雑感 2021年2月28日 映画『ミツバチのささやき』

 スペイン映画『ミツバチのささやき』を観た。連れが毎週借りてくるDVD を観て、マンガを読む。観ないときもある。

 『ミツバチのささやき』は1973(昭和48)年公開というずいぶん昔の映画であるが、今まで観ていなかった。

 この作品は、映像による詩といって良い。全編を静かに流れる時間。安定したショット。ロングのカットの美しさ。荒涼とした村の、暗い色合いの風景。

 そして、ただもう主人公の子役(撮影当時6歳くらいとのこと)アンナの瞳に惹きつけられる。この子がいてこその作品としか言えない。

 巧みなドラマではなく、繊細で純粋な情感。

 言葉では伝えられません。ぜひご覧になることをお勧めします。

 

 スペインと云えば『パンズ・ラビリンス』も少女が主人公だった。こちらは怪奇残酷趣味が入っているけれど…。

 「名優も子役には勝てない」と云うが、フランス映画『禁じられた遊び』のブリジッド・フォッセイを思い浮かべた。これを小さい頃(たぶんテレビで)観て、「現実のことだと感じてボロボロ泣いていた」という人がいる。

 

 マンガの方は、『ブルー・ジャイアント』はヨーロッパ編が終わったところで止まっている。アメリカ編が読みたい。でもやはり、仙台から東京に出た頃の未熟で無名で貧乏でありながら苦闘している時期の話が面白い。ある程度上昇してしまうと、読者の立つ地平から、届かない上へと行ってしまったような寂しさが出てくる。いや話は面白いのだけど。

 今は井上雄彦の『リアル』を読んでいて、スコーピオン白鳥の再起?リングまで来ている。この辺り、野宮の凄さが薄れてきていて残念。野宮のキャラがすごく良いと思っているので。アホなくせに時々妙に哲学者的な理解力を発揮する男。

 少しずつ絵柄が変わってきたり、味付けのギャグのセンスも微妙に変わったりしているが、長い連載期間故のことだろう。この作品は初めの頃読んで、車いすバスケという障害者スポーツをテーマにし、真摯にその身体障害という現実に深く向き合いながら、エンターテインメントへと昇華させている力量に感心していた。

 この作品には、『バガボンド』に見るような、内面の映像的描写が増えているが、そのイメージは的確であり、そう違和感は無い。

 

 マンガも映画も、エンターテインメントでもファンタジーでも、生きている「人間」が描けていたら良し。人間が生きる姿、記憶と感情、心はみな違っているのだろうけれど、それが何故か互いに通じるのであって、その不思議な共感があるからこそ芸術表現が成り立っているのだ。まあしかし、「全員に」通じることは無い。

 

 

 今日で10月からの勤務期間終了。実質、金曜日が最終日だが、保険証は今日まで有効ということで明日以降返却に行く。初めての職場だったが、住みやすい環境だった。

 お世話になりました。

 

 仕事が暇な日は、ひたすら「朝鮮の土地制度の変遷」について調べていた。

 

 このテーマは大きすぎて、遅々として進まないが、自分の納得のゆくところまでの理解に達しないと書けない。なので、1945年はまだ遠い。

 土地調査の結果、国有地になった土地が即日本人に分け与えられたわけでは無い(一部は東洋拓殖会社への融資として渡された)。縁故小作者が優先になっていた。これは山林でも同じで、縁故ある者に払い下げられた。ただ、これは日本でも同じだったが、「入会権」という共同の権利がどう扱われたかは詳しく見なければならない。

 土地所有者が確定し土地登記制度により明確な売買が可能になった。そのことが地主と小作人の懸隔を広げ、貧富の差を広げる結果になった。それはどうしようもない結果だったろう。日本の地租改正でも同じようなことは起きた。大地主が蔟出し、富豪層が形成された一方で小作人の生活は苦しく、争議が多発した。

 第二次大戦後、アメリカの力で小作人の解放、農地解放が強行された。いずれそうしなければならないとは分かっていても踏み切れなかったことを、敗戦を機にやってもらったようなものだ。これは朝鮮半島南部でも同じだったろう。ただ、問題は内地人の所有地がアメリカに接収され、その帰属がどうなったかである。現在でも韓国では「親日派」の所有する土地を「日帝残滓」として国に取り戻そうとする裁判が行われている。

 北部朝鮮はソビエト連邦の影響を受け、共産主義体制となった。中国も内戦の結果共産党が政権を取り、大地主の土地を小作人に分け与えることで平等化を図った。しかしソ連式の共同農場を目指して、人民公社化が進められ、土地の所有権は農民から人民公社に、そして国に取り上げられた。農村に持ち込まれた社会主義悪平等は恐ろしい飢餓を生んだ。そして請負制となって個々の農民が「借地権」をもって耕作している。