。

    むじなが目を覚ますと家の中でぐるぐる巻きにされてしまっていた。囲炉裏に

    は火がガンガンおこしてあって、鍋に湯がグラグラ煮立っている。そばで婆さ

    んがシュッシュッと包丁を研いでいる。むじなは「しまった」と思ったがどう

    にも縄を抜けられない。婆さんが一人なのを見て声をかけた。

    「おい、ばあさん。俺を食べるつもりか」

    「おお、むじな汁にして、食うてやるのだわい」

    「煮て食おうなんてあんまりだろう」

    「人に悪さをしておいて何を言う」

    「たしかに悪さはした。だが俺も食われたくはない。どうだろう、俺の集めた

    金をみんな婆さんにやるから、逃がしてはくれないか」

    婆さんは欲にかられて縄をほどいてしまった。すると、むじなは婆さんにとび

    かかり、ぐらぐら煮立った鍋の中に放り込んでしまった。狢汁ならぬ婆汁がで

    きてしまったわけだ。


1場


  溶暗

  目覚まし時計の音

  明転

  ちらかった部屋。蒲団が敷いてあり、そこにケンジが寝ている。

  ケンジ、手を伸ばして目覚ましを止め、また寝る。

  携帯の着メロが鳴る。ケンジ、携帯を取る。


ケンジ ハイ。あー、何?(ガバリと起きて時計を見る)遅いよモーニングコール。

    (制服に着替えながら)いつも起こしてくれてるじゃない。

    え? 何度もかけた? あれ、そうだっけ?

    でももう間に合わないよ。1時間目なんだっけ。

 

  バッグをかついで部屋を飛び出そうとする時、ドアのチャイムが鳴る。


ケンジ ハイ。(携帯を持ったままドアを開けにゆく)


  ドア(舞台奥)からアヤノが出てくる。ここでは二人とも携帯を手にしている。


ケンジ (携帯に向かって)何、どうしたの?

アヤノ (携帯に向かって)寝坊すけ。

ケンジ (携帯に向かって)なんでここにいるの?

アヤノ (携帯に向かって)おばか。

ケンジ (携帯に向かって)制服は?

アヤノ 本当にばかね。今日から夏休みでしょ。

ケンジ あっ。

アヤノ サイクリングに行く約束したでしょ。

ケンジ あーっ。ごめんー、忘れてたわけじゃないんだー。

アヤノ いいわよ。それより、朝まだなんでしょ。これでよかったらどーぞ。

    (とコンビニ袋を出す)

ケンジ どうも。

アヤノ (蒲団をたたんで座りながら)狭いねー、ここ。

ケンジ 俺一人だもん、これで十分さ。

アヤノ そっか。

 

  ケンジ、黙々と食べる。

 

アヤノ 自炊しないの?

ケンジ 忙しいとね、どうしても外食になっちゃうね。

アヤノ 私が来て、つくってあげようか?

ケンジ いいよ。…ごちそうさま。さてと、行くか。

アヤノ なんか、サイクリングって気分じゃなくなったなー。

ケンジ そうか?でも何もすることないぞ。

アヤノ じゃあ、エルパソでも行こうか?

ケンジ エルパソ

アヤノ パチンコよ。

ケンジ パチンコ!(反応が異常な感じ)

アヤノ (その異常さに驚いて)冗談よ、冗談。

ケンジ からかうなよ。

アヤノ ごめん。そんなに怒らないで。

ケンジ まさか、パチンコやってないよな。

アヤノ ないない。

ケンジ 俺はまじめなんだから、悪い道に誘わないでくれよな。

アヤノ あら、そんなにまじめな人とは知りませんでしたわ。

    (と、傍らのビールの空缶を見せる)

ケンジ お前だって飲むだろ。(と、空缶を取り上げて隠す)

アヤノ 一人暮し、寂しいんじゃないの?

ケンジ 別に。もう慣れたし、親戚の家に厄介になってるよりましだよ。

アヤノ 私さ、小学校の頃、お父さんとお母さんが事故で死んじゃって、私一人になっ

    たらどうしよう、なんて考えたことあるの。お金があるんだったら、一人で生

    きてくのもいいかな、なんて。…親不孝かな。

ケンジ いいんじゃない?今時は、「親がないから子が育つ」だろう。

    実際、一人暮しはいいよ。誰にも気を使わなくていいんだから。親子でも気を

    遣うことってあるでしょ?

アヤノ そうねー。

ケンジ ちょっと早い親離れだったけど、子供の自立にはおおいに役立ったということ

    さ。お前も早く自立しろよ。でも、パチンコだけはだめだ。

アヤノ お説教みたい。やっぱりサイクリング行こう。狭い部屋を出て、広い空の下

    へ。さあさあ。


  二人、部屋から出る。暗転(ただし、部屋の部分に明かりが残る)

  パチンコ台の音楽が鳴る。奥から椅子を持って女が登場。背を向けてパチンコをす

  る仕種。

  やがて赤ん坊の泣き声が聞こえてくる。泣き声が次第に大きくなる。女、はっと立

  ち上がって奥に走り込む。完全に暗転。


2場


  セミの声

  明転(昼・野外)

  センターに吊り物(木のカットクロス)

  自転車で走る二人。

  ケンジ、自転車を止めてアヤノを振り返り、


ケンジ そこの木の下で休もうか。

アヤノ うん。


  二人、自転車をパネルの裏に停めて、中央の台の所に来る。やや疲れた様子。


アヤノ こんな所まで来たの初めて。砂利道を自転車で走ったなんて何年ぶりかな。

ケンジ ここからの眺めは昔と全然変わんないな。向こうの山脈とこっちの山並みには

    さまれた盆地。川と田んぼと山しか見えない。

アヤノ あっちの山の向こう側からずーっと雲がわいてきて、こっち側に流れ落ちてく

    るみたい。

ケンジ 山脈を越えてくる大津波って感じだな。

アヤノ おもしろい言い方するのね。ねえ、何かお話しして。

ケンジ 話?

アヤノ 「お話しケンジ君」でしょ。

ケンジ じゃあ、「むじな」の話。


  以下、話の間に次第に日差しが弱くなり、ついに雨が降ってくる。


アヤノ それ、こないだ聞いた。

ケンジ あの続き。えーと、むじなが婆さんをよーく煮て食っているところに、村人た

    ちがやってきて、またむじなは捕まってしまった。

    「お、俺を殺すとばちがあたるぞ」

    「何を言ってるんだこのむじなが」

    ムジナはボコボコに、袋叩きにされてしまった。

    「た、助けてくれ。助けてくれたら、今まで悪さをして貯めた宝物のありかを

    教えるから」

    「ふん、そんなこと言って、まただますつもりだろう」

    「いや、本当だ。もう嘘は言わん」

    村人たちは、むじなを殺すのは宝物を手に入れてからでも遅くはないと思っ

    て、ムジナの手を縛ったまま案内させた。

アヤノ 手?むじなって狸みたいな動物なんでしょ。手あんの?

ケンジ ある。

    むじなは村人たちを案内して山奥に入っていった。あまり山奥に入るものだか

    ら心配になったが、むじなはもう少し、もう少しと言って、とうとう高ーい崖

    の上まで来た。

    「宝物のありかはここからしか見えないのだ。ほうら、あそこに光っている。

    よく見ろ」

    村人たちはむじなをほっぽりだし、崖から身を乗り出してのぞきこんだ。むじ

    なはその隙に村人たちの後に回るといきなり突き落とした。

    「はーははは。欲の皮の突っ張った馬鹿どもめが! ざまをみろ。俺様を殺し

    て食おうとした罰だ」

    小踊りして喜ぶむじなに、山から一陣の風が吹き下ろした。むじなは風にさら

    われてたちまち崖下へ落ちていきましたとさ。

アヤノ 何それ。

ケンジ むじなの話。

アヤノ それだけ?

ケンジ これだけ。

アヤノ 変なの。


  遠い雷鳴


ケンジ あ、雨だ。


  ザーッと夕立が降ってくる。(SE)二人、木の下に身を寄せる。


アヤノ すごい雨だね。

ケンジ うん。すごい水しぶきだ。向こうがかすんで見える。

アヤノ …もう地面が沼みたい。


  あたりはすっかり暗くなる。


アヤノ …寒くなってきた。

ケンジ うん。


  二人、近づく。


アヤノ どうしよう。

ケンジ そのうち止むさ。


  しばしの沈黙


アヤノ ねえ、むじなと村人と、どっちが悪かったんだろう。

ケンジ 人間から見ればむじなが悪者で、むじなから見れば人間が悪者さ。

アヤノ じゃあ、最後に吹いた風は?神様は人間の味方なの?

ケンジ わからないよ、そんなの。

アヤノ えーつくった人がわからないの? ケンジってどうやってお話作るの?

ケンジ 別に…。適当に思いつくまま。

アヤノ うそだー。適当であんな話できるわけないよ。

ケンジ あ、誰かいる。

アヤノ え? …いないよ。

ケンジ あれ、…木の影かな。

アヤノ こんな雨の中、誰も歩いてるわけないよ。

ケンジ 人だ。傘さして歩いてる。

アヤノ 見えないよ。

ケンジ こっちに来る。

アヤノ 見えないってば!


  SEが入る。次第に音量大きくなって行く。

  背景を横切って少女が歩いている。黒い傘をさしていて顔は見えない。

 

ケンジ あれ? あれは、妹のユカじゃないか?

アヤノ ええっ? やめてよケンジ! あんたの妹は赤ちゃんのとき死んだんでしょ!

ケンジ ユカ!


  と呼ばれて少女立ち止まり、傘をはずした。その顔に黒髪がかかっているが、その

  間から見えるのは骨だ。

  一瞬、稲光がして前景が目もくらむほど明るくなる。ほぼ同時に雷鳴。

  暗転の後、少女の姿消えている。

  台上、誰もいない。

  アヤノ、台の陰から這い上ってくる。


アヤノ ケンジ。ケンジ? どこなの。あれ、どうしちゃったんだろう、雨降ってない

    し。ケンジーッ。


  老婆が通りかかる。(袖より登場)


アヤノ あ、あの。すみません。この辺で男の子見ませんでしたか?私と同じ高校生な

    んですけど。

老婆  男の子? 久しく子供なんて見たことないが。あんたぐらいの男の子なら、知

    っているよ。

アヤノ よかった。雷が鳴って、友達とはぐれてしまって。私、そこから落ちて、やっ

    と登ってきたらいなくなっていて。…何時の間にこんなに高く登ってきたんだ

    ろう?

老婆  この崖から落ちた! よう無事で上がってこれたこと。

アヤノ ケンジは、その男の子はどこにいるんですか?

老婆  会いたいのか?

アヤノ ええ、もちろん。

老婆  ちょっと遠いな。

アヤノ え、遠いって?

老婆  今、あんたのいる場所とあの子のいる場所は、ちょっと違うんだわ。

アヤノ は?

老婆  わしは会えるが、あんたはなあ…。あんた、本当にあの子を探して、会いたい

    んだね?

アヤノ ええ。

老婆  それなら、この山をずっと上まで登って行くんだな。道なりに行くと上に家が

    あるから。

アヤノ その家にいるのね。

老婆  いるとは言わんが。

アヤノ いないの? 今、わしは会えるって言ったじゃない。

老婆  だから、上まで登れたらの話じゃよ。

アヤノ 登れます。

老婆  やれやれ、じゃあついてきなさい。


  アヤノ、老婆の後について行く。

  奥からケンジ登場。


ケンジ ああ、どうしたんだ? 雷、近くに落ちたのかな? アヤノ、おい、どこだ?


  ケンジ去る。

  袖から、アヤノと老婆、登場。


アヤノ この山に住んでるんですか?

老婆  ああ。

アヤノ 一人で?

老婆  …前は、じいさんと暮らしてたんだけど、今は一人だ。

アヤノ おじいさん、亡くなったんですか?

老婆  逃げたんだよ。

アヤノ 逃げた?

老婆  ちょっといざこざがあってな。まあ昔のことだ。

アヤノ …むじなって、この山にいるんですか?

老婆  むじな? ああ、ずっと山奥の方にな。たまーに下りてくるのがいるんだ。

アヤノ むじなって、悪さするんですか?

老婆  するなー。

アヤノ つかまえて食べるんですか?

老婆  …そんな話も聞いたかな。

アヤノ 食べたこと、ある?

老婆  あったかなー。

アヤノ じゃあ、むじなが人を化かすって本当ですか?

老婆  アハハ、お前そんなこと本気で考えてんのか?

アヤノ いえ…、友達がそんなことを言うもんだから。

老婆  ほれ、そこが家だ。着いたぞ。

アヤノ ここお婆さんの家なんですか? ケンジ、ここにいるんですか。

老婆  まあ待てって。あったかいものでも食べろ。


  老婆、奥に去る。アヤノ、座って待つが、落ち着かない。

  やがて老婆が鍋を持って現れる。(杓子と椀も)


老婆  ほら、これでも食って。(と椀によそってくれる)

アヤノ どうも…。これ、むじな汁?

老婆  はは、まさか。(と自分もよそって食べる)

アヤノ 何かこれ、肉ですか?

老婆  食ったことないじゃろ。お前の友達の肉。

アヤノ エエッ!

老婆  アハハハ、冗談冗談。ク・マ。

アヤノ 熊?

老婆  村の猟師さんが冬に捕るのを冷凍してあんのさ。

アヤノ もう、いいです。ごちそうさま。それで、ケンジはどこ?

老婆  ああ、そうじゃったな。友達は…帰った。

アヤノ 帰った? どこに?

老婆  さあな。自分の家にでも帰ったんだろうよ。

アヤノ 登ったら会えるって言ったくせに! 嘘つき! こんな所に連れて来て、こん

    なもの食べさせて。

老婆  いやお前はもう、近くにいるんだよ。なにせこのわしに会えたんだからな。

アヤノ 何言ってるか分からない! もどらなくちゃ。


  家を飛び出し駆け去るアヤノ。黙って見送る老婆。

  鍋・食器を片づける老婆。何かぶつぶつ言っているようだ。老婆奥に去る。

  袖からケンジ登場。


ケンジ アヤノーッ。どこ行っちゃったんだまったく。


  中央に来て。腰を下ろす。


ケンジ 帰ったのかな。変なこと言ったからなあ。…なにも、あんなときに見えなくて

    もいいのに。


  背後から少女が登場。


ケンジ (振り返らずに)今日は二度も出るのかよ。

    まだ成仏できないのか? 十三回忌は済んだはずだぞ。それに俺、お寺の前通

    るたびに、お前のこと祈ってるんだぞ。賽銭は入れないけどな。


  少女、ケンジのすぐ後にしゃがむ。


ケンジ でも、出てきていいんだぞ。とうちゃんとかあちゃん離婚して、ずっと一人だ

    から、お前がそこにいるだけで、なんか安心するんだ。


  アヤノ、袖より登場。声をかけようとするが、ケンジの様子を見ている。

  雨がしょぼしょぼ降ってくる。SE


ケンジ あ、やばいな。また降ってきた。天気予報あたんねーな。お前が分かって、教

    えてくれたらいいのにな。

アヤノ ケンジ!

ケンジ アヤノ! お前どこ行ってたんだ。

アヤノ ケンジ、あんた誰と話してるの?

ケンジ お前、見えるのか?

アヤノ ううん…見えないけど、ケンジには見えてるのね。


  少女、奥へ去ってゆく。


ケンジ ユカ? ユカ。…行っちゃったのか。

アヤノ ケンジ。だいじょうぶ?

ケンジ うん…だいじょうぶだ。時々見るんだ、妹のこと。死んだのは一歳にならない

    うちなんだけど、俺の見る妹は俺といっしょに成長してるんだ。変だろ。

    俺の部屋にも出るんだぞ。

アヤノ やめて。

ケンジ はは、嘘だよ。お話しケンジ君のうそ話。

アヤノ もう、心配したんだから。馬鹿。

ケンジ ごめん。

アヤノ やっぱり、家に帰ったんじゃなかったんだ。

ケンジ お前残して帰ったりしないさ。

アヤノ うん、わかってる。けど、さっき変な婆さんがさ、ケンジを知ってて、家に帰

    ったって言うから。

ケンジ 変な婆さん?

アヤノ そう、むじなの話に出てくるみたいな。

ケンジ もしかしたら…。

アヤノ 知ってるの?

ケンジ いや。

アヤノ そうよね。(奥を見て)私、さっきここから落ちたの…、でも、崖になんかな

    ってないよね?

ケンジ 何か変だな。早く帰ったほうがいいかも。

アヤノ うん、帰ろう。


  二人自転車に乗り、帰る。

  暗転SE

  中央だけ、ぼんやり照明が入る。その中にさっきの少女が現れる。顔は人間。

 

少女  昔々、ある所におじいさんとおばあさんが住んでいました。おじいさんは山へ

    柴苅りにおばあさんは川へ洗濯に行きました。おばあさんが川で洗濯をしてい

    ると、川上から大きなつづらが流れてきました。おばあさんはそのつづらを拾

    って、家に持って帰りました。おじいさんが山から戻るのを待って、開けてみ

    ると、中から河童が飛び出して、あっという間に二人を食べてしまいました。

    食べ終わると、河童はつづらを担いで川まで行き、つづらの中に入って、また

    川を流れて行きました。

    何が間違っていたのだろう。つづらを拾ったのが間違いか。おじいさんの帰り

    を待ったのが間違いか。つづらの中には宝でも入っているのじゃないかと考え

    たのが間違いか。

    あるいは、すべてが間違いか。


  暗転


3場


  明転すると1場と同じケンジの部屋。ただし照明が変である。

  毛布をかぶって寝ているケンジ、縛られている。


ケンジ お? おおっ!


  台から老婆が出てくる。砥石で包丁を研ぎ始める。


ケンジ おい。おい、お前誰だ? 何してるんだ。おいったら!

老婆  うるさいぞ、このむじなめが。

ケンジ むじなあ?

老婆  今、さばいてむじな汁にしてやるで、静かに待っていろ。

ケンジ 俺はむじなじゃなくて人間だ! 見て分からんかい。

老婆  むじなはよう化けるでな。見分けはつかん。

ケンジ そんなむちゃくちゃな。

老婆  いいや! お前はむじなに違いない! それはお前が一番分かっているはず。

    そうじゃろうが!

ケンジ え、えー?

老婆  ほれ、その顔に「私はむじなでございます。これまで数々悪さを重ねて参りま

    した」と書いてあるわい。

ケンジ わ、悪さをしたら皆むじななのか。お前は悪さをしたことがないのか。店から

    消しゴム万引きしたことはないのか。嫌いな友達の靴に画鋲入れたことはない

    のか。

老婆  ない。

ケンジ 隣の家の畑から大根抜いてきたことはないのか。気に入らない嫁をいじめたこ

    とはないのか。姑の可愛がっている猫に猫いらずを食わせたことはないのか。

老婆  …ある。

ケンジ お前だって似たようなものだ。なんでお前が人間で俺がむじななんだ。

老婆  やかましい!


  老婆、包丁を振りかざして襲いかかる。ケンジ、手を縛られたまま部屋の中を逃げ

  回る。


ケンジ 助けてくれー! 人殺しー!


  チャイム鳴る。


ケンジ はい! はい! 誰でもいいから、早く入ってきて!


  アヤノ登場


ケンジ アヤノー!

アヤノ な、何してるの。やめなさい!

老婆  やめろって、お前はどっちの味方するんだ。

アヤノ むじなの味方よ。

ケンジ むじなでないってー。


  老婆とアヤノの格闘。アヤノが優勢。


アヤノ やっぱり、殺して食べるつもりね。そうはさせないから!

老婆  ぎゃあー。(と袖に去る)

アヤノ さあ、早く逃げるのよ。村の人たちが来ないうちに。

ケンジ お前強いんだな。

アヤノ いいから早く!(と縄をほどく)

ケンジ たって、こんな狭い部屋の中、どこに逃げりゃいいんだよ。

アヤノ 窓!

ケンジ ここ2階だぜ。

アヤノ 毛布に乗って!

ケンジ ?

アヤノ 飛ぶわよ。

ケンジ 空飛ぶ毛布かよ、これ。

アヤノ それっ。


  飛び上がる毛布。窓を抜けて空を飛んで行く。SE


ケンジ ひゃああ。飛んでるー。うわー、家があんなに小さく見える。


  ホリに流れ雲のエフェクト


ケンジ これ、マジ本当か? 夢でも見てんのかな。


  アヤノ、ケンジの頬をつねる。


ケンジ イテテテ。痛いよ!

アヤノ 信じないと落ちるわよ。

ケンジ 信じる信じる。

アヤノ 夢の中に真実があるってね。

ケンジ 夢が真実、現実が夢? どっちなんだよ。

 

  アヤノ、笑って答えない。


ケンジ どこまで行くんだ?

アヤノ むじなは山奥に住んでるんでしょ。

ケンジ 山? 俺の住処はさっきのアパートでしょ。山奥に行ってどうするの。早く下

    ろしてくれよ。

アヤノ 危ない! 動くと落ちるよ。あなたの住処は、あんな狭い建物じゃなくて、人

    間が誰も来ない静かな山奥なの。

ケンジ いや、俺コンビニがないと生きていけないよ。

アヤノ ほら、着いたわ。


  流れ雲のエフェクト、SE止む。

  アヤノ、毛布から下りる。


アヤノ ケンジ、ここで私と暮らすのが一番いいのよ。

ケンジ 何言ってんだよ。自立しろって言ったけど、自立するにもほどがある。

アヤノ そんなこと言って。あなたはむじななのよ。人間の世界には住めないの。

ケンジ ち、違う。俺はむじなじゃない。なんかおかしいぞお前。いや、毛布が空飛ぶ

    のも、俺の部屋で婆さんが包丁研ぐのも、みんなおかしいけどな。

アヤノ おかしくなんかないわ。

ケンジ 帰してくれよ。

アヤノ 帰っちゃだめ。

ケンジ いやだ! 帰る。

アヤノ どうやって帰るつもりよー。

 

  ケンジ、袖に走り去る。アヤノ、寂しげに見送る。

  溶暗

  大黒幕がひかれ、ホリゾントが黒くなる。

  中央にぼんやり照明が入る。その中にアヤノが立っている。


アヤノ 昔々、あるところに、それはかわいらしい娘が住んでいました。娘にはこれま

    たかわいい弟がいました。二人並ぶと、まるでお雛様のようだと言われて、二

    人とも両親からたいそう可愛がられていました。

    あるとき、二人は森へ遊びに行きました。きのこを採ったり、虫を追いかけた

    りしているうちに、いつもより深く森へ入り込んでしまったことに二人は気が

    つきませんでした。娘がふと目を離した隙に、弟の姿が見えなくなってしまい

    ました。どこを探しても見つかりません。でも、弟を見つけなければ家には帰

    れません。娘も森の奥へと入って行きました。道なき道をたどるうちに、目の

    前に一軒の家が現れました。それは山姥の家でした。覗いてみると中に弟がい

    ます。思わず声をかけようとしましたが、弟は山姥の手にかかってもう死んで

    いたのです。弟は細切れにされて鍋の中に入れられました。娘はそれを見ると

    山姥の家の回りに枯れ枝を積み重ね、火をつけました。ゴウゴウと燃える家を

    見ながら、娘は泣きました。何日かたって、村にたどり着いた娘は、七日間床

    についてこの話を伝えると息を引き取りました。

    誰が間違っていたのでしょうか。言いつけを守らなかった弟でしょうか。かわ

    いい弟をつかまえて食べようとした山姥でしょうか。山姥を家ごと焼き殺した

    娘でしょうか。

    それとも皆が間違っていたのでしょうか。


  暗転


4場


  明転(大黒幕はひいたまま)

  目覚めるケンジ。再び縛られている。


ケンジ おっ? おおっ!


  老婆登場。包丁を手にしている。


老婆  目がさめたか、むじなめが。

ケンジ またお前か。俺をどうする気だ。

老婆  知れたことよ。むじな汁にして食うてやるのよ。

ケンジ 俺を食ってもそれほどうまくないと思うぜ。

老婆  うまいまずいの問題ではない。

ケンジ 婆さん、俺もずいぶん悪さを重ねてきたが、今度という今度は年貢の納め時の

    ようだ。ついては、婆さん、俺の懺悔として、俺が盗み集めた金をお前にやろ

    うじゃないか。

老婆  そんなもん、嘘に決まっている。

ケンジ 嘘じゃない。俺は人間に化けて町へ出ていっては、その金でうまい酒を買って

    くるんだ。一人で聞くのがいやなら、村の者皆呼んできてもいいんだぜ。

老婆  なに、村の者皆だと。それにはおよばん、わしが聞いて教えてやればよいこと

    だ。さ、言え。

ケンジ いや、口で言ってわかるものではない。俺が案内するから、この縄をほどいて

    くれないか。

老婆  なんじゃい。やはり逃げようという魂胆が見え見えじゃないか。

ケンジ そうかな。じゃあ、このまま案内するから、立たせてくれよ。

老婆  よっしゃ。

 

  ケンジ、立ち上がる。老婆とケンジ、歩いている。


ケンジ 婆さん、金のありかを教えたら本当に逃がしてくれるよな。

老婆  ああ、逃がしてやる。

ケンジ 金を手に入れたら、何か買うのか?

老婆  人が何に金使おうが勝手だろうが。

ケンジ 人間って奴は、俺なんかには分からない、思わぬことに金を使うからな。

老婆  生活費にするんだよ。

ケンジ 年金もらってないの?

老婆  足りんのよ。

ケンジ 何に使ってんの?

老婆  人の勝手だろ。

ケンジ …ところで婆さん、あんたとどこかで会ったことがあるかね?

老婆  むじななんぞに知り合いはおらん。

ケンジ いや…確かに見覚えがある。俺が小さいときだ-。

老婆  知らん。

ケンジ 俺がまだ幼稚園にも入らなかった頃だ。

老婆  わしは、知らん!

ケンジ 俺はその時妹といっしょだった…。妹と俺は待っていた…。けれど、その人は

    来なかった。

    そうして、ユカはいなくなった…。どこにもいなくなってしまった。

    お前…。そうだ、お前を待っていたんだ。お前がこっそりユカだけ連れて行っ

    て、そうして、食ってしまったんだろう!


  老婆、怯む。


老婆  わ、わしゃ知らん。何を言ってるのかわからん。

ケンジ お前は、お前なんか、人間じゃねえ、山姥だ!

老婆  ひ、人殺しー。

 

  ケンジ、老婆を蹴り倒す。


ケンジ えーい、このクソ婆ぁめ!

老婆  ぎゃあー。(と、台の後に転落する)

ケンジ アーッハッハハハハ。ざまを見ろ。俺様を食おうとした罰だ。むじな様を食お

    うなんて百年早いぜ。


  アヤノ登場


アヤノ ケンジ…。何てこと。お婆さんを殺したのね。

ケンジ アヤノ! こいつは山姥だ。俺の妹を殺して食った奴だ。俺が仇を討って悪い

    か。

アヤノ 人を殺したら、あんた、むじなも殺されてしまうのよ。

ケンジ …お、俺は、本当にむじななのか?


  アヤノ、ケンジの縄をほどいてやる。


ケンジ むじなだったらどうだと言うんだ。あいつが殺したのは悪くないのか。俺のど

    こが悪いって言うんだ。


  アヤノ、老婆の落とした包丁を持っている。ゆっくりとケンジを刺す。

  崩れ落ちるケンジ。


ケンジ 俺がむじなだと言うなら、その方が楽なんだろうな。むじなからすれば悪いの

    はあの婆さんで、むじなは悪くないんだから。悪いのは人間だもんな。

    そうだ、むじななんだ、俺はー。

アヤノ ねえ、ケンジ。風はどちらの味方なの?私は誰の味方をすればいいの?


  暗転(台の上だけが、ほの明るい)

  台の陰から老婆が登場


老婆  どこから間違ってしまったのだろう?

    川からつづらを拾った時か? だって、家はお金がなかったんだもの。何か入

    っているんじゃないかと思って…。重かったんだよ。ああ、おじいさんが手伝

    ってくれたら良かったのに。あの人ったら、自分の仕事にばかりかまけて、家

    のことなんか何もしちゃくれなかった。ああ、それで一人で開けてしまったん

    だ。だって、私は一人だったんだもの。やっぱり、開けたのが間違いか…。け

    れど、開けてしまったものは、もう元には戻せない。つづらに入って次の番を

    待つより他はない。

    私はもう、…私じゃなかった。


  老婆、寂しげに去る。

  暗転


5場


  明転

  倒れているケンジ。寄り添っているアヤノ。(さっきのまま)

  少女登場


アヤノ あ、あなた。ユカさん?


  少女、うなづく。

アヤノ 私、ケンジを…あなたのお兄さんを殺しちゃった。でも、どうして?

少女  心配しないで。

アヤノ もう、何がなんだか分からない。

少女  みんな、兄のつくったお話なの。

アヤノ お話?

少女  兄は自分のつくったお話の蜘蛛の巣から抜けられないの。そして、あなたもつ

    かまってしまったの。

アヤノ これは、夢なの?

少女  そうね、夢…。お兄ちゃんの心の傷から流れ出す涙。思い出の奥底でうずく痛

    み。

アヤノ どうすれば醒めるの?

少女  あなたが入ってきたことで、お話は崩れ始めたの。もうすぐ、終わりが来るの

    だけど…。

    そしたら私も消えてしまう。その後の兄がどうなるかは、よくわからない。

アヤノ 私が、壊してしまったの?

少女  いいえ、あなたは、兄を起こしてくれるのだわ。本当の目覚め…。あなたがい

    なければ、どうなることか。

アヤノ 目を醒ますのね。(起こそうとする)

少女  何がおきても、兄のそばにいてやってください。そうすれば…。


  少女の照明消える。


アヤノ ケンジ。…ケンジ。


  目覚めるケンジ。


ケンジ あれ、どうしたの?

アヤノ ううん、なんでもない。

ケンジ あれ、いつのまに帰ってたんだ?

アヤノ 大丈夫? 雨宿りしてた時からずっと変だったよ。

ケンジ ああ…。なんか俺、頭が混乱して…。

アヤノ でも、もうすぐおさまるから。

ケンジ ?


  突然、袖から老婆が猟銃を持って登場。


老婆  逃がさんぞ。

ケンジ 生きてたのか! 何回出てくりゃ気がすむんだ。

老婆  やい、むじな。お前はわしの娘を食ったことを忘れたか。

ケンジ 何、寝言語ってんだ。

老婆  わしの娘はお前の妹。そんなことも忘れたか。

ケンジ 何だって?

老婆  わしが食ったというお前の妹は、わしの娘だ。何でわしが自分の子供を食う

    か。

ケンジ ちょっと待てよ。何が何だか。

アヤノ ケンジ。しっかりして。

ケンジ アヤノ、俺はむじなでないって、この婆さんに分からせくれよ。

アヤノ 自分でよく考えて。いつからそんな馬鹿なこと思い込むようになったの?

ケンジ 何?

アヤノ よく聞いて。思い出すのよケンジ。

ケンジ 思い出すって、何を?

アヤノ あれを見て。


  アヤノの指さす方に照明がつき、その中に少女の姿。黒い傘をさしている。


アヤノ 思い出して。乱れた糸をほどくのよ。


  少女に向かっているケンジ

  ケンジ、固くなって少女を見つめる。


ケンジ …ユカは誕生日前に死んだ。車の中で。パチンコ屋の駐車場で。

    かあちゃんはパチンコに狂ってた。もう病気だった。サラ金から借金してパチ

    ンコしてた。

    車にユカをほったらかしにして、昼間っからやってた。

    ユカは一時間ももたなかった。(老婆を指さして)こいつが悪いんだ!

少女  暑いよ。かあちゃん、暑いよ。かあちゃん、早く来て。

    苦しいよ。ここ開けてよ。

ケンジ いや違う。お前は誕生日前の赤ちゃんだった。その言葉は…お前の言葉じゃな

    い。

少女  暑いよ。かあちゃん、暑いよ。かあちゃん、早く来て。

    苦しいよ。ここ開けてよ。

    ユカがおかしいよ。ユカが。

ケンジ 俺か! いっしょに車の中にいた、俺の声か。

    誰が悪かったんだ。妻を裏切って女つくったとうちゃんか。子供を顧みない母

    親か。かあちゃんを狂わせたパチンコか。

    それとも、俺か?

    生き残ってしまった俺が悪いのか? 二歳の俺が何か助けを求められなかった

    のか?

    クラクションを鳴らすとか、何かすれば、ユカも助けられたんじゃないのか?

    そうすればかあちゃんもとうちゃんも皆いっしょにいられたんじゃないのか?

老婆  私じゃない。あの人が…、お前が悪いんだ!(泣いている)


  苦悩するケンジに、猟銃を放つ老婆。


老婆  死ねい!


  銃声。ケンジ倒れる。呆然と見ているアヤノ。ケンジを踏みつける老婆。

  アヤノ、老婆を押しやり、ケンジを守るように重なる。


アヤノ ちがうの。ケンジは悪くないの。ケンジはただ、むじなだというだけなんだか

    ら。それだけのことで、ずっと苦しんできたんだから。もう苦しめないで。


  少女が近づいてくる。少女、老婆に近づく。老婆怯んで離れる。


老婆  ああ、許してくれ。許しておくれ。私が、私が悪かったんだ!

少女  お母さん。皆が悪かったの。そして、誰も悪くないの。お兄ちゃんを責めるの

    はやめて。

    そして、お母さんも自分を責めないで。

老婆  ユカ…。


  少女、老婆の手をとって共に去る。


少女  お兄ちゃんをお願いします。さようなら。

アヤノ さようなら。


  大黒幕開いてゆく。

  照明が正常にもどる。(夜空)


アヤノ ケンジ、ケンジ。目を醒まして。お話はもう終わり。あなたの心の傷から生ま

    れたお話たちは、もう終わったの。


  ケンジ、ゆっくりと目覚める。


ケンジ ん? 終わった? …ああ、おしまいなのか。

アヤノ 気分はどう?

ケンジ なんだか…寂しい。長い長い、ケンジ君のお話が終わったら、あとは何が残っ

    てるんだろ。

    空っぽだ。

アヤノ (ケンジを見つめて)空っぽじゃないよ。私がいるじゃん。ケンジは私と二人

    でいるのが一番いいんだよ。

ケンジ 俺がむじなだったら、どうする。いや、実際、俺はむじなだ。こんな俺…。

アヤノ あんたがむじなだったら、私は河童だよ。私が河童だったらどうする?


  二人、顔を見合わせて笑う。

  ケンジ、立ち上がって大きく伸びをする。


ケンジ あーあ。変な一日だったけど、こんどこそ、本当に目が覚めたぞ。

アヤノ 目が覚めたのはいいけど、もう夜よ。私帰るから送って。

ケンジ ああ。いっしょに行くよ。


  二人、奥に去る。

  幕